■ ■ ■ ■ ■ ■
ミーナ・フェアリュクトは、まるで何事もなかったかのように歩き出した。
街灯に照らされた路地を、夜風に髪を揺らしながら、まっすぐに。
後ろをついて歩く私はというと、不機嫌そうに口角を下げたまま無言だった。
(はぁ...、なんで自分から来たんだろ。せめて...、せめて予告するべきでしょ...)
何を考えてるのか...。いや、何かを''考えている''のかさえも疑わしい。思考回路が人間と根本的にズレ
ているというか、会話はできるのに、話がまるで通じていない感覚。
(こっちは人間のフリした化け物とか、モロまんまの化け物とか、そういうの慣れてる方ですけど。あ
そこまで善意に見せかけて真顔で狂気を語られると、正直引くっていうか...)
たぶんさっきの''苦手です''ってやつ。
私の人生でもトップレベルに、心からの言葉だったと思う。
けれどミーナはまるで気にする素振りもなかった。
「この先に紹介されたお店があります。落ち着いて話ができるとのことでした」
「へぇ...。どうせ協定のパイプでしょ?国の監視下で食事するとか、変なプレイですね」
「監視下の方が安心できるのは、私はもちろんのこと、おそらくあなたも同じですから」
(私も同じって...)
言葉の意味を理解した瞬間、背筋に冷たいものが走る。
それに手の内を指摘されようと、どこ吹く風。まるで意に介した様子がない。
歩調は落ち着いている。服装も奇抜ではないし、動作ひとつひとつが静かで丁寧。
だからこそ、違和感が際立つ。表面上は''普通''なのに脳が拒絶反応を起こす。
そして──思い出して、また口の中が苦くなる。
(更生施設にいた子の身体を「観測装置」として使ってるって、サラッと言ってたような...。しかも「処
分していただいて構いませんよ」とも)
ほんの冗談みたいな口調で。
("人の役に立ちたい''とか言ってたって話...)
あの話をミーナは善意のつもりで語っていたように思えた。供養のように、誇らしげに。
それがもうどうしようもなく気持ち悪かった。
「どうして、そういう独善的な態度でしかモノを見れないのですか?」
唐突に漏れた言葉だった。本人を前に、というか真横に並んでいる相手に言うには相当無礼な台詞。
けどミーナは少しだけ立ち止まって、こちらを振り返った。
「感謝はしていますよ。ただ、''言葉にして繰り返す''という行為が、必ずしも誠実とは限らないでしょ
う?」
「...は?」
「消費するからには最大限活用すること。それこそが最も確実な''感謝''であり''供養''だと思っていま
す」
なんとなくわかった気がする
この人。いや、この存在に対しては、''共感''という選択肢が最初から消えてる。
(...、やっぱ無理)
■ ■ ■ ■ ■ ■
やがて灯りの差す小さなレストランの前にたどり着いた。
古びた酒場をイメージしたありふれたチェーン店。
瀟洒な造りの木製の扉。掲げられたプレートには品の良い筆記体。
街の喧騒から離れた静かな場所。本来ならデートにでも使いそうな穏やかな店だ。
私はもう一度だけ深くため息を吐き、それから重たい足取りで扉を押し開けた。
カランと、ドアベルの乾いた音が鳴った。
レストランの中は、思っていたよりずっと落ち着いた空間だった。木製のインテリアにオレンジがかっ
た間接照明、ジャズピアノの旋律が流れ、いかにもな感じといった趣だ。
私は一歩遅れて入店し、そそくさとミーナの背後に続いた。店員が案内するテーブル席に無言で着席す
る。
ミーナは変わらず静かに微笑みながら椅子を引き、滑らかな動作で腰を下ろした。
その一連の所作は、洗練されているというより...。訓練された機械のように''無駄''がなかった。
やがて、注文した料理が運ばれてきた。
私はナポリタン。本場イタリーではなくJapanese パスタが発祥らしいが、そんなことは関係ない。チ
ーズとミートソースの匂いに思わず目が細くなる。ピーマンが控えめなのも好感触だ。
一方のミーナは、スープ、サラダ、グリルチキン、ワインのセットを前に、淡々と食事を始める。
まずスープを一口。ごく自然に唇がスプーンに触れる。ごくりと音もなく飲む。
そこまではまぁいい。
問題は次だ。
無言のまま、彼女はナイフを手に取った。
サラダの上に乗った鶏肉の切り身を、流れるような動きで切り分けていく。
切る。フォークで刺す。持ち上げる。
食事というよりは解剖に近かった。ミスもブレもない。けれど、どこか食事の風景としては違和感が残
る。
そして、彼女は鶏肉の一切れを口に運んだ。
小さく口を開け、フォークを咥えゆっくりと引く。まるで絵画のように整った所作だった。
が...、しかし。
咀嚼音がない。
私はピタリとフォークに巻きつけていたナポリタンの手を止めた。
喉が上下するのが見えた。
(...え?)
「...今、噛みませんでしたよね?」
ミーナは一瞬だけ首をかしげると、当然のように答えた。
「ええ。それが何か?」
「何かって...」
なんかもうこっちが間違ってるみたいな言い方だ。
「丸呑みするには結構大きめの塊でしたけど?丸ごといくの危なくないですか?」
「特にそういったことを意識したことはありませんね。この20年ほどの間、ほとんど食事を摂ること
がなかったので、咀嚼の方法自体既に忘れてしまったということも要因として挙げられますが...」
「いや、やめてくださいそういう情報」
私はナポリタンを皿に置いたまま、軽く額を押さえた。
(無理。ほんとうに無理)
生理的嫌悪とか、倫理的問題とか、そういう以前の問題でこの人?の思考回路が理解できない。
「あなた...、やっぱりちょっとおかしいですよ」
口角を下げたまま、私はぼそりと悪態をついた。
「ですが美味しいですよ。エオローネが''最後に食べたい''と選んだ味です。ありがたいことです」
(そういうことを、満面の笑顔で言うのが一番怖いって気づいてほしい)
「私は''理解されたい''とは思っておりません。しかし情報の交換においては、信頼があった方が都合が
良いでしょう」
ミーナ・フェアリュクトはそう言って、ナプキンで口元を拭いながら、まるで軽口でも叩くようにさら
っと続けた。
「少し、自己紹介をしましょうか。私という個体は現在で四代目です」
(...、四代?)
思わず眉が寄ってしまった。どこの家元の話だよと言いたい気分を抑えて口に出す。
「代?」
ミーナはうなずいた。
「ええ。元々は一人の女性科学者でした。時代は...、そうですね。あなた方の歴史書で言えば20世紀
初頭頃。最初の私が生まれたのはその頃でしょうか。それ以降、死を避けるため自らの人格と記憶をデー
タ化し、義体に移植することを繰り返してきました」
は?いや、何言ってんのこの人。いや人?
「不老不死ってやつですか?」
そう返すと、ミーナはわずかに笑った。けどその笑いに温度はなかった。
「どうでしょう。ここにいるのが''私''とは限りません。そもそも過去の自分と今の自分が同一だと、確
証を持って言える人がいるのでしょうか?」
と、言いながら手に取ったグラスをコトンと静かにテーブルに戻す。その音が妙に響いた。
「細胞の代謝速度を考慮すれば、ほとんどの人間は 1 年後には別人です。記憶と連続性それすらも、
いずれは曖昧になる」
──なんなんだコイツ。
生きてるのか、死んでるのか、それとも...。なんかの“データの塊”なのか。いちいち言い回しが回りく
どいというか、哲学じみてて余計怖い。やっぱり思考回路からして人間じゃない。
「人という存在の進化、適応、逸脱。または、人という存在を模倣した、全く別のヒトという、理を外
れた存在...。いわゆる''人外''がどう生まれ、どう生き、どう滅ぶのか...。私はその行く末を、観測し、記
録し、見届けたく思います」
ミーナの目がまるで実験動物を見るようにまっすぐ私を捉えるが、その視線に臆することなく切り返
す。
「自分のことを''観測者''とか言ってますが」
ナポリタンのフォークを止めて、わざとらしく鼻で笑ってみる。
「自分がその''理を外れた存在''じゃないと、なんで言い切れるのですか?」
こうして、少し揺さぶりを入れてみたものの...。
「私は理から逸れてなお、自身の立ち位置を理解しているつもりです。自分が''何者でもなくなった''こ
とも含めて」
(まるで動じた様子がない...)
普通、今の台詞くらいでムッとするとか、感情の揺れといったものが、多少は出るものでしょう。なの
にこいつ温度ゼロ。なんか逆に冷たい。
「あぁ、ですが...」
ミーナがそう続けて、ほんの少し口角を上げた。微笑んでいる...。つもりなのだろうけど、その笑い方は恐ろしい程に冷たく温度がない。
「私に''付き合ってくれる方々''もいます。今も一緒に行動している同僚たちが」
(同僚...?)
こんなイカレマッドに好き好んで付き合うような人間がいるのだろうか?
「その、付き合っている同僚とはどのような?」
「そうですね...。1 人目はぜーべスティアといいます。彼女とはアルゴンの工科大学で出会いました。
入学時は首席。もっとも卒業はしていません。教授を刺殺したので」
私はさすがに一瞬フォークを持つ手が止まった。
「はい?」
「被害者は当時の物理学担当の教授でした。ゼーベスティア本人曰く''感性の違いに我慢できなかった
''とのことです。結果として処理は...。そうですね、国の意向で表沙汰にはなりませんでした」
(サラッと言っていい内容じゃない...。そもそも感性の違いで教授を刺するなよ...)
「それ以降も、日常的に癇癪を起こしては研究員を...。そうですね、1人2人ほど殺害することもあり
ます」
あまりにも落ち着いた口調で語られるその言葉に逆に寒気がした。しかも''あります''って...。
「いや、殺人ってそんなコンビニ行くみたいなノリで許されるものではないでしょう...」
苦笑い気味に突っ込んでみたものの、ミーナの反応は穏やかなものだった。
「彼女の貢献度は非常に高い。制御しようと抑えつけて潰すより、ある程度枠を与えて自由にさせた方
が、総合的には有益です。もちろん度が過ぎた場合には咎めますが」
(なるほど。つまり''人間1人2人くらいなら誤差''ってことか)
やっぱりコイツ、どこかで歯車が外れてる。しかもそのズレたまま、精密機械みたいに正確に回り続け
てる。
「で、そのゼーベスティアという人物とはうまくやれてるんですか?」
気休め程度に聞いたつもりだったが、ミーナは少しだけ目を伏せて、ほんのわずかに間を置いて言っ
た。
「彼女は''私のことだけは否定できない''とそう言っています。ですので、命令は通ります。ある程度は
という言葉がつきますが」
(なるほど。制御じゃなくて、“妥協”か)
「2人目ははプリシナパテス。本名は...。まあ、意味のない話でしょうね。科学を信奉する者です。彼
女は私を''神''として扱います。信仰の対象として」
神?
「神...って。いわゆる''神様''ですか?」
「えぇ。神とは創造の象徴である、と彼女は言います。''万物を科学の法則により解き明かす者''として、
私を崇めているようです。彼女なりの思考の結果です」
(創造というよりコイツの話を聞く限り、総合的に見たら破壊の方が近いだろうに...)
口には出さずとも、喉元まで来た苦笑いが止まらなかった。それ実質...。
「...それ。宗教じゃないですか」
「私もそう思います。ですが、彼女にとって''科学''とは神であり、そして私はその体現者。本人にとっ
ては、極めて論理的な帰結だそうです」
"論理的''。大変便利な言葉だと思う。特にこの手のヤバい奴は、大抵''自分の中では筋が通ってる''と思
っている。だから余計に厄介だ。
「普段は、磁性体を操作する能力を用いて戦闘に従事しています。前衛も後衛も務まる万能型ですが、
特筆すべきは忠誠心です。私の言葉を、躊躇なく現実に変える」
「とどのつまり''信徒''ですね?」
「そう表現しても、誤りではありません」
やっぱり宗教じゃん...。
「さて...。」
やつ...。ミーナ・フェアリュクトはやけに芝居じみた動作でワイングラスの縁をなぞった。
「そろそろあなたのお話をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
補足諸々:
・お出かけミーナさん。
いつも通り?バッチリした変装をして侵入()
・あなたも安心でしょう?
監視の目があるから、無闇矢鱈にミーナさんに拉致される心配がない。
・被検体に対するスタンス
ミーナさんをキャラクターとしてデザインする際に、人間という存在を凝縮したキャラクターとして創作しました。目的のためなら、残虐行為も厭わず、あまつさえ有効的に活用することを供養として免罪符にするのが人間でしょう()
・お手軽オサレチェーン店。
06たそにはナポリタンを食べてもらいます。
・まるのミーナさん
食事自体、あまり取らないので咀嚼方法を忘れ、挙句丸呑みです()
・茶番協議の際に、武装、能力の類を見せて欲しいとの事でしたので、今回、あーねむさんとの茶番で初めてミーナさんの根幹に関わるシステムについて触れました(ミーナさんの状態を分かりやすくイメージするのであれば、ネイキッド・スネーク(初代ミーナ)、ヴェノム・スネーク(それ以降のミーナ)とイメージしていただければ分かりやすいかと)
・ミーナさんの同僚
仲間について何人か紹介して欲しいとの事でしたので、7人居るうちの2人を紹介しました。
ゼーべスティア・グレイヒト:被害妄想が激しすぎて、論文を褒めてきた大学教授を叩き割ったガラス器具で刺殺したロックすぎる女()
プリシナパテス:宗教キライ、科学万歳な科学教信奉者。ミーナは神()
総合的に:協議の段階で、06からのミーナへ対する印象について、「何コイツ、怖。近寄らんとこ」ぐらいにしてほしいとの事だったので、その印象に釣り合うように色々盛り込んでおきました()