濃霧に仕切りなどは無く、街全体のあらゆる隙間を埋め尽くす行軍は相変わらずであった。
彼を誘うように霧は切り分けられ、都市に沈み往く陽光が地面を照らす。
踏んだことのないはずの地面だというのに、脚はその感覚を覚えているかのような反応を返す。
鋼鉄とボディガードコートの装飾を揺らしながら、彼はL社の霧の中を歩んだ。
「ったく、風情がない景色ばっかじゃねぇか」
「特異な街並みかと思えばそうでもない」
「崩れた建物ばっかで、飽き飽きする」
血の振り切れていない武器。
返り血の付着した顔。
どれをとっても、透明の軌跡を知る者からすれば違和感の塊。
その概念が歩く中、ある区画から「立入禁止」の札が堂々と貼られていた。
彼は堂々とそのゲートを通ろうとした時。
「其処のフィクサー、止まれ」
「何処の協会のフィクサーだ、まず名乗れ」
金色の記章、暗赤色のコート。
南部親指所属である事の分かる組織の衣装。
マスケットを肩から提げた親指の一人が、彼へと霧の中で声を掛ける。
後方には隊列を組んだ組織員が銃を縦に構え、その壮烈なる行軍の証は軍隊めいたものであった。
「協会……あー……13協会ってやつか」
「どれだろうな、分からん」
「チッ、折れた翼に迷い込む個人事務所のハイエナか」
「私が親指である事が分からんのか?」
「あ~、さっき返り討ちにしてやった黒雲会とかいう組織の親玉共んところか」
「アラシっつったっけな。気前よく渡してくれたよ」
握っていた通行証を目の前に掲げ、中間距離に佇む組織にも見えるように棒を振る。
その証は確かに黒雲会の紋章の入ったものであり、
外部の者がそれを手に入れるには譲り受けるか、奪うか。
その二択は、彼の装いを見れば絞れるものであった。
「……仲間は何処に居る。お前一人で黒雲会を相手取る芸当など出来るはずが……」
「群れる事で戦いを成すのであれば、俺はそのハイエナには該当しないんじゃねぇかな」
「……」
「生憎、お宅ら組織を相手取っていたところで、俺の欲しい自分探しの旅ってのは出来る気しないんだ」
「悪いけど、其処退いてくれないかな」
「私は南部親指カポ、ジェンマ」
「名乗れ、フィクサー」
「それは礼儀を欠いている事か否か、判断する為に必要な藁だ」
「……」
「……」
「透明の軌跡」
「いや、ユンフって呼ばれている」
「御無礼、大変失礼いたしました」
「特色、それも透明の軌跡様でいらっしゃいましたか……」
ジェンマは突如目線を外し、彼に首を垂れる。
その唐突にも見える行動に、困惑気味の表情を浮かべて目を細めた。
「急になんだよ」
「……」
「黙られても困んだが」
「……口を開いても良い、という認識でよろしいでしょうか」
「今後の会話に支障をきたす必要は無い」
「俺と喋る時にお宅らの都合を持ち込む事は絶対的なものとしない」
「ありがとうございます」
「直前に働いた不敬については、私の下顎を砕く事でどうか御許しください」
続々と溢れてくる都市特有の文化。
その倫理観の無さに、透明の軌跡はため息を落として目を伏せた。
「この先には何があるんだ。それについて教えてくれたらその不敬とかいうの解除すっから」
「御厚意承り、感謝いたします」
「この先は『図書館』の実体化に伴い、拡張……いや、復元されたL社の土地が広がっています」
「我々はその土地の占領確保、及び戦争準備に勤しんでおります」
「ですので、透明の軌跡様相手でも此処をお通しする事は出来ません」
「それは、ゴットファーザー様の意中にそぐわぬため」
「仕事熱心のようで」
「……その『図書館』について、知ってる事を伺ってもいいか?」
「それは――」
「私が説明しよう」
ジェンマが言い淀んだ時、彼女の背後から男が現れる。
その不敵な笑みは相も変わらず、透明の軌跡に視線を向けては口角を上げた。
「あ、アンダーボス様……!」
周囲のソルダート達が咄嗟に順路を築き、首を垂れる。
ジェンマもまた、その行路に居る事に敬意を払うかのように、膝を付いた。
その光景を見た透明の軌跡は、顔を顰め、眼前で優雅に歩く人物に視線を置く。
視線が合った時、彼らは足を止めた。
「下がって構わん、ジェンマ」
親指南部アンダーボスの一人、ダンク。
弾丸制作工房としてガンパウダー工房の実権を握り、
その功績を認められてアンダーボスとなった彼。
嘗てユンフと対峙してきた親指の姿が、其処にはあった。
「……」
「ご機嫌如何かな、透明の軌跡」
「部下が失礼を働いていないか?どうか寛大な処置をして頂けると有難いものだ」
「……誰だよアンタ」
ジャキッ。
数多の銃口が透明の軌跡へと向けられる。
先まで背を向けて跪いていたジェンマでさえ、添えていた銃口を光らせていた。
ダンクの手が上がると、その銃口もまた、自然と下ろされ、先までの体勢へと皆が戻る。
「なるほど」
「私は親指アンダーボスのダンク」
「君が今身に着けている装備」
「それら親の家を占領したものだ」
「このガンブレードと……あとコートか」
「随分な鈍らだよな。どういう意図で作ったか知らねぇけど」
「殺傷能力の低さから見て、人を殺さないようにでもしてんのかね」
「ヴォールカ所長の意図は概ね理解している」
「君が都市に染まらないように」
「都市を思い出で彩る事が出来るように」
「その武器を託したであろうから」
「誰の意志で、誰の為なのか分からんな」
「……」
「12区の厳戒態勢を敷いたのは君だ」
「その想いは、ガンパウダー工房、そしてその礎として刻まれた黒霧事務所によるもの」
「6級フィクサー時代に見せてくれた君の想いは、一体何処へ行ってしまったのだろうか」
「さぁな。少なからず俺にはそんなもんがないみたいでな」
「例えその心があったとしても、内容が抽象的すぎる」
「都市に染まらないように……?」
「んなもん無理に決まってんだろ」
「先にやったもん勝ちのこの世界、善人ぶった奴が死ぬのは目に見えている」
「俺はただ、其処で生き抜く為にコイツを振るうだけ」
「……」
「私の言った通りになってしまったのか……」
目を細め、何処か寂し気に視線を落とすダンク。
「潰えた思い出、それは消えるものではない」
「忘却が心を覆ったとしても、築き直し、また拾う」
「その言葉は決して、嘘偽りは無く」
「君個人を輝かせる感情そのものであった」
「例え自身に不幸が振りかかろうとしても」
「君は君が描く軌跡に悪を存在させなかったというのに」
「ハっ、なんだい?」
「自分たちが行う都市での生き方を、悪だって認識してんのか」
「無論」
「性善説に則れば、我々裏路地の組織が執り行う問答は決して倫理に沿ったものではない」
「力に任せ、奪い、報復し、無に帰す」
「だが、君はそんな我々でさえ、虜にし、都市の星との戦いに赴かせたのだよ」
「まじかよ」
「それはそれは、誰とでも仲良くなれるお利口さんだったようで」
「あぁ」
「表情を変えず、私に悪態を付くにしても何処か親し気で」
「今の君とは、やはり違ったかな」
「……」
「だが、それもまた都市の輪廻」
「今の君の利己は、昔の君の利己とは異なる」
「それを再び求める事など、私は到底しない」
「君もまた、都市に生きる人間の一人となったのであれば」
「私から肩を組みに行けるというものだろう」
「指の紋章掲げたおっさんと肩組ませて歩く趣味はねぇよ」
ジャキッ。
「茶番だろ。撃ってみろよ」
「止めろ」
「相手は特色。決して手を出してはならない」
「私を侮辱したことに対する報復を、作法として執り行おうとしてくれたお前達の心意気は買うが」
「礼節を最後まで保つがいい」
「でなければ、私からお前達の顎を割る事になる」
ソルダートたちの銃口が戻る。
「……」
「透明の軌跡。欲しいのは『図書館』に関する情報だったな」
「ただし条件がある」
「情報を引き渡す代わりに、一つ頼まれごとをしてくれないだろうか」
「『依頼』って奴かい」
「あぁ、君は記憶を喪っているようだが、フィクサーとしての地位は未だ健在」
「私の目に映る限り、その実力もまた確固たるものだ」
「ただ、以前と比べると戦う気が失せるような戦力差を感じなくなったのは、寂しさがある」
「褒めてんのか貶してんのか……」
「返しも何処となく寂しいものだ」
「……脱線したな」
「付近、西に向かった広場で、ねじれ『生きた走馬灯』が観測されたらしい」
「地上げの価値を高める為にも、損害は減らしておきたい」
「頼めるかな?」
「倒しゃいいんだろ」
「……」
「フッ、短絡的ではあるが、そうだな」
ダンクは背を向け、背後に浮かぶ霧の中に潜む樹木を見据えた。
「『図書館』についてだが、まず、君の知っている情報を端的に教えてもらってもいいだろうか」
「L社の中枢に聳え立つ樹木」
「招待状によって誘われる都市の人々」
「招待状には、その人にとって望む本が其処に用意されている事が記されており」
「代わりに接待を受ける事となる」
「そしてそいつらは決まって還ってこなかった」
「ハハハ、残念だが、君が欲しがるような情報をどうやら私は持っていないようだな」
「……周りもそんなもんだって知れただけでも収穫だろ」
「前向きな意見、感謝するよ」
「図書館には挙って多くの組織が戦力を投入している」
「リウ協会……あぁ、君の知り合いもまた、その一人だ」
「チッ、無理くりにでも討伐させようとしてんな?」
「我々は親指」
「組織力においては5本指の中でも群を抜いている」
「不利な交渉も、慣れたものでね」
ダンクは向き直り、ユンフへと一歩ずつ近づく。
そうして手を取り合える程の距離まで詰めた。
「……これは興味本位で聞きたい事だ」
「君は、君の想い人を心の中に宿しているのだろうか」
「……」
「アトリのことだ」
「……」
「……そうか……」
「残酷なものだな」
「そして、納得の行く答えだ」
「その残酷に潜む微かな幸福と言えば」
「君の表情がコロコロ変わる事ぐらいだろうか」
そうしてダンクは、先まで不敵に上げ切っていた口角に合わせて吊り上げていた眉を、
何処か困ったように下げて透明の軌跡を見つめた。
その表情の意図を測ることは出来ない。
だが、憐れんでいる事はよくわかった。
彼は自身に向けられている瞳が、自身の為であり、同時に過去の自分に向けられているものだと悟ると、
小さくため息をついて頭を掻いた。
「……もう行っていいか」
「どうぞ」
西へ向かう。
その足取りは、霧の中を迷う事なく進んでいた。
「……」
「……ユンフという人物であれば」
「倒すのではなく、救いにいったであろうに」
「……フッ、寂しいものだな」
そうしてダンクは周囲の組織員に手振りを施すと、
再び図書館の聳え立つ方角へと歩んでいった。