「人種」よりは、まず「消えゆく民族」の話題から思い出したほうがいいのか。
「なぜヒルフ研究者が自らをオープン・コロニーに縛りつけるのかわたしにはわからんよ。あんたが調査している相手は、鋤きかえされて土の下に埋められて、いずれは絶滅させられてしまうんだ。それはやむをえんことさ。それが人間の本性というもので、変えられるものじゃないだろう。なぜそのプロセスを眺めているのかね? マゾヒズムか?」
「〈人間の本性〉というものが、よくわからない。われわれが、絶滅させてしまうものについて記録を残しておくのも人間の本性のひとつかもしれない。生態学者の人生はもっと楽しいのかね?」
こんなやり取りは1972年当時に読者にはお馴染みのものじゃないのか。それとも、SFというジャンルで登場するのは目新しかったのかな。荒唐無稽で低俗なサブカルだったSFでもいまや民族や社会の話をするようになった! のような。
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わたしはこういう作品の、以前の記憶をたどって連想しているのは『エンダーのゲーム』の続篇の二部……『死者の代弁者』(1986)だった、まで今思い出した。似たシチュ、と言い出せば後に幾らでも増えるだろう。オーソン・スコット・カードの読んだ記憶も今は詳しくたぐれなくなっていてメモしておくまで。