先日の富野インタビューの動画の後半を聴く。この対談のなかで、
――記憶の中の女子の思い出が、目に浮かぶその面影は、本当は、何十年も前の当時その少女そのものとは記憶の中ですでに違うものになっているかもしれないのだけど…
のようなことを富野監督がチラッと言いかけるのは、「ひとつで全部」という詩に発表されているエピソードがある。それは25年ほど前。動画の中では、その話は瞬時に吹っ飛んでしまい、記録をストレージするために必要な厖大な電力はムリでしょ!?という笑い話の中に消し去られていた。どっちかというと、そっちも気になる。
エッセイなり過去の著作は押さえておいて『前回ここでこう言ってますね』のように逐一指摘するのは、それこそAIの方が強力なのだろうと思う。要約も上手にするだろう。その動機がAIユーザーにあるかは知らないとして。それとべつに、エッセイの中であれ「詩」という作品の形で一度は発表したものはやはり、御本人の中では未練があるんじゃないんですかとは思いたい。そういうとこにリスナー興味があるわけで。
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