「2 勇者アマルガン・ルドル」(旧)
「2 ミン・シャオの逆襲」前半部(新)
章題を挙げるだけですでにややこしくなってきたな。全てを舐め尽くすようにここに書き込む気はないが、取っ掛かりのややこしさだけでも自分で整理したい。
新版(完全版)は字数を圧縮して展開をスピーディにする意図があるのは当然のよう。ただ描写を削るだけでなく、叙述の順序なども置き換わり、語法も違うことは書いた。漢字表現がひらがなに砕けているのは時代的、または著者の変化のようかな。『小説V』の頃に急激にひらがな実践の時期がある。
字数をいうと無論のこと、旧版の方が表現に文字が費されている。比較して、完全版に圧縮されて不満な点というのはまず、ない。それを見較べることが「すごいな」という意味で比較する価値は、ある。
細かいことでは、アマルガンの身格好を見ながらすでに迫水に憧れ感情が湧くとか、洞窟を出るまでに剣の型を一度思い出し、出てからまたあらためて洞窟に戻って準備するところが、完全版では一気に砂漠を行くところから章が開く。
ハロウ・ロイへの羞恥心が強いことと……ハロウの「死人のような美貌」というイメージは完全版に省略されて惜しいかな。
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コモン界の馬について。くり返し。
「サラブレッドの洗練さはない」(旧)
「横浜の郊外で見かける農耕馬にちかいもの」(新)
どういう違いなのかというと、少年迫水がサラブレッドの競走馬よりは、農耕馬を見知っている。
馬の角について。
「ゆらゆらと上下する馬の額の真直ぐでありながらねじれを持った角」(旧)
「三角の角をせっせと上下させる馬」(新)
迫水は唐突にゴビ砂漠めいた光景を目の当たりにしても、混乱や不安を感じる余地のない圧倒的な実在感の只中にあって、ファンタジーにありうる「まるで夢を見ているかのような実在感のなさ」というのでは、ない。すごくリアル。かなりの間は異世界という概念もなく現実としか思えない。
太陽がないことに気づく。完全版ではアマルガンが一言挟み、バイストン・ウェルでは燐塊 のことかという。燐の光のような表現はシリーズ作品でいうが、このルビは初出か。完全版の迫水はアマルガンに敬語で話す。
砂丘に昇ると、集落が見える。旧版では二、三十キロ先にあるものが、完全版では数キロ先にある。
横浜育ちの迫水にもアマルガンとハロウの人種がわからない。旧版では「異人種」だと思う。完全版では、迫水の知る白人よりは中近東の肌色に見える。上の、死人のようなフェラリオの色みはそのように省略。
言葉のちがいとテレパシーの介在に気づかずにしばし混乱。
アマルガンの国の名はツォ(旧)、またはシィ(新)。
「シンの住む世界では日本語で済むわけなのだな? 我々と同じこの言葉で」(旧)
「シンの住む世界ではニホンゴではすまないのか?」(新)
ここは旧版の文意が誤りらしい。
「?……違う言葉を話す人とは、話ができないのか?」
「できない。はい、か、いいえも分らない」(旧)
「ちがう言葉を話す人とは、話ができないのか?」
「はい、か、いいぐらいしかわからないものです」(新)
対読といっても、こんな煩雑なことをするのがわたしの主旨ではないから、このあとはもうちょっとポイントを押さえて読みたい。
ハロウの「死人のような美貌」というのは良いところ。そういうところだ。今夜ここまでにしよう。