リュクス姫様
このたび『リーンの翼』は、三巻になってから据え置いたきり既に三か月ほどもゆっくりしたペースで読んでいて、その間に他の作家の作品も飛び歩いている。わたしの読書数自体、わたしの事情でめっきり少ないが。それで『リーンの翼』については、電子版を開けばこの三か月は「迫水と国家の話」を考えているところだった。
アマルガンが訪ねてきた年から、アマルガンが蜂起するまでは作中の迫水の感覚ではまるでつい先日のように書かれているが、リュクスの歳をみるとその間に十三年ほど過ぎている。
少女リュクスのキャラクターは迫水譲りの気性もあってまず活発な子。従順で大人しい子だったら政治や軍事に口出さないか、元気でも現在のホウジョウの気風に逆らわず軍国少女か、艦隊少女になっていたかもしれないところ。それが、実母のエミアの影響と現在の義母コドールへの反感もあって「反軍思想」になっている。
そのコドールとの家族関係もあってリュクスが物語に加わってくると、父迫水との政治の話から移って発進するキントキに潜り込もうとするまでが、いつの間にか「冒険に憧れて城を抜け出すお姫様の話」にすり替わっているんだった。
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わたしは最近はずっとファンタジーを読んでいることが多いし、タニス・リーもそうだがフェミニズムの流れを汲む作家に興味もあって直近では『アリーテ姫』を読んだり観返したりしていたな。
が、わたしはとくにフェミニストでもなく、リュクスのことは『ジュブナイルになった…!』と思ってアレッと思うような気分。
リュクスは十六歳と作中に書いてなかったっけ? ここまではない。エイサップは十九なのでエイサップのほうが歳上のはずだ、が前回。
リュクスの性格付けは、読み返すほど念入りに準備されている。エミアの人柄だけでなく、エミアから見たコドール評も。
アピアと結婚したときに祝辞を述べた十歳のロドウが成長して産んだ娘がコドールで、コドールが生まれたときに四歳のエミアが迫水と会った。その約二十年後にアピアが亡くなり、エミアと再婚した娘がリュクス。
この関係というより、その時点その時点で迫水にとって記憶(追憶)にどんな思いを残した女性達だったのかで、それは描かれているけれど章が移ると時間が流れ次々に現れ消えてゆく物語の中で読者がしっかり印象に残しているかはどうかな。『リーンの翼』の読者はおおむね文芸よりはアニメファンだろうし……。
コドールとハッサーン
コドールについて、「コドールは悪妻」のようなイメージをあらかじめ固めて読むのは、避けたい。アニメではアニメの受け手に向けデフォルメするというのは、ナディア・ロナもそうだった。
コドールが迫水の故郷の地上界を見てみたいという憧れ、それはきっと少女時代から迫水を見て抱いたのだろうことは、想像したい。
地上世界の文明を見たい夢を抱くことでは『ガーゼィ』のハッサーンを連想するとはまえに書いた。巫女ハッサーンによるバイストン・ウェルの理解は神話的な物語よりは即物的な捉え方で、それも何かコドールに通じるように感じる。話にきく地上界の原子力や原子爆弾が「存在そのものを脅かす」と語っているのに、そういう世界も見てみたいのです――のところ。
あってはならないことが起こっている地上界の現状は恐ろしいことだが、恐ろしいや忌むべきはそれとして、見てみたい。世界に対しては冒瀆的か、言うを憚るようなことかもしれないが、ある意味正直でもある。そういうところはコドールに好感をもってもいいはず。
結婚前のアピアがジョン・ロンの地上由来の哲学を訊いて感激していたようだったが、少女アピアのようなたんに新しい考え方への興味でもなく、世界の成り立ちや、存在そのものの驚異を体得したい、やはり実在への志向というか、哲学や科学者ではなくてもその思いはあるはず。
コドールは生まれたときから迫水を間近に見て育った娘だったんだ。実存への傾きは迫水由来に違いない。
「権力闘争を勝ち抜いて独裁者になるべき人物に求めるべきパーソナリティは孤独な実存主義者」というのも今日昨日、別件で考えていた。後で追う。
『オーラバトラー戦記』のルーザ・ルフトのような人は、わたしはコドールには連想しないな。