―ティダの村―
「……ほ、本当か?」
「本当に、本当か……?」
「はい……本当です……」
黄金畑の裏。
俺の住む農家用に建てられた、生産物を管理する小屋。
作業していた手を止めて、唐突に訪問してきた彼女に対応するために、表に出た日だった。
遠方のアルフィタリア城から差し込む夕日に溶け込むテトの笑顔が、今でも忘れられない。
「……俺達の……子……」
「うん」
「お腹の中に居ます」
唐突に告げられた生命の授かり物。
村人の装束で互いを見つめ合う。
子どもが出来たと、彼女が告げてきた時、
最初に浮かんだのは何だったのか、正直よく覚えていない。
「――」
嬉しかった。間違いなく、人生で最高潮に嬉しかった瞬間だ。
世界が俺を中心に駆け巡るような疾走感が、表現しきれない俺の歓喜を走らせていた。
胸の奥が軽くなるような、俺の人生が、まだ先に続いていくのだという感覚があった。
「――ありがとう、テト――」
「ありがとう――」
抱き寄せた彼女の身体は、突如俺にとって幸せな重みを感じさせた。
今、この手に寄せたのは一人の女性などではなく、
俺という人生に歩を重ねてくれる旅人と、その先に歩み往く自分の分身。
彼女の呼吸が二重に聞こえる。
命を、感じた。
「……」
だからこそ、クリスタルキャラバンとして生きてきた俺達は、
向き合わなければならない選択を強いられた。
「テト、次のミルラのしずくの旅は――」
「待って」
「分かってる」
「でも、まだ言わないで」
「行ってきますと言われるまで」
「行ってらっしゃいを言うまで」
「私は君のクリスタルキャラバンの一員でありたいから」
「――」
今まで、護る者が傍に居た。
だが、これからは帰りを待たせ、そして待ってくれる存在となる。
キャラバンとしての旅は、俺達の人生を豊かにしたと同時に、
掛け替えのないものになり過ぎたが故の、呪縛と化していた。
俺はその呪縛を愛していて、好きだった。
だが、彼女は俺の為にその呪縛を自ら手放す選択をし
「……」
寂しそうにも涙を流した。

8年目の旅の始まり。
恒例となった村人達からの見送りを受ける。
川のせせらぎと共に、黄金畑を背景にした村人総出での祈願。
「他所の女に鼻伸ばしたらタダじゃおかないからね、アンタ」
「だ、大丈夫だって~の……愛してるぜ~リャナ」
「どうか無事に戻ってきてください。アナタ」
「其方達が居る限り、我が身は不滅。必ず戻ろう」
見送りの中で、ミルド=デリスとトルブジータが家族と一時の別れを告げる。
隣から我の民の舌打ちが聞こえるが、お前も頑張れと思ったな。
「レビ」
そして、今年の見送りで最も異なるのは
「テト」
君が「こっち」に居ない事だった。
「気を付けてね」
「絶対帰ってきてください!」
「待っているのは、私だけじゃないんだから」
まだ人目に付く程ではない膨らみ。
だが、俺には大きく見えた。
其処に居るのは、俺という人生の先。
君と築く、次の旅日記。
俺達の、希望。
「約束しただろ」
「来年も一緒に居ようって」
「君の事は――」
「家族の事は、必ず護る」
「希望を、持ち帰ってくるよ」
「――行ってらっしゃい」
「行ってきます」
……
別れを、済ませた。
「……」
「よいしょ」
クリスタルケージを抱える。
いつも君が我儘を言って持ち上げたクリスタルの加護は、
いつもと違った重さを、俺達に感じさせた。
レベナ平原での道中。
砂糖をぶちまけたみたいな星空の真ん中に、大きな月が浮かんでいた。
月夜に照らされながら、焚火を囲み、クリスタルケージを脇に管理する。
パパオパマスは疲れ果て、その巨体を横に倒して休んでいた。
「コナル・クルハ湿原のあの立地はどうなってんだろうな」
「どう考えたって人が寄り付くところじゃねーぞ」
「あの地は嘗て古代セルキー族が訪問せし湿原」
「瘴気の沼にさえ恐れず、我を貫き通さんが為に橋を渡した聖地」
「されど、その最果てに在りしは無だったとされる」
「理想の地であることを信じて、最果てへと向かった歴史か」
「道中の石板は古代セルキー文字……だったんだっけ?」
「然り。あの石碑に刻まれし表現技法は、我が書物には無き夜空の星」
「故、ラ・セナ女史に読み解く事を進ぜたが……」
小岩に腰かけ、鼻唄を交えて左右に揺れるラ・セナに視線が向く。
その言葉と視線が向けられた時、彼女は「ん?」と動きを止め、わざとらしく肩を竦めた。
「『内容は秘匿とする』とのこと」
「声真似似てねーぞ」
「善きなり」
「なんで?」
「読めはしたんだろ、ラ・セナ」
「そんなに悲惨な内容だったのか?」
「もうアンタたちだって分かってることでしょ」
「最果ての地に理想がある事を信じて疑わず、セルキーの民は我を通した」
「その結果があの石碑を残す事だったの」
「ただ残っただけ。見つけられなかったものを嘆く事もなく――」
「……ねぇ、もうやめにしていい?」
ラ・セナの言葉尻が一気に萎む。
俺達三人はそれぞれ謝罪を口にして、彼女の快活が喪われた事に責任感を覚えた。
「ちょっと、そんな翼が捥がれたアーリマンみたいに沈むのやめてよ」
「別に其処まで神経質にならなくたっていいじゃない」
「とは言ったってなぁ」
「石碑に書かれた内容は、セルキーに向けられたものなの」
「だから、なんていうのかな……」
「セルキーの歴史を託されている、そんな感じだから」
「ちょっと、教えるのは忍びないわけ」
「こんな事言うのもなんだが、お前にしちゃ珍しいな」
「セルキーの中でも我も我なお前が、一族の仕来りに執着するなんて」
「そうよ、我儘なの、アタシ」
「アタシは別に一族だから、セルキーだから、そして我儘だから、なんて柵に縛られる女じゃないの」
「その時思った事を、その時のアタシの言葉と感情で率直に動く」
「だから今回の石碑の中身は、アタシがユーク族の仮面の下みたいに秘密にしたいからそうしているだけ」
「このキャラバンは皆我慢する事ないよな」
「でしょ。その感覚よ」
「別に教えたくないとかじゃないの。ただ、秘密にしてあげたいだけ」
「わざわざセルキーにしか読めない文字で書いているんだからさ」
「ほら、アタシに向けたラブレターみたいな!そうよ、そういう感じよ!」
「きゃー!古代の王子様が今を生きる乙女に残してくれた応援だったのね!」
「手遅れか」
「空で非ず、地に埋めし星の欠片」
「其方に掲げられし叙事は、さぞ甘美であろう」
「願わくば、その語り手が女史である事、切に思う」
「思うなアホ」
「殺意」
「そっちの趣味は奥さんに隠してんのすげぇよ」
「よくバレてないよな」
「妻を題材にせし書物もまた我が手で語れり」
「終わってんだろコイツ」
幾年も共にして、幾度もこうやって会話をして、
なんか、一歩間違えば血祭りになりそうな時もあったけど、
物足りなさは、あったけど、
楽しかったな、お前達との一年の旅。
「レビ。アンタはどうなの」
「我慢、してんじゃない?」
「……俺が?なんで急に」
「テトのことよ」
「傍に居てあげたかったんじゃないの」
ラ・セナの何とも言えない笑みに、俺は即座に答えることは出来なかった。
あの時、テトを置いていくことを選択した。
俺はクリスタルキャラバンであり、村を護っていかなければならない。
だが、同時に一人の父親として、家族を護っていかなければならない。
身籠った彼女を差し置いて、俺は旅する事を選んだ。
俺も共に残る選択だってあった。
彼女を連れて旅をする事も、選択としては存在していた。
だが、俺は彼女を置いていくことを選んだ。
それは、俺がまだ旅をして……
「お前達との思い出を、作っておきたかったんだ」
「俺は、お前達が好きだから」
我慢や嘘。俺にもほぼ無縁なものだった。
だが、大人になっていくにつれ、あらゆる選択は選択として機能しなくなる。
だからこそ、父親になる瞬間が訪れる前に、
まだお前たちの前で、ガキで居たかったんだ。
「……そう」
ラ・セナは俯くように笑い、小岩から離れて焚火に近づいた。
腰を下ろし、4人で顔を照らし合う。
「なら、最後までいい思い出にしないと」
「そうして、この旅をアタシは石碑に刻む」
「アンタの子供に読んでもらう為にね」
「俺の子に、古代セルキー文字を読めるように仕込んでくれるか?」
「アタシってセンセーって感じしなくない?まぁいいんだけど!」
「トンベリぐらいノロノロなペースだけど、教えてあげる」
なんだろうな。
俺の事ではないんだけど、自分のことのような楽しみが増えた。
俺の子を通して、ラ・セナがティダの村で変わらず過ごしてくれる。
そんな気がして、心底ホッとした。
そんな未来がもうすぐ来るんだと思うと
「尚更、ミルラのしずくは持ち帰らなくちゃな」
帰るのが待ち遠しい。
「お前は順序を護ると思ったけど、んな事なかったな」
「足早なる情事もまた、新たな星座を示す事象」
「トルブジータさん黙っててくれ」
「……もう身籠って大分経つんだろ?」
「貰った手紙には七ヶ月だと書いてあった」
「この先のヴェレンジェ山のミルラのしずくを取って」
「それで帰れば出産には間に合う」
「おーおー、なら責任重大だな」
「皆で帰って……テトを安心させたい」
「きっと、寂しがっているだろうから」
「然り」
「テトはアタシに会えなくて寂しいんだろうな~!」
「明日は早起きしてさっさと行こう!」
「やる気だなぁ~」
「だけど、俺も早くレビのガキの姿を拝みたいところだ」
「ちゃんと育てて、覚えさせてくれよ」
「あぁ」
記憶に残る、あの時の旅の焚火。
子を授かった身でありながら、自分勝手に旅をしていた。
でも、どうか許して欲しい。
これを俺の最後の我儘として、お前達と過ごし、
そしてその時が来たら、
テトと子供との時間に、
父親としての俺が生きて往くから。