極悪非道な伯母さんは、赤ちゃんから重さを奪い取ってしまったのでした。どうすればそんなことができるのかとお聞きになる方には、「世にも簡単なことです。重力をなくしてしまいさえすればいいのです」とお答えしておきましょう。王女は自然哲学に通じていましたから、靴の紐を順番に穴に通して結ぶ手順を心得ているのとおなじように、重力の法則のしくみをちゃんと心得ていたのです。しかも王女は魔女でしたから、一瞬のうちにその法則をあやつって、無効にしてしまうことができました。無効にするとまではいかなくても、少なくとも、まわっている車輪に車止めをかませ、車軸を錆びつかせて働きを止めてしまうくらいのことは、朝飯前でした。しかし、ここで大事なのは、どうやってそれをやってのけたかということではなく、その結果どうなったかということのほうです。
ジョージ・マクドナルド「かるいお姫さま」(1864) 脇明子訳より。ヴォルクハヴァールの途中で置いてまた方々に行っているところだが、ここのThe Spell had workedとかいうときにこういうのをわたしは思い出す、これは100年前、19世紀の。「ファンタジー」というジャンル名もまだないような頃だが、その書き方の伝統系譜などをわたしはもとより詳しくはない。起源を言うなど……。上のような文は、魔法を働かすのにあえて書かなくてもいい。でもそれを書く、という時代性がみえるだろう。
ヴォルクのこのあと、呪文のところでわたしは『カレワラ』を以前連想していた。というか、『カレワラ』を再読している折にリーのヴォルクあたりを連想していた、というか。カレワラは古典ということになっているが、その出版がされたのは1840年代頃だと思っていてもよい。
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マクドナルドは英語ならグーテンベルグで読める。今むしろ脇明子さんの仕事を探して手元にある本を漁っていた。併読また増やすと詰むがマクドナルドくらいいいだろう。
同書にカップリングの「昼の少年と夜の少女」(1879)も読む。この物語のシチュエーションは連想するものを挙げればたくさん言えるけど……ともかく可愛らしいのと、ここはタニス・リーのトピックなのでリー作品の繋がりをいうと、『闇の城』がこれ。ただ、全然違う方向の萌え小説になっている。
純粋培養された男の子と女の子という話は、古代から牧歌小説ではあるけど、宗教的な含蓄をまじえて神秘主義者が好む……だけどあんまりそういう話をしないほうがいい、ということだ。この訳者解説にもいわれてる。可愛いのがいい。
いま『リリス』とか『ファンタステス』はそんなに読みたくない。読むとは思うけど、マクドナルドで単独トピを立てるほど熱心に話はすまい。
ただ、そう書けばいつもそうなる、わけではない。上にもあるようにそれからどんなお話が始まるの、という。
本当におとぎ話なら書かなくていいようなのにマクドナルドの場合わざわざそう書く、のようにもみえる。1860年代くらい。