―12区―
裏路地の夜を数度乗り越え、彼は足で12区へと踏み込む。
途中の食糧調達に於いては、見知らぬ人間からの恵みを受け、
感謝はしつつも、身に覚えのない恩返しにただ困惑を重ねるだけであった。
嘗ての活動地が12区の何処なのか。
その情報源を探りつつ、彼は武装解除せずに12区の一画を歩む。
「巣と裏路地の境界がない」
「こりゃ、翼が折れたって奴か?」
22区における生活は、極端であった。
巣と裏路地の両方を行き来した彼は、その格差をよく理解している。
それ故に、12区はその格差が崩壊した世界であった。
図書館が出現……L社の崩壊から、その秩序は消え、
彼が大枚を叩いて出動させているツヴァイ5課の力添えが合ってこそ、
無法地帯にはまだ届いていない世界観を保っていた。
「さて、俺が活動していた12区にやってきたわけだが」
「……広いな」
「ただでさえ境界地から入国審査をするとき、クソだるい検問を受けてきたってのに」
「これじゃあ虱潰しにしかならねぇ……」

頭を掻きむしりながら、都市特有の地図を眺める。
情報は杜撰で、パンフレットというにはあまりにも粗末な案内図。
それもそのはず、12区は最早折れてから久しい。
最早体裁を成していない一国であるが故、他からやってくる人間など、
空き巣に近しい碌でもない者ばかりなのは必然である。
それでも住民がまだ存在するのも、いや、正確にはまだ逃げていないのも、
他区へ行く手筈が整っていないか、もしくは既に保護されている身分であるか。
「とりあえず巣に入ってみるか」
「だが、話によりゃあそこは既に無法地帯」
「いや、裏路地も関係ねぇか……」
「さっきも捨て犬の連中に絡まれたし」
「その規模感が違ってくるってだけ」
「黒雲会とかいう団体は既に『狼の時間』によって蒸発」
「情報統制はされているが、入ってくる情報はどれも12区の巣で何が起きているかわかりやすいもの」
地図の端を指で弾き、紙面を整えると折り畳んで懐へと仕舞い込む。
雑踏が階を築くように響く中、彼は再びその人混みへと歩んだ。
「なるようになんだろ」
―12区 巣―
嘗ては床に沈殿するような霧が立ち込めていたが、
現状は霞み始めた霧となっている12区の巣。
一寸先の輪郭も覚束なかった頃とは異なり、
その視界は意外にも以前よりかは良好であった。
「なんだよ。V社の巣とえらい違いだな」
過去に訪れた巣の状況。
そんなことを知る由もなく、彼は文句を垂れながら霧が纏うL社の巣を歩む。
鋼鉄を背に掲げたまま、宛ても無く巣の中を彷徨う。
高速道路を抜け、商店街のような市街地を抜け……。
「……あそこに見える建物……」
「あれが図書館って奴か」
L社が立ち上っていた位置。
其処には樹木のような建物が聳え立っており、
まるで自我の塊のような、そんな強さが幹として育っていた。
「随分と面白い建物(たてもん)だな」
「L社ってのはどうやら感覚のバグった連中が多いのかもしれねぇ」
「そんなところを拠点地にしてたのか、俺」
「ったく、後は何処のどんなところで働いていたのかがわかりゃいいんだがなぁ……」
はぁ、とため息を深く付く。
午後1時、霧の隙間に陽光が広がり、ゆらゆらと輝く。
そうして散策を続けていた頃。
「止まりな」
彼の前方を20~30人程の一団が道路を塞ぐように立っていた。
フィクサーか、それともこの地域を支配している組織か。
どちらにせよ不要な血を見る必要は本来ない。
彼が都市に染まる以前からも、そのスタンスは一貫していたものだった。
組織員の一人が刀を肩に乗せながら近づいてくる。
「こんなところを一人で歩いているなんて、危険じゃねぇか」
「どうした?迷子か?」
黒い刺青を入れた集団。
彼が入手した情報の一つの組織。其処に合致する特徴を併せ持った集団が、
小馬鹿にするような態度で彼をじろじろと見定めている。
「自分探しの旅に出かけててな」
「活動地が此処だってんで歩いてんだ」
「センチメンタルな旅をしておいでで」
「何処のフィクサーかは知らねぇが、こっから先はウチら『黒雲会』の縄張りでね」
「通り過ぎてぇなら通行料を払ってもらわな」
「『狼の時間』にやられたっていう組織じゃねーか」
「……てめぇ、何処でそれを」
「知るかよ。自分探しの旅しているようなヤツに入ってくる情報なんだから」
「大したもんでもねぇだろ」
「あんま調子付いてると――」
霧の中でも光る雲工房の代紋。
その刃先が瞬時にユンフの首元に沿う。
「マジで斬るぞ」
その行為に対して、イラつきを隠せないのか、
ユンフは眉を潜めるも、一瞥もやらずに目を細めるだけであった。
「止せ」
「そいつは特色フィクサーだぞ」
後方から鼻に付く声が響く。
すると刃はスッと下ろされ、その場の視線はその声の元へと向けられた。
「ウチのもんが失礼をしました、『透明の軌跡』」
「まだ新米なもんで、許しちゃくれませんかね」
「俺の事を知ってんのか」
「伝聞だけですが、S社の地でウチのもんと随分と交戦――」
「あぁいや、ボコボコにしてくれたもんでね」
「そりゃあ被害は恐ろしいもんだったと」
「わりぃけど忘れてんだ」
「しかしS社というと19区か、随分と遠征してたんだな、俺」
「……」
「黒雲会副組長のアラシと言うもんです」
「狼の時間によって荒らされたのは小夜の縄張りでさぁ」
「ウチらはその後釜。親指の方々によって指示された場所を護っているだけ」
「折れた翼の権利を手にするための内郭での戦争」
「そのための拠点を担ってるってところかね」
「そう捉えていただければ充分」
「ですので、本来であればこの先は通行料を払ってもらい」
「こちらの棒を通行証として扱ってもらう手筈なんですが」
「金取んのかよ」
「いえ、見たところ文無し……」
「そもそも特色フィクサー相手にウチらがどうこう出来る手段は持ち合わせていない」
「ですので、先ほどの部下の無礼を赦してもらえれば」
「こちらは好きに通って頂ければと」
「ふ、副組長!」
「黙れィ」
「おめェが意地汚く誰でも彼でも見境なしに検問すっからこうなんだよ」
「……失礼。如何でしょうか、透明の軌跡」
「……」
「要は俺に刃を突き付けたことを許しゃ、通ってもいいんだろ」
「是非に」
「理解した」
「おぉ、それでは……」
「もういくつか聞きたい」
「仰ってください」
「俺以外が此処を通るってなったら、通行料は払うんだろ」
「じゃあ払えなかったら?」
「そりゃ、ウチら黒雲会のやり方で教育します」
「……」
「おいあんちゃん、さっきから副組長にふてぶてしい野郎だ」
「赦してもらってる側がどっちか分かってのか?あぁ?」
「おい、お前、止せ!」
先に絡んできた組織員がユンフの肩に肘を掛け
「ほら、見逃してやるってんだから、さっさと行った行った」
手の甲でペシペシと彼の頬を叩いた時。
「これは後出しの事柄だからいいよな」
組織員の首は吹き飛んでいた。
「……も、勿論……」
アラシは引きつった笑みを見せ、頬についた返り血を拭く事もせず目を伏せた。
「そ、それで……他に聞きたい事とは?」
「いや」
「もういい」
鋼鉄を手に取る。
「遠くで寝転んでる死体を見りゃ、お前達の教育ってのがなんなのか分かるからな」
「――チィッ!!」
「野郎共!!」
最早形振り構わずといったところか、組織員全員が抜刀。
「やれ!!」
「さてと」
「治安維持とはよく言ったもんだが」
「どうやら巣の中はいろんな組織が蔓延っているようだな」
「俺の事を知っている奴はいるかね」
鋼鉄に付着した血を振るい落とす。
霧の中には血潮が溜まり、
その場所から鮮血の足跡が行路を築く。
復讐の輪廻から外れていた男は、
決して何の深い感情も持たずに、
その輪に染み込んでいった。