第3回 整備の達人はどこにいる?
自転車屋は山ほどあるけど、整備がまともにできる自転車屋は日本全体で3軒くらい。僕が全国の自転車屋を回って感じたこと、有名な自転車屋でも本当にひどい。僕の回りには競輪選手が沢山いた、特別競輪に常連で出ているs1選手もいた。競輪選手は自転車のプロと呼ばれる、しかし現実にはママチャリのパンク修理もできない人もゴロゴロいる。というより強い選手は整備をしない人が多い。私、走る人 あなたメカニック。
あまり自転車をチマチマ気にする人は強くなれない。競輪選手に限らずアマチュアでもトップクラスの選手は整備は嫌い?だから僕みたいな整備マニアはレース会場で捕まり、この決戦ホイール振ってるの直してとか、何か調子おかしい見てくれとか「もう次のレース1時間切ってるのに頼まれた」
僕なんか予選で負けてるし暇だし、自転車見ると、こんなひどい状態でよく準決まで残れたなと驚くほどひどくて、こんな自転車でも強い人は勝つんだと思った。僕だったら負けた原因を自転車の整備にしてるかも??やっぱもっと大きい器にならなければと反省。それでホイールピシッと組み直して、それで優勝。やっぱあのひどい状態でも勝ってきたんだから抵抗減らしたら絶対優勝する。レース後「ありがとうホイール軽かったわ」と優勝のお礼言われた。
ということで競輪選手で整備教えてもらえそうな人はいなかった。ハンドルのセンターにものすごいこだわるとか1カ所だけの整備が飛び抜けている人はいたけど、トータルで整備を教えてもらえそうな人はいなかった。選手って「なんでわからん」と鉄拳が先に飛んでくるので、なるべく近づきたくなかった。よく競輪選手の店という自転車屋があるけど・・・僕なら触らぬ神に祟り無し?
自転車で走っていて自転車屋があると飛び込んで親父の整備スキルを見る。そんなことを続けていて、やはり自転車屋で整備スキルが高いと思う人はいなかった。僕がトモダで最初に買った物は3本ローラーとホーザンの振取り台、自転車では運べなくて、電車で行って持って帰った。自転車をやると決めた時にこの2つの道具は絶対必要だった。振取り台は小学校6年に買ったけど今でも使ってる。だけどホイールをどうやって組むのかが全くわからなかった。今みたいにユーチューブはなかったし、自転車整備の本もなかった。しかたないので古い競輪のホイールとゴミママチャリホイールをもらってきて、それを分解して組み、何度も分解して組み、どう組むのか考えた。競輪ホイールは間違った組み方すると変形してしまい元に戻せなくなる、珍しい木のリムは一度組んで見事に割って(折って)しまった。
ホイール組は一発勝負の世界・・20回位組んでわかった。ママチャリの鉄リムホイールは振れが取れなかった、自転車屋の展示品を見ても鉄は振りが大きかった。競輪のアルミリムの方が幅1mm以下で奇麗に取れる、UKAIのリムは段差がどうやっても取れなかった、新家の方がクセがない。マビックは精度高く、フィアメやカンパは日本製よりひどかった。100本ほど組み修行積むと、自転車屋の親父のスキルが見えた。苦労して自分で身につけたスキルは一生の財産、50年以上自転車と関わってきて今はわかる。でも小学校や中学校の時は知らなかった。
匠との出会い
天神橋筋六丁目に、その会社はあった。自転車屋ではないけどオリンピック出場で使ったロードやピストが天井に吊っていた。片倉シルク、1970年前後の日本のレースを背負っていた会社。当時、競輪選手でもシルクに乗っている人が多くいた。世界一周のキャンピング車も作ってた。とても品質がよく、すごい自転車会社だと僕も一目置いていた。その大阪支店が天六にあった。
ダメ元でスギノピストのチェーンリングを売って欲しいと入っていった。完全に会社でメーカーなので小売りはしてないのはわかってる。中からメガネでスーツ姿の少し太ったおっちゃんが出てきた。この人が大阪支店の一番偉い人で他の社員は「部長」と呼んでた。
どうみてもサラリーマンって感じ、言葉は東京弁で関東の人、最初の印象はこの人自転車整備できんやろ。しかし全然違ってた。論理的で考えられないような整備をする。特に車輪の組み方は他の誰とも違う常識を覆したものだった。振り取り台なんかいらないよ、ホイールは全てを均等に組めば振らない。面で組む。センターを見るのも、バルブ穴から向こう側のスポークを除き、それがハブのセンターを通ってればOK。センターゲージなんかいらない、穴から覗くとセンターが見えた。
白いワイシャツにネクタイ。7・3分けの社長さんが自転車整備を瞬時にしていく、そのスピードが常人じゃない、その格好からは想像もできない匠のスキル。僕が初めて出会った達人だった。天井に吊ってたオリンピックで使った自転車も、その人がしたと言ってた。どこの整備が難しく、どうやってしたか解説が論理的で完璧だった。週2,3度通って、いろいろ教わった。さすが片倉シルク、只者じゃない。格安でシルクのロードを売ってもらい、オリンピックで使った部品をつけてもらった。僕が初めて乗ったロードは片倉シルク。僕の整備は「部長さん譲り」中学2年の頃には競輪の決戦ホイールを組める位のスキルをつけていた。部長さんの提案で大阪支店で「実業団チームを作りたい」というので、僕がキャプテンを引き受けた、それで関西の実業団大会に何度か出たけど、シマノレーシングと団抜きやって追い抜かれたり、当時大阪大会は全国屈指の強豪が集まっていてスギノ、サンツァー、新家など名門がずらり。片倉シルクは名前だけは名門だけどメンバーはほとんど素人で週1の練習も20kmほど長柄の橋周辺を流してただけ、最弱実業団チーム。でもなんか面白かった。みんな青春やってた。片倉シルクがイベントなどで店を出すと「店番」やらされたり、いろんな経験させてもらった。
同時期にこの部長さんと同じ車輪組をする自転車屋の兄ちゃんとも出会った。当時大学生で親が急死し店を継ぐことになったインテリの兄ちゃんだった。自転車屋らしからぬ格好とかは部長さんと同じ。いつも不機嫌そうで人見知りが激しく近づきがたいムードがあって、あそこの店はいかない方がいいと自転車仲間で評判だった。でも僕はなぜか、その兄ちゃんと気があった。あるとき車輪組みをしていた兄ちゃんがバルブの穴からセンターを覗いていたので「おおおお」と思った。そして車輪組みを観察していると、まさしく部長さんのやり方だった。この兄ちゃんもしかして達人??いろいろ話すると思想が同じ。
こんな人いるんだ、カンパやチネリの部品を買う時、仕入れてもらった。・・・つづく