『王の心』がブレンパワードに近いというのは、シーマ・シーマから一連の「浮上する世界」という、だいたい背景舞台世界のことで、オルファンが海底から徐々に、徐々に浮上して海上に全貌を現してくる上昇イメージはよく踏襲していると思う。でも、「愛の輪郭」を聴くとやはり歌詞がブレンすぎる。オフヴォーカルでも良い曲だけど……。
ブレンパワードのサントラ全般はやたら映画っぽいというか、ノヴィス・ノアは海軍艦じゃないがバグパイプでは今ないな。("Departure"のこと)
歌詞をいえば、∀での「月の繭」の歌詞に直接繋がるようなワードが『王の心』このあとの巻に出てくる。それを言っている。それだけでも『王の心』が今後読み返されていいくらい大事なところ。ただ∀のサントラ全般も∀の音楽にしか今は聴こえないものだろう。
菅野よう子音楽については、絶大な人気なので評論は数多あると思う。わたしはその関心ではない。今わたしの関心では、根はポップスの作家で自己主張が強く、菅野楽曲になじむと、いずれ何を聴いても「ニャッ」というあの、どんな時にも例のユーモア、何ともいえず可愛らしさが聴こえてくる。……
映像の場面と音楽が一見ちぐはぐでも強烈な印象でアピールするくらいで、「本編をMVにするアニメ」の一ジャンルを築いた偉業はあるが、サウンドトラックでは、作品の求める一定の劇的動機を提示するみたいな劇伴音楽のドラマツルギー論からは常に収まらない。こういう話は今はトピック違いなのであまりすまい。わたしは菅野も富野もファンだ。
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浮上する音楽
サウンドトラックでない菅野よう子オリジナルアルバム「Song to fly」かな。飛ぶための音楽と称しているから浮上力、フロート・エナジィだ。もともとゲーム音楽のためらしいが、これはあり。
上で触れたのは野菜畑の話なので、「アルジュナ」もかな。アルジュナって、映像は綺麗なんだけど話の内容がクサすぎる、流石インド人監督と揶揄られるアニメだったけど、主役のバカップルがエイサップとリュクスみたいと思えばわりと逆に富野的だったかもしれない。今夜もう遅い時間になったので、Song to flyを聴こう。ABC Mouse Paradeは久しぶりに聴く。