かとかの記憶

∀ガンダム / 74

74

佐藤版4巻読了。福井版も、だいたいアグリッパとの邂逅のくだりまで併読。

佐藤版のほうが、作中の出来事はおおむねTVアニメに近い順序で追っていくがアニメそのものではない。佐藤版で短く省略されたザックトレーガーでの事件は、福井版では大幅に増量してアニメの展開とも異なる方向へ舵を切る。

福井晴敏の文体は福井氏独自のものだが、このあたりの文章表現は富野由悠季の小説の表現を仄めかしているし、ガンダムシリーズより『イデオン』を意識しているのは読み取れるだろう。核や化学兵器や、嬉々として「根絶やし」を書き込む福井文のことを悪趣味と感じる富野読者の気分はわたしはわかるが、今とくにそのアンチなわけでもない。

併読だと、佐藤文のほうが女子の裸体や恋愛に終始しているラブコメ調に感じる……のはやむないとして、佐藤版はこちらもこちらでムーンレィスの歴史教育(国史)のような胡散臭い話題も取り上げ始めた。

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    katka_yg 2026/08/09 (日) 12:09:15 修正 >> 74

    福井版のターンXのサイコミュ(ダイレクト・インターフェイス)のことから、ターンAについても、この小説中では独自の意思があるとする方向で書かれている。「∀に意思(意識)があるか」という話は去年、映画や富野エッセイ・小説等範囲から広く掘ってみて面白い収穫があった。その話は現代でも尽きない。

    福井小説では、「∀の心」はあるかないかを早々に「ある」と決めたぶん、では∀は何を考えているのか?は「歴史の巻き戻し」として単純なテーマになっているのかもしれない。当の∀は∀で狼狽したり、ロラン少年の身を案じてやきもきしているような老ガンダムの心情までは興味になっていないだろうか。