かとかの記憶

古典 / 15

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katka_yg 2025/05/23 (金) 18:12:02 修正 >> 14

同じくで『ヴィーナスの神話』(矢島文夫)について触れてそれも再び取り寄せ、併読していたらこの中で「黄金のろば」について言及する箇所に追いついてしまった。先にまず「ろば」を読み終えて進めることにする。

テッサリアの魔法や魔女については古く有名で、といっても「月を引き下ろす」とかいう言い伝えのほか具体的にその所行や、魔境テッサリア(テッサリアの魔境ネタ)というのも今わたしは漠然としたイメージでしかない。ネタ的にはこの「ろば」が古典の大手だろう。
古代当時の伝説は伝説として、そうした魔法のあることないこと噂は、時代が下ればいつしか薄れて途絶え、もちろん現在にそんなものはないのだろうが、そのフェードアウトしていく過程を「いつ」と指すにはどう考えたらいいのやらんとわたしは思ったりする。そうした興味も、元からなくもないようだが。

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    katka_yg 2025/05/24 (土) 11:55:46 修正 >> 15

    この小説中のテッサリアの魔術(魔女)の所行をこまごま列挙しておこうかと思ったがその気にもなれない。最初のほうの、非難する連中を一室に閉じ込めて扉が開かないように魔法で封鎖し、餓えて音を上げるまで監禁してやったとか、家ごとはるか彼方の山上に持ち運んで異郷に放置してやったとかは、なかなか良い魔法の使い方だ。

    今ここの読み返しの続き、『屍鬼』と続けて共通点としては、人の死骸を持ち去って魔法の儀式の材料に使ってしまう、という忌まわしい所行を語られていること。その実態があるのかもしれないし、実際にどうかは知れなくてもそのような噂なら決まって語り草になるだろう。

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    巻の四まで、クピドとプシケの物語の途中。

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    katka_yg 2025/05/29 (木) 13:52:28 修正 >> 15

    プシケが二人の姉に報復することには、そのこと自体の是非については作家は何とも思っていないようだ。プシケはもともと純真で悪意を知らないかのようでいて、やり返すときには報復の仕方は悪辣で容赦ない。「悪意を蒙っても自分から同じ悪意を返すことはしない」のような、洗練された正義観はない。

    ローマ時代の作家がそれくらいのことを思わないとは思わない。この小説の主人公のルキウスがそもそも複雑な性格だ。ここは、老婆が語る昔話の民話調だから物語にもともと葛藤する複雑な人格がない。型通りに、対称形に話をする。そのうえで、ここの前に「フリアエ」がでてくるがそれやエリニュス、ネメシスのような復讐を司る感情が当時(ローマ時代)とも異質ではあるだろう。

    プシケは神クピドに対して犯した過ちの悔いと贖罪のためにさまようが、それ以外の人間レベルの悔いや赦しは関心に昇らない。

    (「ローマ時代」というのはローマ帝政期のことだ、というかアプレイウスのこと)

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    巻の七まで。すでにだいぶ飽き飽きしてきた。

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    katka_yg 2025/06/02 (月) 13:27:26 修正 >> 15

    囚人を裸にして全身に蜜を塗りたくり、野外に置いて虫に(ここでは蟻に)生きながら食わせるという刑罰は、古代の話には時おり出てくる。それに取材した現代の小説にも出てくるだろうから、わたしは前にどこで類似の話を読んだかも憶えていない。

    ネットで検索すればすぐに出てくる、だろうが、ネット上にある記事はまちがいなく「残虐嗜好」以外の興味ではないだろうから(記者も閲覧者も)、取り上げている事柄や筆致にまず大幅なバイアスがかかっている。歴史家がどんな公正を期してかかっても元々が残虐行為なことは当たり前なうえで。そう思えばわたしは軽い気で調べる気がせん。

    それとはほかに、それに似た刑を課して広場に縛られたが、罪は無実なので、神が昆虫や小動物に命じるか、蟻や蜂が察して縄を食いちぎってやり本人は傷一つ付けずに済ましたという話もたしかある。それはむしろ神明裁判のような話の発想だ……。伝説に特定の起源を求めなくても、個々にそういう話を思いつきうる。

    『ろば』のここでは、奴隷を罰するのは奴隷所有者(主人)の勝手で、そこを通過する人々は「無惨なことだ」とは思い、恐れても、その主人の仕方に対してとやこう口を挟んだりしていない。作家も今この文脈でそんな関心はない。不身持な奴隷にそれなりの応報が下ったという話だ。
    たとえ罪人でも、悪人を罰するにもやり方があろうのような感覚は……よほど後代のものか、異邦の旅人が発言することなら古代人が古代社会を観察しても「なんと野蛮な風習だ」と言っていることはある。

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    このろくでなしの聾で唖の馬鹿野郎め。全能にして万物の母にましますシリアの女神さま、聖なるサバディウスにしてベロナ、アッティスと共に母なるキュベレ、アドニスと共に至上のウェヌスにあらせられる女神さま、どうかこの競売人の目を抉りとって下され。こいつときたら、……

    こういうところが現代の引用者には大変美味しい、目を引くところなんだろうが、作者は修辞家で小説家だから登場人物もこう立て板に水でまくし立てるものの、この中のキュベレとかアッティスの意味は「てやんでえ」「べらんめえ」程度の意味しかない。

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    katka_yg 2025/06/04 (水) 14:49:11 修正 >> 15

    九。この寝取られ男の話は、亭主はそれでも当初より余計な金額を貰っているのだし、本人は儲けたつもりで良い気分でいるのを笑いものにはされても、痛烈にしてやられたほどでもない。密通のほうが急場をどうにか言い抜けたのと、男女とも懲りもしない性根の悪さを暴露しただけのようか……。

    小説の挿話にしても切れの悪さは、むしろ世間並みの笑話としてリアルなのかもしれないな。その場の、女の口振りを真似て面白がるんだろう。

    また直後の話でもそうだが、密夫が取り持ちの奴隷や女の心を買収するのに多額の賄賂を使う、その出費について密夫はとくに気にしたり苦にしたりしないみたいだな。
    堅塁奪取に金に糸目はつけないか……色男にしては、後でその場しのぎの機転と、なにか前後の振る舞いが合わないような感じだ。ここの押す点は、大胆不敵さ。やり口が大雑把に見えるけど、しゃあしゃあと言い抜ける開き直る。

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    『黄金のろば』読了。今読まれる興味のなかには最終章の、イシス女神の諸々の異名や一連の密儀の次第などはあるのだろうがそれはまた別に任せるとして、わたしは伝奇小説の古典として。魔術の興味は途中で薄れたが、やはり、面白い。

    今日読んだ中では先ほど、九巻の、寝取られ男の話が意外に面白かった。意外にというのは、わたしはもともとその種の笑話艶話にそれほど積極的な興味が湧かないからだが、その、寝取られ男のおおむね同趣向の類話を続けて三話語ってみせるなど小説家としてなかなか面白い仕方ではないか。

    読み終えたので、上に戻って矢島文夫『ヴィーナスの神話』を続き。この本は概説というか入門書的なもので美術叢書中のそのテーマを紹介するものだが、もとその専門ではないわたしには、興味の発端としてとても役に立った。関連書名を挙げるのはまたその項でしよう。