かとかの記憶

野阿梓 通読 / 20

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katka_yg 2026/03/20 (金) 20:48:34 修正 >> 19

しばらくの間、真面目に読んでいたが攻撃開始とタスクフォースの装備を数ページにわたって列ねるところでまた、格好良さより「陳腐さ」が勝って読み進まなくなる感覚に襲われた。

これは不思議なようで――脇で併読しているのが『リーンの翼』で、それはオーラで動く人型巨大ロボの話だ。ナンセンスさはバイストン・ウェルの方がこの比ではないと思う。作中のリアリティ云々より、富野文がなぜ読者の気持ちを牽き続けていられるかには作者自身が「こんなものはナンセンスなのだが――」という自嘲的な語りを、ことあるごとに割り込ませ、読者はその混ぜ返しをバネに「これがリアルだ」という思い込みを勝手に強めている、と思う。

べつに今、野阿作品を下げて踏み台に富野を持ち上げようとしているのではなく、どういう心理が効いてるのかと思うんだった。レモン・トロツキーみたいな最初から稚戯なネーミングで萩尾望都の表紙だとこの「陳腐さ」の感覚をあらかじめ防いでくれると思う。三十年後に作品をフォローするのは、前のめりに共感していくにはたびたび気持ちが難しいことがあるな……。

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  • 21

    同時併読していると一方が他方の気分を食う作家作品の関係というのはある、と最近は他でもわかっていた。タニス・リー通読が同ジャンルの併読に向かなすぎるのが悩みで……。このところ野阿作品を開いていると、ハサウェイ等の富野作品をしきりに連想することがあるのと、その間になぜかAMゲームの再開していたのには「捌け口」になる気分上にきっと関係がある。

  • 22

    あとで気づいたが上のところの文章でふと読みが止まり、気持ちが途切れたのは、わたしの場合「HAET弾」。それもミリタリ的な蘊蓄でではなく、この小説当時よりずっと後に、ネットのオタク会話の中でHEATは今どき使わないとか有効かどうかの論議をみて辟易とした覚えがあってそれで水を差したらしい。

    でもこれ1991年の作品で、そのたぐいをもしも一々気にしていたら野阿作品読めないはずで、後追いで読んでる読者がアンフェアだ、と。