海外旅行で地平線を見渡しても一人だけになった瞬間は、よく覚えている。恐らく、日本の混雑した都市では、外出しているときになかなかあり得ないからであろう。
昔、アンダルシアの一本道を友人の車を借りて一人で運転した時、そんな瞬間があったのでよく覚えている。その時、別のスペインの友人に、警察から電話があったので、私が事故を起こしたのではないかと、大いに心配してくれたことがあった。警察からの電話は、間違いがイタズラのどちらかであったのだが。
ニュージーランドで、レンタカーを借りて、走ったときにも、地平線で一人だけになったことは、しばしばあった。
あと覚えているのは、Little White House と言うのが、ジョージア州にあるのだが、これは、フランクリン・ルーズベルト大統領が、第二次世界大戦中、療養もかねて、温泉中の施設で執務を行っていた場所だが、現在は、一般に公開されている。そこに行った時に、連れて行ってくれたアメリカ人2人と合わせて3人だけになった。広大な敷地のなかで、3人だけの観光客だったので、記憶に残っている。
そうそう、メキシコのどこかの街で歩いていたら、変な住宅街に迷い込んでしまったのだが、そこに誰もいなくて不安になったこともあった。不安と言うより怖かったのは、ニューヨークの地下鉄で、ホームの端に向って歩いていたら、自分一人だけになったことがあった。小さな駅で、シーンと静まり返り、ここにナイフや銃を持ったギャングやチンピラが来たらと焦ったのを覚えている。人影の少ない駅だったので、下手にホームの中央に歩くよりも、ジッとしていようと思ったのだが、次の地下鉄が来るまでの時間の長かったこと。
これはアリゾナの写真家の撮った写真。著作権があるのかもしれないが、この掲示板に載せるくらいなら大丈夫だろう。
アリゾナをドライブしたことはないが、アメリカの田舎に行くと、こんな感じの景色に出くわすことが多い。フロリダの幹線道路でも、観光地を抜けると、何マイルも対向車に会わないこともある。
こういう景色に日常から接する機会がある地域に住んでいる人間と、毎日、満員電車や駅の雑踏を忍者のように、他人とぶつかるのを避けながら生きていくのでは、自ずから発想が変わってくると思う。
日本人はマナーがいいと言う外国人もいるが、見方を変えれば、混雑する狭い空間を忍びながら大勢でやり繰りしているだけなのかもしれない。
インバウンドの外国人観光客が迷惑だと言うのも、日本人の習慣に慣れていないと言うだけかもしれないが、それでも、これだけ外国人観光客が増えると、何らかの対策は必要であろう。
リーグ優勝の話だが、広岡達朗氏が、早くから(確かシーズン前だった気がする)セ・リーグは阪神、パ・リーグは、ソフトバンクと予想していた。理由は、実力が抜きんでているから。パ・リーグにいたっては、優勝はソフトバンクだが、2位以下は、どこがどうなるか予想がつかないとの予想だった。昨日、日ハムが楽天に負けて、ソフトバンクの優勝の確率が高くなってきた。
しかし、阪神とソフトバンクでは、なんとなく日本シリーズがつまらない。やはり、日本シリーズの前にCSがあったほうがいいと思う。広岡氏は、リーグ優勝の価値を下げるとかおっしゃっているが。
CSがあるので、現在のセリーグの試合も観る気になるし、だいたい、CSを勝ち抜けないようなリーグ優勝チームは、日本シリーズに出る資格がないと思っている。落合氏が監督時代に、2位から日本シリーズ出場を果たしたことがあったら、CSと言う制度があるのだから、2位になって、CSで勝ち抜く方針だったと述べたことがある。
ブッチギリで優勝したら、CSにハンディをつけた方がいいとか、勝率5割以下だとCS出場資格がないとか色んな意見もあるが、現在の制度でいいんじゃないの
前にも書いたが、ジョージアのATMはカードを飲み込んでしまって帰ってこないことがあるので、すぐにカードの停止手続きをとったり、予備のカードを必ず旅行の時には持ち歩くように、とのブログの書き込みがあった。そこまで行かなくても、キャッシングで10%は暴利だな。
海外旅行で地平線を見渡しても一人だけになった瞬間は、よく覚えている。恐らく、日本の混雑した都市では、外出しているときになかなかあり得ないからであろう。
昔、アンダルシアの一本道を友人の車を借りて一人で運転した時、そんな瞬間があったのでよく覚えている。その時、別のスペインの友人に、警察から電話があったので、私が事故を起こしたのではないかと、大いに心配してくれたことがあった。警察からの電話は、間違いがイタズラのどちらかであったのだが。
ニュージーランドで、レンタカーを借りて、走ったときにも、地平線で一人だけになったことは、しばしばあった。
あと覚えているのは、Little White House と言うのが、ジョージア州にあるのだが、これは、フランクリン・ルーズベルト大統領が、第二次世界大戦中、療養もかねて、温泉中の施設で執務を行っていた場所だが、現在は、一般に公開されている。そこに行った時に、連れて行ってくれたアメリカ人2人と合わせて3人だけになった。広大な敷地のなかで、3人だけの観光客だったので、記憶に残っている。
そうそう、メキシコのどこかの街で歩いていたら、変な住宅街に迷い込んでしまったのだが、そこに誰もいなくて不安になったこともあった。不安と言うより怖かったのは、ニューヨークの地下鉄で、ホームの端に向って歩いていたら、自分一人だけになったことがあった。小さな駅で、シーンと静まり返り、ここにナイフや銃を持ったギャングやチンピラが来たらと焦ったのを覚えている。人影の少ない駅だったので、下手にホームの中央に歩くよりも、ジッとしていようと思ったのだが、次の地下鉄が来るまでの時間の長かったこと。
この辺りは知っていれば応用が利くという話で、必須という訳ではない。
旅行ブームになりつつあるウズベキスタンの観光地でさえ8月後半にもなるとホテルはがらがらで、以前のように行き当たりばったりでも泊まれると思う。価格面で事前予約が有利のようだが。
日本の道路事情や日本語標識の問題から、外国人観光客が日本でレンタカーを借りるのは無謀に近い行為だと思う。借りるとしたら必然的にリピーター観光客及び中国人になるだろうが。以前ブルガリアをレンタカー旅行した日本人が標識がキリル文字で読めないと不満を漏らしていたが、キリル文字の地名くらいは読めるようにしておかないと。
そういう醍醐味もあり、再訪したくなる。
そうそう一つ思い出した。トルコのATMでDEBITカードからキャッシングすると手数料を10%取られる。キャッシングする前にGoogle mapでHSBCかHALK BANKのATMを探してそこですれば手数料は2%程度で済む。
>> 9574
こういうところが、昔の一人旅と異なるところだ。VPN接続だとか、WEBインターフェースとか、切替をどうするのか、事前に入念に調べておかないと、普段、スイッチを入れれば接続される環境に慣れてしまっていると私には難しい。
アメリカの話だが、宿をとるにしても、昔は、とにかく電話したり、いきなり車でモーテルの前に乗りつけて空き部屋を探したものだが、現在では、事前にスマホで価格を確認するのであろう。アメリカの場合は、日本のスマホがそのまま街中でも大抵の場合、接続されるし、通話もインターネットも日本国内同士でかけるのと変わらないので、何の苦労もない。ブロードウェイの
アメリカでは、大抵、友人の家に居候するのだが、まず初めに、その家のWIFIのパスワードを聞いて、それを入力すれば使い放題だ。
シチリア島に行った時にホテルのフロント横にあるパソコンを使ったことがあるのと、メキシコやニュージーランドを旅した時に、ネットカフェがあり利用したのを覚えている。昔の話だが、バリのHiltonのビジネスルームのパソコンは、インターネット接続が遅かった。
これらは、海外旅行初級者でも対応できること。
いきなり、砂漠の真ん中でネット接続しないと、その日に泊まる場所すらない、という状況に遭遇したことはない。
話は変わるが、さっき、日本の観光地でレンタカーを運転する外国人観光客が一時停止の標識を無視したことによる交通事故が多いというのをテレビで放送していた。これは、日本の交通標識は、多くの場合、すぐ近くまで、民家等の建物が無秩序に迫っている箇所に設置されていて分かりづらいと言うのがあると思う。アメリカの住宅地を車で走ると分かるが、一時停止の標識が、とにかく大きく、そして、周りに何もないところに設置されているので目立つ。
これは、他の先進国でも同様だと思う。
家があっても、家同士が離れていたり、道路の左右に何もない空間と言うのが、日本で普通に生活していると、あまり出くわさない。一方、国土の広いアメリカは勿論、スペインや、日本と同じくらいの面積のニュージーランドでも、殆ど車がすれ違わない一本道と言うのは、よく目にする。
いつも旅行すると思うのだが、こういう空間にいると、発想が変わる気がする。なにか、日本にいるときより、壮大なことを考え、せせこましい考えを捨てなければ、と思わされるのである。シルクロードの旅などは、観光名所や多種多様な文化を体験するのも素晴らしいと思うが、こう言った空間に出くわすこと自体に価値があると思うことがある。
きっと砂漠の真ん中の一本道で、見渡す限り、自分だけという瞬間もしばしばあったと思う。ウズベキスタンを旅行する個人旅行者たちは、何を思うのであろうか、ブログにでも出ていたら、読んでみたい。
権威主義的な点について。
タジクの首都Dushanbe駅で鉄道の写真を撮るなと言われた事を紹介したが、タジクではGoogleアプリが使用できずVPN接続を要した。
ウズベキスタンからOutlookでメールを送ったら届いたり届かなかったりしてVPN接続でも解決できず、WEBインタフェースを使用せざるを得なかった。
トルコでBooking.comが使えないと聞いていたが、参照する事はできた。
ジョージアでは特にそういう問題なく、首都Tbilisiではノマドワーカー用コワーキングスペースも機能していた。
ウズベキスタンでは日本人の個人旅行者をごろごろ見かけた。携帯のタクシーアプリと鉄道予約サイトの使い方及び国内線の航空券予約ができれば移動するのに問題はない。ジョージアやトルコも同様で共に中級者レベルだと思う。タジキスタンはそういうサービスがなく、乗り合いタクシー運転手との価格交渉があると言う点で上級者向けかもしれない。治安についてはたまたまかもしれないが何も問題なし。衛生状態はたまに汚いところや埃っぽいところがあった。2年連続して旅行後にコロナになったので、今回はアルコール除菌ティッシュを大量に持ち込んだがだいぶ余った。
無事でなにより。写真を撮っているときにスパイ容疑をかけられ拘留されたのか、若しくは、スマホでも盗まれたのではないかと思った。最近、話題のスパイ防止法は、スパイ活動を防止するだけではなく、海外でスパイ容疑をかけられ拘束されている日本人と、日本で逮捕したスパイを交換して解放するのにも役に立つらしいので、そんなことも考えていた。
シルクロードと言うのは、壮大な旅程だと思う。太古の文化と文化の交流箇所に行くのは、興味を惹かれる。一方で、権威主義的だったり、治安や衛生状態が必ずしも良くない地域が多いので、上級者向けだと思う
ポランコにホールドのルールを教えておいた。

今週の火曜日に帰国した。シルクロード旅は楽しかった。肉料理三昧で飽きるかと思いきや、最後はスーパーラグマン(この店では具が別皿になっているのをそう名付けていた)で〆た。今回アルメニア、イラン、トルクメニスタンを割愛したので、また来年にでも行きたい。

すでに海外生活が1か月を超えているようだが、体調はいかがかな。
投稿がないところを見ると、SNSが使えない国か、若しくはトラブルがあったのか。
無事に帰国したら教えてください。
>> 9566
アラル海の縮小や自然破壊を見事なまでに示すモニュメントになっている。ひどい状況なんだろう。
なるほど。
木陰のオープンレストランと言う発想は、日本にはあまりなかったのではないかと思うことがある。それともしらないだけであろうか。
1980年代、春先のNew York ローワーManhattanで、通りにテーブルを出しているのには少し驚いた記憶がある。その後、パリに飛んだら、マクドナルドまでもそんな感じで、しかも、席の場所により、値段が異なって二度ビックリしたのを覚えている。
数年後、さらに埃っぽいローマで広場ではなく、大きな通り沿いにも拘わらず、同様のレストランがあったのを覚えている。
その後、日本でも通りにテーブルを出す形式が増えたような気がする。
時代劇を見ていると茶屋がテーブルを通り沿いに出して、登場人物が団子を食しているのを見かけるが、こういった茶屋の文化は、日本では一度、ほぼ絶滅したと思う。代わりに出てきたのが、喫茶店やインドアのレストランだと思う。
広場がなく、狭い通りで歩道の整備もままならず、無理矢理、商業ビルが道路沿いに詰め込まれる形式の日本では、
テーブルを屋外に出すと言うのが流行る余地もなかったのではないであろうか。
第一、車寄せのあるレストランと言うのは、都内ではほとんど見かけない。数年前、品川で一つあったくらいだろうか。
表参道にもあったが、数年前に廃業になってしまった。
日本では、海の家でさえ、テーブルは、建物内に閉じ込めている。
だから、こういう木陰でリラックスするという風習を海外で見かけると、海外旅行をしていると言う気分になる。
数年前、アメリカから2人、友達が来た時、外の木陰にテーブルを運んで食事を楽しもうと言って、家具を外に出したのを覚えている。私の発送の中には、木陰の下で食事をしながらリラックスすると言う発想がすぐには、出てこなかったので、イマジネーションが異なると思った。
ところで、UBERのような配車アプリは、こういった発展途上国で役に立つのであろう。
メキシコシティでは、観光客用のタクシーは、車種から車体の色まで、地元の人が利用するものと異なっていた。タクシーにからむ犯罪が多いからであろうが、そのような国でも配車アプリは、役に立つと思う。
一方、日本では、二種免許の制度が整備されていると言うことを考えると、交通サービスの質を落とすだけで、そぐわないと思う。
Moynaqに行った。


この写真を撮った時は昼間だったので、客は木陰の席にちらほらという感じだったと思う。
乾燥しているせいか蚊は全くいない。今回念のため香取線香を持って来たが、ほとんど使用していない。
旅行フォーラムを読んでいてもヨーロッパから自家用車乗り込みの話題はあるが、この辺りをレンタカーで旅行しようと言う人はまずいない。理由は乗り合い含めタクシー代が安いから。タジクは首都ドシャンベ以外白タクが主流。ジョージアやウズベクはYandex goというタクシーアプリが流通し、極めて便利になった。
>> 9563
アジア風の背景が素敵だが、なぜか目の前の座席だけ空席だらけなのは何故?
敷地内に林みたいな部分があり、大きなプールと随分と贅沢な土地の使い方だ。
やぶ蚊に刺されたりしない?
あとレンタカーの料金は、行き先で決まるの?日本だと、時間でいくらと言う意識だが。
乾季なのでOpel普通車のセダンにてPanjakentから7 lakes往復で75USD。PanjakentからSamarkandは片道10USD程度。SamarkandからPanjakentへ行き遺跡を見学してホテルに一泊後、7 lakesを往復してSamarkandに戻っても計150USD+飲食代で済むだろう。
Bukharaの中心Lyabi Hauzと麺料理のラグマン


ググったら次の通り見つかった。
南スペインでは、イスラムの影響が色濃く、イスラム時代のそのままの建築も残っているが、青色を特別意識することはなかった。本家イスラムから言わせると、似非イスラム様式なのかもしれない。
イラクは、オスマン帝国や英国の支配を昔から受けて来た。アフガニスタンは、インドやモンゴル帝国等の支配の期間が長かったようだ。それでも、帝国主義の時代に、交通の要衝に位置しながら、欧米の国の支配をなんとか逃れて来たのは、山岳地帯が原因なのかと思っている。イギリスとアフガンの戦いのことはよく知らないので、機会があったら、調べて比較してみたいと思う。
早速、7 Lakesを調べてみたら、次のような紀行記が見つかった。こう言う土地を尋ねて行くのは、とても興味深く、調べるだけでワクワクしてくる。
車に乗ったようだが、4WDを借りたの?
イスラム教において青は「神の恩寵」や「天国の象徴」として特別な意味を持っている。UzbekistanやIranでは青いタイルで装飾された宗教建築物が多い。
アフガン戦争でソ連軍は西側に支援された反体制派による山岳地帯のゲリラ戦で苦労したのでは。比較するとしたら多国籍軍によるイラク侵攻だろうが、イラクは山がちでないのと、国民からの支持が低下していたフセインの独裁政権が相手という違いがあった。
Tajikisitanで物乞いは多かった。一方7 Lakesへ行く途中人々が川で洗濯をしていたり、山道を下っていた少女と幼児を車に同乗させてあげようとしても乗ろうとしないなど、世俗化されていない一面が見られた。なおUzbekistanで物乞いはほぼ見かけない。
タジキスタンのソグディアナ地方(と言うらしい)は、古代から交通の要所で、紀元前にはアケメネス朝ペルシャ、マケドニア王国のアレクサンドロス大王、8世紀にはアラビアに征服された後、廃墟となった街が、現在、遺跡として残っているらしい。
載せてもらったモスクの写真を見ると、乾燥した地域で水辺を彷彿とさせるような色合いのライトアップだが、水が貴重な乾燥した地域ならではなのかな、とか想像する。
この地域を超えて、1978年にソ連軍がアフガンに入ったのであろうが、タジキスタンまでは、ソ連の勢力圏とできても、アフガニスタンは、何か違うのであろう。
英国も、ソ連も、そしてアメリカも、勢力圏としようとして大失敗している。古くはアレキサンダー大王も反乱軍に手を焼いたとある。イスラムの勢力圏となる何かがあるのであろう。
ところで、タジキスタンって物乞いが多いの?
なるほど。フェリーに乗るとしたら、カスピ海をフェリーで渡る事にチャレンジするのが主要目的の旅になるのかもしれない。色々、調べているうちに、このフェリーに乗るためだけに、この地域に行ってみたいと思った。
アゼルバイジャンからジョージアには陸路で入国できるようだ。
ネット上の紀行文を読んでいたのだが、ジョージアにはカードを呑み込んでしまうATMがあるらしい。
ほとんど考えなかった。何故かというとAzerbaijanが陸路からの入国禁止をパンデミック終了以降も意味不明に延長し続けており、入国のためTbilisiからBakuに飛ぶ必要があった。その先更に不定期な運行のフェリーに乗りトルクメやカザフに行くよりTbilisiからTashkentに飛ぶ方が今回の旅程には便利だった。
グーグルマップ航空写真の色合いで確認できるが、トルコの中部辺りからモンゴルに至る迄の所謂シルクロード一帯の山や丘はだいたいこんな感じ。放牧と冬季以外は乾燥しているためだろう。
パンジャケント南部の7 lakesという欧米人に人気の山間部の湖沼を観光後Uzbekisitanに戻り、Samarkandに滞在中。


>> 9554
ラフモン大統領について調べてみた。
1994年から大統領職にあるようなので、なかなかのやり手なんだろう。
平成19年には来日し、日本から無償援助を引き出している。
今だったら、日本人ファーストと言うことで、批判を浴びるであろうが。
街並みの写真だが、丘の上に樹木が何もないのが気になる。これは、放牧の為、古くから樹木を伐採してきた結果か、それとも乾燥しているからなのか。
>> 9554
なるほど。陸路の予定は分かったが、カスピ海を渡るフェリーは、考えなかったのですか?
インターネットで調べてみると、定期的に運行するわけではないし。港が都市部と離れていて、かなり難易度が高い移動手段であるようだが。
元々はジョージアからアルメニア、イラン、トルクメニスタンを経てウズベキスタン迄全て陸路の予定だった。
タジキスタンは一応ラフモン大統領の独裁体制となっていて、彼がDushanbeのビルに電光表示される写真をアップする。日本人は2022年からビザ無で入国できるようになったが、旅行フォーラムには英国人等がEビザ取得に苦労している様子が書きこまれており、旅行難易度は低くない国である事がわかる。駅で駅員に電車の写真を撮っていいかと聞いたら、駄目と言われた。2枚目の写真は世界遺産Panjakent遺跡から見たPanjakentの街並み。


タシケントからドゥシャンベを調べてみた。472キロで飛行機で40分とあるから、ちょうど東京・大阪間くらいだ。
ジョージアからウズベキスタンは直線距離だとイラン上空にかからないが、イラン情勢が平穏であれば、イラン経由で行く予定だったのでしょうか。
タジキスタンは、旧ソ連邦時代に最も貧しい国の一つとされていたようだ。
とあるので、これから発展の余地があるのであろう。写真で、ボロボロの裏道に立派なBMW(?)が停まっているのが、いかにもインフラの整備が進む前に、一部のビジネスが発展し出したと言う感じがする。
イラン情勢によりルート変更を強いられ、TbilisiからUzbekistanのTashkent迄飛行機で移動した。


現在Tajikistanの首都Dushanbeに来ている。表通りは再開発ラッシュで整然としているが、一歩裏に入った場合の落差が激しい。
トルコからジョージアは陸続きだが、ジョージアからタジキスタンは、飛行機だろう。

タジキスタンも数年前、第二次世界大戦後の抑留死亡者の調査を始めたらしいが、あまりニュースになっていない。
現在、シベリア抑留開始から80年で色々と関連のニュースがあるのだが。
近くのカザフスタンには、ロシアの租借地となっている箇所に宇宙基地があるらしいが、見学可能ではないだろう。
近くで写真を撮れば、すぐに逮捕されそうな気がする。
以前、核エネルギーの専門家の教授が言っていたが、中国や北朝鮮の核実験があるため、香港の水の方が、福島の水よりもよっぽど危険だと言っていたが、カザフスタンで核実験を行っていたのであれば、キルギス、ウズベキスタン、タジキスタン、そしてアラル海も、それなりの放射能汚染はあるのかもしれない。
ところで、ウクライナでのブチャの虐殺は、ブリヤート共和国出身の兵士が中心だったらしい。なにしろ、モスクワ付近に比べて、10分の一の給料らしく、貧しさ略奪の要因らしい。
ジョージアの近くには、カルムイク共和国があるが、ここの人達はウクライナでの無意味な戦争反対する旨、主張したり
2023年第7回「ロシア後の自由な民族フォーラム」を東京で開催した。この人たちによると、ロシアは41くらいに分離独立するべきと主張している。この時のポスターには、なぜか坂本龍馬が使われているのと、ロシアの領土には、南樺太も千島列島も含まれていないのが特徴的である。
ついでに言うと、カザフスタンの北、ロシア連邦内のバシコルトスタン共和国でもバシキール人がバシキール語を喋ろうと言う運動でデモが起きている。ここでもウクライナ戦争に駆り出された戦死者が出ている。

アフガン戦争は、8年間で1万5千人の戦死者だったそうだが、ウクライナ戦争では少なく見積もって7万人、多く見積もると30万人の戦死者が出ていると言う。アフガン戦争では、アフガニスタンで兵士が麻薬を覚えて帰還しソ連崩壊のキッカケの一つになったと思われるが、ウクライナではどうなのであろう。
Googleマップを見ると確認できるが、シルダリヤ川はアラル海北部に現在も達している。カザフスタン政府はシルダリヤ川の河口付近にダムを建設して、アラル海の北部を小アラル海として復活させようとした。小アラル海の水域は以前はもっとあり一部で漁業が復活する程だったのだが、シルダリヤ川の流入量がその後減っているせいかかなり縮小してしまった。
一方アラル海南部に流入していたアムダリヤ川は流域周辺ウズベキスタンやトルクメニスタンの綿花畑を潤すための灌漑用水に利用され過ぎたため、モイナク付近でかなり以前から枯れ川になっている。これがアラル海域縮小の主要因で、魚介類の絶滅に加え塩害という世界最大級の自然災害をもたらしている。
>> 9548
ホジェンドとアラル海について調べてみた。
アジアで最も古い都市の一つと言われているらしいが、日本だと弥生時代か。日本の建国は、紀元前660年2月11日とされているが、その頃の記録は、この地域ほど残っていないのではないであろうか。
歴史は古いが、色々な民族や王朝、そして、最近では、ソ連やロシアの支配を受け、国家の統一性が長く続いていない。都市名も、レニナバードだけではなく、ドシャンベがスターリナバードになったりと、支配国の色が強く出ていた時期があるみたいだ。
シルダリヤ川の写真を見ると、河辺の洪水対策がしっかりなされていないように見えるが、調べてみると
1960年代以降、ソ連による灌漑が行われ、急速な自然状況の変化により、アラル海が縮小したり、塩分濃度が急増し、生物が死滅したり、砂漠地帯が増えたりと、自然破壊のオンパレードのようである。
アラル海も面積が半世紀で5分の一になり、4つに分かれたとあった。
レモネードを頼んだら幾つか風味を聞かれたが、その最初がFEIJOAだった。それは何かと聞いたが説明がよくわからなかったため、マンダリンを頼んだが出てきたのはこれだった。まあ飲んでみて悪くはなかったが。
Tajikistan第二の都市Khujandを流れるシルダリヤ川の風景と、シャシリック
またまた興味があるのでググってみた。
https://www.online-georgian.com/post/ジョージアで是非チャレンジしたい果物
オーストラリアやニュージーランドで栽培されるものが、ジョージアでも栽培でき、輸出しているということなので
温暖でいい気候なのだろう。黒海沿岸は気候は良いし、栽培に必要な堆積物は運んでくれるし、リゾート地にも良いし、いいことずくめのようだが、ロシアに隣接した南にあることから、争いは絶えなかったのであろう。日本もウクライナも、中国も朝鮮半島も同様だが。
ジョージアの飲み物というより、こちらで飲んだ白ワイン、赤ワイン、レモネードでした。
ワインは両方とも甘みが強かった。レモネードはラベルに書いてあるが、FEIJOA風味。FEIJOAはオージーで一般的な果物らしい。
上二つが、チャチャで、下がタルフン?
単なる炭酸飲料に見えるが、民族の誇りみたいな飲み物とインターネットに出ていた。乾燥した中央アジアの地ゆえ、飲み物の有難みが違うのかもしれない。
アメリカのジョージア州の飲み物と言えば、何と言ってもコカ・コーラ。それ以外の飲み物で、ジョージア独自の者と言えば、クランベリージュースで、カクテルでも、割るのによく使われている。
ジョージアの飲み物



サラダの緑はキュウリ。胡桃(クルミ)ソースは薄塩味。
チーズパン(ハチャプリ)のバターが別になっているのは、好みでという事だろう。卵乗せバージョンもあり。
ジョージアの西部アブハジアと北部の南オセチア紛争はソ連邦の崩壊前後に発生し、2008年夏にロシアが侵攻を掛けて事実上支配下とした。プーチンの意図で時期は丁度北京五輪と重なっていて、あまり話題にならなかったかも。
サラダの中の緑っぽいものは、キュウリ?それから、胡麻ソースは、日本のソースみたいに甘みがある?
多分、味付けが日本と異なると思い、気になったので質問。
チーズ入りのパンはおいしそうだが、バターをつける必要あるの?
肉じゃがや、パンが豪勢なのをみると、ライスを食べる習慣がないので、こういったものから炭水化物を撮っているのであろう。それでも、これらの料理も日本のライスに意外にマッチすると松屋でジョージア料理をメニューに加えたときの感想がネットに載っていた。
この水餃子、ヒンカリとか言うそうだが、ジョージアでは国民的料理らしく、ジョージア出身力士、栃ノ心の得意料理らしい。
https://www.buzzfeed.com/jp/harunayamazaki/georgia-matsuya
ところで、ジョージアって、ウクライナがクリミア半島をロシアに占領されるちょっと前にロシアに戦争を仕掛けられて、国土の一部を失っている。ウクライナ程、世間の注目を受けなかったのは、地政学的に、西欧に遠いからであろうか。

ウクライナの場合、ロシアに歴史上、散々、苦杯をなめさせられてポーランドが隣接している
ジョージア料理 (胡桃ソースサラダ、ヒンカリという水餃子の一種、ハチャプリというチーズ入りパン、オジャフリという肉じゃがのバリエーション)




色はライ麦パンを発酵させて作るから。ビールとコーラと麦茶を合わせたようなちょっと不思議な味がする。
クワスのスラブ系を中心に旧共産圏での人気は根強く、ここへ来てブーム復活の気配すらあるらしい。
この装置自体年季が入っているので旧ソ連製の可能性はあるが、取り敢えず腹はこわさなかった。