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99
ちゃわわん 2025/07/14 (月) 22:24:28

>> 98
最短ルートでも結構観なきゃいけなさそうやね💦

59
American_Crusoe 2025/07/14 (月) 22:20:05

>> 58
喧嘩界を題材にした小説だってめちゃくちゃ登場人物多くなるよw

そろそろ『喧嘩師列伝』みたいなのを書かなくてはならない時期にさしかかってると思うけど、これは霧雨の仕事でしょうね。

585
オビディ✩.*˚ 2025/07/14 (月) 22:08:24

まだすべて読めてないからクルーソーさんの議論には参加できないけど、こういう考察や読み物系があっても面白いね。
掲示板としてはアレかもしれないけど、レスとかがない小説や論文みたいな完全な読み物もあってもいいかもしれない。

58
ちゃわわん 2025/07/14 (月) 22:06:33

登場人物多すぎるて w

98
ナチュラル 2025/07/14 (月) 21:47:13 >> 97

アニメ「進撃の巨人」を見る順番は?TV版、劇場版、OVAの時系列を解説! | アニメニュース | アニメフリークス
アニメ「進撃の巨人」の映像化作品を見る順番がわからない方のために、状況に合わせた視聴順を2パターンご紹介します。まず、ストーリーをじっくり楽しみたい場合は、TV版とOAD、その後に劇場版という順番が最適です。
ANIME FREAKES

57
American_Crusoe 2025/07/14 (月) 21:46:50

「405年、キュレネを蛮族の襲撃から守るため私兵を組織する。」このあたり、小説にしたら面白そうですね。

それにしても、『禿(ハゲ)の賛美』読みたい!!遊戯的弁論の極みでしょうね。

神の命により一夜で書き上げたという夢理論の古典にも興味があります。

56
American_Crusoe 2025/07/14 (月) 21:43:28

(3)シュネシオス

キュレネのシュネシオス(古希: Συνέσιος 英: Synesius 370年ごろ - 413年ごろ)は、東ローマ帝国初期・古代末期の新プラトン主義哲学者、第二次ソフィスト、キリスト教司教、ヒュパティアの教え子。複数の著作、書簡、讃歌が現存する。

370年ごろ、キュレネの異教徒の貴族の家に生まれる。読書と狩りの田園生活を過ごし、アレクサンドリアでヒュパティアの学校に入る。395年から399年、アテナイに滞在する。

399年、減税陳情の使者に任命され、401年までコンスタンティノポリスのアルカディウス帝の宮廷に滞在する。滞在中に下記『統治論』『エジプトの話』を作る。

403年、キュレネでキリスト教徒の女性と結婚し3人の子をもうける。405年、キュレネを蛮族の襲撃から守るため私兵を組織する。

410年、プトレマイス司教に任命され、6ヶ月悩んだすえ受諾、これに伴い離婚する。この司教任命も結婚式も、アレクサンドリア総主教テオフィロス(キュリロスの先代)によるものだった。任命された理由は、シドニウスと同様、信仰の厚さよりも人材としての有能さのためだった。シュネシオスは当初、非哲学的な司教職に就くことを嫌がっていたが、最終的に哲学的なやりがいを見出して妥協した。

没年は413年と推定される。これは、同年に死の床からヒュパティアに書簡を宛てていること、および415年のヒュパティアの死に言及する書簡がないことによる。

【著作・思想】

以下の著作が現存する。すべて原語はギリシア語。英訳あり。

『統治論』…コンスタンティノポリスでアルカディウス帝に哲人政治を説き、ゴート族軍人を追放してローマ人の軍隊を作るよう訴える弁論作品。当時はガイナスのようなゴート族軍人が跋扈していた。

『エジプトの話』…『統治論』とともに作られた政治寓話。

『禿の賛美』…ディオン・クリュソストモスの弁論『髪の賛美』に倣った弁論作品。

『ディオン』…ディオン・クリュソストモスを主題に、当時の批判者に応答する作品。403年ごろ成立。

『夢について』…アリストテレス『夢について』『夢占いについて』や、マクロビウス『スキピオの夢注解』等と並ぶ夢理論の古典。神の命により一夜で書き上げたという。403年ごろ成立。

『アストロラーベについて』

Constitutio

Catastasis

156篇の書簡…期間は395年から413年まで。415年のヒュパティアの死にかんする書簡はない。内7篇はヒュパティア宛て]。内1篇は弁論作品。

10篇の讃歌…キリスト教と新プラトン主義が混淆した両義的な詩。

2篇の説教

散逸した著作に、『狩猟論』や、書簡で言及される詩がある。

イアンブリコス派新プラトン主義の系譜に属しながらも、その影響はあまりうかがえない。これは師のヒュパティアと同様である。わずかな影響として、『夢について』や讃歌に『カルデア人の神託』の影響、書簡にポルピュリオスの影響などがうかがえる程度である。

【受容】

1489年、マルシリオ・フィチーノが『夢について』のラテン語訳を刊行し、ルネサンス期を通じて版を重ねた。

1562年、ジェロラモ・カルダーノが『夢について』を出発点にした夢理論の書『シュネシオス派夢の書』(羅: Somniorum Synesiorum)をラテン語で刊行し、翌1563年にはドイツ語でも刊行した。

2009年の映画『アレクサンドリア』(原題: Ágora)では、ルパート・エヴァンスがシュネシオス役を演じた。

55
American_Crusoe 2025/07/14 (月) 21:31:54

「アテナイからエジプトに旅行しようとしたところ、両親に就職するよう請われて帰郷する」ってところが令和日本にもありそうでワロタ。

就職っていっても、「弁論術の教師」なんですね。

昔、NMB48の須藤凜々花が「哲学のお仕事だと思って行ったら脱がされた」的なことを言ってて、「哲学のお仕事なんて、この世にはないよ」と心でツッコんだことを思い出します。

キリスト教徒のソフィストもいるんですね。

54
American_Crusoe 2025/07/14 (月) 21:24:50

(2)エウナピオス

エウナピオス(希: Εὐνάπιος, Eunapios, 羅: Eunapius, 345年頃 - 414年)は、ローマ帝国期のギリシア語弁論家・歴史家・異教主義者。著作として、新プラトン主義・密儀宗教・第二次ソフィスト等の史料である『哲学者およびソフィスト列伝』と、断片のみ伝わる題名不詳の歴史書がある。

345年から346年頃、小アジアのサルディスに生まれる。同地にて、親戚かつイアンブリコス派新プラトン主義者のクリュサンティオスに師事して育ち、若くして古典を諳んじられるようになる。

361年から362年の冬以後、約5年間アテナイに滞在し、キリスト教徒のソフィストプロアイレシオスに師事して弁論術を学ぶ。またアテナイにて、エレウシスの秘儀に与ったり、同時代のソフィストと同様に医学を兼学したりする(イアトロソフィスト)。アテナイからエジプトに旅行しようとしたところ、両親に就職するよう請われて帰郷する。

以後サルディスにて、弁論術の教師として働きつつ、再びクリュサンティオスに師事する。著述を始めたのはこれ以降と推定される。

【著作】

『哲学者およびソフィスト列伝』(希: Βίοι Φιλοσόφων καὶ Σοφιστῶν)は、3世紀のピロストラトス『ソフィスト列伝』などを引き継ぐ形で、主に3・4世紀東方の哲学者とソフィストの評伝を述べる。具体的には、プロティノス、ポルピュリオス、イアンブリコス、アリュピオス、アイデシオス、ソパトロス、エウスタティオス、ソシパトラ、エフェソスのマクシモス、プリスコス、イウリアノス、プロアイレシオス、エピパニオス、ディオパントス、ヒメリオス、リバニオス、アカキオス、ニュンピディアノス、キュプロスの医師ゼノン、オレイバシオス、クリュサンティオスらを扱う。とくにマクシモス伝は、背教者ユリアヌス伝の要素も持つ。

題名不詳の歴史書は、『哲学者およびソフィスト列伝』の中で言及されており、オレイバシオスの勧めで書かれた。本書は、アンミアヌスら多くの歴史家に利用され、特にゾシモスの『新しい歴史』(Ἱστορία Νέα)の材料になっており、コンスタンティノス7世の『史書抜粋』に断片が収録されている。内容は、デクシッポスの『年代記』(Χρονικὴ ἱστορία)が270年(すなわちクラウディウス2世治世下)で終わっているのを引き継いで、404年(アルカディウス治世下)までの歴史を述べたものである。論調は、異教主義的でユリアヌスを讃美するものだったと推定される。9世紀のフォティオスによれば、キリスト教への攻撃的記述を除去した新版が存在した。

53
American_Crusoe 2025/07/14 (月) 21:14:08

「偽アリストテレス」なんていう成り済ましがいるんですねw

キャスフィ避難所みたい(←いや、お前がいうか)

『黄金の驢馬』をパクって魔術に興味を抱いた主人公「霧雨」が誤って馬に変えられ、数多の不思議な試練に堪えた後、イシスの密儀によって再び人間に復帰するという小説を書いてみたくなりました(笑)

HOPEからも「彫像」を建てられるような有名人を出さねばなりません。なぐもん?

391
オビディ✩.*˚ 2025/07/14 (月) 21:13:12

>> 390

懐かしすぎる。
今思うとバハムートの全消しチートだったよなぁ。

サハクィエルでバハムート出して突進するコンボ好きだった。
クサハィエルとか言ってたの懐い。

52
American_Crusoe 2025/07/14 (月) 21:08:56

(1)アプレイウス

アプレイウス(Lucius Apuleius Madaurensis, 123年頃 - ?)は、北アフリカ・マダウロス出身の帝政ローマの弁論作家。名前は長音表記ではアープレーイウス(ルーキウス・アープレーイウス)となる。奇想天外な小説や極端に技巧的な弁論文によって名声を博した。

ヌミディア属州のマダウロス(現在のアルジェリア・メダウルッシュ)で生まれた。

カルタゴで初等教育を受け、アテーナイで哲学・修辞学などを修業した後、ローマ、小アジア等に旅行し、神秘宗教や魔術などの知識も吸収する。

その後、アレクサンドリアへの旅の途中、オイアで友人シキニウスのもとを訪れた際に熱病にかかり、熱心な看病をしてくれたプデンティラ(シキニウスの母親で未亡人)と結婚した。155年ごろの法廷弁論書『アポロギア』によれば、プデンティラが資産家であったことやその年齢差などから、アプレイウスは魔術を用いて未亡人を手に入れたとして、彼女の親族に告訴された。これに対し、アプレイウスは雄弁に自己弁護を行い、無罪となった。

その後の経歴や没年は不明であるが、カルタゴに居住した。哲学者・修辞学者として市民の尊敬を得て、カルタゴやマダウロスにアプレイウスの彫像が建てられたと伝えられている。

【主な作品】

『黄金の驢馬』(『変容』)…魔術に興味を抱いた主人公ルキウスが誤ってロバに変えられ、数多の不思議な試練に堪えた後、イシスの密儀によって再び人間に復帰するという内容の小説。挿話の『クピドとプシュケ』(アモルとプシュケ)でも知られる。ローマ時代のラテン語小説中、完全に現存する唯一のものである。

『アポロギア』

『フロリダ』…アフリカでの演説の中から抜粋した名句集。全4巻。

『プラトンとその教説』

『ソクラテスの神について』

『弁明』

偽アリストテレス『宇宙論』、ギリシア語からラテン語への翻訳。

584
オビディ✩.*˚ 2025/07/14 (月) 21:07:39

>> 583

おつおつ〜。

79
オビディ✩.*˚ 2025/07/14 (月) 21:05:22

>> 78

わかるわ。
夏はジュースより水のがたくさん飲めるからいいよね。
ジュースだとお腹いっぱいになる。

51
ちゃわわん 2025/07/14 (月) 21:03:50

>> 50
お願いします

50
American_Crusoe 2025/07/14 (月) 21:02:02

さて、ここからは「第二次ソフィスト」に属するソフィスト達を個別にみていくことにしましょう。

主にウィキペディアの記事を参照しつつ、AI、そしてちゃわわんと対話を重ねていくことにします。

583
ちゃわわん 2025/07/14 (月) 20:58:16

ちかれた

49
ちゃわわん 2025/07/14 (月) 20:56:27

破茶滅茶煮長杉内

97
ちゃわわん 2025/07/14 (月) 19:59:05

>> 96

えがちで?
1話から最終回までの流れ大体分かるの!?

390
ちゃわわん 2025/07/14 (月) 19:58:06

>> 389
あんときまだネメシスなかったんやな w w w

もこう先生のシャドバ実況全盛期やった頃ちゃうか w

78
ナチュラル 2025/07/14 (月) 19:06:48

喉が乾いたときに飲む、キンキンに冷えた水。

96
ナチュラル 2025/07/14 (月) 19:04:58 >> 92

劇場版で総集編のやつがある。

95
オビディ✩.*˚ 2025/07/14 (月) 18:27:07


そして遊戯王もいちばんMAD素材になったシーンが出てた。
ここたしかアニオリなんだけど闇遊戯の心の弱さが全面に出てて好き。

94
オビディ✩.*˚ 2025/07/14 (月) 18:20:34


ダブルカバー仕様のドラゴンボールの漫画エモすぎる。

389
オビディ✩.*˚ 2025/07/14 (月) 18:07:16

>> 388

バハムートが流行ってた時ってまだネメシス出てなかった気がする!
ネメシスだけけっこう後に登場したから。

超進化……なんかデジモンっぽさを感じるネーミングだ。

77
オビディ✩.*˚ 2025/07/14 (月) 17:59:22

ちなみに私の好きな飲み物はメロンソーダです。
喫茶店でよくある昔ながらの体に悪そうな色してるアレ。
昔からメロンが好きなのもあるけど、メロンソーダにはメロンが入ってないというね。

582
オビディ✩.*˚ 2025/07/14 (月) 17:55:39

だいぶ遅くなっちゃった。
今からのんびり運営していきます!

48
American_Crusoe 2025/07/14 (月) 16:12:03

「甘美にして流麗、機知に富み、言葉の響きに満ちた弁論を旨とする演示(ἐπιδεικτικόν)の類  それこそソフィストたちの本領であったわけだが、こうした弁論は戦いというよりお祭り向きで、体育場や訓練の場に取っておかれはしても、公論の場では蔑まれ、放逐されたのだ」(キケロ『弁論家』)

47
American_Crusoe 2025/07/14 (月) 16:07:16

「これは、じっさいに第二ソフィストたちの扱った弁論のタイトルを見れば、いっそうはっきりしてくる。たとえば『列伝』では、この時期を代表するソフィストであるアリステイデスの代表作として、『アテナイ人を海上覇権から引き離そうとするイソクラテス』、『十人の将軍を埋葬しなかった件でカリクセイノスを弾劾する』、あるいは『シケリア情勢について審議する人々』等、歴史的にして個別具体的な状況を設定したうえで架空の弁論を行うという、いわゆる模擬弁論の典型的な主題が列挙されているのである。

ここまでの考察から、フィロストラトスのいう二つのソフィスト術の違いとは、この「一般論題」と「個別論題」という、弁論術において扱われるべき論題の質的な相違を反映したものだと考えることが許されよう。その際、「哲学的」すなわち「哲学的な課題を論じる」弁論術τὰ φιλοσοφούμενα ὑποτιθεμένη とは、「一般論題」を扱う弁論術と読み替えることができ、これに対して「第二のソフィスト術」が扱う題材は、つまりは、法廷や議会を想定した「個別論題」を扱う弁論術の領域に等しい、ということになる。」

46
American_Crusoe 2025/07/14 (月) 15:59:30

「模擬弁論」declamatio / μελέτηにおいては、「一般論題」θέσιςではなく、具体的な人物、時代状況等が設定される「個別論題」ὑπόθεσιςが扱われる。これも、すでに見てきたとおりです。

45
American_Crusoe 2025/07/14 (月) 15:57:52

「すでに指摘したとおり、フィロストラトスのいう「哲学的」弁論術 ῥητορικὴ φιλοσοφοῦσα とは、そこで扱われる論題の性質についての表現であると考えられる。そうであるならば、著者が古のソフィスト術と「第二の」それとを区別する最大の基準は、扱われる題材の違いにこそあった、という見方が成り立つのではないか。

ところで、論題の性質に応じて弁論術を分類する際のひとつの基準として広く知られていたのが、前2世紀のヘルマゴラスが提示したとされる、「一般論題」θέσιςと「個別論題」ὑπόθεσις との二分法である。すなわち、およそ弁論術の扱う論題は、「個別具体的な状況を伴わないもの」(=前者)と「それらの規定を伴うもの」(=後者)とに分けられる、という基本認識が、ヘレニズム期以降のギリシア修辞学において一貫して共有されることになる。

このうち前者の「一般論題」については、たとえばキケロは『発想論』において、それに該当する例として「名誉のほかに善はあるか」、「感覚は嘘をつかないか」、さらには「世界の形状はどのようなものか」といった論題を紹介している。また後者は、弁論家たちが扱ういわゆる「模擬弁論」declamatio / μελέτη の題材に一致すると考えられ、そこでは通常、具体的な人物、時代状況等が設定される。」

44
American_Crusoe 2025/07/14 (月) 15:49:00

この、ハリカルナッソスのディオニュシオスが「イソクラテス」に由来すると述べた「哲学」こそが、繰り返しになりますが、第一次ソフィスト→イソクラテス→第二次ソフィスト→中世ディクレイメーション小説→18世紀エロキューション声優→19世紀エロキューション演劇→20世紀エロキューションアフロと連なってきた、「政治的πολιτικός というのに限りなく近い哲学」なのです。(←どないやねん🤤)

43
American_Crusoe 2025/07/14 (月) 15:44:59

「帝政期の修辞学文献に見られるφιλοσοφία の用例には、狭義の「哲学」には収まりきらない意味の広がりが、少なからず見受けられるのも事実である。

ハリカルナッソスのディオニュシオスによる『古代弁論家・序説』は、その代表的な例といえよう。そこではアウグストゥスの治世における「政治的弁論」πολιτικοὶ λόγοι の復活について、以下のような解説が施されている。

「われわれに先行する時代にあっては、「古の哲学的弁論術」ἡ ἀρχαία καὶ φιλόσοφος ῥητορική は踏みにじられ、ひどい侮蔑を受けて滅びかけていた。マケドニアのアレクサンドロス大王の死後、それは徐々に生気を失い衰えはじめ、われわれの時代ともなると、もうほとんど完全に消滅するところまで来ていたのだ。その地位に収まっていたのは「何か別の弁論術」ἑτέρα τιςであり、その見世物的な厚かましさは堪えがたく、没趣味で、「哲学」φιλοσοφία ないしはその他「自由人にふさわしい教養」παίδευμα ἐλευθέριον に何ら与るところのない代物だった。」(ハリカルナッソスのディオニュシオス『古代弁論家・序説』)

これが著者ディオニュシオスの直前の時代までの状況だった。ところが、その要因が何であったかはともかく、自分たちの時代になって「古くて思慮ある弁論術」ἡ ἀρχαία καὶ σώφρων ῥητορική は正当な地位を回復し、一方の「新しくて無分別なほう」ἡ νέα καὶ ἀνόητος は、若干のアジア諸都市を例外として、ほとんどすたれてしまったという。ディオニュシオスはさらに、古典期の弁論家たちを扱う自らの論考が、「市民的な哲学」ἡ πολιτικὴ φιλοσοφία の研鑽に励む人々にとって有為にして不可欠なものだ、とも述べている。またその『イソクラテス論』においては、「真の哲学」ἡ ἀληθίνη φιλοσοφίαにいそしもうとする者、わけても実践において世を裨益すべくそれを志す者は、イソクラテスの示した道にこそ倣うべきだ、と促される。ディオニュシオスにおけるこうしたφιλοσοφία の用法が、狭義の「哲学」を念頭に置いたものではなく、イソクラテスの用例に倣ったものであること、そしてそこでの「哲学的」φιλόσοφος という形容詞は、むしろ「政治的」πολιτικός というのに限りなく近いことは、これまでにもすでに多くの論者によって指摘されてきた。」

42
American_Crusoe 2025/07/14 (月) 15:38:24

つまり、「ソフィスト的なもの」の流れ、我々的には「喧嘩」の流れに注目して哲学史をたどっていくと、必ずしもソクラテスやプラトン由来の所謂「哲学」とはかなり異なる「哲学」というものがありうる、ということなのである。これはすごいことですよ。第一次ソフィスト→イソクラテス→第二次ソフィスト→中世ディクレイメーション小説→18世紀エロキューション声優→19世紀エロキューション演劇→20世紀エロキューションアフロ、みたいな全く違った「哲学史」が想定できるわけです。(←ホンマかいな😅)

41
American_Crusoe 2025/07/14 (月) 15:28:56

「ここでまず思い起こされてよいのは、イソクラテスにおける「哲学」φιλοσοφία という語の用いられ方であろう。よく知られるように、彼は自らの弁論術的な営みにこの名称を用いているが、そこでの「哲学」とは、しかし、抽象的な思弁を斥けた、国家の政治に関わる市民としての現実的な姿勢を指すものだった。「 厳 密 な 知 識 」 ἐπιστήμη よりもむしろ「健全な常識」δόξα が強調されていることからも明らかなとおり、そこでははっきりとプラトンとは異なる、おそらくはライバルを強く意識しての「哲学」観が示されていた。こうしたもう一つの「哲学」は、しかしプラトン—アリストテレスら「主流派」の優位によって圧倒され、消滅した、というのが「哲学史」の常識であるのかも知れない。けれども、帝政期の修辞学文献に見られるφιλοσοφία の用例には、狭義の「哲学」には収まりきらない意味の広がりが、少なからず見受けられるのも事実である。」

40
American_Crusoe 2025/07/14 (月) 15:27:17

「『列伝』の著者が「第一の」ソフィストとして具体的に名前を挙げているのは、ゴルギアス、プロタゴラス、クリティアスからイソクラテスまで、基本的にはわれわれがプラトンやアリストテレスの著作を介して「ソフィスト」として認識する人物群と一致する。そうした彼らの営みが、何ゆえ「哲学的」弁論術と形容されるのか。われわれは、カルネアデスまたはディオンに代表されるように、一般に「哲学者」と目される者が弁論家的な活動に深く関わった例を知っている。けれども著者は、狭義の「哲学」に軸足を置くこうした者たちに関しては、わざわざ「本当の」ソフィストたちとは区別をたてて論じるという念の入りようであり、彼らの活動を指して「哲学的」弁論術と言っているわけではない。かといって、プラトン—アリストテレスによってわれわれに馴染みの <哲学者> 対  <ソフィスト> という構図をこの箇所に読み込もうとしても、語義そのものに矛盾が生じてしまうのは明らかである。 」

39
American_Crusoe 2025/07/14 (月) 15:19:52

つまり、一人だけ「第二次ソフィスト」なのに紀元前4世紀の人がいるわけですね。従って、「第二次ソフィスト」というのは、時代区分の概念ではなくて、「古典期ギリシアのソフィストとは明確に区別されるある特徴をもった新しいソフィスト」という「質の区別」を前提にした概念なわけです。

38
American_Crusoe 2025/07/14 (月) 15:16:34

「『列伝』の本文は、「古ソフィスト術は「哲学的」弁論術と考えるべきである」という言葉に始まる。さらに少しあとに、これを説明する次のような一節が見られる。

「古のソフィスト術は、哲学的問題までをも主題に掲げて、これらを長広舌で語っていた。すなわち、勇気について語るかと思えば、こんどは正義について語り、そして英雄たちや神々について、さらには宇宙の姿はいかにして出来上がったのか、ということまで語っていたのである。」(『列伝』VS.481)

ここでは、哲学的な弁論術ῥητορικὴ φιλοσοφοῦσα とは、哲学的な問題φιλοσοφούμεναをもその主題に掲げるような営みである、と敷衍されている。これに対して、「第二の」ソフィスト術については次のように説明される。

「この後にくるソフィスト術は  これは「新しい」と呼ぶべきではなく(古くからあるものだから)むしろ「第二の」と呼ぶべきものであるが  、貧乏人や金持ち、王侯や独裁者たちを描き出し、歴史上の個々具体的な論題を扱った。」 (『列伝』VS.481)

これが「第二ソフィスト」ἡ δευτέρα σοφιστικήという用語の由来となった一節であり、また古代におけるこの言葉の唯一の定義でもある。ここでの「第二の」という形容は時代区分を意味するものではない、と著者はわざわざことわっている。じっさい、『 列 伝 』 において「第二の」ソフィストとして最初に言及されるのは前4世紀の弁論家アイスキネスであり、これを額面どおりに受けとるなら、「第二のソフィスト術」は前 4 世紀にまで遡る、ということになろう。ところが、その次に言及されるのは紀元後1世紀にスミュルナを中心に活躍したニケテスであり、以降、著者の時代に至るまでの 40 人にのぼるソフィストたちに関する記述が続く。したがって実質的には、紀元後 1〜3 世紀の文学活動を指して「第二ソフィスト時代」という名称を用いること自体に、ほとんど不都合はないといってよい。 」

37
American_Crusoe 2025/07/14 (月) 15:05:11

おお、何故か引用文が大きくなった・・・。😰

36
American_Crusoe 2025/07/14 (月) 15:04:18

「ただ、著者フィロストラトス自身の強調するところでは、この「第二の」δευτέρα という形容詞は時代区分の指標ではなく、あくまで“質的な”違いと解されるべきものだった。それでは、その違いとは何か。19世紀以来その定義および評価をめぐって大いに議論が重ねられてきたこの「第二ソフィスト」問題をあらためて検証することで、ソフィスト的な営為の特質とは何か、また時代の推移によってそれがどう変わり、あるいは変わらなかったのかを考察するための、ひとつの視座を提供したい。」

つまり、この論文は「第一次ソフィストと第二次ソフィストの差異と同一性」を主題としており、それを通じて「ソフィスト的なもの」とは何かということを記述しようとしているわけです。