かとかの記憶

リーンの翼 / 383

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katka_yg 2026/02/10 (火) 17:25:13 修正 >> 382

ジェフリー・スコット公爵は1944年のロンドン空襲の際にV1ロケットに遭ってバイストン・ウェルに落ちてきたという。現在メッオにいる地上人の中では年嵩の古参に当たる。その後の地上の歴史の情報共有はしているが、ナチスなどを語るときにはあくまで1940年代の人物による理解だと思いたい。1950年代や60年代の小説を読んだりはしていない。

文芸や芸術運動としてのロマン主義がドイツやフランスでは政治と連動していき、一方でイギリスのロマン主義はそうならなかったといいたい。もとに戻って、現在メッオの大衆がロマン的国家主義になっているかといえば、そのロマン主義的だから駄目だというかは不決定だ。
イギリス人に言わせればロマン派というのは霧と墓場と夜の憂愁……つきつめれば「孤独」でもあるが、スコット卿は孤独については言わない。ゴシックホラーは通俗文学で大衆文化だよのように言うときにも、大衆的なことが駄目だと言ってるわけでもないだろう。

説得しない会話

ファンタジーやフィクショナルものが嫌いなわけじゃなさそうだ。ただし、ポップカルチャーが「公」の顔になる、「公」の顔をするのはいやだねのような気持ちを今の青年に分かってほしいと思って言葉を探している。迫水は文学青年ではない。

「お祭り騒ぎにしやがって」のような不快感があるんだろう。大衆というものはいつも権威的なもの、公という権威に媚びるものだが、新興貴族とはいえ貴族だからこそ反権威的な気分もあるんだろう。

国家におけるロマン主義は単なる看板かといえば、きっと、
「精神性はありますよ」
「精神的なことが良いことじゃないよ」
のような噛み合わない会話が続く。精神的なことが洗練されたことじゃあるまいに、と。

迫水は「他人の受け売り」「勘違い」「思潮を考えるセンスがない」。スコット卿もとりとめなく自分の知っていることを並べた上で、テレパシーの曖昧さや誤訳、言葉の意味理解の行き違いでちぐはぐな会話をし、お互いに「???」と疑問符を浮かべながら、ロマンの定義か、ロマンの是非かはその場はウヤムヤに過ぎていく。バランモンとの対話とはまた違ったが、富野文としては「ためらいがちな語り」をする。

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