90年代のゲーム小説では『ドラゴンライダー』を名作として挙げたいが、今それが本題ではないので早く飛ばす。「モンスターメーカー」シリーズのために「世界観を提示するための小説」として書き始められたという。
「世界観」という語については後で触れる。本作にはトールキンやマキャフリイのオマージュは置いておいて、独自には、歴史学あるいは歴史観をファンタジー作中に導入していること、その史観にしてもオークという種族の多産と貧困という経済問題に目をつけ、「なぜ戦争がくり返すか」に切り込んでいく。ただし、それはこの世界を説明するための外枠であって、核としての物語は、
- 女の子の自立の話であること
- テレパシーと愛の話なこと
- 神々の時代の終末期であること
を語る。見事だと思う。
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マジック・マスター
どっちかというと鈴木銀一郎著の後続シリーズ「マジック・マスター」の小説二部『赤い髪の魔女』『闇の騎士団』について今記す。「モンスターメーカー」の時代設定は「神話の時代の終わり」に置かれ、こちらはそれより数百年ほど下ってみえる。
「マジック・マスター」の世界は英雄の時代、この頃にはもう人間の世界に神々の直接関与や、魔法も炎や稲妻が飛び交うものではなくなっている。だが、この時代に姿を消した神々の存在は、人智を超えた運命としてやはり人間を支配している。その下で人々は戦う。
ケルトの英雄物語やシェイクスピアに着想しているからライトノベルだがハイな雰囲気に近い。運命の皮肉を語る話はダークファンタジーだが文体はライトでユーモラスという面白さ。それで、こうした経済史や都市の勃興などは今のトピックであるタニス・リーに書けない類の小説だろうと思う。『マジック・マスター』二部とパラディスの比較はちょうど同年代に対照的なファンタジーの方向にも見え、少々こじつけめいているが日本国内作品にこんな例もあった。