第7回 サイクルベースあさひ1号店
サイクルベースあさひの第1号店は東千里店、僕が行った時は全国でこの店があるだけだった。下田さんは長髪で店の前でフォークを歌ってた??息子さんが閉店してからダンスの修行してた??当時万博公園サイクルロードレースが毎週開催されていた(万博レースは自動車の侵入でゴール勝負の集団が正面衝突しケガ人を多数だして永久に開催中止になった)
万博は東千里店から近く、レースに参加していた選手たちも店に来ていた。
僕は下田さんに3本ローラーは自転車に絶対必要、店頭に置いて誰でも乗れたらいいと思う、とアドバイスしたら、すぐ店頭に3本ローラー置いてみんなが使ってた。箕面の勝尾寺でヒルクライムレースを開催したり、僕も手伝った。あさひは大阪の都島で「こども乗り物あさひ」という店を下田さんのお父さんがやっていた、この店はスポーツ自転車など扱っていなくて普通のママチャリを扱うお店。僕は近くを何度も通りすぎていたけど行ったことはなかった。
下田さんは東千里店をロードやMTBを扱うスポーツ自転車の店にしていた。まだ大阪の街にはワイズロードもカンザキサイクルもなかった時代。日本の自転車屋はスポーツサイクルでは食えない、ママチャリで食ってるとよく言ってた。そうなんだろうな・・・あんまり整備は得意ではなくてカンパの整備はこうすると見せてあげたら、回転が変わったと驚いてた。
あさひは東千里店ひとつだけの時代は5年位?あったと思う。その時代は僕もよく行った。奥さんは宮城の人で実家帰ってきたと「海苔とか」おみやげもらった。そのうち店にいっても下田さんはいなくて奥さんだけが店番する時代になり「店できる不動産探して全国飛び回ってる、自転車屋じゃなく不動産屋みたい」と奥さんがいってた。当時僕は趣味でドラマのシナリオ書いていて、ある全国コンクールで優勝し楯もらったので、優勝したよと見せにいったら、シナリオ読んでくれて。この楯飾って置きたいから貸してと言われて、何ヶ月?か下田さんの家に飾ってた。
ドラマのシナリオ好きなんだ下田さんって本当は芸術家肌なんだろうなと思った。それからサイクルベースあさひは全国展開し一部上場企業になっていくんだけど、僕はビジネスマン下田さんの顔はよく知らない。
あさひが東千里店ひとつだった時代、どんな自転車屋を作るか模索し、夜、閉店後、店の前にテーブル並べて、音楽ライブやったり、3本ローラー乗ったり、みんな青春?若かった。そのスタートラインの時になぜか僕も一緒にいて遊んでた。面白かった。