かとかの記憶

ル=グウィン 再読 / 31

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それはともかく、わたしはもう5年くらいか、トールキンを読み返したい気持ちなのに、反面で薄っすらとトールキン敬遠感が覆って手がつかない自覚があって、ここまで戻るならやっぱりトールキンは一回戻っておこう。損とか得は関係ない。「一生に何回周回できるか」を自分でスコアにしてもいいくらいのことだろう、古典なんて……。

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    katka_yg 2025/06/01 (日) 16:09:46 修正 >> 31

    まあこういう過程がル・グイン疲れること……作品自体はそうでもないような。にもかかわらず、ゲド戦記通過したらそれ関連書籍をこのたびすでにニ冊積んでる。自殺か。

    そういえば、アニメ映画版の「ゲド戦記」の話をこのあいだしていたのに、それはサントラ音楽の話だけでル・グイン原作ということはすっかり忘れていたようだった。それは寺嶋民哉のほうの興味だったからね。

    それはC.W.ニコル原作「風を見た少年」のつながりだったのだけど、「ゲド戦記」の音楽は作曲家のキャリアではそれらからの関連の方が強くて、『なんでアースシーがアイリッシュなのか…』のことははっきり言って、ない。それとまたべつに、わたしは「テルーの唄」の詞がまたあまり好きではなく、日本人の詞で誰だったらル・グインも黙らせるだろう……谷山浩子あたりなら文句ないんじゃない?……と思ったらこれ谷山浩子の曲じゃないか! とか、今は何年ぶりだったかわからないが、記憶も変になっていた。

    2015年頃を終わりにフォローしていないけど、寺嶋音楽による『カレワラ』というのも今頃興味あるなあ……。また憶えておこう。

    交響曲獺祭みたいなものを連想するが、わたしの興味はそういうの。
    これも先日、ジョン・ウィリアムズの2枚組ベストを聴いたらジョン・ウィリアムズが日本のガンダム等あれこれの印象の混ぜこぜに聴こえてしまい、(逆に)参るという感覚になっていた。わたしは最近は習慣的に音楽自体を聴かないのだがたまたまこの1年、数えてみれば6人の日本人作曲家によるウィリアムズの何かを聴いており(90-00年代頃)、そんなの言い出せば本当にきりがない。もはや当たり前すぎる、そういうことを「批評」とも言わない。

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    katka_yg 2025/06/01 (日) 18:32:56 修正 >> 31

    昨年以前の関心が「ソード&ソーサリー」だったので60-70年代まで来たときにムアコックを開いていて、そのエルリックの序文でムアコックがトールキン他について突っ張らかったことを書いており、読んでいるわたしはでも、そういうエルリックのほうが始まって二、三話ですでにマンネリしているような気持ちだった。いま三巻で停まっている。

    そのエルリックに当時のめっているのが訳者の井辻朱美氏で、日本国内のFTでは80-90年代頃のこれで……というようなマッピングを今頃にまた追い直している感じなんだ。ジャンル史を網羅したいわけじゃない。リーなりル・グインなり一人の作家史を通しているほうがその記憶には強くなる。推しがあることが強い。

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    水族―井辻朱美歌集。井辻さんの訳業以外のことに実はあまり存じなかったので触れてみました。こちらは86年のです……「フェンリル」や「世界樹」「太陽風」などの語が巻頭から押し詰めで時の勢いが熱いです。今頃の頽廃した世俗には許されざるかもしれません。歌趣は一巻を通して裏表や巧まない率直な熱情をいっていて、FT語彙がすごく目に映えるだけにむ...
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