バランモン
第三巻再開。第一章から。
ワーラー・カーレーンのシュエル・リドンのスンガリカというか、スンガリカのシュエル・リドンというのかも知れないが、そこにいるジャコバ・アオンのところ。
「コモン界には、賢者たちともてはやされるバランモンたちもいるが、オーラマシンなる機械を製造させることになって、コモン人みんなが、ガロウ・ランに成り下がったのだよ」
バランモン。コモン人の学者、賢者、知識者一般をいうようだ。この口ぶりでは知識者を「バランモン」と呼ぶ習慣はフェラリオでなくコモンのものらしい。作中の登場人物がそう呼んだり呼ばれたりしているのを見たことがないけど。インテリとは頻繁に呼んでいるけどな。
バランモンはインドのバラモンのイメージかどうかはわからなくても連想は当然するだろう。わたしは、もう何か月も前になるけど、「英雄叙事詩の時代」が語られるとき印欧語族のケルト人のそれと、メソポタミアはシュメールの叙事詩のスタイルが似ていることから「英雄時代に共通する社会体制」なるものを予想しえ、それは社会の三区分制だというクレイマーの言及しているデュメジル等の話を思い出す。王侯、祭司、庶民。そのうちの祭司の階級に当たるとみなされるバラモンとかドルイドだと思っている。バイストン・ウェルはまさに英雄時代。
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このあとすぐにバランモンのムツトウが登場する。
バランモンは旧版の範囲では登場しなかった、迫水が会ったことがないタイプのコモン人で、流浪の学芸家、「哲学をかたる寄生虫」とも言われている。処によっては尊ばれるが、アマルガンのような(実戦主義の)武者には嫌われている。
インドの話の続きだと、ミリンダ王みたいな王侯の顧問をしている学者もいる一方、諸方を流浪しては議論を好む乞食学者もいたとかの……。そういえば『十王子物語』をトピックを立てたきり中断して忘れているけど、ああいう伝奇に出てくる。
出生によるカーストとしての知識者階級ではなさそうか。婆羅門か仏僧かのような、宗教はない・神はいない、ということにバイストン・ウェルはなっている。日本的にわかりやすいイメージの語彙にはないのか。修験者や修行者というわけでは必ずしもなさそう。道人とか上人ではどうだろうか。
歴史については「フェラリオの語り」に歴史学者の居場所を取られてしまうのではないかと言ってた。フェラリオとバランモンに学的な交流はなさそうでもある。