里帰り
―セブン協会 カフェテリア―
最早聞きなれたモダン空間に響く雑多な陶器の擦れる音。
幾度となく交わしてきた情報提供の場。
その普段と変わる事のないテーブル上で、人物たちは静かに口を開いた。
「図書館は都市疾病クラスの事件として都市では話題が挙げられています」
「多くの事務所が廃業、組織の一部も壊滅的であり、伴って『ねじれ』の出現が数多く報告されています」
セイブが書類を片手に、ユンフへと状況報告を開始する。
「廃業した事務所には、嘗て煙戦争で活躍されたと言われるフィクサーも居たそうですよ!」
「煙戦争の参戦者に関する情報はかなり統制されているので、俄かに信じがたいのですが!」
ラックの底抜けに明るい声が、話題の暗さに反比例する。
ユンフは目を伏せ、その情報から得られるとある事務所の事を思い浮かべ、一つ重い呼吸を置いた。
「……ユンフさん、図書館は依然、危険度が測れない程にその輪郭を曖昧にしています」
「貴方の望む答えは、本当に其処にあるのでしょうか」
セイブの案じるような声色が、ユンフへと向けられる。
彼はその声に応えようにも、『L社』という枠組みの中で得られた情報をセブン協会に渡すのは危険であると判断していた。
それ故に、オーウェンから提示されたラモエの存在が其処にある事を隠蔽することを選んでいる。
L社が潰えた地点に聳え立つ図書館。
その関係性は確固たるものであり、彼は図書館こそが、自身の探す思い出の行先である事だけをセイブ達に伝えていた。
「深く入れ込んだ回答が出来ず、申し訳ない」
「ですが、間違いありません」
「ねじれの根本は『白夜』『黒昼』を発生させた元凶にあり」
「其処に潜んだ概念が、人々の心に『声』を届ける」
「その導きにより、本来の自身という殻が発現していくのは、あの図書館が原因である事」
「思い出との関連性がねじれにあるのであれば、図書館にその存在が居る、と……」
「……理屈は通りますが、過程においては理解出来かねます」
「都市に於いて因果は綿密に関連するものですが、偶発的なものである運命は決してその道に繋がるとは限りません」
「まぁでも危険な事に変わりはないですからね!」
「私達は心配なんですよ!ユンフさんが図書館に関係して居なくなってしまったら」
「私達、それこそ貴方の言う情報通りなら、ねじれてしまうかもしれませんからね!!」
「心配してくれてありがとう」
「ですが俺は――」
「思い出があるから倒れないとかいうんでしょう!わかってます!!」
「てか赤い霧に並ぶぐらいには貴方は最強談義に候補があがるぐらいですから、確かに心配する必要ないんでしょうけど!」
「それでも友達の安否ってするに決まってるじゃないですかー!」
「ユンフさん、私達は都市の人間の枠組みとしてではなくて」
「一人の人間として、貴方が築いてきた軌跡を見てきた語り人なんです」
「……その最後を、命の幕引きで終わらせるようなことだけは、してほしくないんです」
「……」
「帰る場所が在る」
「それだけでも、俺の生きる理由にはなるのに」
「その道中で貴方達のような人に会えて、俺は本当に恵まれているよ」
「ありがとう、セイブさん、ラックさん」
「だからこそ力強く言うよ」
「俺は『だいじょうぶ』だと」
苦みにさえ反応しないその表情。
だが、僅かに上げられた口角を見て、セブン協会の二人は何処か安心したような笑みを見せた。
「図書館については、再度情報が更新され次第お伝えします」
「……ここからはねじれに関するお話です」
「V社で起きはじめた、異常現象」
「一介の街村が、突如大きく変化した事件」
「『里帰り』です」
――里帰り
V社の巣。エル村、そして繋がるソル街全体を覆った固有結界。
原因不明だが、物理的に栄光のある長閑で、不自然な小麦畑や山村の家々が聳え立つ。
ビルの隙間や工場など、最早場所は問わず、まるで御伽噺に出てくる村の背景が全体を覆う。
住民達は、「村の役割」を与えられており、記憶を失い、自我を保っているものはいない。
鍛冶屋、商人、こなひき、錬金術師。
ありとあらゆる職業や、村人として、住民として演じさせられている。
だが、誰しもが敵対心は無く、穏やかに暮らしているそうだ。
「人的被害こそありませんが、最早嘗て存在していた都市の一部としては機能を成していないそうです」
「V社は製造地帯であるソル街の奪還を主として、報酬金を公表しています」
「その額は都市の星に該当するものです」
「記憶の奪取や、自我に関するねじれですか」
「最早、都市の物とは思えない現象だそうです」
「先遣隊もまた、里帰りにおける住民の一部となり、その区域で生活をしています」
「唯一生き残ったフィクサーの情報は、非常に欠落的でどれも情報に乏しいですが」
「見えた看板の文字が、何処か哀しみを帯びていたと評していました」
「……看板……?」
「はい」
「我々にこの依頼内容が伝達されたのは、楔事務所が他案件による拘束に合う為」
「其処から貴方を指名されたものになります」
「オスカーさんからのご指名ですか」
「わかりました。里帰りの案件、請け負います」
―22区―
昼と夕方の狭間。
該当地区には、緩やかで長閑な雰囲気を保っていた麦畑が広がっていた。
同時に奥に見えるビルは不自然に立っており、だが本来であれば、そのビルが元々その背景に相応しい場所であった。
「エル村、ソル街」
「……山村というには、発展しているが」
「……この麦畑……何処かで俺は……」
街路を歩む。
幻想的且つ帰郷とも思えるその田舎道。
道中、村人と見てわかる格好の人物が麦畑で仕事をしていた。
「こんにちは」
「あら、こんにちは」
遠くから声を掛けても、その返事は明るく活発的であった。
声色からでも分かる。その人達は、此処で生きている事が。
「最近はお客さんが多いわね」
「村長さんは村の奥に居るから、挨拶するならビルの方に向かっておくれ」
警戒心の欠片もない、長閑な人々。
挨拶を施した人間だけでなく、遠方に見える子供達や、老人たちは平和そのものの暮らしをしていた。
何処か、不安のない、幸せだけに満ちた世界。
都市の空間としては、異質であり、同時に自身が望んだ世界のようにも思える。
麦畑の路地で遊んでいた少年達が居た。
愉し気に笑みを浮かべながら、棒切れや土で遊んでいる。
その光景は、嘗ての故郷で自身以外で遊ぶ子供達の風景を彷彿とさせていた。
そう。嘗ての故郷での出来事のような、その幻想。
「こんにちは」
子どもたちに声を掛ける。
「こんにちは!もうすぐこんばんは!」
元気のいい挨拶。
とてもではないが、ねじれの影響下に居る人間とは思えない程快活であり、
そして純粋であった。
「おにいさんどっから来たの?すっごくカッコいいね!」
「……楽しそうに遊んでたね」
「うん!だって不安な事もないし、絶望もないから!」
「ずっと希望に満ち溢れていて、この世界の正しい在り方が此処では享受出来るんだよ!」
「希望、かい。絶望がないなんて、都市では珍しい話だね」
「そう!でも、ここはもう都市なんかじゃないんだよ!」
「……随分と愉しそうだね」
「だって、もう待つ必要はないから!」
「力持ちの槍使いさん!」
「身軽な盗賊さん!」
「不思議な魔導士さん!」
「暖かいお姉さん!」
「そしてこの世界を創ってくれたお兄さん!」
「太陽は既に、心に届けられているからね!」
元気よく子供たちは去っていった。
麦畑の中に隠れてしまう程、純粋な年齢の子達。
彼はその姿を見送りながら、妙な既視感、違和感。
そして見たことのある輪郭が形取っていくことに、不安感を抱いた。
再び街路を歩む。
領域に踏み込んでいき、入口と思える場所が見え始めた。
そして同時に眼に入ったのは、ポツンと聳え立つ看板。
「……」
「この風景……」
確かに異なる風景。
だが、それはあくまで彼が見た過去の姿。
その過去は歩みを進める度に、確かに輪郭を帯びていき、
やがてその視界に収まる村は、その部分だけは、
彼の記憶を刺激した。
看板。
其処に書かれた文字は、彼にとって馴染み深い文字で描かれており、
【光のつどう村】
絶望に染まった、あの時の過去が、其処には存在していた。
「――」
【ティダへようこそ】
遠くで子供たちが幸せを奏でる。
見守る親たちもまた、静かに微笑む。
この風景を見たのは何度目か。
いつしかL社の巣に囚われた、あの老人が佇む光景。
幻想の類。
「……」
だが同時に、目の前にある看板の質量が、都市に存在する嘗ての故郷を証明していた。
希望という畑で燦々と生き続けたクラヴァットの歴史。
優しくも力強い思い出の日々を、長閑な風景の空気に浸透させた家々。
その全てが、彼にとっては絶望の園として映ったあの日。
あの時とは確かに異なる、『生きていたティダの村』が、目の前にあった。
「……」
「……」
「……」
旅の一頁に飾った悲しき思い出を前に、彼は推察に奔る。
都市という枠組みに於いて、故郷を彩る事が出来るのは自分、乃至はラモエを以て他はないはず。
『ティダ』という嘗ての幻想が発現している事は、その両者どちらかに原因がある。
図書館の出現、実体化していくL社の魔境、ラモエの存在。
「……」
思考を取り止める。
看板と、既視感のある風景、子供の発言だけでは、確実な事は得られない。
彼は嘗ての歴史を、都市の出で立ちで歩み始める。