「第二次ソフィスト」について、ネットの記事などを参考とし、主に人工知能(生成AI)と対話しながら探究してまいります。
もちろんわざわざ掲示板で行うのですから、参加、介入、質問、提案、議論提起など、HOPEメンバーや他の方々の言論も大歓迎です。
「喧嘩師」の起源、「喧嘩」に代わる言葉は何がいいかなど、いまHOPEで議論されていることとも関係していくと思われます。
「第二次ソフィスト」について、ネットの記事などを参考とし、主に人工知能(生成AI)と対話しながら探究してまいります。
もちろんわざわざ掲示板で行うのですから、参加、介入、質問、提案、議論提起など、HOPEメンバーや他の方々の言論も大歓迎です。
「喧嘩師」の起源、「喧嘩」に代わる言葉は何がいいかなど、いまHOPEで議論されていることとも関係していくと思われます。
【ChatGPT】
以下に、「エロキューション運動(The Elocution Movement)」が19世紀以降のアメリカにおいて、奴隷解放運動・演劇教育・女性の社会進出・市民教育などに与えた文化的影響を、歴史的文脈とともに詳しく解説します。
■ エロキューション運動のアメリカへの伝播と変容
18世紀末から19世紀にかけて、イギリスの朗唱・朗読教育(elocution)はアメリカにも輸入され、修辞学・美学・道徳教育の一部として制度化されていきました。
→大学や神学校のカリキュラムに組み込まれた
→演説家や牧師、教育者が「説得力ある語り」を磨く訓練として重視
※印刷物よりも「声の力」が重視されていた時代背景
「印刷物よりも『声の力』が重視されていた時代背景」。なるほどね~令和日本もそうなのか!?本より声なのか!?
【ChatGPTつづき】
■ 奴隷解放運動とエロキューション
◆ 奴隷制度廃止運動(アボリショニズム)における演説の力
→19世紀アメリカにおいて、奴隷制度に反対する人々は、雄弁と朗読の力を武器としました。
→特に黒人演説家や逃亡奴隷出身のアクティビストたちにとって、明晰な話し方・表現力のあるジェスチャー・道徳的熱情を込めた語りは、文字以上に強力な訴求手段となりました。
◆ 代表的人物:
フレデリック・ダグラス(Frederick Douglass)
→奴隷出身の黒人演説家・作家。
→「私は私の人生を、語ることによって勝ち取った」と言われるほど、ディクレイメーション技術に長けた人物。
→白人社会で受け入れられるため、完璧な文法・発音・態度を身につけていたことが当時の証言に残っている。
ソジャーナ・トゥルース(Sojourner Truth)
→講演活動で知られた黒人女性解放活動家。
→強い口調と宗教的熱情を込めた口述スタイルは、演技的要素を持つディクレイメーション的語りだった。
「ソジャーナ・トゥルース→演技的要素を持つディクレイメーション的語りだった」。先祖返りですね。ちなみに、ソジャーナ・トゥルース(Sojourner Truth)はこんな人です。
【ChatGPTつづき】
■ 女性とエロキューション:教育・演劇・社会改革へ
◆ 女性の自己表現と社会進出のツールとして
19世紀アメリカでは、「上流女性のたしなみ」としてエロキューションが普及し始めましたが、やがてそれは女性の演劇活動・教育活動・政治演説活動への道を開きました。
※「パブリックスピーキングは女性にふさわしくない」とされた時代
→ しかし、エロキューションは「詩の朗読」「宗教的演説」「ホームルームでの発言」として受容され、女性が公の場で声を上げる訓練の入り口となった。
◆ 代表的人物:
シャーロット・カッシー(Charlotte Cushman)
→アメリカ初の国際的女優の一人。
→Shakespeareの男役などで知られたが、発声・身振りの訓練はエロキューションに基づいていた。
フランセス・ウィラード(Frances Willard)
→女性禁酒運動・教育改革運動のリーダー。
→エロキューションを通じて女性が説得的に、感情を込めて語る訓練を受けた。
【ChatGPTつづき】
■ アメリカ演劇教育におけるエロキューションの影響
◆ エロキューション → オーラル・インタープリテーション → 演技術
19世紀のアメリカでは、エロキューションは演劇訓練の基礎とみなされました。
朗読技術は、後の「口頭による文学の表現(oral interpretation of literature)」の基礎となり、さらに演技教育へと発展。
演劇学校では、姿勢・発声・視線・表情など、身体全体で言葉を表現する訓練が行われた。
なるほど、おざっぱにいうと、「古代=言語と身体による演技(言論ないし遊戯)」→「中世=書き言葉(散文)による文芸」→「18世紀イギリス=声による説得(説教)」→「19世紀アメリカ=再び言語と身体による演技(ただし教育として)」みたいな感じかな?やはりリアルな歴史は複雑に展開しよりますね~。
【ChatGPTつづき】
■ 市民教育・道徳教育との関係
学校教育において「道徳的模範としてのスピーチ」が重視され、演説会・朗読大会(declamation contests)が普及。
学生たちは、リンカーンの演説や詩、歴史的名文を演じるように語ることで、国家観・道徳観・修辞的能力を育てられた。
「By the mid-nineteenth century, reformers were using the "art of declamation" to publicly address vice and provide moral guidance. In the Americas, missionary-run schools focused on teaching former slaves the art of public speaking to enable them to elevate others of their race as teachers and ministers. Using drama as a tool to teach, reformers hoped to standardize the spoken word, while creating a sense of national pride. Studies and presentation of declamation flourished in Latin America and particularly in the African-American and Afro-Caribbean communities through the first third of the twentieth century. Practitioners attempted to interpret their orations to convey the emotions and feeling behind the writer's words to the audience, rather than simply recite them. In the twentieth century, among black practitioners, topical focus often was on the irony of their lives in a post-slavery world, recognizing that they had gained freedom but were limited by racial discrimination. Presentation involved use of African rhythms from dance and music,[9] and local dialect, as a form of social protest.」
「19世紀半ばには、改革運動家たちが「ディクレイメーション(朗誦)の技術」を活用して、悪徳を公に非難し、人々に道徳的指針を示すようになっていた。アメリカ大陸では、宣教師が運営する学校が、かつての奴隷たちにパブリックスピーキング(演説術)を教えることに力を注いでいた。これは彼らが教師や説教師として同胞を啓発し、共同体の向上を導く存在となることを目指す教育であった。演劇を教育手段として活用しながら、改革者たちは、標準的な話し方を普及させると同時に、国民的誇りを育むことを期待していた。ディクレイメーションの研究と実践は、20世紀前半まで、ラテンアメリカ、特にアフリカ系アメリカ人やアフロ・カリブ系のコミュニティにおいて盛んに行われた。朗誦の実践者たちは、単に文章を暗唱するのではなく、作家の言葉の背後にある感情や想いを聴衆に伝えるように解釈しながら語ることを目指していた。20世紀になると、黒人の朗誦家たちはしばしば「奴隷制後の世界における自らの皮肉な現実」に焦点を当てた。すなわち、法的には自由を得たが、依然として人種差別によって抑圧されている状況を告発する内容である。その発表スタイルには、アフリカ由来のリズム(音楽や舞踊からの影響)や地域方言の使用が取り入れられ、一種の社会的抗議表現となっていた。」
なんと最後には音楽や舞踏とも融合するんですね!
いや~第二次ソフィストの研究なのに、えらいところにたどり着いてしまいました。
「喧嘩」もヒップホップはもちろん、テクノ・エレクトロやJ-POPやアイドル文化と融合するのかもしれません。
Vチューバーや声優文化(ラジオ)や、なろう小説、文学フリマ(批評)と融合するのかもしれません。
今度は、堀尾耕一氏の論文「哲学的弁論術と第二のソフィスト術 」を読んでいくこととしましょう。
chrome-extension://efaidnbmnnnibpcajpcglclefindmkaj/http://greek-philosophy.org/ja/files/2014/03/Ronshu2014Horio.pdf
堀尾耕一「哲学的弁論術と第二のソフィスト術 」(『ギリシャ哲学セミナー論集』XI 2014 )
リンク
「ローマ帝政期、紀元 230 年代に書かれたフィロストラトス『ソフィスト列伝』(以下『列伝』)は、その主題を「ソフィスト」と呼ばれる者たちの活動に特化した、他に類書を見ない貴重な論考である。そこでは、この言葉が古典期に帯びていた否定的な響きはすっかり影を潜め、主として帝政期に活躍したソフィストたちの営みが、とくにその弁論パフォーマンスに重点を置いたかたちで記述される。そして著者は、古代のソフィスト術と同時代のそれとの、ある看過しがたい違いに注意を促し、後者を「第二のソフィスト術」と命名する。」
この辺はすでにわれわれも見てきたところですね。
「ただ、著者フィロストラトス自身の強調するところでは、この「第二の」δευτέρα という形容詞は時代区分の指標ではなく、あくまで“質的な”違いと解されるべきものだった。それでは、その違いとは何か。19世紀以来その定義および評価をめぐって大いに議論が重ねられてきたこの「第二ソフィスト」問題をあらためて検証することで、ソフィスト的な営為の特質とは何か、また時代の推移によってそれがどう変わり、あるいは変わらなかったのかを考察するための、ひとつの視座を提供したい。」
つまり、この論文は「第一次ソフィストと第二次ソフィストの差異と同一性」を主題としており、それを通じて「ソフィスト的なもの」とは何かということを記述しようとしているわけです。
おお、何故か引用文が大きくなった・・・。😰
「『列伝』の本文は、「古ソフィスト術は「哲学的」弁論術と考えるべきである」という言葉に始まる。さらに少しあとに、これを説明する次のような一節が見られる。
「古のソフィスト術は、哲学的問題までをも主題に掲げて、これらを長広舌で語っていた。すなわち、勇気について語るかと思えば、こんどは正義について語り、そして英雄たちや神々について、さらには宇宙の姿はいかにして出来上がったのか、ということまで語っていたのである。」(『列伝』VS.481)
ここでは、哲学的な弁論術ῥητορικὴ φιλοσοφοῦσα とは、哲学的な問題φιλοσοφούμεναをもその主題に掲げるような営みである、と敷衍されている。これに対して、「第二の」ソフィスト術については次のように説明される。
「この後にくるソフィスト術は これは「新しい」と呼ぶべきではなく(古くからあるものだから)むしろ「第二の」と呼ぶべきものであるが 、貧乏人や金持ち、王侯や独裁者たちを描き出し、歴史上の個々具体的な論題を扱った。」 (『列伝』VS.481)
これが「第二ソフィスト」ἡ δευτέρα σοφιστικήという用語の由来となった一節であり、また古代におけるこの言葉の唯一の定義でもある。ここでの「第二の」という形容は時代区分を意味するものではない、と著者はわざわざことわっている。じっさい、『 列 伝 』 において「第二の」ソフィストとして最初に言及されるのは前4世紀の弁論家アイスキネスであり、これを額面どおりに受けとるなら、「第二のソフィスト術」は前 4 世紀にまで遡る、ということになろう。ところが、その次に言及されるのは紀元後1世紀にスミュルナを中心に活躍したニケテスであり、以降、著者の時代に至るまでの 40 人にのぼるソフィストたちに関する記述が続く。したがって実質的には、紀元後 1〜3 世紀の文学活動を指して「第二ソフィスト時代」という名称を用いること自体に、ほとんど不都合はないといってよい。 」
つまり、一人だけ「第二次ソフィスト」なのに紀元前4世紀の人がいるわけですね。従って、「第二次ソフィスト」というのは、時代区分の概念ではなくて、「古典期ギリシアのソフィストとは明確に区別されるある特徴をもった新しいソフィスト」という「質の区別」を前提にした概念なわけです。
「『列伝』の著者が「第一の」ソフィストとして具体的に名前を挙げているのは、ゴルギアス、プロタゴラス、クリティアスからイソクラテスまで、基本的にはわれわれがプラトンやアリストテレスの著作を介して「ソフィスト」として認識する人物群と一致する。そうした彼らの営みが、何ゆえ「哲学的」弁論術と形容されるのか。われわれは、カルネアデスまたはディオンに代表されるように、一般に「哲学者」と目される者が弁論家的な活動に深く関わった例を知っている。けれども著者は、狭義の「哲学」に軸足を置くこうした者たちに関しては、わざわざ「本当の」ソフィストたちとは区別をたてて論じるという念の入りようであり、彼らの活動を指して「哲学的」弁論術と言っているわけではない。かといって、プラトン—アリストテレスによってわれわれに馴染みの <哲学者> 対 <ソフィスト> という構図をこの箇所に読み込もうとしても、語義そのものに矛盾が生じてしまうのは明らかである。 」
「ここでまず思い起こされてよいのは、イソクラテスにおける「哲学」φιλοσοφία という語の用いられ方であろう。よく知られるように、彼は自らの弁論術的な営みにこの名称を用いているが、そこでの「哲学」とは、しかし、抽象的な思弁を斥けた、国家の政治に関わる市民としての現実的な姿勢を指すものだった。「 厳 密 な 知 識 」 ἐπιστήμη よりもむしろ「健全な常識」δόξα が強調されていることからも明らかなとおり、そこでははっきりとプラトンとは異なる、おそらくはライバルを強く意識しての「哲学」観が示されていた。こうしたもう一つの「哲学」は、しかしプラトン—アリストテレスら「主流派」の優位によって圧倒され、消滅した、というのが「哲学史」の常識であるのかも知れない。けれども、帝政期の修辞学文献に見られるφιλοσοφία の用例には、狭義の「哲学」には収まりきらない意味の広がりが、少なからず見受けられるのも事実である。」
つまり、「ソフィスト的なもの」の流れ、我々的には「喧嘩」の流れに注目して哲学史をたどっていくと、必ずしもソクラテスやプラトン由来の所謂「哲学」とはかなり異なる「哲学」というものがありうる、ということなのである。これはすごいことですよ。第一次ソフィスト→イソクラテス→第二次ソフィスト→中世ディクレイメーション小説→18世紀エロキューション声優→19世紀エロキューション演劇→20世紀エロキューションアフロ、みたいな全く違った「哲学史」が想定できるわけです。(←ホンマかいな😅)
「帝政期の修辞学文献に見られるφιλοσοφία の用例には、狭義の「哲学」には収まりきらない意味の広がりが、少なからず見受けられるのも事実である。
ハリカルナッソスのディオニュシオスによる『古代弁論家・序説』は、その代表的な例といえよう。そこではアウグストゥスの治世における「政治的弁論」πολιτικοὶ λόγοι の復活について、以下のような解説が施されている。
「われわれに先行する時代にあっては、「古の哲学的弁論術」ἡ ἀρχαία καὶ φιλόσοφος ῥητορική は踏みにじられ、ひどい侮蔑を受けて滅びかけていた。マケドニアのアレクサンドロス大王の死後、それは徐々に生気を失い衰えはじめ、われわれの時代ともなると、もうほとんど完全に消滅するところまで来ていたのだ。その地位に収まっていたのは「何か別の弁論術」ἑτέρα τιςであり、その見世物的な厚かましさは堪えがたく、没趣味で、「哲学」φιλοσοφία ないしはその他「自由人にふさわしい教養」παίδευμα ἐλευθέριον に何ら与るところのない代物だった。」(ハリカルナッソスのディオニュシオス『古代弁論家・序説』)
これが著者ディオニュシオスの直前の時代までの状況だった。ところが、その要因が何であったかはともかく、自分たちの時代になって「古くて思慮ある弁論術」ἡ ἀρχαία καὶ σώφρων ῥητορική は正当な地位を回復し、一方の「新しくて無分別なほう」ἡ νέα καὶ ἀνόητος は、若干のアジア諸都市を例外として、ほとんどすたれてしまったという。ディオニュシオスはさらに、古典期の弁論家たちを扱う自らの論考が、「市民的な哲学」ἡ πολιτικὴ φιλοσοφία の研鑽に励む人々にとって有為にして不可欠なものだ、とも述べている。またその『イソクラテス論』においては、「真の哲学」ἡ ἀληθίνη φιλοσοφίαにいそしもうとする者、わけても実践において世を裨益すべくそれを志す者は、イソクラテスの示した道にこそ倣うべきだ、と促される。ディオニュシオスにおけるこうしたφιλοσοφία の用法が、狭義の「哲学」を念頭に置いたものではなく、イソクラテスの用例に倣ったものであること、そしてそこでの「哲学的」φιλόσοφος という形容詞は、むしろ「政治的」πολιτικός というのに限りなく近いことは、これまでにもすでに多くの論者によって指摘されてきた。」
この、ハリカルナッソスのディオニュシオスが「イソクラテス」に由来すると述べた「哲学」こそが、繰り返しになりますが、第一次ソフィスト→イソクラテス→第二次ソフィスト→中世ディクレイメーション小説→18世紀エロキューション声優→19世紀エロキューション演劇→20世紀エロキューションアフロと連なってきた、「政治的πολιτικός というのに限りなく近い哲学」なのです。(←どないやねん🤤)
「すでに指摘したとおり、フィロストラトスのいう「哲学的」弁論術 ῥητορικὴ φιλοσοφοῦσα とは、そこで扱われる論題の性質についての表現であると考えられる。そうであるならば、著者が古のソフィスト術と「第二の」それとを区別する最大の基準は、扱われる題材の違いにこそあった、という見方が成り立つのではないか。
ところで、論題の性質に応じて弁論術を分類する際のひとつの基準として広く知られていたのが、前2世紀のヘルマゴラスが提示したとされる、「一般論題」θέσιςと「個別論題」ὑπόθεσις との二分法である。すなわち、およそ弁論術の扱う論題は、「個別具体的な状況を伴わないもの」(=前者)と「それらの規定を伴うもの」(=後者)とに分けられる、という基本認識が、ヘレニズム期以降のギリシア修辞学において一貫して共有されることになる。
このうち前者の「一般論題」については、たとえばキケロは『発想論』において、それに該当する例として「名誉のほかに善はあるか」、「感覚は嘘をつかないか」、さらには「世界の形状はどのようなものか」といった論題を紹介している。また後者は、弁論家たちが扱ういわゆる「模擬弁論」declamatio / μελέτη の題材に一致すると考えられ、そこでは通常、具体的な人物、時代状況等が設定される。」
「模擬弁論」declamatio / μελέτηにおいては、「一般論題」θέσιςではなく、具体的な人物、時代状況等が設定される「個別論題」ὑπόθεσιςが扱われる。これも、すでに見てきたとおりです。
「これは、じっさいに第二ソフィストたちの扱った弁論のタイトルを見れば、いっそうはっきりしてくる。たとえば『列伝』では、この時期を代表するソフィストであるアリステイデスの代表作として、『アテナイ人を海上覇権から引き離そうとするイソクラテス』、『十人の将軍を埋葬しなかった件でカリクセイノスを弾劾する』、あるいは『シケリア情勢について審議する人々』等、歴史的にして個別具体的な状況を設定したうえで架空の弁論を行うという、いわゆる模擬弁論の典型的な主題が列挙されているのである。
ここまでの考察から、フィロストラトスのいう二つのソフィスト術の違いとは、この「一般論題」と「個別論題」という、弁論術において扱われるべき論題の質的な相違を反映したものだと考えることが許されよう。その際、「哲学的」すなわち「哲学的な課題を論じる」弁論術τὰ φιλοσοφούμενα ὑποτιθεμένη とは、「一般論題」を扱う弁論術と読み替えることができ、これに対して「第二のソフィスト術」が扱う題材は、つまりは、法廷や議会を想定した「個別論題」を扱う弁論術の領域に等しい、ということになる。」
「甘美にして流麗、機知に富み、言葉の響きに満ちた弁論を旨とする演示(ἐπιδεικτικόν)の類 それこそソフィストたちの本領であったわけだが、こうした弁論は戦いというよりお祭り向きで、体育場や訓練の場に取っておかれはしても、公論の場では蔑まれ、放逐されたのだ」(キケロ『弁論家』)