まず「大地と女性」のような定式には、各国各時代の風習や昔話からおびただしい例を引いてくることができるが、無数の民話を挙げているその研究が、反例についても少なくないだろうに、なぜその例をとくに強調して挙げるのかといえば、自説を補強するために好都合な事例ばかりを選んでいるからもっともらしく見えるのではないかという、比較研究につきものの恣意的な引例の問題が言われることがあった。
「人間の営みを大きく理解する上で有用な定式」として提唱するには、有用な考え方だとは思われる。しかし、その蓋然的な定式から派生してどういう言説が生じてくるかには注意を要する。それは現代では常識として置いておこう。
テレパシーを誤読する
迫水は大尉の受け売りから完璧にコピペで回答したのだが、国民国家の頭文字から卿はセンシティブに反応して「ナチのことか」と問い返す。
「ナチスのことではなくて、考え方、という意味です」
「……? ナチスの思想というが、ありゃ怪しいもんなんだぞ?」――
今ナチスの話はしていません、メッオの土俗をどう考えたいかという話です、と迫水は言ったつもり。だが、迫水のテレパシーでは「考え方」と「思想」のボキャブラリーを区別しない。スコット卿は「?」と困惑したあと、文脈を誤読してナチスの解説を始める。
通報 ...