紫電の7.7mmはよく分からん部分でな…。終戦時の要目表にも7.7mm×2って書いてあるし、「20mmが故障したから7.7mmだけで戦った」って証言も残ってるし、カウリングには7.7mm用の穴が空いてるし、この穴も途中で改良されて上向きに対応してる。でも世間では機首の7.7mmは一一型甲から廃止されたって言われてる。
通報 ...
紫電の7.7mmはよく分からん部分でな…。終戦時の要目表にも7.7mm×2って書いてあるし、「20mmが故障したから7.7mmだけで戦った」って証言も残ってるし、カウリングには7.7mm用の穴が空いてるし、この穴も途中で改良されて上向きに対応してる。でも世間では機首の7.7mmは一一型甲から廃止されたって言われてる。
ええ、使ったかもしれんという、謎の部分なのか。
個人的には恐らく機首に7.7mmは付いてたんだと思う。でなきゃわざわざ乙型から設計変更してまでカウリングに穴あき加工する理由が無い。
乙型には射撃訓練用の7ミリはあるけどな。ガンカメラも
終戦直後の要目表だと7.7mmは書いてあるんですが、終戦直前の要目表(書いてある弾数的に乙と推定)だと7.7mmが書いてなかったりしますね。
訓練用だとしても訓練の為だけに違う機銃を違う場所に載せるか?主翼の20mmの演習弾使えばよくね?とか色々と疑問が出て来るんよね
甲・乙では取り付けない予定だったが紫電の生産数が予定より落ち込んでいるので部品だけが先行して出来ていたとか、7.7mmのラインを縮小して五式30mmに転用しているのでそのあおりで取付られずに終わったとかそういう可能性も否定できないとは思います。
運用部隊でまちまちな気がする……20粍にしか触れていない人もいるし上にある通り七粍七使った話もあるし零戦52丙みたいに外したか生産工場によって違うのか。ちょっと調べておく 追記:20粍2丁の場合は7粍積んだらしい表記があった
資料を読むと昭和19年3月時点での記録では一一型(無印)は7.7mm×2と1号x4となっています。ですので、7.7mmを撃ったと言う方が乗っていた機体は無印(あるいは無印から2号に変えた甲相当の機体)だった可能性があると思います。部隊側だと341空や戦闘701の記録では確認できないものの、一一型を少数機保有していた筑波空での20年初頭の出動記録では紫電は20mmのみ記載されています。
源太の剣の本である、343空の紫電にも20ミリは故障した。7、7ミリで戦った記述ありますが、どの紫電の型かは書いてませんでした
機体側には7.7mm用の用意はあった。が、何らかの理由(5式30mm用に7.7mmの生産が縮小された等?)で機首に装備出来なかった個体が相当数あった。よって7.7mmを装備してない個体と装備してる個体が混在しており、異なる様々な資料や証言が残されてる。って所なのかねぇ…
しかし、20ミリと違って、零戦や彗星など幅広く採用してる7ミリだから、ニコイチ中古機銃とかありそう
↑2ただ、7.7mmを撃った証言を残しているのが343空初空戦時の山田良市大尉くらいなのと、その山田大尉も記憶違いを起こしている可能性がある(20mmが"2基"故障したので…と言っている)ので、通説通り甲以降は搭載されなかったのかもしれません。
しかし、なら何故乙型からカウリングの改良をしてるのか?機首に7.7mm載せないならカウリングの穴は塞ぐ筈では?と腑に落ちない為にモヤっとする…。あと、本当に7.7mmを装備してないならコミコミで40〜50kgほど(?)機首が軽くなるでバラストの調整等が必要なはずだが、そんな話も無いのが気になる
工場側で記録残っていないか手持ちの本で探したけれどちょっと見当たらなかった。だれか獅子部隊の戦闘詳報とか戦訓とか航空爆弾燃料のページ持って……ないよな
↑2 カウリングを弄った理由を明確に書いた資料は今のところは確認されていないと思われます。上で挙げたどれかかもしれないですし、まったく違う話(例えば紫電改で実施予定だった13mm装備)かもしれませんが、この先解明されるかすらわかりません。
決定的な資料とか無いだろうし、本当に謎なんよね…タイムマシン欲しくなるわ
鹵獲して、機体内部を解説したアメリカの本には紫電一一型甲のとおぼしきので、機首に7、7ミリ機銃とその機銃穴というか筒みたいなのががありましたわ
機銃筒は結構確認できるよね。世傑の鹵獲紫電のカラー写真だとどちらの機体でも確認できるし川姫の生産ラインの写真でもみれる。あれのあるなしで機銃の有無確認できたら楽なんだけどどうなんだろうねぇ