警報の鳴り響くL社。
収容室の並ぶ廊下を駆け抜ける。
赤色灯が、廊下の黒を無遠慮に切り刻いていた。
その狭間には幻想体と相対する、逃げ惑う、蹲る、多くの職員が入り乱れていた。
脱走。
幻想体複数。
鎮圧失敗。
アナウンスや近場の職員が呟く内容からして、L社の状況は芳しくなかった。
廊下の奥、悲鳴と金属音が重複する。
幻想体が一体、職員を壁際に追い詰めていた。
パニック状態の職員は指示を聞かず、ただ引き金を引き続けている。
「申し訳ない、通ります」
速度を落とすことなく、鋼鉄を抜く。
通り過ぎ様、最小限の動作で幻想体の動線を断ち、
衝撃音が廊下に反響する頃には、すでに背を向けていた。
今は職員の安否を確認するときではない。
彼は歩を進め続けた。
―中央本部―
「ありがとうございます、ユンフさん……」
「でも、まだ他の部署が!」
疲弊しきった表情の奥に、死にたくないという願望を象った瞳。
アーリンは傷だらけの身体を支えるように立ち上がりながら、
中央本部で既に還った卵達に一瞥をやった。
「中層及び下層の鎮圧は粗方片付いています」
「上層に集中した幻想体及びパニック状態の職員については、L社の職員の方々でも対応可能のはず」
「……っ」
「それでも、上層の状況に乗じて、下層の幻想体が再脱走する可能性も……!」
「アーリンさん」
「貴方達のチーフにお会いしたいんです」
「その前に全幻想体の鎮圧を……!」
「そうしないとアイツが!!」
先までの疲弊が嘘のように、切迫した皺が彼女の顔を表現する。
相対するユンフは、鋼鉄の背に戻し、その言動を冷静に凝視していた。
「最高危険ランクの幻想体を一人で鎮圧」
「業務に於いても脱走をさせない」
「中央本部のチーフ」
「そんな人が、この状況で何もしでかさないわけがない」
アインが施したL社の混乱。
彼はその行動の本質に、オーウェンと邂逅出来る可能性を秘めている事を理解していた。
それはつまり、この地獄の状況を制圧してはならない事。
地獄でしか会えない事。
そうすることでしか、彼らは繋がる事がない事。
そして、その地獄を決して野放しにするような男ではない事。
「アーリンさん。貴方達の大嫌いな人に会いたいんです」
「何処に居るか……見当がついているんじゃないですか」
その現実を打ち崩す事の出来ないもどかしさを秘めながら、彼は再び問う。
「……」
「アイツを……あのバカの事、絶対に護ってください……」
「勿論」
廊下の中央、収容室の前。
此処に来るまでの間に、幾度も幻想体、そして混乱に陥った職員を相手取り、
彼は先まで忙しなく動かしていた脚を止めていた。
懐の指輪から鼓動を感じる。
この逸る気持ちを一刻も早く収めるべきだと感じると同時に、
何処か、懐かしい、原初の感覚が、彼に安堵を与えていた。
扉を開ける。
―逆光時計 収容室―
古いぜんまい仕掛けの機械。
本体の中央部には4つの真空管があり、本体右部にはねじ巻きが付いている。
3つの真空管には光が宿り、その4つ目の空白に何かを埋めんとする意志があった。
だが、その幻想体に対する所感よりも、彼にとってはまず
「よう」
一寸先の暗闇さえ、己の手で熾した光で包み込むような、
決まりきった未来にさえ抗い、己を確立させていくような、
自分という存在を築き上げたような、
決して一言で表す事の出来ない存在の放つ一言に、
ただただ、辿り着いたかのような感覚を覚えた。
「……オーウェンさん……」
青く長い髪。
決して崩すことのない自信気な笑みと、その傲慢さを象徴とする歯。
中央チーフである証の腕章に、覚悟の決まった出で立ち。
オーウェンの姿が、其処に在った。
「俺の事を嗅ぎまわっている特色ってのはお前のことだろ」
「ったく、随分と男前じゃねーの」
「俺にそっちの気はねぇんだけどな」
「だが、俺は男女関係なく引き寄せちまう男……」
「ったく、俺という存在そのものがALEPH並に危険――」
「いや、魅力的って話か?ったく」
「ガンパウダー工房フィクサー、ユンフです」
「ここのどの幻想体を相手にするよりも、貴方を探す方が手間だったよ」
「だぁーっははは!」
「おまけにユーモアもあんのかよ!お前最っ高だな!!」
片目を塞ぐように手をあて、収容室全体に響き渡る轟音を口から発する。
小さく呼吸を整える音を交えながら、オーウェンは細めた瞳でユンフを見る。
「一方的に俺を知ってんのはなんでだ?」
「俺は確かに最高にカッコいいし、べらぼうに優しいし、信じられん程に美しい」
「都市に名が売れてても不思議じゃねぇな。頭も俺の事をきっと都市の星座にしようと躍起になってたはずだ」
「それどころか外郭にオーウェンタウンを作ったって可笑しくねぇ」
「L社の物語における不純物である俺が此処に誘われた要因であり」
「そして、貴方の祖父の、聞いても居ない願望を、俺が目に焼き付けに来たからだ」
懐から遺品を取り出す。
その二つの指輪。刻まれた名と、その銀に輝く生前を物語る傷。
オーウェンはそれを目にした途端、吊り上がったような口角を僅かに緩めた。
「……リバーには会ってねぇんだな……」
「案内してくれますか?」
「無理だよ。わかってんだろ」
「俺も訳わかんねぇんだよな~……俺が幾度も経験してきた道程」
「このL社という中での檻」
「時の――時空の牢獄」
彼の発言に、オーウェンは「わかってんじゃん」と感心しつつ息を吐く程度に笑った。
「ハムスターみてぇに永遠にぐるぐる回ってんだよ俺」
「だが時に、俺というハムスターは腹が減ったから餌を食いに行くんだ」
「気に入った餌がある。それは走り終えた後にとっておきたい大切な餌」
「だから大事にしまっておこう」
「大切な餌を守った時、俺の目の前は再び回る滑車の中で走り回る視点に移る」
「また腹は減る」
「大事な餌だ。またしまう」
「また滑車に戻される」
「一生進めない」
「気が狂って、大事な餌を食う事にしたんだ」
「そしたらどうだ?俺は自分の脚で、再び滑車に戻る」
「戻れちまったんだよ。俺がつまんねぇ意思を捨てた途端にな」
「……」
「大事な餌はもう戻ってこない。そう思ってたらどうだ?」
「普段通りの顔して戻ってきやがる。俺がどれほどの苦悩を以てしてその選択をしたとしても」
「その日は繰り返され、取りつかれたように俺はただ滑車を廻す」
「今もそうさ。俺の大事な仲間が居るこのループ」
「きっとこれが最後だって思ったら、透明の試練とかいう訳わかんねぇ、今まで経験したことのない……」
「明らかにイレギュラーな世界が舞い込んできやがった」
「……この滑車は、『シナリオ外』のもの……」
「そうだ。俺の奔る今は、ぜってーにあのクソAIがまた丁寧に戻すんだろうな」
「……久々に会えたループだった」
「いやぁ~、あいつら――」
「……」
「でも、代わりに、俺を支えてくれる別の仲間が今は居ねぇ」
「どっちも取りたいのに、どっちも頬張りたいのに」
「俺はどうしようも出来ねぇ」
「オーウェンさん、俺には――」
「お前はL社の不純物として認識してて、ここの時空が可笑しい事が分かってる」
「それも爺さんの指輪を持った外部の人間」
「……そうか。お前未来の時空から来たろ」
彼の語りを遮るように、オーウェンは言葉を紡ぐ。
「……」
「断定は出来ない」
ユンフはただただ曖昧な返答を口にした。
L社の顛末を知る彼は、その結末に繋がる彼らそのものに未来の話をすべきではない。
答えを直接伝える事は決して無く、その旅路に僅かな希望を以てして、彼は真剣な表情でその意思を伝えた。
「正直碌な結末になんねぇことだけは分かってんだけど」
「まぁそうだよな。それが最もスマートで平等な返答だ」
「……聞きたい事があるんだろうけどさ」
「その前に一ついいか?」
「勿論」
「爺さんは元気だったか?」
「貴方達の帰りを待っているよ」
「優しいなお前」
「同時に自分に対して残酷すぎんだろ」
「俺の思うカッコいいってこれなんだよ」
「ひゅ~~!いいねぇ、俺が言ってたら周りの連中は黙ってなかったろうな!」
「……そうだな、お前はきっと、爺さんのことを導いてくれたろう」
「礼はしねぇとな。俺というナイスガイはいつだって他人の恩義に尽くすのさ」
「長話だよな?」
「口下手なので、短く話せる自信はないかな」
「OK、じゃあ特色っつーその実力」
「そしてお前の瞳から発せられる異常なまでの信念に免じて」
「俺のお供を赦してやる」
オーウェンは幻想体のぜんまいに手を掛ける。
その意味を知る由はなかったが、ユンフはその行為を受け入れるように身体の力を抜いた。
「あーあ」
「……また、これかよ……」
「アーリン、ハリー、フランク」
「……愛してるぜぇ……」
屈託なく切なげな笑み。
そんな遣る瀬無い表情を作りながら、オーウェンは逆行時計に光を灯した。
4つ目のランプに数字が浮かび上がる。
その時計は、収容室だけではなく施設全体を包み込むようにして輝き
「……」
「久々だな。これ」
「ユンフ、意識あるか?」
鋼鉄を手に掛け、ガチャッという音で合図する。
「さてさて、それじゃあこれから俺達はとんでもなくカッコいい存在になるぜ」
「なんつったって、さっきのアラートは無かったことになったからなぁ」
「その無くなった分が何処に来るか」
悲鳴の聞こえないL社。
代わりに鳴り響くは、数多の幻想体の悍ましい音。
薄暗く、電力を含めたインフラ全てが停止したL社の世界。
それは、クリフォト抑止力が喪われたL社。
「前の俺はどうだったかな~」
「結果はもう朧気だが、あれを周りに見せたら惚れ直しただろうぜ」
「ったく、俺っつーE.G.Oの扱いに長けた職員だからこそ出来た芸当だったっつーのに」
「お前が混ざったら俺の専売特許がなくなっちまうぜ~ったく」
互いに収容室を出る。
その薄闇の奥底から見える眼光は、一方的な殺意を持った怪物が多く潜む事を示唆していた。
そんな絶望的な状況下、二人は背を互いに預けるように、互いに反対へと歩む。
「大事な話ってのは、全部終わった後にしっぽり語るってのがかっけぇのさ」
「……話の続きは、此処の全員を寝かせた後でいいんだよな」
鋼鉄を抜ききる。
「出来るか?」
十字架の表面、棘の冠を被った頭蓋骨のメイスを抜き取る。
互いに駆け出すその瞬間
「貴方探す方が手間取ったって言っただろ」
「口下手ァ~~~!」
なんてことのないやり取りを残し、二人は幻想体の群れへと駆け込んだ。