わたしはここまで『兇天使』も『銀河赤道祭』も結構熱心に読んできたが、今度『バベルの薫り』を読み始めると最初からもう陳腐感を覚える。文中にルビが倍増したからだろうか……? 最近では、古川日出男作品も同じようなことを思ったのだったか。
ネオ上海の情景のあたりは意識して失笑を控えるのが悩むような。笑いを禁じる、なども、昨年の課題でいまも懸案だったのをまじめに思い出す。
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わたしはここまで『兇天使』も『銀河赤道祭』も結構熱心に読んできたが、今度『バベルの薫り』を読み始めると最初からもう陳腐感を覚える。文中にルビが倍増したからだろうか……? 最近では、古川日出男作品も同じようなことを思ったのだったか。
ネオ上海の情景のあたりは意識して失笑を控えるのが悩むような。笑いを禁じる、なども、昨年の課題でいまも懸案だったのをまじめに思い出す。
読者によってはそういう惰気が先に入って何を読んでもろくに読めないのだろうというのが、現状、ネット上もどこを見ても思うことだった。和歌なんかやっているのだからわたしはそれが課題だ。
萩尾望都やめるへんめーかーのイラストが大幅に救いになってると考えられるのは、あるな。あらかじめそれで、コミック感かメルヘン感かを暗示しておいてくれる。
朝、目が覚めてから漠然と思い出していてふと気づいたのは、上のことは文章やリアリティがどうと思っていたのではなくて、前作のキノ・グラースと同様わたしは姉川孤悲のようなキャラクターが端から虫が好かないみたいだった。
主人公がそれだと作品世界全体に対してアンチ的な目が向く……。美女で、強くて賢くて何でもできて、権威者にも一歩も退かない、ことに作者の御贔屓のようだからな。キノの場合は、あとから来て自分が主役然としてその場を乗っ取るのがはなはだカチンと来たようだった。
それくらい分かっていればその約束で了解して問題なく読める。わたしは去年、タニス・リー通読と併読するとマキリップのヒロイン達に苛立って仕方なかったものだった。
主人公に都合よく世界が彼女中心に回っているのはいいはず。小説だから当たり前だ。その書かれ方についてで、前回リーのトリビュートではsubversionとかreframeについて触れられていた。わたしはそれが気になっていて、その後も考え続けていた。
野阿梓は、最近わたしの読んでた久美沙織や古川日出男よりも用語はさらに高度だが、物語のロジックはいずれも裏表のない、一本調子だったのではなかろうか……。語彙が問題ではないのか。それは気づいていたように思うけど、この何年かはいつも、読み進めば何でもそこに突き当たるようだ。
リーの話の続き「traditional approach to storytelling」が強みと述べられていて、……ストーリーテリングの手管、手数のこと。