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katka
2025/12/06 (土) 17:43:42
「64 床山の名誉」(旧)
「41 名のあるところ」(新)
「儂の子等は、まともすぎた。ガロウ・ランの力にすがる術でも知っておれば、男になれようものを……」
「しかし、民は、シュムラ・ドウ様を嫌っていましたぞ?」
に続き、
- 「奴は、小さかったのだ。胆がな……」(旧)
- 「肝が小さいというのも、ガロウ・ラン的ではある」(新)
完全版で加筆された「ガロウ・ラン観」のうちでもここに来て痛快な一言。ちなみに完全版のメタバはシュムラを呼ぶのに「様」は付けない。
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上に続く文、『二人は、老いたのである。』から、強大なガダバの存在は二人に暴虐な支配者になることを忘れさせ、治世者にした……
これは文意が逆転してみえる。わたしには、ここまでの文脈からなら旧版の方が正しいように思う。読み方では、ゴゾら親達は若いままの行動原理を老いるまで実践せずに治世者になってしまったが、暴力という「簡単な論理」は子らに引き続き実践するよう「任せた」。任せたところが子の世代は貧弱であった、という意味かな。
文意が逆になっても文脈上、意味が通じる(だいたいわかる)とはな……。言葉の面白さではある。著者は御自分の文章を長年をおいて読み取りかねる、「これは書き誤りだな」と判断しているらしいリライト箇所がいくつもある。読者としてはもともと合ってる気はするとか、さらに間違ってる気がする等の面白さもあった。
『男をうごかす力になっている女の色香以前の属性というものはなにか』
ゴゾ・ドウは知っているのだが、口にするのは難しい。言葉にしてしまうのは面倒なので、笑った。フッフフ……ハハハ! これは完全版の加筆。
この『属性』について、はるか以前の章(旧16新11)では迫水の台詞を借りて「女の魔性」と呼んだだろう。旧版のそれはいかにも陳腐な表現で、まだしも2010年頃の現代には「女性性」とでも呼ぶのがセオリーだった。その「女性性」なる言葉にせよ、女性の具体的にどんなところも意味してはいない、所詮ナンセンス語だとわたしは思う。
俗に言う八方眼
完全版では文中に当たり前に書き流していていちいち八方眼の説明はない。
八方眼はバイストン・ウェル物語の主人公に伝統の特技、聖戦士のお家芸ともいえる。オーラバトラー戦記(5巻)でも「俗に言う八方眼である」と書き出される。そのさい、「少なくとも百八十度の視野」「百八十度以上」とも書かれる。ジョクもクリスもこれを発揮するがその修業などはない。シリーズ戦い抜いた末に終盤で身に着けている。
新旧でその描写が異なることもあって、わたしはカランボーが完全版でいつ退場したのか憶えてなかったが、どうもこの瞬間の錯綜状況を何か読み飛ばしていたらしい。カランボーについて作中で触れられるのもこの章が最後。
完全版の文中で最後に触れられる箇所は、わびしいが、完全版では前章にノストゥとカランボーのささやかな会話シーンが追加されていたのでもあった。フェラリオの話はしないことはこの通読の最初からいってる。