まだ考えない人(チェコ)
副管理人 d0070d6c48
2025/08/15 (金) 22:13:31
8月14日、海南島。
クーデタ―から四日が経ち、
指揮系統や連絡網はすでに復旧しきっていた。
しかしその一方で、それを担う人物たちが
立ち直っていたとは限らなかったのである。
「…ですから、我々はもう行動不能です。
海難を独立させ、平和的な手段をとるしかありません」
そう無線機に力ない声を届けているこの男―
陳政院は、幸運にも生き残った数少ない親チェコ派の一人だった。
話相手のBIS局員の説得にも応じず、
今やほとんど生きる気力を失っているが。
「だが今の海南は凄惨な状態だぞ。
誰かがまとめ役にならなければ、
混乱は増大する一方だ」
「ですが、私はもう表には出たくないのです」
「チェコ政府は海南における正統政府の復活を望んでいる。
それに必要な人員で残っているのは君ぐらいだ」
「その人員の大半を殺した責任は君らにもあるんじゃないのか」
「あれは完全に我々の予想外だった、
今となってはもう仕方が無いことだ。
とにかく、今は出来ることをやるしかないんだよ」
「…もう放っておいてくれ。
仲間を弔う時間すら僕にはないのか?」
「………分かりました。
ひとまずまた明日連絡しますが―
貴方がそのように迷っている間にも、
無数の海南市民が今回の出来事によって
被害に遭っている事を忘れないでくださいよ」
「…はい」
そう言って彼は無線を切った。
窓の外では、クーデター軍のヘリコプターが
雑多なプロパガンダを叫びながら飛んでいる。
海難が沈静化する目途は
依然として立っていなかった。
通報 ...
一切の気力を失ったものがいる一方で、
さらにやる気を出している者もいた。
「今や海南は落ちぶれた、労働者は虐げられる一方だ!
このような状況を我々は許容できるだろうか!?」
「ダメだ!」「ありえない!」
「そうだ! 今こそ我々共産主義者は立ち上がり、
労働者による労働者の為の政府を取り戻すべきである!」
「革命万歳!」「ブルジョワに鉄槌を!」
「海南臨時政府は独裁政権を樹立しようとし、
チェコ政府は我々を押さえつけ、
そして憎きブルジョワ達は平然と
我々を見捨て、我々よりも先に脱出していった!
もはやこの状況下において、
我々が行動を起こすほかない!
海口に赤旗を立て、我々だけの政府を作るのだ!」
そう演説をしているこの陳大釗と言う男は
海南共産党の党首であり、
現在は武装闘争に明け暮れる典型的な
過激派のコミュニストであった。
「そこでだ!
ここに― 我々はソビエト・海南共和国の樹立を宣言する!
この知らせは各地で耐え抜いている人民に勇気をもたらし、
そしてそれは必ず我々に対する勝利を後押ししてくれるだろう!
海南共産党万歳! ソビエト・海南共和国万歳!」
それを聞いて、薄暗い倉庫の中の各機は最高潮に達した。
万歳三唱をする者、叫ぶように喜んでいる物、赤旗を振りかざす者―
この革命が成功すると全員が信じていた。
その後の武装闘争が、どれだけ過酷なものになるかも知らずに。
その武装闘争の間接的な原因―
海南島政府の「元」長官であったアントニンは、
今や海南島における大首相を名乗って議会に返り咲いていた。
「アントニン大首相万歳!」
「海南島救国政府万歳!」
数日前とは打って変わり、議会のどの席も狂ったように彼を褒め称えていた。
ひたすら、延々と、変わりなく。
しかしその一方で、彼は全く嬉しくはなかった。
海南救国政府の指導者になる事すら、
全ては彼の合意なしに行われた。
…あくまで奴らの歓声は表面上だけだ。
戦局が悪化すればすぐに責任を取らされる。
そう彼は思っていたが、そんなことを言える気にはなれなかった。
奴らの傀儡になるほど愚かではないが、
躊躇なくそれを言えるほど勇敢でもないのである。
彼は砂上の楼閣の上に立ち尽くしていた。
その光景を中継で見ていたもうひとりの長官である
海南武警総司令官の林春寧は、
アントニンを笑うのでも哀れむのでもなく、
ただこの男を眺めながら酒を飲んでいた。
「戦況はどうだ」
彼がそう冷たい声で言うと、
一人の部下が震える声で報告した。
「依然としてチェコの奴らは追い出せていませんが、
こちらの優勢は保てています。
あと数日もあれば追い出せるかと」
「そうか」
そのたった一言の言葉を聞いて周りにいた部下は安堵し―
「数日前から同じ内容を聞いているのに、
なぜ一向に海口は一向に陥落しないのだ?」
次に発されたその先程よりもはるかに冷たい声を聞き、
空気もろとも一斉に凍り付いた。
「早く勝たなければチェコ軍の援軍が到着するが…
諸君らはそれに勝てるというのだね?」
「か、海上に展開している艦艇と航空攻撃により阻止します」
一人の指揮官がそう言ったが、
相変わらず総司令官閣下は冷たく、そして正確に返答し続ける。
「ならば、海上部隊と航空部隊を率いていた者が
昨日からいなくなっているのはどういう事だ?」
「最前線で戦闘指揮を執っております。
恐らく3日間ほどここに来れな―」
「それは勇敢だな。あの臆病者たちが、
まさかチェコ空軍の激しい攻撃で
あらゆる軍港と空港が攻撃されている下に出向いていくとは」
「私は戦果を求めているんだ。
諸君らの働きに期待しているのだぞ」
「…明日の報告を楽しみに待っている。
勿論、報告できればの話だが」
彼がそう言うと、周りにいた部下は一言も発することなく
下を向いて部屋から出ていった。
悲惨な目に合う海南武警もいれば、
ますます悲惨な目に合う者たちもいた。
8月15日、海南省。楽東リー族自治県。
この県の湾岸部にある高速道路は
人道回廊として非武装地帯に指定されていたが、
全ての勢力がそれに従うとは限らなかった。
しかし海南救国政府もチェコ政府もそれに従っていたため、
誰もがここは安全だと信じ切っていたのである。
過去に命がけの逃走劇を演じた倉田朝羽もまた、
その不幸な人々の中の一人だった。
「サンヤー・ハイウェイ・ギャングだ! 逃げろ!」
その方向を見ると、バイクやサイドカーに乗った集団が
銃火器を振りかざして迫ってきていた。
「ここは人道回廊じゃなかったのか!?」
「殺されるぞ! 逃げろ!」
悲惨なことに回廊は大渋滞を起こして
機能不全に陥りかけていたため、
とても車で逃げられる状態ではなかった。
何人かがパニックに陥り、
ドアを開けて外へと逃げていく。
「は、早く車なんか捨てて逃げようよ!
このままじゃ殺されちゃう!」
そう両親と兄に必死に提案したが、
帰ってきた返答は絶望的な物だった。
「駄目だ… バイク相手じゃとても逃げられない」
現にギャング達は、車を捨てて逃げ出そうとした者や
無理矢理車両を押しのけて逃げ出すものを片っ端から撃ちまくっていた。
時折その流れ弾が別の車両へと飛んでいき、さらにパニックが伝染する。
「でも父さん!」
ギャングの一人が空に向かって拳銃をぶっ放した。
さらに悲鳴が大きくなっていく。
「全員止まれ!動くんじゃないぞ!」
それを聞いてなお一人の男が車から飛び出したが、
すぐさま撃たれて地面に倒れた。
背中から血が流れており、苦しそうにせき込んでいる。
「お前らもこうなりたくなかったら、
今すぐに金目の物をかき集めろ!
差し出さない奴はぶっ殺してやる!」
ギャングのリーダーらしき男がそう言ったが、
私たちはそんなものを一切持っていない。
「金目の物なんかないのに…
ああ、一体どうすればいいのよ!?」
「車内にあるものを全部かき集めろ!
そうすれば許してくれるかもしれない…」
そんなことを両親が言っている間にも、
ギャングの一人がこちらにやってきた。
片手にリボルバー銃を持ち、腰に短刀をぶら下げている。
(ま、まだ死にたくないよ…)
そんな事を思った時だった。
突然遠くから音楽とヘリの轟音が鳴り響いてきた。
ギャングがその方向を見て何かしきりにわめいているが、
何を言っているのかあまり聞き取れない。
ドアにピースマークを描いた一機の汎用ヘリは、
音楽に負けないぐらいの音量で両側面に載せている機関銃から
ギャングに向かって弾丸をばら撒き始めた。
遠くでバイクに乗って待機していたギャングが必死に逃げ惑うが、
たちまち大量の銃弾を浴びて地面に崩れ落ちていく。
そう大音量で音楽を流しながら、
翼を広げ獲物を狙う猛禽類のようにヘリコプターは攻撃を続けていた。
その遠くでは、一個小隊ほどの武装した人員が
簡易的な装甲を施したトラックの周りに集まっていた。
各々が来ている防弾チョッキやヘルメットに
チェコ国旗をあしらっており、まるで正規軍人のようである。
「全く… 退役軍人会って、ほんとに戦力になるんですよね?」
「でも私たちの先輩なんですよ? 私は強いと思いますけど」
その中に二人、我々が見慣れている顔があった。
…ライラ・ニーニコスキとミレナ・レヴァー、
チェコ空挺軍の第601独立特殊任務旅団から派遣された精鋭二人組である。
→Bag and Drag/大捕物