純粋に戦いを楽しむコモン
「39 海の壁」(旧)
「24 靴の翼、海へ」(新)つづき
軍に憲兵組織を作りそれをアンマが引き受けるという話をする中で、味方を監視するのは「ガロウ・ランみたいだ」とメルバルは感想をもらす。バイストン・ウェルの騎士はもともと干渉を嫌うし、軍人でない駐屯地付近の民間人にまで監視するというのは不気味に思えるらしい。
このガロウ・ラン観は旧版・完全版ともに書いてある。迫水(旧)によると、
「バイストン・ウェルの軍に憲兵組織のようなものがないのは、不思議だと思っていた。が、バイストン・ウェルが、ただ率直に生き死にを楽しむ人々の世界ならば分らんでもない」
「そうですか? 地上世界は、ガロウ・ランの巣窟ですか?」
「かも知れんな……少なくとも率直だけでは生きられない。二枚舌の世界だよ」
たんに気分的に姑息だ、というのとは違うようだ。戦いの場で生き死にすることも魂の楽しみ方だからか? 完全版では、
「なんでこんなにゴチャゴチャになっちゃったんでしょう」
「世界がほころびてきたからだって、サコミズはいっている」
「世界が? ほころび……?」
やっぱりメルバルにはわからない。北欧神話でいうヴァルハラみたいな無心で気ままに戦いのかぎりを尽くすことがコモンの戦争に対する考え方らしかったのだが、そんな在り方ができなくなってきている。
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この場合、「純粋に戦いを楽しむ者たち」というのは古き良き騎士の時代、という意味合いになる。牧歌的な戦争ともいうか。ギンガナムのような戦闘意識とごっちゃにしてもいいが、戦士として戦いを楽しむことの良い・悪いを離れて考えるには訓練が要る。
コモンの魂の在りようについては、この『リーンの翼』の序文にもある。地上界でいう出世や栄達の道とか、人間関係のしがらみや、またその中で堕落することも含めて「人の道の真似事を演じてみせること」を好むのがコモン。なので、利害にうるさくてせせこましいことはやめないが、そうしたものが人の世の習慣だと思いこんでいる者たち。ガロウ・ランは全くそうではない。
魂は、魂の遊び場であるというバイストン・ウェルでなにも政治や、商売や、愛憎の振る舞いを真似してやらなくてもいいはずなのだが、それをやらないと気が済まないような魂にプリセットされた在り方、この世界に生まれついたときにすでに持って生まれた宿業ともいうのか、その振る舞いを魂のマスカレイドともいう。