凝縮する恣意
しかし、その爆発の力は、人の目に見えない時間の中で、内爆を起こし、バイストン・ウェルの、いや、ゲルドワの地の醜悪な恣意を吸い込んでいた。
それが、ミン・シャオの恣意を核にして凝縮し始めていたのだ。
この上もはやくどい繰り返しのようだが、前回から続き、こうなるともう「恣意」の普通の意味ではほとんど意味がわからなくなる。恣意だから、放恣に、放散するものじゃないのか。それを核に一点に凝縮させる恣意、とは何だ?
意思、ではなさそうだが思惟、に近い。情念と言ってしまえばよさそうなものを、「意」の字は採りたいらしい。
リンレイのところでは情欲、欲動のように近くおもったが、ミンは身体が四散したところで
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探してみたが、この意味では富野小説作品中でも「情念」の用例の方が多い。むしろリーン以外では「恣意」のこんな突飛な使われ方は見当たらないくらいだ。
文芸一般に情念というと、たとえば江戸時代の幽霊話で、自然の現象では説明つかないし、倫理や筋道も通っていないのに、ただ憎いや、悲しい、愛しいだけの想いで、そこに忽然と幽霊が立ち上がったり、クラクラと炎が燃え立ったりするとき、物質や肉体を超えても「情念だけの世界」が語られる、のような言い方に使われることがある。
なので、情念と言ってくれればわかりやすいが、なおそうは簡単に言わない。エモーショナル、エモーションという英語にはまた英語独特のニュアンスが被るので今避けよう。
旧版のここの「恣意的」はもう誤用とするべきだろう。完全版で削除されているからそう言うのでもないが。
替りに、「意図的に」「作為的に」でも意味は間違っていないが言い方が弱い。凶暴な、それも悪意にコントロールされてと言いたい。「攻撃的」「殺意的」とも言えばその志向性も含むが、富野文の語法という感じはもうしないな。