我に返る迫水
……そうです、リンゴ可愛いや、可愛いやリンゴ、リンゴはなんにもいわないけれど、リンゴの気持ちはよくわかる、という文句でした……とても明るくて、懐かしく心にしみる唄でした。自分は、そんな唄をきければ、日本が戦争で敗北しても復興するのではないかとはおもいましたが、その感覚はついさっきのことで……
これは驚くべき。完全版で読んでいる読者は不審に思ってもいいだろう。『リンゴの唄』について旧版ではたしかに迫水はそんなことを思いながら昇天していったみたいではあったが、完全版2巻を読み返せば、そちらでは上のような感想を呟いているのは迫水ではなく、リンレイの意識だったはず。
サコミズの故郷の地上界を見、その明るい歌を聴きながら少女リンレイは感動して蒸発していったようだった。迫水の方は、その瞬間までほとんど自我も拡散して自分が誰だったかもあやふやな魂に浄化しかけていたものが、リンレイの消滅に心引き裂かれ、愕然として我を取り戻し、リンゴの歌だとぉ! つい今しがたまで戦争をしていたのにこんな能天気は許せん、こんな日本に誰がいるものか! 俺は日本人を捨てた! と激昂したことでオーラロードが再び開いた。
オーラロードを通っている間の迫水の意識は混迷していて間のワーラーカーレーンの光景なども素通りしていく。わけもわからないままその界に突入したのだろうけど、
〝しようもない……!〟
と侮蔑するジャコバ・アオンには唾棄し返し、見知らぬ船上でリンレイ似の少女の声を聴いて目覚めたあとには、上の感情的経緯はけろりと忘れていたらしい。ダークサイドの怨念の塊のようには、意外にも迫水はなっていなかった。驚くべきこと。
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前回、∀ガンダムのときに引用したが、上の「我 のありよう」については『王の心』と引き較べるのがよい。だが、『王の心』は入手が難しくなりつつある作品でもあり、べつに∀作中でそのように言われていることでもないから、今は富野作中のエゴについての延長というしか。ここで「我に返る」と書いておくのは適当か。
「我であるもの」は純粋に戦いを楽しむもの、我執ゆえに戦うためには戦う相手としての他者を求める。それはコモン。我を脱却してしまうとコモン界からもいなくなる。