かとかの記憶

リーンの翼 / 380

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katka_yg 2026/02/10 (火) 16:23:19 修正 >> 379

「血族意識をのりこえさせるものなのです。信義をもってひろくつながれという意味ですよ。ひとりの人間を土着させて、次の世代へもひろく継続させるという期待をこめているのです」
「キリスト教では、信者と神のあいだに契約をかわすのにな?」
「キリスト教徒の心は知りませんが、大地である女性という畑との契約をおこなえる、という意味での契約の設立と確定は、未来永劫つづくものだとしんじられています。国民国家社会主義といったイデオロギーを必要としない契約です」
 迫水はそんなふうなことを口にすることができるようになっていたのは、ドイツ人ホッブ・ローテンブルガー大尉からのうけうりがあるからだ。

大地と女性

ここは神話よりは、民俗学/民族学の知識で社会人類学的な方位。リチュアルやフォークロアに基づいて社会と人間の関係を説明しようとする。ドイツ人の受け売りとあるように学問では既知の考え方で、有名なフレイザー等の本には「女性=畑」のような型は多く載っているだろうし、宗教学概論でも諸々の事例を挙げていた。

この説明としては、『けがれを知らない幼女』(=ロドウ)つまり未婚の処女が、新郎新婦に祝福を与えるで、(アピアではなくロドウが)メッオの土地を体現するもの、無垢の大地(畑)の身代わりとして演じるということを言っている。

原文から目を離して読者としては、バイストン・ウェルのコモン人にそんな大地感覚があるのかは作中で語られたことがないので不明だけど、あるんだろう……。太陽は燐の塊。「宗教」「神話」「民俗」がどう違うのかはわたしは意識的に区別するが、今その説明は省く。それはエリアーデとかの通読で続ける。

これはキリスト教以前の宗教だからキリスト教徒はこんなことを知らないか、というとドイツにもフランスにも、イギリスの農村にも近代まで結婚式にはあった風習で、田舎ではとくに教会ぐるみでもあっただろう。キリスト教にはキリスト教なりの因循があるだろうし、スコット卿もそんなことは知らないわけではないだろう。

スコット卿にも迫水の結婚の国家的な意味がわからないはずはないが、彼の気分をいえば、幼女の祝辞は村祭りの精霊か、女学生がする地元のカーニバルの女王みたいな田舎臭さに見えて、どうも壮厳じゃないね、というところにあるのは窺われる。迫水はまずそこが察せなくてクソ真面目に解説した。

『こうした土俗の儀式は、国民国家社会主義といったイデオロギーを必要としない契約です』と迫水が言ったために、ちょっと待てとスコット卿が口をはさむ。

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    katka_yg 2026/02/10 (火) 16:35:36 修正 >> 380

    まず「大地と女性」のような定式には、各国各時代の風習や昔話からおびただしい例を引いてくることができるが、無数の民話を挙げているその研究が、反例についても少なくないだろうに、なぜその例をとくに強調して挙げるのかといえば、自説を補強するために好都合な事例ばかりを選んでいるからもっともらしく見えるのではないかという、比較研究につきものの恣意的な引例の問題が言われることがあった。

    「人間の営みを大きく理解する上で有用な定式」として提唱するには、有用な考え方だとは思われる。しかし、その蓋然的な定式から派生してどういう言説が生じてくるかには注意を要する。それは現代では常識として置いておこう。

    テレパシーを誤読する

    迫水は大尉の受け売りから完璧にコピペで回答したのだが、国民国家の頭文字から卿はセンシティブに反応して「ナチのことか」と問い返す。

    「ナチスのことではなくて、考え方、という意味です」
    「……? ナチスの思想というが、ありゃ怪しいもんなんだぞ?」――

    今ナチスの話はしていません、メッオの土俗をどう考えたいかという話です、と迫水は言ったつもり。だが、迫水のテレパシーでは「考え方」と「思想」のボキャブラリーを区別しない。スコット卿は「?」と困惑したあと、文脈を誤読してナチスの解説を始める。