今夜のラスト
「山」
「山の彼方の空遠く、幸い住むと人の言う」・・カール・ブッセ
「岳」の一部 紹介
山の心・・「心のこだま」 ほんの一部だけ紹介
・・オレは島崎三歩、アナタを助けに来たんだ、アナタは、山の稜線から滑落して、ここにいる
命に別状はないね「よく頑張ったね」ここよりも救出ヘリが アプローチしやすい山頂まで運ぶよ いいね!
遭難者・・ハイ! お願いします
遭難者を背負い 救出ヘリが待つ山頂まで運ぶ島崎三歩・・痛むかもしれないけど、もう少しだけ辛抱ね!
こうして島崎三歩は、遭難者たちを救出
漫画「岳」の10巻目・・山の心「心のこだま」から抜粋
こだまでしょうか?
現代の日本は、若者も老人も「孤独が増加」・・孤独でも「こだま」だけは返事してくれる
だから 東北大震災で、家族が離れ離れになり 死に別れ 孤独に陥り
金子みすずの詩「こだまでしょうか」が テレビで 何度も 放送された
参考
金子みすゞの作品の一つ「こだまでしょうか」(原題「こだまでせうか」)を取り上げたACジャパンのCM(歌手・UAによる朗読)が、
東北地方太平洋沖地震に伴うCM差し替えにより多く露出したことにより「金子みすゞ全集」の売り上げが伸び、地震の影響で重版が困難なことから『金子みすゞ童謡集「こだまでしょうか」』として急遽電子書籍化されるなどの広まりが見られる。
また、「こだまでしょうか」独特の語調をパロディにした作品がインターネット上で広まるなどの話題を呼んでいる[12]。
この影響もあって、金子みすゞ記念館の入場者数が急増、2015年11月17日には150万人を突破した[13]。
更に、2026年には、音楽グループH△Gによって楽曲化され、2月から『みんなのうた』で新曲として放送予定となっている[14]。
山の「こだま」
孤独に陥り 山に癒されるため 山で・・ヤッホ=!と叫べば、ヤッホー!
「こだま」が返事してくれる
今夜の詩は 孤独で自・殺した「金子みすず」の「こだまでしょうか?」
>金子みすゞの詩「こだまでしょうか」―「いいえ、誰でも」
東日本大震災のときに、テレビから民間企業のコマーシャルがいっせいに消えた。
その代わりに延々と聞かされたのが、公益社団法人「ACジャパン」のCMだ。金子みすゞの詩「こだまでしょうか」を、どれだけ聞いたことか。
最近、この詩を読み直す機会があったので、「誰でも」ってどういう意味なのかをあらためて考えてみた。
■金子みすゞの詩・・「こだまでしょうか」
「遊ぼう」っていうと 「遊ぼう」っていう。
「馬鹿」っていうと 「馬鹿」っていう。
「もう遊ばない」っていうと 「遊ばない」っていう。
そうして、あとで さみしくなって、
「ごめんね」っていうと 「ごめんね」っていう。
こだまでしょうか、いいえ、誰でも。
石塚真一の作品「岳」
この主人公は 島崎三歩という若者で、ただ山を 一途に愛する男
危険を冒しても「なぜ山に登るのか 山がそこにあるから」
「なぜ山に登るのか そこに山があるから」
人はなぜ山に登るのかという問いには一つの正解はありませんが、 「そこに山があるから」という好奇心や挑戦心、頂上からの景色や達成感、日常から離れて自然の中で心身をリセットしたいという欲求など、複数の動機が重なって人は山に登ると考えられます。
山に登る主な理由
1)頂上からの景色や達成感を味わいたい
2)日常から離れ、静かな自然の中でリフレッシュしたい
3)自分の限界に挑戦し、成長や自信を得たい
4)仲間と登ることで、共有体験や一体感を得たい
名言とその背景
英国登山家ジョージ・マロリーの言葉として知られる
「なぜ山に登るのか」「そこに山があるから」
日本の登山家や作家も、「頂上からしか見えない景色がある」などと表現
心理学・研究から見た登山動機
社会心理学の研究では、登山動機は複数の要素に分解される
1)自己実現・達成欲求
2)自然との一体感・癒やし
3)冒険・スリル追求
4)社会的つながり(仲間・コミュニティ)
危険と向き合うという側面
遭難や事故のリスクがある中で、あえて山に向かう人も多い 冒険家やクライマーへのインタビューでは「生きている実感」や「自分の存在を確かめるため」と語られることがある
こうした「命をかけた挑戦」もまた、「なぜ山に登るのか」という問いの一つの答えになっている。
・・・吾輩も 島崎三歩と同じ 山好きな男で 毎日「山歩き」している山大好きな山猫
キリスト教徒の言葉
「人の生きるは パンのみに非ず 神の口より、いずる全ての言葉による」
意味は・・金や物を求める「物質世界」に生きるのではなく 神の教えによる「精神世界」に生きよ」と言う意味
これが、キリスト教の言葉
この「精神世界」を 漫画家・石塚真一が描く「岳(がく)」
山岳で 転落した遭難者を 島崎三歩という若者が 自分の命も顧みず 危険を冒かし 救出
遭難者が 死亡していても 生存していても 必ず「よく頑張ったね」声を掛ける
つまり 島崎三歩は 窮地に陥っていた遭難者を救出する物語
イエス・キリストのような男 しかし冗談ばかり言う ひょうきんな男で 憎みたくとも憎めない男で 山岳を ただ一途に愛する男で
住まいは 山岳のテントが 自分の住居で 神聖な山の魅力に 取りつかれた男で
金や物には興味がなく ただ一心に山を愛し 山で遭難した人を助け出すのを 喜びにする男
この漫画「岳」は「お涙頂戴」のような 押しつけがましい感動ではなく、見ていると、名状し難い感動が湧いてくる感動大作
「岳」を見て・・感動した人の感想
石塚真一さんの登山漫画、『岳』(小学館出版)について
このベストアンサーは投票で選ばれました
win****さん
2008/6/27 11:53
いわゆる18禁的描写は、まったくありません。
確かに人の生き死にに関わる部分はリアルに描かれていて、ちょっとキツイです。
でも、それでも山の素晴らしさ、生きることの素晴らしさ!が全面に出てますから、
山に興味のない人にも、お勧めです。だって「よく頑張った!」って強くて優しい人に
言ってもらいたいじゃない?(笑)
つまり人生の応援歌です。私、泣いちゃいました
是非是非。ここは二セット買って、一つはお手元に置いて、読んで下さい!
山に行ったことがなくても、行ってみたい、と思われると思います。私、今年の夏は 白馬岳です!
韓国メディアの報道の「意味」
>人はパンのみにて生くるにあらず
・・この意味は「キリスト教徒の言葉」で 正しくは
「人の生きるは、パンのみに非ず 神の口より「いずるあらゆる言葉」による
意味は 人間は 金や物の欲望で「物質世界」に生きるのではなく、神の教えによって「精神世界」に生きよ」という意味
米トラは 米国至上主義で 米国の欲望を叶える「物質世界」で 産油国の「イラン」を支配する為 イラン攻撃
だから、ある識者(キリスト教徒)が 米トラを非難して
>トランプは最近、ソーシャルメディアに「狂った野郎ども、くそったれのホルムズ海峡をすぐに開放しろ」と投稿した。
いったいなぜ私たちは、世界最強国の大統領が極度に低俗な言葉を吐き、そのような指導者が神と同一視される世界に住むことになったのだろうか。
・・・なぜ 米トラが「イランに激高した発言」したのか
米トラは「まだ駄々っ子」で 自分の思い通りにしないと「気が済まない大統領
しかし イランは 思い通り支配できないので「イランに激高した発言」
韓国メディアの報道
見出し・・・人はパンのみにて生くるにあらず【寄稿】
スラヴォイ・ジジェク|リュブリャナ大学(スロベニア)、慶煕大学ES教授
4月1日、米国ホワイトハウスで開かれたイースター昼食会で、ドナルド・トランプ大統領のスピリチュアルアドバイザーとして知られるポーラ・ホワイト牧師が、彼をキリストにたとえて称賛した。一方、トランプは最近、ソーシャルメディアに「狂った野郎ども、くそったれのホルムズ海峡をすぐに開放しろ」と投稿した。いったいなぜ私たちは、世界最強国の大統領が極度に低俗な言葉を吐き、そのような指導者が神と同一視される世界に住むことになったのだろうか。その答えを、個人の精神状態ではなく、現代ポピュリズムの構造のなかから探さなければならない。
こんにち世界各地で広がるポピュリズムの波は、自由民主主義の約束が果たされなかった結果だ。一般の人たちが、自分たちは社会で重要ではない「取り残された人たち」だと感じるようになり、その結果、政治エリートと大都市の文化的エリートに対する恨みが形成されたのだ。要するに、ポピュリズムは経済的問題に起因したものというよりは、ヘーゲル的な意味での承認をめぐる闘争だ。
彼らはこの20年間、政治の主体となり、ウォール街占領デモ、イタリアの五つ星運動、スペインのインディグナドス運動、急進的環境運動、MeToo運動、黄色いベスト運動、極右政治にいたるまで、左右を問わず、政治的・社会的運動の行為者として登場した。重要なのは、彼らが前面に掲げるものが、物質的な要求ではなく、「価値」「偉大さ」「尊厳」だということだ。いまや、政治現象を経済だけで説明する観点は有効ではなくなったようだ。エルンスト・ブロッホの洞察どおり、人間はパンのみで生きる存在ではなく、パンがないときには、なおさらそうだ。重要なのは挫折した欲望ではなく、傷ついた自尊心だ。
米国・イスラエルとイランの戦争も、このような観点でみる必要がある。イランの政治エリートは、イランが貧困と爆撃に直面している状況下でも、現在の対立が石油問題ではなく、イランの尊厳、すなわち、屈辱的な平和は受け入れないという意志の問題であることを明確にしている。何も持たざる人たちであるほど、自分たちの闘争が単なる物質的な必要を超えたものであることを明確に示そうとする。
反対側も同じだ。敗北が明らかになった状況下でも、ナチスが最後まで持ちこたえたのは、重工業の利益のためではなく、歪曲された意味での「倫理的な」執着のためだったように、トランプがイランを石器時代に戻すと脅している状況もそうだ。彼は単に軍産複合体の利益のためではなく、本当に一つの文明を消し去るという明確な目標を持って行動している。
「今夜、一つの文明全体が消滅するだろう」というトランプの発言は、「文明の衝突」とはかけ離れている。ここでイランは被害者として文明を代表する位置に置かれ、米国とイスラエルは文明を破壊しようとする非文明として登場する。特に、イランの核兵器保有を戦争犯罪だとみなすことは、核保有国である米国が、少なくとも現時点では核を保有していないイランを攻撃するという点で矛盾している。
私たちが犯してはならない失敗は、トランプが単に長期的な戦略の一環として狂気じみた表現を誇張して用いていると考えることだ。世界で最も強力な国家の指導者が、一つの文明を抹殺すると言ったという事実だけでも、それはすでに文明の終末を意味する。トランプの発言の意図を確信できないという、まさにその事実自体が、終末の兆候だ。私たちは、虚偽と真実、言葉と事実の境界が崩壊した領域、事実と論証がもはや機能せず、神話と叙事によって支配される前近代的な魔法の世界に足を踏み入れている。
トランプの文明抹殺の脅迫は、世界が今、どの方向に進んでいるのかを示す警告のシグナルだ。彼の脅しを経済的な利害関係の枠組みだけで説明するのは望ましくない。同様に、ロシア・ウクライナ戦争で西側がウクライナを支援する理由が、単に軍需産業の利益を保証するためだという一部の左派の主張も荒唐無稽だ。現在の対立を貫く根本的な論理は、何よりも尊厳、屈辱、そして承認だ。
大正天皇
見出し・・・大正天皇は時の政治家の操り人形だったのか―草森 紳一,平山 周吉『大正天皇』
『大正天皇』
◆芸術、政治…才に富んだ君主
大正天皇は時の政治家の操り人形だったのか。いや、天衣無縫にして自然の極致。文人、書家であり、馬を愛した人であった。
奇行や病弱のレッテルを貼られてきた天皇像をくつがえす本書は、草森紳一の原稿に呼応して、かつて、草森の担当編集者だった平山周吉が新たに論を立てる刺激的な共著となった。
草森は、博覧強記で知られる中国文学の学徒。サブカルチャーに本質的な価値を見いだした。ここでは天皇御製の漢詩や書を足がかりとする。「不幸にも芸術家的体質が備わっていた」とする。天才的な才質があるからこそ、君主らしく生きる辛(つら)さがもたらされたと読める。さらに、天皇を「操り人形」にともくろむ宰相伊藤博文の魂胆を、明晰(めいせき)な天皇が見抜く構図を打ち出す。また、草森は、人を笑わせる才に富んだ天皇を深く愛し、共感している。
第2章では、まず、茶人でかつ多趣味の高橋箒庵(そうあん)を紹介する。高橋は三井財閥の幹部を早々に退いて風雅の道へと進んだ。けれど、天皇の退位は容易には許されない。摂政を立てられるだけだ。高橋と天皇の立場の対比に打たれた。
やがて厖大(ぼうだい)な分量の「原敬日記」の精読に行きつく。無趣味な原と、天皇の交情。明治美術会の展覧会を背景に、天皇、高橋、原、三者の生き方が交錯するが、この章は未完である。
昭和史、映画史を深く読み解く名手、平山による第3章。意外にも、思想家保田與重郎(よじゅうろう)を呼び出す。天皇の和歌について「畏れながら、かなしい。しかも藝術的に見れば、繊細絶妙絶佳の名品である」。君を仰ぎ見る保田の評であった。
第4章、天皇は大胆に政治に介入する。「軍部大臣現役武官制」から、現役軍人であることを削った官制の改正に、天皇が政治的意思を強く働かせた。天皇の内心を描いてスリリングである。
徹底した文献調査。日記の行間に、想像力を働かせる方法論。さらに横滑りを怖(おそ)れず、周辺の人物を召喚していく手際。雑文家としての誇りが、本書を貫いていた。
・・・明治政府とは何か?
日本識者は 歴史に「無知」で 歴史資料を持ち出し 解説
明治政府とは 徳川幕府の中期から 幕府の「財政が逼迫」したため、幕閣の老中・松平定信が「質素倹約令」を発令
諸藩の大名の「俸禄を削減」 長州藩・薩摩藩の大名は「外様大名」で幕府から「冷遇」されていたので
長州藩・薩摩藩の大名は 俸禄削減されてしまう
そのため 長州藩、薩摩藩の大名に仕えていた「下級武士の藩士」たちは俸禄削減で 生活難に陥り 食い詰め浪人になり
長州藩や薩摩藩の食い詰め藩士たちが「こんな徳川幕府の世より 天皇の世がマシだ」とする「尊王攘夷論」
「自分たちの世」を築くために徳川幕府を「倒幕」 明治政府を築き「尊王攘夷の世」を築くため 天皇を祭り上げたのが
長州藩の藩士「伊藤博文」が祭り上げた「明治天皇」・・だから「明治天皇の世」で「明治時代」
つまり伊藤博文は、鎌倉時代「足利尊氏」が「光明天皇」を 祭り上げ光明天皇の
「威光を利用」して、足利征夷大将軍に成り「室町幕府」を築いてように
伊藤博文も尊王攘夷で「明治天皇を祭り上げ」明治天皇の「威光を利用」して 日本で「最初の総理大臣」になる
しかし 明治天皇「崩御」
明治天皇の息子の「嘉仁」が 明治天皇を引き継ぎ 明治時代が大正時代になり「大正天皇」になる
しかし 大正天皇(嘉仁)は、生まれながら「病弱」で、弟の「裕仁」が「摂政」となり大正天皇をサポート
だから 大正天皇は日本の治世を行ってなので 大正天皇は表舞台に立っていなかったので 大正天皇は「有名になっていない」
そして大正天皇・崩御
弟の「裕仁」が「昭和天皇」に即位・・「昭和時代」になる
何処で天皇は即位していたのか? 京都御所の「紫宸殿」で 天皇の即位式
天皇は 明治政府が「尊王攘夷」で 天皇を「現人神」に 祭り上げたので
人民たちは 現人神である天皇の「顔すら見られない」身分
昭和天皇が、京都御所の紫宸殿での即位式で 人民たちは 京都御所の「外で待機」していて
昭和天皇の即位式が終わると 京都御所に入場が許され 天皇が即位式で「座っていた椅子」・・「高御座(たかみぐら)」に向かい
天皇陛下=! 万歳! 万歳! 万歳三唱
こうして日本人民は 昭和天皇に「絶対服従」で 天皇に忠誠を誓い1941年 米国と「太平洋戦争」
1945年、日本敗戦
都心のマンションバブル、崩壊
かっては 中国がマンションバブル・崩壊 不況に陥ったように、東京のマンションバブル・崩壊の前兆
見出し・・都心マンション価格高騰に急ブレーキ…「売れない在庫」急増で“転売不動産バブル崩壊”前夜を思わせる不気味な兆候
都心3区(千代田区・中央区・港区)のマンション価格の急騰は2025年秋から急ブレーキがかかっている。2026年3月の都心3区の中古成約㎡単価は238万円で、半年前からは1%上昇にとどまり、上昇基調は止まったが、下がったとは言えない。1年前と比較したら15%、2年前と比較したら42%も値上がりしている。
今後、高止まりとなるのか、下がるのか、その瀬戸際にきている。
この急ブレーキは価格よりも成約件数に現れている。2026年1〜3月の不動産業界でいう繁忙期の成約件数は1年前より14%減少した。買い手が少なくなり、価格が横ばいとなり、成約件数が減少した。ちなみに、首都圏全体の成約件数は、2026年1〜3月に前年同期比で約2%増えているので、件数だけで見たら都心3区の一人負け状況にある。
■「物上げ」競争で売出価格だけが上がり続ける
成約価格は上昇基調ではなくなったが、物件検索サイトに出てくる売出価格はいまだに上がっている。これは仲介会社の仕事ぶりを見ていれば、なぜそうなるのかがわかりやすい。
売買仲介では、売却依頼を取る「売り仲介」と、購入希望者を案内する「買い仲介」があるが、仲介会社は圧倒的に売り仲介の獲得に力を入れやすい。売却活動を1社に任せる専任媒介契約を結べば、かなりの確率で成約に結びつけることができるが、購入希望者から依頼を受けていても、顧客が買いたい物件をその仲介会社が扱えない場合、手数料はゼロになる。この成約率の差は、少なくとも3倍は違うだろう。
このため、売りの専任媒介契約を取るために「顧客の想像以上の高値で売りましょう」と提案する。これまでの実績としての成約事例が1億円でも、「1.4億円で売れるかもしれません」とは誰でも言えるので、相場上昇期では高値で専任媒介契約を結びたがるものだ。売却予定の物件を探し、売主から媒介契約を取る行為を、業界用語で「物上げ(ぶつあげ)」という。
このセールストークに一般の売主は期待を膨らませる。「A社よりB社のほうが価格査定が高い」とやみくもに信じて、高いほうを選びたがる。とはいえ、自分の家だけが高く売れる理由などあるわけがない。高値への期待が先に立ち、人は自分に都合よく考えるものである。
・・続く
、天台宗の最高権威だった「天台座主・曼珠院門跡覚恕(てんだいざす・もんじゅいんかくじょ)を救出するよう、家臣の真田昌幸(さなだまさゆき)命じる
しかし曼珠院門跡覚恕は、武田信玄による救出を「拒否」・・真田昌幸に 次のように述べている
「織田信長による比叡山焼き討ちが、まことなら この比叡山に末路が訪れたのである、来るべき時が来たのである 真田昌幸殿、この身を案じてくださる事は嬉しいが、なにとぞ捨て置れよ
愚僧は、この期に及んで、逃げよう等とは、露とも思っておらぬ」
僧侶として立派な覚悟に、感服した真田昌幸は 比叡山から曼珠院門跡覚恕を連れ出し、主君・武田信玄が、曼珠院門跡覚恕を「擁護」する
そのため 武田信玄と織田信長は「敵対関係」になり 武田信玄と織田信長が「天下分け目の決戦」
しかし 武田信玄は 持病の「労咳(肺結核)」が悪化 死去
そのため 織田信長は 武田信玄とは 戦わずして「不戦勝」
そして 織田信長が 比叡山焼き討ちで、天台宗の比叡山の僧侶たちを 討ち滅ぼしたので 一向宗の顕如は、次は織田信長が 一向宗を滅ぼすとして
織田信長と、一向宗の顕如が、天下分け目の「最終決戦」
織田信長が 一向宗を滅ぼし 遂に天下を支配する「天下人」になり 近江の「安土桃山城」を居城とし
室町幕府,崩壊・・「安土桃山時代」を築く
ある識者の解説文に登場する「甲陽軍鑑(こうようぐんかん)」とは 武田信玄の 武田家が 日々の出来事を記録していた「日誌」の事
上杉謙信の上杉家も 日々の出来事を記録していた日誌を「上杉年譜(うえすぎねんぷ)」と言う
なぜ織田信長は「比叡山焼き討ち」したのか?
目的は「天下取りの為」 日本識者は「文系脳」で 歴史を物語りの「小説」みたいに解説しているだけ
なぜ織田信長は「比叡山焼き討ち」したのか、分かりやすく「説明」
昔 日本映画「武士の一分」を見ていると 武士が問題を起こし、仲間たちが責める
それに対し、武士の女房が言ったセリフ・・何をしたのかが重要ではなく「何の為に」そうしたのか が重要ではありませんか
・・このセリフが「核心」
この歴史は「複雑怪奇」で理解しずらい
『上様』であり「足利征夷大将軍」の「室町幕府」は、栄枯盛衰は世の習い・・諸行無常で「衰退」に向かっていた
そのため「佐渡の金山」を所有していた「越後の大名・上杉謙信」は 衰退していた「室町幕府」の「上様だった11代足利義輝・征夷大将軍」に「忠誠」を誓い「支えていた」
しかし 他の大名たちは衰退している「室町幕府の足利征夷大将軍」に忠誠を誓わず
戦国時代で 大名たちは、自分が「天下人」になるとして政権闘争
三河の大名「織田信長」も同じで、衰退していた室町幕府を「懐柔・支配」して「天下人を目指す」
ここで、越後の大名「上杉謙信」と同じように 越前の大名「朝倉義景」や 近江の大名「浅井長政」は 室町幕府の「足利征夷大将軍」に「忠誠」を誓う大名
ところが三河の大名「織田信長」は 自分が天下人になるため、上様の足利征夷大将軍に「忠誠を誓わず」
手玉に取り 天下取りに利用する為 上杉謙信が 忠誠を誓い支えていた13代征夷大将軍・足利義輝の「弟」である「足利義昭」を 15代征夷大将軍として「祭り上げる」
足利義昭は、織田信長から、上様の征夷大将軍に「祭り上げて貰った」ので 織田信長の「言いなり」になっていた
しかし足利義昭は幕府の最高権力者である「上様」 織田信長は 家臣の大名
家臣の大名織田信長から「手玉に取られ」織田信長の「天下取りに利用」されていたので
織田信長を「不届きな不忠義者」として「征伐」するよう 家臣の大名に命じる
そのため 上様の足利義昭征夷大将軍に「忠誠」を誓っていた越前の大名「朝倉義景」と 近江の大名「浅井長政」が 不忠義者の 織田信長の成敗を目指す
だから 織田信長にとって「浅井・朝倉」は「敵」になり「姉川に戦い」で・織田信長と徳川家康の連合軍が 浅井・朝倉を滅ぼす
他方 当時 天皇の朝廷・室町幕府は 比叡山の天台宗を「庇護」していた為
比叡山の「僧侶たち」が「傲慢」になり「槍」を持ち 顕如が率いる「一向宗」と同じように
「戦闘軍団化」していて色街に繰り出し 酒を「般若湯」と称し 遊女を「蓮の花」と称し
酒を飲み遊女と交わり「破戒僧」になっていた つまり「比叡山」の僧侶は」僧侶ではなく 傲慢な「武士化」していて
代金を「踏み倒していた」そのため庶民が代金を要求すれば「武士」と同じように「無礼討ち」していたので庶民たちは、コロされまいとして 比叡山の僧侶たちに「ゴマすり」
だから 織田信長の比叡山焼き討ちで 僧侶だけでなく 僧侶たちにゴマする「庶民」まで 殺害した理由
そのため 幕府の足利義輝は 織田信長を成敗するため 戦闘軍団化していつぁ「比叡山」を味方に付ける
当然 織田信長にとって 敵の足利義昭に「味方した比叡山」は 敵の足利義昭よりも「憎い存在」になり 家臣の明智光秀 羽柴秀吉 柴田勝家に
比叡山の仏閣を 焼き払い 僧侶どもを皆コロしするよう命じたのが「比叡山焼き討ち令」
ところが 比叡山の「正覚院僧正・豪盛(しょうかくいん・ごうせい)は 織田信長を「見下し」
たかが諸藩の大名・織田信長が 天皇の朝廷が「擁護」する比叡山を「討つ力などない」として織田信長が「比叡山を襲うとは考えていなかった」
しかし 甲斐の大名「武田信玄」は 家臣の真田昌幸に命じ、天台宗の最高権威だった「天台座主・曼珠院門跡覚恕(てんだいざす・もんじゅいんかくじょ)を救出するよう命じる
しかし曼珠院門跡覚恕は、武田信玄による湧出を「拒否」 次のように述べる
思いやりがない日本識者 杜撰な解説
解説文に登場する「天台座主の曼殊院覚怨」とは何か 読めるよう、ふりがな もない
『甲陽軍鑑』とは何か 簡単な説明もない
自分に分かっていても「他者には分からない事すら」分からないバカ識者
なぜ織田信長が「比叡山焼き討ち」したのか 原因を説明してない
見出し・・・織田信長を「天魔」と断じた武田信玄――比叡山焼き討ち後に取った“意外な行動”とは?
織田信長による比叡山焼き討ちは、当時の人々に計り知れない衝撃を与えた。
では、この出来事を知った武田信玄は、いったいどのように受け止め、どのような行動を取ったのだろうか。信長を「天魔」とまで非難した信玄の反応と、その後の動きを史料から探ってみたい。
比叡山焼き討ちがもたらした大きな衝撃 元亀2年(1571)9月12日、織田信長は比叡山を焼き討ちにした。焼き討ちにより、根本中堂ほかの建物は焼失し、僧侶や山下に住む老若男女も殺害された。その死者の数は史料にもよるが、1,500から4000人と記録されている。
山科言継は比叡山焼き討ちについて、自身の日記『言継卿記』の中で「仏法破滅」と記している。当時の公家がこの出来事をどれほど重大視していたかがうかがえる記述である。ところで、この比叡山焼き討ちを知った武田信玄は、どのように思ったのだろうか。その後の対応も含めて見ていこう。
信長を「天魔」と非難した武田信玄 元亀4年(1573)1月11日、信玄は上野中務大夫に書状を送った(「京都御所東山御文庫記録」)。その中で信玄は、信長の比叡山焼き討ちについて「仏法王法破滅」と記し、信長は天魔の変化(へんげ)であると称した。
天魔とは仏道修行を妨げる悪魔のことで、第六天魔王とも呼ばれる存在である。つまり信玄は、信長の行為を仏法を破壊する悪魔の所業と見なしていたことになる。
このように信長を悪魔のように形容した史料は、ほかにも見られる。「続常陸遺文」は比叡山焼き討ちの出来事を記し、信長を指す「上総守(原文ママ)」の脇に「信長ト云鬼也」と注記している。比叡山の建物を焼き払っただけでなく、人々を大量に殺害した信長を「鬼」と表現したのである。
延暦寺が頼ったのは武田信玄だった 元亀3年(1572)1月、延暦寺の僧侶は越前国一乗寺で、堂塔の再興について話し合った。しかし、再興には莫大な経費がかかることは明らかだった。そこで延暦寺が頼りにしたのが、ほかならぬ武田信玄である。
同年3月17日、延暦寺の衆徒は天台座主の曼殊院覚怨に書状を送った(「曼殊院文書」)。その内容は、再興のための費用について信玄に依頼してほしいという要請だった。畿内やその周辺はすでに信長の勢力が及んでいたため、遠方であり、なおかつ信長に敵対する信玄を頼ろうとしたのである。
信玄が構想した「もう一つの比叡山」計画 これに関連して、『甲陽軍鑑』は興味深い記事を記している。信玄は比叡山焼き討ちの後、日蓮宗の身延山に比叡山を再興しようとしたという。その際には、大規模な寺院を建てる計画があったとされる。
身延山の僧侶は、日蓮上人の御影の前で籤を引いたが、許可する旨の籤を引くことはなかったと伝えられている。この結果によって、再興計画は実現しなかったというのである。ただし、信玄が身延山に比叡山を再興しようとしたという話については、ほかに裏付けとなる確かな史料は確認されていない。
信玄の急死によって消えた可能性 翌元亀4年(1573)4月12日、信玄は信濃国駒場で急死した。信長の比叡山焼き討ちが、武田信玄に強い衝撃を与えたことは疑いない。
信長を「天魔」とまで非難したその反応は、当時の宗教観や価値観を知るうえでも、きわめて重要な意味を持つといえるだろう。
※今後もこのテーマで記事を投稿して参りますので、フォローして温かく見守っていただけたら嬉しいです。
間違い 訂正
「岳」の主人公は「田崎三歩」ではなく「島崎三歩」
主人公の島崎三歩の「性格」は 吾輩と全く同じ ひょうきんで、何時も冗談で 人を笑わす性格
吾輩と同じ性格なので 何時の間にか、親近感を覚え「岳」ファンになった
遭難者が死亡していても 何時も言うセリフが「よく頑張ったね」・・ 吾輩と同じ事をいっている
人は 励まし合いながら生きて行かねばならない
もう一度・・耐え難きを耐え・・よく頑張ったね!
「感銘・感動」こそが「最高に美しい」
感銘や感動を 受けない作品は 何の価値もない駄作
音楽も絵画も 感銘・感動を受けるから「素晴らしい音楽や絵画になる」
山本おさむ が描いた漫画「どんぐりの家」も「美しい感動大作」
現実の実態を描いた作品で 身体障碍者は 一般社会人たちから「普通ではない人達」として「差別:偏見」を受け、社会の谷間に追いやられていた
しかし「政府の福祉制度」は 身体障碍者への 福祉を無視する「制度」なので
山本おさむ が 日本の「福祉制度こそに罪がある」として追及する
そのため身体障碍者が「自分で独り立ちして生きて行ける」よう 家族たちが 身体障碍者専用の「作業所」を建設する為 街で募金活動
そして遂に 身体障碍者が 働ける作業所を完成させる感動大作
感銘・感動こそが 最高に美しい「本物の美しさ」
石塚真一の「岳」
これは 北アルプスで遭難した人たちを、命懸けで救出する「ボランティア活動」する「田崎三歩」という男性が 遭難で死亡した遺体にでも 何時も「よく頑張ったね」声を掛ける作品
そのため ある人が この漫画を 父親にプレゼントしてよい漫画なのか 質問
その質問に、返事した人は・・「私、今年の夏は白馬です」・・と言っている
白馬とは 北アルプス連峰の「白馬岳」の事
田崎三歩が 遭難者の遺体に「よく頑張ったね」を言っていた北アルプスの「白馬岳」の事
北アルプス(飛騨山脈)には、槍ヶ岳・穂高岳・立山・剱岳・「白馬岳」・鹿島槍ヶ岳・燕岳・常念岳・薬師岳・黒部五郎岳・鷲羽岳・水晶岳・笠ヶ岳・焼岳・乗鞍岳などの名峰があります。
代表的な山名を覚えておくと、地図や天気予報も理解しやすくなります。
石塚真一「岳」・・・「よく頑張ったね」
とにかく「爽やかな感動」を受ける「最高の漫画」
mat****さん
2008/6/27 1:43
石塚真一さんの登山漫画、『岳』(小学館出版)について質問です。
父が登山好きでプレゼントしようかと思っているのですが、 この漫画には恋愛や、アダルトな要素は含まれているのでしょうか? もし大人な要素(アダルトな感じの・・笑)が含まれているならば、 父にプレゼントするのは気まずいのでやめようと思っています。。。
1巻を立ち読みしたのですが、現在6巻?程出ているので、全部チェックは出来ませんでした。 全巻読んだ方、よろしくお願いいたします!!
山に興味のない人にもお勧めです。だって「よく頑張った!」って強くて優しい人に
つまり人生の応援歌です。私、泣いちゃいます。お父様はきっと喜ばれることと思います。
山に行ったことがなくても、行ってみたい、と思われると思います。私、今年の夏は白馬ですっ!!!
見かけに、左右される人間
創造主は 人間に「美醜意識」を授けたので 男は美しい女を見ると惚れてしまい
女も、見かけがいい男に、惚れてしまう、
この男の「見かけ」に拘った女が 毎度の75歳女で 75歳のばばぁになっても 男を魅了する為 まっ赤な口紅で 若い娘の衣装
後輩は頭がハゲていたので 見かけがいいインドネシア人男に魅了されている
脳神経細胞が「未熟な証拠」こんな ばばぁには 一切、魅力を感じない
人間は 加齢と共に 見かけより「情感に魅了される」ようになる
「情感を醸し出す人柄」に魅了されるようになる
いい歳こいても 見かけに拘る老人は 精神が未熟で まだ幼い証拠
この「情感」を描いた漫画家が 石塚真一の漫画「岳(がく)」
「山の風景描写」が 本物の山より リアルで 情感があり 魅了されてしまう
世界中の山岳を征覇した若い登山家が 日本の北アルプスで 登山者が 断崖から転落死した遺体でも、必ず「よく頑張ったね」声をかけ 遺体を「背負い下山」する作品
なぜ遭難者の遺体に「よく頑張ったね」声を掛けたのか 情感が豊かな人には 意味が分かるだろう
山岳の「登頂」を目指すが 途中で 転落、遭難、死亡・・「よく頑張ったね」
このシーンが 物凄く「爽やかで感動するシーン」
「人柄から受ける感銘・感動」こそが「最高に美しい生き甲斐となる」
美に感銘を受ける者は まだ幼い
人は、見かけだけでは分からない
しかし 見かけがいい男に惚れてしまい 男からコロされた5人の女
見出し・・「とにかく女にモテた」「肉体関係を持った相手まで殺害」5人を手にかけた“戦後最悪の連続殺人犯”の正体(昭和38年の事件)
女を惹きつける甘いマスクの裏に潜んでいたのは、冷酷無比の殺意だった――。詐欺と色恋で人心を操り、ついには連続殺人へと堕ちた男・西口彰。人好きのする顔で近づき、5人を殺した男はなぜ「悪魔」へと変貌したのか? 鉄人社の新刊『 高度経済成長期の日本で起きた37の怖い事件 』よりお届けする。(全2回の1回目/ 続きを読む )
◆◆◆
作家、佐木隆三の直木賞作品を原作に、1979年(昭和54年)の映画賞を総ナメにした「復讐するは我にあり」。詐欺と殺人を繰り返しながら全国を行脚した緒形拳演ずる主人公は、1963年(昭和38年)に5人を殺害した実在の人物、西口彰がモデルである。
その冷酷極まる犯行に、後の裁判で検察は西口を「史上最高の黒い金メダルチャンピオン」と形容した。
西口彰の人生 西口は1925年(大正14年)に長崎県の五島列島から大阪に出稼ぎに来ていたクリスチャンの両親のもとに生まれた。
3歳のころ五島列島に戻り、父親は漁師、果樹園経営などを経て、1941年に大分県別府市で買い取った温泉旅館を経営。家は裕福で、幼いころ洗礼を受けていた西口も、将来は司祭になるよう父親から命じられ、中学から福岡のミッション系スクールに進んだ。が、厳しい戒律のある寮生活になじめず3年生で中退。
16歳で窃盗に手を染めて以降、20年近く窃盗・詐欺・恐喝などを働き、刑務所の内と外を行き来する。この間、20歳のときに1歳下の女性と結婚し3人の子供に恵まれたものの、別府刑務所を出所した1961年には家族を別府の実家へ預け、福岡県行橋市で理容師の女性と同棲を始めた。
2年後、全国指名手配に あくまで“悪党”に過ぎなかった男が“悪魔”に変身するのは、それから2年後の1963年10月、37歳のときだ。
日本専売公社(現・JT)職員の村田郁夫さん(当時58歳)が多額の現金とタバコ製品を運んでいたことを知り、同月18日、配達を手伝いタバコ畑まで案内すると近づき、運送会社運転手の森五郎さん(同38歳)がハンドルを握るトラックに同乗。
福岡県京都郡苅田町の山道で車を停め、村田さんを人目のつかない場所に誘い出してハンマーで撲殺し、26万円(現在の貨幣価値で約320万円)の入った財布を盗んだ後、車に戻って森さんを刺殺し、約2キロ離れた峠に車と死体を遺棄した。
福岡県警は、目撃証言などから付近に住む西口彰の犯行と断定。西口を殺人、窃盗などの容疑で全国に指名手配する。
犯行当日の夜、同棲中の理容師女性と福岡市新柳町のホテルに泊まった西口は翌朝の新聞で、すでに自分が捜査対象になっていることを知った。さらに、ラジオで「警察は、関西方面へ逃亡したとみている」と聴くや九州に留まることを決め、佐賀県の唐津競艇で2日間で21万円を稼いだ。
10月23日、管轄の行橋署に西口から署名入りの手紙が届く。
〈前略、手配のとおり、自分が専売公社輸送強盗殺人の犯人である。犯行後、情婦と逃げるつもりであったが、前非を悔いて自殺することにした。警察には絶対に捕らえられない。悪しからず。東京にて 西口彰〉
2日後の25日、香川県警から西口が東京行きのフェリー「瀬戸丸」から投身自殺を図った形跡があるとの連絡が同署に入った。
歴史とは「複雑に錯綜」しているので「分かりにくい」
室町幕府の「足利征夷大将軍」が 日本の「最高権力者」で「諸藩の大名たち」は
室町幕府の「足利征夷大将軍」を「上様(公方)」として 忠誠を誓っていた
そのため 明智光秀は「足利征夷大将軍」に「忠誠を誓っていた」
ところが室町幕府は 11代征夷大将軍・足利義輝の頃「衰退に向かう」
そのため 三河の大名・織田信長が「天下取り」を目指し 室町幕府を支配する為
足利義輝の弟。「足利義昭」を 15代征夷大将軍に「擁立」する
こうして 三河の大名・織田信長が 室町幕府の最高権力者・足利義昭・征夷大将軍の「上様」を
手玉に取り 自分が天下人になるため「操っていた」
そのため「明智光秀」は 零落した室町幕府の征夷大将軍・足利義昭に 忠誠を誓っても零落していたので 自分も零落するため
「室町幕府」を支配 天下取りを狙う織田信長に忠誠を誓った方が立身出世するので 織田信長の「家臣」になる
こうして羽柴秀吉・柴田勝家より 数多の戦功を上げ 織田信長の最高の忠臣となり「立身出世」する
ところが 征夷大将軍の足利義昭は 最高権力者の「上様」である自分が 諸藩の大名(家臣)でである「織田信長」から手玉に取られ、操られていた為
織田信長を「不届きなる不忠義者」として諸藩の大名(家臣)に「織田信長を討ち取る」よう命じる
そのため 上様の征夷大将軍の足利義昭の「忠臣」だった 越前の大名「朝倉義景」や近江の大名「浅井長政」が 上様に不忠義な織田信長を討ち取るため 首を狙う
ここで 比叡山・延暦寺で最澄が「天台宗」を開き 室町幕府や 天皇の朝廷が 比叡山の天台宗を「庇護」していたので
比叡山の僧侶たちは「傲慢」になり 権力を振い 一向宗のように「戦闘軍団化」していたので
比叡山の天台宗を「擁護」していた室町幕府の「足利義昭」が 比叡山を味方に付ける
つまり、織田信長にとって「敵の足利義昭」に味方した「比叡山が憎むべき敵になる」
そのため 忠臣の「明智光秀」「羽柴秀吉「柴田勝家」に比叡山を焼き払うよう命じる
ここで 一番 困った立場に陥ったのが室町幕府の「上様である足利義昭・征夷大将軍」に「忠誠を誓っていた「明智光秀」
「上様である足利義昭・征夷大将軍」に忠誠を誓うべきか? 主君の織田信長に忠誠を誓うべきか
主君の織田信長に忠誠を誓えば 忠誠を誓っていた「上様である足利義昭・征夷大将軍」を滅ぼす「不忠義者」になる
こうして 明智光秀は「中間に挟まれてしまう」
そのため 主君の織田信長が 家臣たちの前で 明智光秀を「愚か者」として「罵倒」する
そのため 明智光秀は、家臣たちの前で「不名誉な屈辱」を受け 織田信長に代わり自分が 天下人に成れば「屈辱を受けることはない」ので
天下人の織田信長を「討つ」ため「敵は本能寺にあり」織田信長を討ち 明智光秀が 天下人になる
ところが 織田信長の忠臣だった「羽柴秀吉」が自分が天下人になるため 明智光秀を討ち
豊臣秀吉が「天下人」になり 朝廷の正親町天皇から「関白」の地位を授けられ「関白秀吉」として日本全土を支配
豊臣秀吉は 百姓の子供として生まれるが 天下人まで「上り詰めた」日本歴史上最高に立身出世した「知恵者」
だから こう言われている
豊臣秀吉・・・「鳴かねば、鳴かせてみようホトトギス」
織田信長・・「鳴かねば、コロしてしまえホトトギス」
3ページ目
■光秀は“信長の本気度”を見抜いていたか
信長と延暦寺の関係は、まさにこれだった。延暦寺は「また難癖をつけてきた権力者」への慣れた対処法で臨んだ。黄金を贈って、頭を下げて、うまく丸め込めばいい。これまでも何度もそうやってきた。
しかし両者には、周囲の常識が通じない共通点があった。メフメト2世は「千年間誰も落とせなかった。当然だ。俺がいなかったから」という厨二病全開な思春期(当時21歳)。信長もまた、身内に手を出されると損得勘定が消える男だった。弟・信治の死は、信長にとって「舐められた」ではなく「やられた」だった。そうなると、もう止まらない。
しかし‼ ここに一人だけ「あ、これはもうダメだ」と察していた男がいた。明智光秀である。
光秀は比叡山東麓の宇佐山城を任されていた。最前線で信長の動向を逐一把握していた男だ。そして能力が高いということは、見たくないものまで見えてしまうということでもある。
信長は本気だ。これは止まらない。
光秀にはそれが読めた。だから同僚たちに言って回ったはずだ。古参の重臣・柴田勝家にも、筆頭家老格の佐久間信盛にも。「上様、本気で焼きますよ」と。
■「焼き討ち前」に情報を伝えた光秀
返ってきたのはこんな反応だっただろう。
「ほう、新参者の割にはよく上様の心中を読めるものだな(笑)」 「まあまあ光秀殿、書物の読みすぎじゃないですか。戦場は理屈通りにはいきませんよ」 「光秀殿、上様が本気かどうかは俺が一番わかっとる。あそこは攻めん。攻めれんわ」
と、こんな感じに「光秀殿はまあ……頭はいいんだけどな。融通が利かんというか、なんというか」とばかりに、本気にされなかったのだろう。
こうなったら自分で動くしかない。光秀は焼き討ちが不可避と判断し、粛々と準備を始めた。焼き討ちの10日前、光秀は地元の土豪・和田秀純に書状を送っている。
この有名な文書である「仰木之事ハ是非共なてきりニ可仕候、頓而可為本意候」。つまり、仰木のことは是非とも皆殺しにする、すぐにそうなるだろう、とある。後世この一文だけを取り出して「光秀は積極的に虐殺を望んだ」と読む向きもあるが、この書状をよく読むと、同時に信長の出陣日程を正確に和田に伝えている。また8月2日に和田に送った書状では、芦浦観音寺に「18日に信長が動く」という事前通知していたこともわかる。
和田光生「比叡山焼き討ちと天正の復興 明智光秀の果たした役割」(『成安造形大学附属近江学研究所紀要』第11号、2021年)は、この書状を丁寧に読み解き、光秀が焼き討ちを前提として周辺の土豪を懐柔し、綿密な事前準備を進めていたと指摘している。
比叡山焼き討ちで 一番 貧乏くじを引いた武将
答えは明白 明智光秀が 一番 困った立場になる
ある識者が 4ページに渡り解説・・1ページと 3ページ転載
見出し・・1ページ・・油断した延暦寺でも、激怒した信長でもない…比叡山焼き討ちで「最も損な役回り」を強いられた戦国武将の名前
NHK「豊臣兄弟!」では、織田信長が比叡山を焼き討ちするよう命じる、大河ドラマの定番シーンが描かれた。信長の冷酷ぶりを表すエピソードだが、最新研究からは違った側面が見えてきたという。ルポライターの昼間たかしさんが、文献などを基に史実に迫る――。
【画像をみる】最も損な役回りだった戦国武将
■“焼失”したのは根本中堂と大講堂のみだった
NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」。第15回(4月19日放送)は朝倉・浅井連合軍との一大決戦である姉川大合戦が描かれた。そして、第16回(4月26日放送)はついに来た、タイトルは「覚悟の比叡山」。藤吉郎(池松壮亮)と小一郎(仲野太賀)は浅井方の宮部継潤(ドンペイ)の調略を行っている一方で、信長(小栗旬)は、織田に従わないなら寺を焼き払えと光秀(要潤)に命じたのである。
いよいよやってきた、信長の見せ場比叡山の焼き討ち。時に1571(元亀2)年9月12日のことである。
さて、この比叡山焼き討ちのステレオタイプなイメージはこうである。
信長が焼き討ちを命じる→光秀がそれはまずいと説得→信長が応じず「比叡山、焼き払うべし‼」→僧侶から避難していた女子供まで皆殺し……。
しかし、研究によって現実の焼き討ちはこうではなかったということが明らかになっている。戦後になって、比叡山では発掘調査が本格的に実施された。その結果、明確に信長の比叡山焼き打ちで焼失が指摘できる建物は、根本中堂と大講堂のみで、ほかに見られる焦土層は、焼き討ち以前に廃絶していたものが大半だということが明らかになった。
■「全山大虐殺」はまったく過去のもの
こうした調査結果をもとにした兼康保明の「織田信長比叡山焼打ちの考古学的再検討」(『滋賀考古学論叢』第1集、1981年)では、「織田信長の人物像をはじめとする戦国時代の歴史観を再構築しなくてはならない時期が訪れつつある」としている。
信長研究の大家であった谷口克広『信長の天下布武への道』(吉川弘文館、2006年)では、殺戮が八王子山(別名:牛尾山、日吉大社の北側の位置に聳えるご神体のお山)を中心として行われたとしており、長らくイメージされていた「全山大虐殺」はまったく過去のものとして考えられるようになっている。
そもそも、信長が比叡山に怒り狂うまでには、それなりの経緯がある。
発端は信長による比叡山の寺領横領だった。つまり最初にケンカを売ったのは信長側である。これに怒った延暦寺は朝廷に訴え、朝廷から寺領を返せという綸旨まで出たが、信長は無視した。
こじれた関係の中で1570年、浅井・朝倉連合軍が比叡山に立て籠もった。信長は包囲したものの、四方から敵に囲まれる形になり、結局は天皇の調停で和睦するしかなかった。この「志賀の陣」の最中には弟・信治が浅井・朝倉勢に討たれている。
明智光秀
日本人は学者でも「理解力に乏しい」
「幕府」とは「最大の力ある権力者」が「征夷大将軍」となり 日本全土を「支配」し 「他の武将たち」が征夷大将軍に屈服し 征夷大将軍が支配する「全国の領土」を忠誠を誓う武将に
分割して委ね「藩」とし「藩主」となる この藩主が「大名」
諸藩の 藩民たちは 藩主(大名)を「殿様」と呼び 諸藩の大名たちは征夷大将軍を「上様』と呼び忠誠を誓っていた
この上様(征夷大将軍)をサポートする役職を「幕閣」と言い
現在では上様(征夷大将軍)に相当するのが「総理大臣」で 総理大臣をサポートする役職が「内閣」
「幕府」とは 上様(征夷大将軍)と幕閣が「幕府」
現代では 総理大臣と 内閣が「政府」
幕府=政府
つまり征夷大将軍(上様)が最高権力者となった中央政権が「幕府」
室町幕府は 足利尊氏が初代の征夷大将軍となり、足利尊氏の子孫たちが累代の「足利征夷大将軍」
だから 各地の「武将・大名」は「幕府の征夷大将軍」に「忠誠を誓っていた」
明知光秀も武将として 越前の大名「朝倉義景」も 近江の大名「浅井長政」も「室町幕府」の足利征夷大将軍に「忠誠を誓っていた」
しかし 諸行無常・栄枯盛衰は世の習いで 室町幕府は 11代足利義輝・征夷大将軍の頃から、次第に衰退に向かう
幕府が「衰退」すれば 当然の成り行きで「諸藩の大名」は自分が「天下人」に成り。日本を支配したい」と思うのが当然で
三河の大名「織田信長」が 天下を取るため 足利征夷大将軍を「手玉に取り操り」室町幕府を「支配」するため
趙高が 秦王朝を支配するため「胡亥」を2代目皇帝に擁立 2代目皇帝・胡亥を「手玉に取り」秦王朝」を支配したように
織田信長も室町幕府を支配するため 15代征夷大将軍に「足利義昭を擁立」
足利義昭を「手玉に取り」利用
ここで「明智光秀」は 室町幕府の足利征夷大将軍に「忠誠」を誓っていたが「幕府零落」
零落している幕府の足利義昭・征夷大将軍に忠誠を誓うより 天下人を目指し 室町幕府の支配を目指す「織田信長」に仕えた方が立身出世できるので「織田信長」の忠臣になる
明智光秀は 知略ある武将で 比叡山焼き討ちでも、羽柴秀吉 柴田勝家より多くの戦功を上げ織田信長の「直臣下」になる
ところが 足利義昭・征夷大将軍は 織田信長から「手玉に取られ利用」されていたので 織田信長を「不届きな不忠義者」として諸藩の家臣(大名)に
織田信長を「討ち取る」よう命じる
その為 幕府の足利義昭・征夷大将軍に「忠誠」を誓っていた 越前の大名「朝倉義景」や近江の大名「浅井長政」が 不忠義者の 織田信長の首を討ち取ろうとする
ここで 足利義昭・征夷大将軍の「忠臣」朝倉・浅井は「比叡山」を味方に付ける
そのため 比叡山は織田信長の「敵」に成り、織田信長が「比叡山焼き討ち」
さらに姉川の戦いで 幕府・足利義昭征夷大将軍の忠臣。。浅井・朝倉を「滅ぼし」
室町幕府を「滅亡」 安土桃山時代を築く
ここで 織田信長の忠臣になっていた「明智光秀」は 元々 幕府の足利義昭・征夷大将軍に忠誠を誓っていたので
幕府の足利義昭・征夷大将軍に忠誠を誓い 主君の織田信長を「討ち取るべきか」
それとも主君・織田信長に忠誠を誓うべきか 迷うことになり 自分が 天下人になるため本能寺の変で織田信長を攻め 明知光秀が天下人になる
ところが織田信長の忠臣、羽柴秀吉が 天下人になるため 天下人になった明智光秀を成敗
天下人豊臣秀吉になる・・栄枯盛衰は世の習い・・諸行無常
、
核心がハッキリ分かってない識者
明知光秀が「本当に善人だったのか?」 そんな事は学生時代に言うセリフ
見出し・・・明智光秀は本当に「善人」だったのか?比叡山焼き討ちに積極関与した証拠と 織田信長による比叡山焼き討ちは、戦国史の中でも特に衝撃的な出来事として知られている。一般には信長の苛烈な行動として語られることが多いが、その裏側では家臣たちも重要な役割を担っていた。その中でも注目すべき存在が、後に本能寺の変を起こす明智光秀である。
実は光秀は、この比叡山焼き討ちにおいて積極的な役割を果たしていた可能性が高い。いったい光秀はどのように関与していたのか。その経緯を史料からたどってみたい。
比叡山焼き討ちへと至る緊迫の情勢 元亀2年(1571)2月、浅井氏の家臣で佐和山城(滋賀県彦根市)を守備していた磯野員昌が、突如として織田方に寝返った。佐和山城は美濃と近江を結ぶ交通の要衝であり、この離反は浅井氏にとって大きな打撃となった。
信長は磯野氏の代わりとして、家臣の丹羽長秀を佐和山城に配置した。同年5月、信長は長島の一向一揆と戦ったものの、意外にも敗北を喫している。その一方で、顕如の子・教如と朝倉義景の娘との縁談が成立し、反信長勢力の結束は強まりつつあった。
同年8月、信長は浅井氏を攻めるため出陣し、さらに金森(滋賀県守山市)まで軍を進めた。ここは近江一向一揆の拠点であったが、最終的に一向一揆側は降参し、人質を差し出すこととなったのである。
和睦を拒み続けた比叡山の強硬姿勢 こうした情勢の中で、比叡山延暦寺もまた反信長の姿勢を鮮明にしていった。もともと比叡山は信長との和睦に消極的で、交渉への返答も滞りがちであった。交渉を担当していた二条晴良は憤慨し、信長自身も同様の不満を募らせていたと考えられる。
信長は比叡山が要請に応じないことに加え、いちおう和睦が成立したものの近江から撤退せざるを得なかった無念を晴らそうと考えた(『信長公記』)。こうして決断されたのが、後世に悪名高い比叡山焼き討ちであった。
光秀は裏方ではなかった―土豪調略という重要任務 比叡山焼き討ちに際し、明智光秀は単なる従軍者ではなかった。同年9月2日、光秀は和田秀純に宛てて書状を送っている(「和田家文書」)。和田氏は、宇佐山城からほど近い雄琴(滋賀県大津市)の土豪であった。
秀純は近隣の土豪である八木氏とともに光秀に味方することを約束し、鉄砲や弾薬の補給を受けたうえで仰木(同大津市)の攻略にあたることになった。これは、焼き討ち作戦の周辺地域を制圧するための重要な準備であったとみられる。
さらに信長は志村城(滋賀県東近江市)を攻略し、その後は長光寺(滋賀県近江八幡市)に全軍を結集する計画だったという。光秀は近江の土豪を調略する任務を担っており、この作戦の進行に深く関与していたのである。光秀が焼き討ちに積極的に関わっていた可能性は、こうした史料からも読み取ることができる。
焼き討ち後に待っていた光秀の大出世 比叡山焼き討ちが行われた後、信長はただちに家臣たちへ恩賞を与えた。光秀には志賀郡が与えられている。志賀郡は現在の大津市域の大部分を占め、比叡山の東麓に位置する重要な地域であった。
光秀が坂本城を築いたのも、この比叡山麓の坂本である。坂本は山中越えによって京都の白川へ至る交通の要衝であり、軍事・政治の両面で極めて重要な地点だった。つまり、この所領付与は単なる恩賞ではなく、信長からの厚い信任を示すものだったといえるだろう。
メラニン色素ばばさんのもだえ あえぎ脱糞
見出し・・・メラニア夫人がABC司会者の処分を要求 侮辱発言を「憎悪的で暴力的」と批判 トランプ大統領も「明らかに度を超えている」
トランプ大統領の妻メラニア夫人は27日、ABCテレビに対し、番組の司会者が自身を侮辱する発言をしたとして、処分を求めました
知略がない米トラ政権
イランから振り回されているじじころじいさん 日本の高いちんころ政権は、米トラに振り回されている万ころばばさん
戦争すれば 中国の知略に歯が立たない 日本識者は田舎のチンドン屋
見出し・・・「アメリカ全体がイランに屈辱をうけている」ドイツのメルツ首相が痛烈批判 「控えめにいっても軽率だ」
ドイツのメルツ首相は27日、アメリカのイラン戦略について、「控えめに言っても軽率で国全体が屈辱を受けている」と批判しました。
メルツ首相は27日、自身の選挙区で学生たちに向けて講演し、イラン情勢をめぐるアメリカの対応について、「明らかに戦略がない」と指摘しました。
また、紛争における出口戦略の重要性について、「アフガニスタンやイラクで、私たちはそれを痛ましく経験した」と述べたうえで、「一連の出来事は、控えめに言っても軽率だ」と批判しました。
一方、イラン側については、「非常に巧みに交渉している。あるいは、巧みに交渉しないことで、アメリカ側をイスラマバードまで行かせたにもかかわらず、何の成果もなく帰らせている」との見方を示しました。
さらに、「アメリカという国全体が、イランの国家指導部、とりわけ、いわゆる革命防衛隊によって屈辱を受けている」と述べました。
自己矛盾に満ちている「高市総理」
この自己矛盾に気付かず「相対性理論」を構築した物理学者が 20世紀最大の理論物理学者アインシュタイン
アインシュタインは 自分の「自己矛盾」に気付かず 相対性理論を構築
しかし この理論は自己矛盾しているので 100年経った現在でも「正しさが立証されていない」
アインシュタインがノーベル物理学賞を受賞したのは 相対性理論ではなく「光量子仮設」
つまり 20世紀最大の物理学者アインシュタインは 自己矛盾して相対性理論を構築
高市総理も「自己矛盾」していて 憲法第9条 改憲
だから自己矛盾している高市総理を・・中国政府が 高市総理に「日本は また軍国主義に戻るのか」非難している
日本は軍国主義に戻るのか 参考
日本は「新型軍国主義」と批判 中国、秩序挑戦者と定義か
「新型軍国主義」という言葉を用いた評論を掲載した、中国共産党機関紙、人民日報
中国が「新型軍国主義」という言葉で日本を批判し始めた。
中国専門家は「戦後国際秩序への挑戦者として日本を再定義する動きだ」と分析。
18日に発足する第2次高市政権が憲法改正に向けた議論や防衛力増強を加速させることを中国は警戒しており、
対日対抗措置を念頭に置いた「ストーリー作り」の一環との見方も出ている。
『新型軍国主義』は日本を再び深淵に引き込む」。1月9日付の中国共産党機関紙、人民日報は「鐘声」というペンネームで国際論評を載せた。
鐘声の署名論評は習近平指導部の対外認識を示すとされ、同論評が新型軍国主義という言葉を使用したのは「これが初めて」
論評は「日本の右翼が侵略の歴史を否定し、非核三原則を見直し、平和憲法から離脱することを望んでいる」と高市政権を批判。
「新型軍国主義の執念に基づき日本を改造しようとしている」と主張した。
人民日報は同27日付紙面にも「日本の『新型軍国主義』を食い止めなければならない」との論評を掲載した。
中国政府は 高市総理に「日本は また軍国主義に戻るのか」非難している
この「理由」
日本は 明治時代「軍国主義」の国家になり 昭和時代の1937年「盧溝橋事件」を契機に
何の罪もない 中国を 一方的に「侵略」
だから、中国政府は 高市総理に「日本は また軍国主義に戻るのか」非難している理由
自衛隊とは何か?
太平洋戦争で1945年 日本は米国に「敗戦」 その為 戦勝国の「米国」が「日本を統治支配するため
米国GHQ(進駐軍)が 日本を統治支配する
しかし 日本人民にとって太平洋戦争で「鬼畜米兵」と呼んでいた米軍の進駐軍が 日本を統治支配したため
日本人民が 米国の進駐軍(米国GHQ)に反乱 治安が乱れてしまう
そのため米国GHQが「日本の治安を治める」為「警察予備隊」を設立
ところが 1950年 共産主義勢力が資本主義の米国が建国した「韓国」を侵略したため
資本主義の米国が「共産主義の拡大」を「防衛」するため1952年 日米同盟 日米安全保障条約締結
そのため「警察予備隊」が 共産主義を「防衛」する「自衛隊」になる
しかし 日本国憲法第9条で「日本は恒久的に戦争放棄の条文」
だから 自衛隊は「軍隊ではない」
ところが「高市総理」は 米トラに「ゴマすり」で、憲法第9条を 改正しようとしている
つまり 自衛隊を軍隊化しようとしている
だから 中国政府は 高市総理に「日本は また軍国主義に戻るのか」非難している
高市総理は 自己矛盾しているが単純なので それも自覚できない
だから 自衛官の葬儀にも参列しない、自己矛盾も分からない
自衛隊の戦車爆発で犠牲になった3人の自衛官が「昇格」
見出し・・・死亡隊員3人が特別昇任 陸自戦車事故共同通信
大分県の日出生台演習場で戦車の射撃訓練中に砲弾が破裂した事故で、防衛省は27日、死亡した陸上自衛隊の隊員3人をそれぞれ1階級特別昇任させたと明らかにした。昇任は死亡が確認された事故当日の21日付。
・・・これは「軍隊では当然」の形式
どの国の軍隊も同じで「階級制度」があり
1)最前線で敵と戦う兵隊が「最下位」の兵士
2)兵隊を指導する軍人が「伍長」
3)この伍長を指揮する軍人が「軍曹や曹長」
4)この軍曹・曹長を指揮する階級が 大尉・中尉・少尉
5)この大尉・中尉・少尉を指揮する階級が 大佐 中佐 少佐
6)この大佐 中佐 少佐を指揮する階級が 大将 中将 少将
軍隊の最高トップは 大将
このような階級制度に成っていて 国のため殉死すれば 階級が昇格する仕組みになっっていて
今回 戦車で死亡した自衛官3名は 国のため殉死したとして昇格
しかし高市総理は 軍隊に無知で 葬儀に参列してない
人民、思いでない日本の政治家
自分の「保身ばかり重要視」人民の事など軽視
先般 自衛隊の戦車が爆発、犠牲になった3人の自衛官の葬儀に、高市総理は参列しなかったと言う
この人民軽視は 高市が 立身出世で裏金議員まで味方に付け「自民党総裁」になり、さらに最高指導者の総理大臣になるため 自民党最大派閥の麻生太朗を取り込み「総理大臣」に就任
高市は「自分の保身と国際社会から評価」される事しか頭にない女
だから米トラから、評価される為「ゴマすりの太鼓持ち」
ところが 日本人民の大多数は「マゾ」で 70%のマゾ日本人が支持
見出し・・・戦車事故殉職者の葬送式に首相参列せず、米山隆一氏が批判「理解できません」 投稿に波紋、過去にも首相参列なしの例
中道改革連合の米山隆一前衆院議員が、大分県・日出生台演習場で訓練中に戦車内で砲弾が破裂して亡くなった3人の自衛官の葬送式に、高市早苗首相が参列しなかったことについて、「理解できません」と意見した。過去にも首相が参列しなかった例はあり、米山氏の投稿には波紋が広がっている。
■「自衛隊トップである総理大臣が出席しないのは、私には理解できません」
高市首相は26日にXで、同日に陸上自衛隊玖珠駐屯地(大分県玖珠町)で葬送式が行われたことを報告。「内閣総理大臣として、衷心より哀悼の誠を捧げます」とした。一方、各社の首相動静によるとこの日は終日公邸で過ごしていたとあり、葬送式に参列はしていないようだった。
なお、小泉進次郎防衛相は参列したことを自身のXで報告している。
米山氏はXで、高市首相が葬送式に参列しなかったことに言及。「勿論、公務の優先順位はあります。全てに出る必要があると言う事ではありません」としたうえで、
「特段の公務がないにも関わらず、自衛隊トップである総理大臣が出席しないのは、私には理解できません」
と意見した。
この投稿には同意を示す意見が寄せられた一方、首相が殉職した自衛隊員の葬送式に参列しなかった例は過去にもあったとして、「全ての公務員の葬儀に総理が出るって現実的じゃないでしょう」「葬送式では防衛大臣が出席されてます」「高市さんが嫌いだからって難癖は付けないで欲しい」といった声も寄せられた。
例えば岸田文雄元首相は、23年6月10日に行われた、陸上自衛隊のヘリコプター事故で犠牲となった自衛隊員の10人の葬送式には参列している一方で、参列しなかった葬送式もある。24年6月22日と30日に行われた海上自衛隊の哨戒ヘリコプター2機の衝突・墜落事故で殉職した計8人の葬送式には、当時の防衛相・木原稔氏は参列したものの、岸田氏は参列していない。
歴史の無知な識者
>織田信長は本当に無神論者だったのか?比叡山焼き討ちの「真の理由」を史料
・・・現代社会は 金や物の「物質世界」だが 昔は 今より遥かに「純朴」で現代のように「学問」が発達していない時代
「運命は神頼み」で、戦国の武将は戦いで「勝利するよう神頼み」で「信仰心に篤かった」
因みに歴史家・井上鋭夫の著書「上杉謙信」では 謙信は生涯、70戦、戦ったといわれ
戦いに際し「鶴岡八幡宮』に祈祷文を奉納していて 今も上杉神社に残されている
織田信長の「先祖」は、越前の織田神社(剣神社)の神官で「信仰心に篤い武将」
ところが 比叡山の僧侶たちは 色街に繰り出し 酒を「般若湯」と称し、遊女を「蓮の花」と称し 傲慢に振る舞い「戦闘軍団化」していて
僧侶ではなく酒を飲み 遊女と交わっていた「破戒僧」どもで「生臭坊主」どもは 仏教の僧衣を着た「偽僧侶」として
比叡山の「仏閣」を悉く焼き払い 比叡山の生臭坊主(破戒僧)どもを皆コロし したのが「比叡山焼き討ち」
甲斐の「武田信玄」も 諏訪大社を「勝利に導く神社」として信仰していた武将
だから織田信長が 比叡山の僧侶どもを皆コロし、する「比叡山焼き討ち』に際し
家臣の 真田昌幸に「天台座主・曼珠院門跡覚恕」の救出を命じ 真田昌幸が無事救出したため
天台宗が破滅せず生き残る
戦国の武将たちは 戦いで 死ぬか生きるかの運命で 信仰は篤かった
発砲男は アラブ系イスラム教徒の可能性
キリスト教米国とイスラム教アラブは 昔から敵対関係
見出し・・米記者団夕食会銃撃事件の容疑者、犯行10分前に家族へ声明文…トランプ氏殺害を示唆
米ワシントンDCのホテルで開かれたホワイトハウス記者団夕食会会場で発生した銃撃事件の容疑者、コール・トーマス・アレン。[フェイスブック キャプチャー]
アレン容疑者は「もし絶対的に必要であれば、行事参加者の大半は小児性愛者、強姦犯、反逆者の演説に出席することを『選択』したのだから共犯に当たるという前提で、ほぼすべての人を押しのけてでも標的に接近する」とし、「ただ、そのような状況にならないことを願う」と記した。数百人の会場参加者に対しても敵意を示し、潜在的な攻撃を正当化した形だ。
アレン容疑者は、自身の犯行に対して予想される批判と、それへの反論もあらかじめ文書に盛り込んだ。彼は自身の犯行については、「キリスト教徒として(誰かがあなたの片方の頬を打てば)もう一方の頬を差し出すべきだ」という反論が出る可能性があるとし、「もう一方の頬を差し出すのは、自分が抑圧されている時だ」と反論した。続けて「私は、収容所で強姦された人、裁判もなく処刑された漁師、爆撃で死亡した学生、飢えた子ども、この政権の数多くの犯罪者に虐待された10代少女でもない」とし、自身は直接的被害者ではないとしたうえで、「他の誰かが抑圧されている時に、もう一方の頬を差し出すのはキリスト教徒の行動ではない。それは圧制者の犯罪に加担することだ」と主張した。
トランプ大統領は26日、FOXニュースのインタビューで、「彼の声明文を読めば、彼がキリスト教徒を憎んでいることは明らかだ」とし、「彼は長い間、心の中に深い憎悪を抱いていた。それは宗教的な問題だった。強い反キリスト教的傾向を示していた」と語った。
アレン容疑者は声明文で、今はこのようなことを行うのに適切な時期ではないという批判があり得るとし、「誰かが強姦されたり殺害されたり虐待されたりするのを目撃した時、被害者ではない人々にとって『不快』かもしれないという理由で、そのまま通り過ぎるべきだと思うのか」とし、「私が思いつく限り最善のタイミングであり、成功の可能性が高い機会だった」と主張した。
核心が、まだ分からない識者
見出し・・織田信長は本当に無神論者だったのか?比叡山焼き討ちの「真の理由」を史料 元亀2年(1571)9月、織田信長は比叡山焼き討ちを決行した。この出来事は、信長が宗教を否定した象徴的な事件として広く知られている。
しかし、信長は本当に無神論者だったのだろうか。比叡山焼き討ちは、単なる宗教否定の行動だったのか。本稿では史料をもとに、その実態を改めて考えてみたい。
信長による比叡山の焼き討ち 信長の軍勢が坂本・堅田付近に放火を開始すると、一斉に比叡山へ攻め込んだ。その様子は、『信長公記』に詳しく描かれている。死者の数は、フロイスの書簡には約1500人、『信長公記』には数千人、『言継卿記』には3000~4000と記されており、数には差がある。
いずれにしても、相当数の人々が亡くなったことは間違いない。坂本周辺に居住していた僧侶や住民たちは、日吉大社の奥宮の八王子山に立てこもったが、信長の軍勢によって焼き殺された。
比叡山焼き討ちはどう理解されてきたのか これまで信長による比叡山焼き討ちは、どのように理解されてきたのだろうか。天台宗の比叡山延暦寺は、中世を通して宗教的権威として畏怖され、ときの権力者は公家・武家を問わず、容易に手出しできない存在であった。
しかし信長は、その中世的権威を否定すべく焼き討ちを実行したと考えられてきた。こうした理解から、この出来事は信長の革新性や無神論的性格を示す象徴的な事件として、長く評価されてきたのである。
では、当時の人々はこの焼き討ちをどのように受け止めていたのか。山科言継(ときつぐ)の日記『言継卿記』には、「仏法破滅」「王法いかがあるべきことか」とあり、この行為を厳しく非難している。
仏法とは仏教のことであり、王法とは政治や世俗の法、慣行を意味する。言継は、信長の行為をきわめて批判的に捉えていたのである。
信長が見た比叡山の実態とは何か 一方で、信長自身はどのように考えていたのだろうか。当時の比叡山延暦寺の様子について、『信長公記』には次のように記されている。
山本山下の僧衆、王城の鎮守たりといえども、行体、行法、出家の作法にもかかわらず、天下の嘲弄をも恥じず、天道のおそれをも顧みず、淫乱、魚鳥を食し、金銀賄いにふけり、浅井・朝倉をひきい、ほしいままに相働く。
この記述を見る限り、比叡山延暦寺の僧侶らは本来の責務を果たさず、放蕩三昧の生活を送っていたと認識されていたようだ。こうした状況は、『多聞院日記』(興福寺塔頭多聞院英俊の日記)にも、修学を怠っていた様子が記されている。
さらに比叡山延暦寺は、信長に敵対する朝倉氏・浅井氏に与同したという。結論として、こうした僧侶らの不行儀と敵対行動こそが、比叡山焼き討ちの原因であったと考えられる。
信長は事前に「最後通告」を行っていた 前年の元亀元年、朝倉氏・浅井氏と戦っていた信長は、比叡山延暦寺に対して次のように通告していた(『信長公記』)。
1.信長に味方するなら、山門(比叡山)領を返還すること。
2.一方に加担せず、中立を保つこと。
3.これらを受け入れない場合、根本中堂を焼き払うこと。
しかし、比叡山延暦寺の衆徒は明確な回答をせず、最終的には朝倉氏・浅井氏に味方した。信長は自らの申し出が受け入れられなかったため、比叡山焼き討ちを決意することになる。
ここで重要なのは、信長が仏教そのものを否定したわけではないという点である。問題とされたのは、僧侶が本分を忘れ修学を怠り、さらに信長に敵対する勢力に加担したことであった。
「信長=宗教否定」は本当に正しいのか 信長による比叡山焼き討ちは、仏教の否定や宗教的権威の破壊を意味する出来事として理解され、信長が無神論者であったことの証拠とする見方が広く流布してきた。
しかし実際には、信長に宗教そのものを否定する意図があったとする確かな根拠は見出しにくい。むしろ、敵対勢力に与同した武装勢力としての比叡山への軍事的対応と理解する方が、史料の内容には即している。
いまなお「信長は宗教を否定した人物である」という説は広く知られているが、それは必ずしも史料に基づいた理解とはいえない。比叡山焼き討ちの実像を正しく捉えるためには、従来のイメージだけでなく、史料の内容を丁寧に読み直す必要があるだろう。
米人が 喧嘩相手を罵る英語
ファッ、キュー ・・Fuck you!
「huck you 意味」
huck you は英語の本来の表現ではなく、多くの場合 fuck you(「くたばれ」「ふざけんな」などの強い悪口)の F を打ち間違えたもの、
あるいは放送コード・検閲回避のために F を H に置き換えた婉曲表現として使われます。
したがって意味も、ほぼ同じ強い侮辱表現と考えてください。
翻訳
Open the Fuckin’ Strait・・・Fuckin’ とは、Fuckining の事で ing を省略したのが
コンマ(’)を付けた、Fuckin’ で 意味は「忌々しい」、と言ったように 語気を強めるために使う用語で
Strait とは 海峡のことで
このいまいましい閉じられた海峡を さっさと開けろ=! といういう意味
それを ある識者が
Open the Fuckin’ Strait(ファッキン海峡を開けろ)・・性的に閉じられた海峡を開けろ!
つまり 女性の閉じられたアソコを開けろ と言う具合に翻訳
Open the Fuckin’ Strait(いまいましい海峡を開けろ)
you crazy bastard(お前は、気が狂った嫌なヤツだ)
you’ll be living in Hell(地獄で生きていくことになるぞ)
・・国家の大統領としては 品格が落ちる表現だが、男なら誰でも「喧嘩相手を罵る表現」
何処も不適切な発言ではない・・翻訳の仕方が違い「不適切な表現」にしている
人間は「落ち目」になると「寄ってたかって」 散々 非難される
トランプは不適切は 発言をしていない
日本識者が「おかしな翻訳」を報道している
見出し・・4ページの1ページ・・「トランプは狂った犯罪者」支持者は離れ、他国からも批判…トランプ大統領が発した“禁句”とは
支持率低迷が続くトランプ大統領 ©CNP/時事通信フォト
ドナルド・トランプは自滅への道を歩んでいるように見える。公約だった「戦争をしない」を覆してイラン戦争を始め、MAGAインフルエンサーたちから一斉に批判された。ガソリン代の急騰により、MAGA有権者もトランプから離れ始めた。(寄稿:堂本かおる)
◇
確たるプランもなく簡単に勝てると始めた戦争は泥沼にはまり、逆上してイランの「文明を全滅させる」と人道にもとる暴言を吐いた。さらには戦争反対を唱えるローマ教皇にまで噛み付いた。失いつつあるクリスチャン有権者の支持を取り戻そうと自身をキリストとして描いた画像をSNSにポストしたが逆効果となり、世界中から大批判を浴びた。
トランプのこうした言動を受け、職務履行が不可能な大統領を罷免する憲法修正第25条の発動案までもが出ている。それでもなおトランプはナルシシズムと権力志向に基づいた暴言をやめられずにいる。
大統領が口にした「Fワード」 4月5日はイースター(復活祭)だった。キリストの復活を祝う、キリスト教徒にとって非常に重要な祭日だ。春の訪れを祝う日でもあり、かわいいウサギをシンボルとし、カラフルに塗ったタマゴを子供たちが探すゲームが行われる。
そんなイースター・サンデーの朝8時(現地時間。以下同)にトランプが自身のSNS、トゥルース・ソーシャルに行なったポストは誰にとってもショッキングだった。
〈「火曜日はイランにおいて発電所の日であり、橋の日でもある、全てが一度に起こる日となる。これほどの日は他にない!!! このクレイジーなクソッタレども、ファッキン海峡を開けろ。さもないと地獄で生きていくことになるぞ――見てろ!アッラーに栄光あれ。ドナルド・J・トランプ大統領」〉
米軍がイランの発電所と橋、つまりインフラを一斉攻撃するという脅しだが、その内容以上にトランプの言葉遣いに誰もが驚いた。
・Open the Fuckin’ Strait(ファッキン海峡を開けろ)
・you crazy bastards(クレイジーなクソッタレども)
・you’ll be living in Hell(地獄で生きていくことになるぞ)
合衆国政府の「移民奨励法」とアラブ人
「移民奨励法」とは何か
移民奨励の代表例
アメリカで「移民を奨励する」法律としてよく挙げられるのは、南北戦争期の次のようなものです。
1864年「移民奨励法」
南北戦争で労働力不足になったことから、政府が移民募集会社を認め、契約労働移民を組織的に受け入れようとした法律です。エイブラハム・リンカーン大統領が署名し、連邦レベルでは初の本格的な「移民奨励」法と言われます。
ただし、この法律自体は短命で、のちに廃止され、アメリカの移民政策は次第に「奨励」から「制限・選別」へと向かっていきます。
🧭 アラブ人とアメリカ移民法
国籍別・地域別の制限
アラブ人を名指しで「奨励」した法律があるわけではなく、アラブ人は主に「中東・北アフリカ地域出身者」として、他の地域と同様に移民法の枠組みの中で扱われてきました。
アメリカの移民法は、20世紀前半までは国籍ごとの割当制など「人種・出身地」に強く依存した規制で、西欧出身者を相対的に優遇していました。
1924年移民法などは、特定地域の移民を大幅に制限し、民族構成の維持を目的としたものとして知られています。
その後、1965年移民法改正で人種・国籍による差別的な割当が撤廃され、家族結合や職業技能を重視する現在の枠組みに近づき、中東・アラブ地域からの移民も増えていきました。
「奨励」というより「条件付き受け入れ」
現代の制度では、アラブ人を特別に「奨励」するというよりも、他地域と同じように
家族呼び寄せ
雇用ベースの移民ビザ 難民・亡命などのカテゴリーで、条件を満たす人を受け入れている形です。
一方で、テロ対策や安全保障上の理由から、中東・アラブ地域出身者への審査が実務上厳格になった時期もあり、「奨励」というよりは、セキュリティ審査と移民受け入れが常にセットで語られてきました。
🧩 いまのアラブ系アメリカ人の位置づけ アラブ系アメリカ人は、アメリカ社会の中で一つの少数派コミュニティとして存在しており、政治意識や社会問題への考え方は一枚岩ではありません。調査によると、多くは政治的に中道からリベラルと自認しながらも、不法移民問題などでは比較的保守的な意見を持つなど、複雑な立場が見られます。
今夜のラスト
「山」
「山の彼方の空遠く、幸い住むと人の言う」・・カール・ブッセ
「岳」の一部 紹介
山の心・・「心のこだま」
ほんの一部だけ紹介
・・オレは島崎三歩、アナタを助けに来たんだ、アナタは、山の稜線から滑落して、ここにいる
命に別状はないね「よく頑張ったね」ここよりも救出ヘリが アプローチしやすい山頂まで運ぶよ いいね!
遭難者・・ハイ! お願いします
遭難者を背負い 救出ヘリが待つ山頂まで運ぶ島崎三歩・・痛むかもしれないけど、もう少しだけ辛抱ね!
こうして島崎三歩は、遭難者たちを救出
漫画「岳」の10巻目・・山の心「心のこだま」から抜粋
こだまでしょうか?
現代の日本は、若者も老人も「孤独が増加」・・孤独でも「こだま」だけは返事してくれる
だから 東北大震災で、家族が離れ離れになり 死に別れ 孤独に陥り
金子みすずの詩「こだまでしょうか」が テレビで 何度も 放送された
参考
金子みすゞの作品の一つ「こだまでしょうか」(原題「こだまでせうか」)を取り上げたACジャパンのCM(歌手・UAによる朗読)が、
東北地方太平洋沖地震に伴うCM差し替えにより多く露出したことにより「金子みすゞ全集」の売り上げが伸び、地震の影響で重版が困難なことから『金子みすゞ童謡集「こだまでしょうか」』として急遽電子書籍化されるなどの広まりが見られる。
また、「こだまでしょうか」独特の語調をパロディにした作品がインターネット上で広まるなどの話題を呼んでいる[12]。
この影響もあって、金子みすゞ記念館の入場者数が急増、2015年11月17日には150万人を突破した[13]。
更に、2026年には、音楽グループH△Gによって楽曲化され、2月から『みんなのうた』で新曲として放送予定となっている[14]。
山の「こだま」
孤独に陥り 山に癒されるため 山で・・ヤッホ=!と叫べば、ヤッホー!
「こだま」が返事してくれる
今夜の詩は 孤独で自・殺した「金子みすず」の「こだまでしょうか?」
>金子みすゞの詩「こだまでしょうか」―「いいえ、誰でも」
東日本大震災のときに、テレビから民間企業のコマーシャルがいっせいに消えた。
その代わりに延々と聞かされたのが、公益社団法人「ACジャパン」のCMだ。金子みすゞの詩「こだまでしょうか」を、どれだけ聞いたことか。
最近、この詩を読み直す機会があったので、「誰でも」ってどういう意味なのかをあらためて考えてみた。
■金子みすゞの詩・・「こだまでしょうか」
「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。
「馬鹿」っていうと
「馬鹿」っていう。
「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。
そうして、あとで
さみしくなって、
「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。
こだまでしょうか、いいえ、誰でも。
石塚真一の作品「岳」
この主人公は 島崎三歩という若者で、ただ山を 一途に愛する男
危険を冒しても「なぜ山に登るのか 山がそこにあるから」
参考
「なぜ山に登るのか そこに山があるから」
人はなぜ山に登るのかという問いには一つの正解はありませんが、 「そこに山があるから」という好奇心や挑戦心、頂上からの景色や達成感、日常から離れて自然の中で心身をリセットしたいという欲求など、複数の動機が重なって人は山に登ると考えられます。
山に登る主な理由
1)頂上からの景色や達成感を味わいたい
2)日常から離れ、静かな自然の中でリフレッシュしたい
3)自分の限界に挑戦し、成長や自信を得たい
4)仲間と登ることで、共有体験や一体感を得たい
名言とその背景
英国登山家ジョージ・マロリーの言葉として知られる
「なぜ山に登るのか」「そこに山があるから」
日本の登山家や作家も、「頂上からしか見えない景色がある」などと表現
心理学・研究から見た登山動機
社会心理学の研究では、登山動機は複数の要素に分解される
1)自己実現・達成欲求
2)自然との一体感・癒やし
3)冒険・スリル追求
4)社会的つながり(仲間・コミュニティ)
危険と向き合うという側面
遭難や事故のリスクがある中で、あえて山に向かう人も多い
冒険家やクライマーへのインタビューでは「生きている実感」や「自分の存在を確かめるため」と語られることがある
こうした「命をかけた挑戦」もまた、「なぜ山に登るのか」という問いの一つの答えになっている。
・・・吾輩も 島崎三歩と同じ 山好きな男で 毎日「山歩き」している山大好きな山猫
キリスト教徒の言葉
「人の生きるは パンのみに非ず 神の口より、いずる全ての言葉による」
意味は・・金や物を求める「物質世界」に生きるのではなく 神の教えによる「精神世界」に生きよ」と言う意味
これが、キリスト教の言葉
この「精神世界」を 漫画家・石塚真一が描く「岳(がく)」
山岳で 転落した遭難者を 島崎三歩という若者が 自分の命も顧みず 危険を冒かし 救出
遭難者が 死亡していても 生存していても 必ず「よく頑張ったね」声を掛ける
つまり 島崎三歩は 窮地に陥っていた遭難者を救出する物語
イエス・キリストのような男 しかし冗談ばかり言う ひょうきんな男で 憎みたくとも憎めない男で 山岳を ただ一途に愛する男で
住まいは 山岳のテントが 自分の住居で 神聖な山の魅力に 取りつかれた男で
金や物には興味がなく ただ一心に山を愛し 山で遭難した人を助け出すのを 喜びにする男
この漫画「岳」は「お涙頂戴」のような 押しつけがましい感動ではなく、見ていると、名状し難い感動が湧いてくる感動大作
「岳」を見て・・感動した人の感想
石塚真一さんの登山漫画、『岳』(小学館出版)について
このベストアンサーは投票で選ばれました
win****さん
2008/6/27 11:53
いわゆる18禁的描写は、まったくありません。
確かに人の生き死にに関わる部分はリアルに描かれていて、ちょっとキツイです。
でも、それでも山の素晴らしさ、生きることの素晴らしさ!が全面に出てますから、
山に興味のない人にも、お勧めです。だって「よく頑張った!」って強くて優しい人に
言ってもらいたいじゃない?(笑)
つまり人生の応援歌です。私、泣いちゃいました
是非是非。ここは二セット買って、一つはお手元に置いて、読んで下さい!
山に行ったことがなくても、行ってみたい、と思われると思います。私、今年の夏は 白馬岳です!
韓国メディアの報道の「意味」
>人はパンのみにて生くるにあらず
・・この意味は「キリスト教徒の言葉」で 正しくは
「人の生きるは、パンのみに非ず 神の口より「いずるあらゆる言葉」による
意味は 人間は 金や物の欲望で「物質世界」に生きるのではなく、神の教えによって「精神世界」に生きよ」という意味
米トラは 米国至上主義で 米国の欲望を叶える「物質世界」で 産油国の「イラン」を支配する為 イラン攻撃
だから、ある識者(キリスト教徒)が 米トラを非難して
>人はパンのみにて生くるにあらず
>トランプは最近、ソーシャルメディアに「狂った野郎ども、くそったれのホルムズ海峡をすぐに開放しろ」と投稿した。
いったいなぜ私たちは、世界最強国の大統領が極度に低俗な言葉を吐き、そのような指導者が神と同一視される世界に住むことになったのだろうか。
・・・なぜ 米トラが「イランに激高した発言」したのか
米トラは「まだ駄々っ子」で 自分の思い通りにしないと「気が済まない大統領
しかし イランは 思い通り支配できないので「イランに激高した発言」
韓国メディアの報道
見出し・・・人はパンのみにて生くるにあらず【寄稿】
スラヴォイ・ジジェク|リュブリャナ大学(スロベニア)、慶煕大学ES教授
4月1日、米国ホワイトハウスで開かれたイースター昼食会で、ドナルド・トランプ大統領のスピリチュアルアドバイザーとして知られるポーラ・ホワイト牧師が、彼をキリストにたとえて称賛した。一方、トランプは最近、ソーシャルメディアに「狂った野郎ども、くそったれのホルムズ海峡をすぐに開放しろ」と投稿した。いったいなぜ私たちは、世界最強国の大統領が極度に低俗な言葉を吐き、そのような指導者が神と同一視される世界に住むことになったのだろうか。その答えを、個人の精神状態ではなく、現代ポピュリズムの構造のなかから探さなければならない。
こんにち世界各地で広がるポピュリズムの波は、自由民主主義の約束が果たされなかった結果だ。一般の人たちが、自分たちは社会で重要ではない「取り残された人たち」だと感じるようになり、その結果、政治エリートと大都市の文化的エリートに対する恨みが形成されたのだ。要するに、ポピュリズムは経済的問題に起因したものというよりは、ヘーゲル的な意味での承認をめぐる闘争だ。
彼らはこの20年間、政治の主体となり、ウォール街占領デモ、イタリアの五つ星運動、スペインのインディグナドス運動、急進的環境運動、MeToo運動、黄色いベスト運動、極右政治にいたるまで、左右を問わず、政治的・社会的運動の行為者として登場した。重要なのは、彼らが前面に掲げるものが、物質的な要求ではなく、「価値」「偉大さ」「尊厳」だということだ。いまや、政治現象を経済だけで説明する観点は有効ではなくなったようだ。エルンスト・ブロッホの洞察どおり、人間はパンのみで生きる存在ではなく、パンがないときには、なおさらそうだ。重要なのは挫折した欲望ではなく、傷ついた自尊心だ。
米国・イスラエルとイランの戦争も、このような観点でみる必要がある。イランの政治エリートは、イランが貧困と爆撃に直面している状況下でも、現在の対立が石油問題ではなく、イランの尊厳、すなわち、屈辱的な平和は受け入れないという意志の問題であることを明確にしている。何も持たざる人たちであるほど、自分たちの闘争が単なる物質的な必要を超えたものであることを明確に示そうとする。
反対側も同じだ。敗北が明らかになった状況下でも、ナチスが最後まで持ちこたえたのは、重工業の利益のためではなく、歪曲された意味での「倫理的な」執着のためだったように、トランプがイランを石器時代に戻すと脅している状況もそうだ。彼は単に軍産複合体の利益のためではなく、本当に一つの文明を消し去るという明確な目標を持って行動している。
「今夜、一つの文明全体が消滅するだろう」というトランプの発言は、「文明の衝突」とはかけ離れている。ここでイランは被害者として文明を代表する位置に置かれ、米国とイスラエルは文明を破壊しようとする非文明として登場する。特に、イランの核兵器保有を戦争犯罪だとみなすことは、核保有国である米国が、少なくとも現時点では核を保有していないイランを攻撃するという点で矛盾している。
私たちが犯してはならない失敗は、トランプが単に長期的な戦略の一環として狂気じみた表現を誇張して用いていると考えることだ。世界で最も強力な国家の指導者が、一つの文明を抹殺すると言ったという事実だけでも、それはすでに文明の終末を意味する。トランプの発言の意図を確信できないという、まさにその事実自体が、終末の兆候だ。私たちは、虚偽と真実、言葉と事実の境界が崩壊した領域、事実と論証がもはや機能せず、神話と叙事によって支配される前近代的な魔法の世界に足を踏み入れている。
トランプの文明抹殺の脅迫は、世界が今、どの方向に進んでいるのかを示す警告のシグナルだ。彼の脅しを経済的な利害関係の枠組みだけで説明するのは望ましくない。同様に、ロシア・ウクライナ戦争で西側がウクライナを支援する理由が、単に軍需産業の利益を保証するためだという一部の左派の主張も荒唐無稽だ。現在の対立を貫く根本的な論理は、何よりも尊厳、屈辱、そして承認だ。
大正天皇
見出し・・・大正天皇は時の政治家の操り人形だったのか―草森 紳一,平山 周吉『大正天皇』
『大正天皇』
◆芸術、政治…才に富んだ君主
大正天皇は時の政治家の操り人形だったのか。いや、天衣無縫にして自然の極致。文人、書家であり、馬を愛した人であった。
奇行や病弱のレッテルを貼られてきた天皇像をくつがえす本書は、草森紳一の原稿に呼応して、かつて、草森の担当編集者だった平山周吉が新たに論を立てる刺激的な共著となった。
草森は、博覧強記で知られる中国文学の学徒。サブカルチャーに本質的な価値を見いだした。ここでは天皇御製の漢詩や書を足がかりとする。「不幸にも芸術家的体質が備わっていた」とする。天才的な才質があるからこそ、君主らしく生きる辛(つら)さがもたらされたと読める。さらに、天皇を「操り人形」にともくろむ宰相伊藤博文の魂胆を、明晰(めいせき)な天皇が見抜く構図を打ち出す。また、草森は、人を笑わせる才に富んだ天皇を深く愛し、共感している。
第2章では、まず、茶人でかつ多趣味の高橋箒庵(そうあん)を紹介する。高橋は三井財閥の幹部を早々に退いて風雅の道へと進んだ。けれど、天皇の退位は容易には許されない。摂政を立てられるだけだ。高橋と天皇の立場の対比に打たれた。
やがて厖大(ぼうだい)な分量の「原敬日記」の精読に行きつく。無趣味な原と、天皇の交情。明治美術会の展覧会を背景に、天皇、高橋、原、三者の生き方が交錯するが、この章は未完である。
昭和史、映画史を深く読み解く名手、平山による第3章。意外にも、思想家保田與重郎(よじゅうろう)を呼び出す。天皇の和歌について「畏れながら、かなしい。しかも藝術的に見れば、繊細絶妙絶佳の名品である」。君を仰ぎ見る保田の評であった。
第4章、天皇は大胆に政治に介入する。「軍部大臣現役武官制」から、現役軍人であることを削った官制の改正に、天皇が政治的意思を強く働かせた。天皇の内心を描いてスリリングである。
徹底した文献調査。日記の行間に、想像力を働かせる方法論。さらに横滑りを怖(おそ)れず、周辺の人物を召喚していく手際。雑文家としての誇りが、本書を貫いていた。
・・・明治政府とは何か?
日本識者は 歴史に「無知」で 歴史資料を持ち出し 解説
明治政府とは 徳川幕府の中期から 幕府の「財政が逼迫」したため、幕閣の老中・松平定信が「質素倹約令」を発令
諸藩の大名の「俸禄を削減」 長州藩・薩摩藩の大名は「外様大名」で幕府から「冷遇」されていたので
長州藩・薩摩藩の大名は 俸禄削減されてしまう
そのため 長州藩、薩摩藩の大名に仕えていた「下級武士の藩士」たちは俸禄削減で 生活難に陥り 食い詰め浪人になり
長州藩や薩摩藩の食い詰め藩士たちが「こんな徳川幕府の世より 天皇の世がマシだ」とする「尊王攘夷論」
「自分たちの世」を築くために徳川幕府を「倒幕」 明治政府を築き「尊王攘夷の世」を築くため 天皇を祭り上げたのが
長州藩の藩士「伊藤博文」が祭り上げた「明治天皇」・・だから「明治天皇の世」で「明治時代」
つまり伊藤博文は、鎌倉時代「足利尊氏」が「光明天皇」を 祭り上げ光明天皇の
「威光を利用」して、足利征夷大将軍に成り「室町幕府」を築いてように
伊藤博文も尊王攘夷で「明治天皇を祭り上げ」明治天皇の「威光を利用」して 日本で「最初の総理大臣」になる
しかし 明治天皇「崩御」
明治天皇の息子の「嘉仁」が 明治天皇を引き継ぎ 明治時代が大正時代になり「大正天皇」になる
しかし 大正天皇(嘉仁)は、生まれながら「病弱」で、弟の「裕仁」が「摂政」となり大正天皇をサポート
だから 大正天皇は日本の治世を行ってなので 大正天皇は表舞台に立っていなかったので 大正天皇は「有名になっていない」
そして大正天皇・崩御
弟の「裕仁」が「昭和天皇」に即位・・「昭和時代」になる
何処で天皇は即位していたのか? 京都御所の「紫宸殿」で 天皇の即位式
天皇は 明治政府が「尊王攘夷」で 天皇を「現人神」に 祭り上げたので
人民たちは 現人神である天皇の「顔すら見られない」身分
昭和天皇が、京都御所の紫宸殿での即位式で 人民たちは 京都御所の「外で待機」していて
昭和天皇の即位式が終わると 京都御所に入場が許され 天皇が即位式で「座っていた椅子」・・「高御座(たかみぐら)」に向かい
天皇陛下=! 万歳! 万歳! 万歳三唱
こうして日本人民は 昭和天皇に「絶対服従」で 天皇に忠誠を誓い1941年 米国と「太平洋戦争」
1945年、日本敗戦
都心のマンションバブル、崩壊
かっては 中国がマンションバブル・崩壊 不況に陥ったように、東京のマンションバブル・崩壊の前兆
見出し・・都心マンション価格高騰に急ブレーキ…「売れない在庫」急増で“転売不動産バブル崩壊”前夜を思わせる不気味な兆候
都心3区(千代田区・中央区・港区)のマンション価格の急騰は2025年秋から急ブレーキがかかっている。2026年3月の都心3区の中古成約㎡単価は238万円で、半年前からは1%上昇にとどまり、上昇基調は止まったが、下がったとは言えない。1年前と比較したら15%、2年前と比較したら42%も値上がりしている。
今後、高止まりとなるのか、下がるのか、その瀬戸際にきている。
この急ブレーキは価格よりも成約件数に現れている。2026年1〜3月の不動産業界でいう繁忙期の成約件数は1年前より14%減少した。買い手が少なくなり、価格が横ばいとなり、成約件数が減少した。ちなみに、首都圏全体の成約件数は、2026年1〜3月に前年同期比で約2%増えているので、件数だけで見たら都心3区の一人負け状況にある。
■「物上げ」競争で売出価格だけが上がり続ける
成約価格は上昇基調ではなくなったが、物件検索サイトに出てくる売出価格はいまだに上がっている。これは仲介会社の仕事ぶりを見ていれば、なぜそうなるのかがわかりやすい。
売買仲介では、売却依頼を取る「売り仲介」と、購入希望者を案内する「買い仲介」があるが、仲介会社は圧倒的に売り仲介の獲得に力を入れやすい。売却活動を1社に任せる専任媒介契約を結べば、かなりの確率で成約に結びつけることができるが、購入希望者から依頼を受けていても、顧客が買いたい物件をその仲介会社が扱えない場合、手数料はゼロになる。この成約率の差は、少なくとも3倍は違うだろう。
このため、売りの専任媒介契約を取るために「顧客の想像以上の高値で売りましょう」と提案する。これまでの実績としての成約事例が1億円でも、「1.4億円で売れるかもしれません」とは誰でも言えるので、相場上昇期では高値で専任媒介契約を結びたがるものだ。売却予定の物件を探し、売主から媒介契約を取る行為を、業界用語で「物上げ(ぶつあげ)」という。
このセールストークに一般の売主は期待を膨らませる。「A社よりB社のほうが価格査定が高い」とやみくもに信じて、高いほうを選びたがる。とはいえ、自分の家だけが高く売れる理由などあるわけがない。高値への期待が先に立ち、人は自分に都合よく考えるものである。
・・続く
、天台宗の最高権威だった「天台座主・曼珠院門跡覚恕(てんだいざす・もんじゅいんかくじょ)を救出するよう、家臣の真田昌幸(さなだまさゆき)命じる
しかし曼珠院門跡覚恕は、武田信玄による救出を「拒否」・・真田昌幸に 次のように述べている
「織田信長による比叡山焼き討ちが、まことなら この比叡山に末路が訪れたのである、来るべき時が来たのである 真田昌幸殿、この身を案じてくださる事は嬉しいが、なにとぞ捨て置れよ
愚僧は、この期に及んで、逃げよう等とは、露とも思っておらぬ」
僧侶として立派な覚悟に、感服した真田昌幸は 比叡山から曼珠院門跡覚恕を連れ出し、主君・武田信玄が、曼珠院門跡覚恕を「擁護」する
そのため 武田信玄と織田信長は「敵対関係」になり 武田信玄と織田信長が「天下分け目の決戦」
しかし 武田信玄は 持病の「労咳(肺結核)」が悪化 死去
そのため 織田信長は 武田信玄とは 戦わずして「不戦勝」
そして 織田信長が 比叡山焼き討ちで、天台宗の比叡山の僧侶たちを 討ち滅ぼしたので 一向宗の顕如は、次は織田信長が 一向宗を滅ぼすとして
織田信長と、一向宗の顕如が、天下分け目の「最終決戦」
織田信長が 一向宗を滅ぼし 遂に天下を支配する「天下人」になり 近江の「安土桃山城」を居城とし
室町幕府,崩壊・・「安土桃山時代」を築く
ある識者の解説文に登場する「甲陽軍鑑(こうようぐんかん)」とは 武田信玄の 武田家が 日々の出来事を記録していた「日誌」の事
上杉謙信の上杉家も 日々の出来事を記録していた日誌を「上杉年譜(うえすぎねんぷ)」と言う
なぜ織田信長は「比叡山焼き討ち」したのか?
目的は「天下取りの為」 日本識者は「文系脳」で 歴史を物語りの「小説」みたいに解説しているだけ
なぜ織田信長は「比叡山焼き討ち」したのか、分かりやすく「説明」
昔 日本映画「武士の一分」を見ていると 武士が問題を起こし、仲間たちが責める
それに対し、武士の女房が言ったセリフ・・何をしたのかが重要ではなく「何の為に」そうしたのか が重要ではありませんか
・・このセリフが「核心」
この歴史は「複雑怪奇」で理解しずらい
『上様』であり「足利征夷大将軍」の「室町幕府」は、栄枯盛衰は世の習い・・諸行無常で「衰退」に向かっていた
そのため「佐渡の金山」を所有していた「越後の大名・上杉謙信」は 衰退していた「室町幕府」の「上様だった11代足利義輝・征夷大将軍」に「忠誠」を誓い「支えていた」
しかし 他の大名たちは衰退している「室町幕府の足利征夷大将軍」に忠誠を誓わず
戦国時代で 大名たちは、自分が「天下人」になるとして政権闘争
三河の大名「織田信長」も同じで、衰退していた室町幕府を「懐柔・支配」して「天下人を目指す」
ここで、越後の大名「上杉謙信」と同じように 越前の大名「朝倉義景」や 近江の大名「浅井長政」は 室町幕府の「足利征夷大将軍」に「忠誠」を誓う大名
ところが三河の大名「織田信長」は 自分が天下人になるため、上様の足利征夷大将軍に「忠誠を誓わず」
手玉に取り 天下取りに利用する為 上杉謙信が 忠誠を誓い支えていた13代征夷大将軍・足利義輝の「弟」である「足利義昭」を 15代征夷大将軍として「祭り上げる」
足利義昭は、織田信長から、上様の征夷大将軍に「祭り上げて貰った」ので 織田信長の「言いなり」になっていた
しかし足利義昭は幕府の最高権力者である「上様」 織田信長は 家臣の大名
家臣の大名織田信長から「手玉に取られ」織田信長の「天下取りに利用」されていたので
織田信長を「不届きな不忠義者」として「征伐」するよう 家臣の大名に命じる
そのため 上様の足利義昭征夷大将軍に「忠誠」を誓っていた越前の大名「朝倉義景」と 近江の大名「浅井長政」が 不忠義者の 織田信長の成敗を目指す
だから 織田信長にとって「浅井・朝倉」は「敵」になり「姉川に戦い」で・織田信長と徳川家康の連合軍が 浅井・朝倉を滅ぼす
他方 当時 天皇の朝廷・室町幕府は 比叡山の天台宗を「庇護」していた為
比叡山の「僧侶たち」が「傲慢」になり「槍」を持ち 顕如が率いる「一向宗」と同じように
「戦闘軍団化」していて色街に繰り出し 酒を「般若湯」と称し 遊女を「蓮の花」と称し
酒を飲み遊女と交わり「破戒僧」になっていた つまり「比叡山」の僧侶は」僧侶ではなく 傲慢な「武士化」していて
代金を「踏み倒していた」そのため庶民が代金を要求すれば「武士」と同じように「無礼討ち」していたので庶民たちは、コロされまいとして 比叡山の僧侶たちに「ゴマすり」
だから 織田信長の比叡山焼き討ちで 僧侶だけでなく 僧侶たちにゴマする「庶民」まで 殺害した理由
そのため 幕府の足利義輝は 織田信長を成敗するため 戦闘軍団化していつぁ「比叡山」を味方に付ける
当然 織田信長にとって 敵の足利義昭に「味方した比叡山」は 敵の足利義昭よりも「憎い存在」になり 家臣の明智光秀 羽柴秀吉 柴田勝家に
比叡山の仏閣を 焼き払い 僧侶どもを皆コロしするよう命じたのが「比叡山焼き討ち令」
ところが 比叡山の「正覚院僧正・豪盛(しょうかくいん・ごうせい)は 織田信長を「見下し」
たかが諸藩の大名・織田信長が 天皇の朝廷が「擁護」する比叡山を「討つ力などない」として織田信長が「比叡山を襲うとは考えていなかった」
しかし 甲斐の大名「武田信玄」は 家臣の真田昌幸に命じ、天台宗の最高権威だった「天台座主・曼珠院門跡覚恕(てんだいざす・もんじゅいんかくじょ)を救出するよう命じる
しかし曼珠院門跡覚恕は、武田信玄による湧出を「拒否」 次のように述べる
・・続く
思いやりがない日本識者 杜撰な解説
解説文に登場する「天台座主の曼殊院覚怨」とは何か 読めるよう、ふりがな もない
『甲陽軍鑑』とは何か 簡単な説明もない
自分に分かっていても「他者には分からない事すら」分からないバカ識者
なぜ織田信長が「比叡山焼き討ち」したのか 原因を説明してない
見出し・・・織田信長を「天魔」と断じた武田信玄――比叡山焼き討ち後に取った“意外な行動”とは?
織田信長による比叡山焼き討ちは、当時の人々に計り知れない衝撃を与えた。
では、この出来事を知った武田信玄は、いったいどのように受け止め、どのような行動を取ったのだろうか。信長を「天魔」とまで非難した信玄の反応と、その後の動きを史料から探ってみたい。
比叡山焼き討ちがもたらした大きな衝撃
元亀2年(1571)9月12日、織田信長は比叡山を焼き討ちにした。焼き討ちにより、根本中堂ほかの建物は焼失し、僧侶や山下に住む老若男女も殺害された。その死者の数は史料にもよるが、1,500から4000人と記録されている。
山科言継は比叡山焼き討ちについて、自身の日記『言継卿記』の中で「仏法破滅」と記している。当時の公家がこの出来事をどれほど重大視していたかがうかがえる記述である。ところで、この比叡山焼き討ちを知った武田信玄は、どのように思ったのだろうか。その後の対応も含めて見ていこう。
信長を「天魔」と非難した武田信玄
元亀4年(1573)1月11日、信玄は上野中務大夫に書状を送った(「京都御所東山御文庫記録」)。その中で信玄は、信長の比叡山焼き討ちについて「仏法王法破滅」と記し、信長は天魔の変化(へんげ)であると称した。
天魔とは仏道修行を妨げる悪魔のことで、第六天魔王とも呼ばれる存在である。つまり信玄は、信長の行為を仏法を破壊する悪魔の所業と見なしていたことになる。
このように信長を悪魔のように形容した史料は、ほかにも見られる。「続常陸遺文」は比叡山焼き討ちの出来事を記し、信長を指す「上総守(原文ママ)」の脇に「信長ト云鬼也」と注記している。比叡山の建物を焼き払っただけでなく、人々を大量に殺害した信長を「鬼」と表現したのである。
延暦寺が頼ったのは武田信玄だった
元亀3年(1572)1月、延暦寺の僧侶は越前国一乗寺で、堂塔の再興について話し合った。しかし、再興には莫大な経費がかかることは明らかだった。そこで延暦寺が頼りにしたのが、ほかならぬ武田信玄である。
同年3月17日、延暦寺の衆徒は天台座主の曼殊院覚怨に書状を送った(「曼殊院文書」)。その内容は、再興のための費用について信玄に依頼してほしいという要請だった。畿内やその周辺はすでに信長の勢力が及んでいたため、遠方であり、なおかつ信長に敵対する信玄を頼ろうとしたのである。
信玄が構想した「もう一つの比叡山」計画
これに関連して、『甲陽軍鑑』は興味深い記事を記している。信玄は比叡山焼き討ちの後、日蓮宗の身延山に比叡山を再興しようとしたという。その際には、大規模な寺院を建てる計画があったとされる。
身延山の僧侶は、日蓮上人の御影の前で籤を引いたが、許可する旨の籤を引くことはなかったと伝えられている。この結果によって、再興計画は実現しなかったというのである。ただし、信玄が身延山に比叡山を再興しようとしたという話については、ほかに裏付けとなる確かな史料は確認されていない。
信玄の急死によって消えた可能性
翌元亀4年(1573)4月12日、信玄は信濃国駒場で急死した。信長の比叡山焼き討ちが、武田信玄に強い衝撃を与えたことは疑いない。
信長を「天魔」とまで非難したその反応は、当時の宗教観や価値観を知るうえでも、きわめて重要な意味を持つといえるだろう。
※今後もこのテーマで記事を投稿して参りますので、フォローして温かく見守っていただけたら嬉しいです。
間違い 訂正
「岳」の主人公は「田崎三歩」ではなく「島崎三歩」
主人公の島崎三歩の「性格」は 吾輩と全く同じ ひょうきんで、何時も冗談で 人を笑わす性格
吾輩と同じ性格なので 何時の間にか、親近感を覚え「岳」ファンになった
遭難者が死亡していても 何時も言うセリフが「よく頑張ったね」・・ 吾輩と同じ事をいっている
人は 励まし合いながら生きて行かねばならない
もう一度・・耐え難きを耐え・・よく頑張ったね!
「感銘・感動」こそが「最高に美しい」
感銘や感動を 受けない作品は 何の価値もない駄作
音楽も絵画も 感銘・感動を受けるから「素晴らしい音楽や絵画になる」
山本おさむ が描いた漫画「どんぐりの家」も「美しい感動大作」
現実の実態を描いた作品で 身体障碍者は 一般社会人たちから「普通ではない人達」として「差別:偏見」を受け、社会の谷間に追いやられていた
しかし「政府の福祉制度」は 身体障碍者への 福祉を無視する「制度」なので
山本おさむ が 日本の「福祉制度こそに罪がある」として追及する
そのため身体障碍者が「自分で独り立ちして生きて行ける」よう 家族たちが 身体障碍者専用の「作業所」を建設する為 街で募金活動
そして遂に 身体障碍者が 働ける作業所を完成させる感動大作
感銘・感動こそが 最高に美しい「本物の美しさ」
石塚真一の「岳」
これは 北アルプスで遭難した人たちを、命懸けで救出する「ボランティア活動」する「田崎三歩」という男性が 遭難で死亡した遺体にでも 何時も「よく頑張ったね」声を掛ける作品
そのため ある人が この漫画を 父親にプレゼントしてよい漫画なのか 質問
その質問に、返事した人は・・「私、今年の夏は白馬です」・・と言っている
白馬とは 北アルプス連峰の「白馬岳」の事
田崎三歩が 遭難者の遺体に「よく頑張ったね」を言っていた北アルプスの「白馬岳」の事
参考
北アルプス(飛騨山脈)には、槍ヶ岳・穂高岳・立山・剱岳・「白馬岳」・鹿島槍ヶ岳・燕岳・常念岳・薬師岳・黒部五郎岳・鷲羽岳・水晶岳・笠ヶ岳・焼岳・乗鞍岳などの名峰があります。
代表的な山名を覚えておくと、地図や天気予報も理解しやすくなります。
石塚真一「岳」・・・「よく頑張ったね」
とにかく「爽やかな感動」を受ける「最高の漫画」
mat****さん
2008/6/27 1:43
石塚真一さんの登山漫画、『岳』(小学館出版)について質問です。
父が登山好きでプレゼントしようかと思っているのですが、
この漫画には恋愛や、アダルトな要素は含まれているのでしょうか?
もし大人な要素(アダルトな感じの・・笑)が含まれているならば、
父にプレゼントするのは気まずいのでやめようと思っています。。。
1巻を立ち読みしたのですが、現在6巻?程出ているので、全部チェックは出来ませんでした。
全巻読んだ方、よろしくお願いいたします!!
このベストアンサーは投票で選ばれました
win****さん
2008/6/27 11:53
いわゆる18禁的描写は、まったくありません。
確かに人の生き死にに関わる部分はリアルに描かれていて、ちょっとキツイです。
でも、それでも山の素晴らしさ、生きることの素晴らしさ!が全面に出てますから、
山に興味のない人にもお勧めです。だって「よく頑張った!」って強くて優しい人に
言ってもらいたいじゃない?(笑)
つまり人生の応援歌です。私、泣いちゃいます。お父様はきっと喜ばれることと思います。
是非是非。ここは二セット買って、一つはお手元に置いて、読んで下さい!
山に行ったことがなくても、行ってみたい、と思われると思います。私、今年の夏は白馬ですっ!!!
見かけに、左右される人間
創造主は 人間に「美醜意識」を授けたので 男は美しい女を見ると惚れてしまい
女も、見かけがいい男に、惚れてしまう、
この男の「見かけ」に拘った女が 毎度の75歳女で 75歳のばばぁになっても 男を魅了する為 まっ赤な口紅で 若い娘の衣装
後輩は頭がハゲていたので 見かけがいいインドネシア人男に魅了されている
脳神経細胞が「未熟な証拠」こんな ばばぁには 一切、魅力を感じない
人間は 加齢と共に 見かけより「情感に魅了される」ようになる
「情感を醸し出す人柄」に魅了されるようになる
いい歳こいても 見かけに拘る老人は 精神が未熟で まだ幼い証拠
この「情感」を描いた漫画家が 石塚真一の漫画「岳(がく)」
「山の風景描写」が 本物の山より リアルで 情感があり 魅了されてしまう
世界中の山岳を征覇した若い登山家が 日本の北アルプスで 登山者が 断崖から転落死した遺体でも、必ず「よく頑張ったね」声をかけ 遺体を「背負い下山」する作品
なぜ遭難者の遺体に「よく頑張ったね」声を掛けたのか 情感が豊かな人には 意味が分かるだろう
山岳の「登頂」を目指すが 途中で 転落、遭難、死亡・・「よく頑張ったね」
このシーンが 物凄く「爽やかで感動するシーン」
「人柄から受ける感銘・感動」こそが「最高に美しい生き甲斐となる」
美に感銘を受ける者は まだ幼い
人は、見かけだけでは分からない
しかし 見かけがいい男に惚れてしまい 男からコロされた5人の女
見出し・・「とにかく女にモテた」「肉体関係を持った相手まで殺害」5人を手にかけた“戦後最悪の連続殺人犯”の正体(昭和38年の事件)
女を惹きつける甘いマスクの裏に潜んでいたのは、冷酷無比の殺意だった――。詐欺と色恋で人心を操り、ついには連続殺人へと堕ちた男・西口彰。人好きのする顔で近づき、5人を殺した男はなぜ「悪魔」へと変貌したのか? 鉄人社の新刊『 高度経済成長期の日本で起きた37の怖い事件 』よりお届けする。(全2回の1回目/ 続きを読む )
◆◆◆
作家、佐木隆三の直木賞作品を原作に、1979年(昭和54年)の映画賞を総ナメにした「復讐するは我にあり」。詐欺と殺人を繰り返しながら全国を行脚した緒形拳演ずる主人公は、1963年(昭和38年)に5人を殺害した実在の人物、西口彰がモデルである。
その冷酷極まる犯行に、後の裁判で検察は西口を「史上最高の黒い金メダルチャンピオン」と形容した。
西口彰の人生
西口は1925年(大正14年)に長崎県の五島列島から大阪に出稼ぎに来ていたクリスチャンの両親のもとに生まれた。
3歳のころ五島列島に戻り、父親は漁師、果樹園経営などを経て、1941年に大分県別府市で買い取った温泉旅館を経営。家は裕福で、幼いころ洗礼を受けていた西口も、将来は司祭になるよう父親から命じられ、中学から福岡のミッション系スクールに進んだ。が、厳しい戒律のある寮生活になじめず3年生で中退。
16歳で窃盗に手を染めて以降、20年近く窃盗・詐欺・恐喝などを働き、刑務所の内と外を行き来する。この間、20歳のときに1歳下の女性と結婚し3人の子供に恵まれたものの、別府刑務所を出所した1961年には家族を別府の実家へ預け、福岡県行橋市で理容師の女性と同棲を始めた。
2年後、全国指名手配に
あくまで“悪党”に過ぎなかった男が“悪魔”に変身するのは、それから2年後の1963年10月、37歳のときだ。
日本専売公社(現・JT)職員の村田郁夫さん(当時58歳)が多額の現金とタバコ製品を運んでいたことを知り、同月18日、配達を手伝いタバコ畑まで案内すると近づき、運送会社運転手の森五郎さん(同38歳)がハンドルを握るトラックに同乗。
福岡県京都郡苅田町の山道で車を停め、村田さんを人目のつかない場所に誘い出してハンマーで撲殺し、26万円(現在の貨幣価値で約320万円)の入った財布を盗んだ後、車に戻って森さんを刺殺し、約2キロ離れた峠に車と死体を遺棄した。
福岡県警は、目撃証言などから付近に住む西口彰の犯行と断定。西口を殺人、窃盗などの容疑で全国に指名手配する。
犯行当日の夜、同棲中の理容師女性と福岡市新柳町のホテルに泊まった西口は翌朝の新聞で、すでに自分が捜査対象になっていることを知った。さらに、ラジオで「警察は、関西方面へ逃亡したとみている」と聴くや九州に留まることを決め、佐賀県の唐津競艇で2日間で21万円を稼いだ。
10月23日、管轄の行橋署に西口から署名入りの手紙が届く。
〈前略、手配のとおり、自分が専売公社輸送強盗殺人の犯人である。犯行後、情婦と逃げるつもりであったが、前非を悔いて自殺することにした。警察には絶対に捕らえられない。悪しからず。東京にて 西口彰〉
2日後の25日、香川県警から西口が東京行きのフェリー「瀬戸丸」から投身自殺を図った形跡があるとの連絡が同署に入った。
歴史とは「複雑に錯綜」しているので「分かりにくい」
室町幕府の「足利征夷大将軍」が 日本の「最高権力者」で「諸藩の大名たち」は
室町幕府の「足利征夷大将軍」を「上様(公方)」として 忠誠を誓っていた
そのため 明智光秀は「足利征夷大将軍」に「忠誠を誓っていた」
ところが室町幕府は 11代征夷大将軍・足利義輝の頃「衰退に向かう」
そのため 三河の大名・織田信長が「天下取り」を目指し 室町幕府を支配する為
足利義輝の弟。「足利義昭」を 15代征夷大将軍に「擁立」する
こうして 三河の大名・織田信長が 室町幕府の最高権力者・足利義昭・征夷大将軍の「上様」を
手玉に取り 自分が天下人になるため「操っていた」
そのため「明智光秀」は 零落した室町幕府の征夷大将軍・足利義昭に 忠誠を誓っても零落していたので 自分も零落するため
「室町幕府」を支配 天下取りを狙う織田信長に忠誠を誓った方が立身出世するので 織田信長の「家臣」になる
こうして羽柴秀吉・柴田勝家より 数多の戦功を上げ 織田信長の最高の忠臣となり「立身出世」する
ところが 征夷大将軍の足利義昭は 最高権力者の「上様」である自分が 諸藩の大名(家臣)でである「織田信長」から手玉に取られ、操られていた為
織田信長を「不届きなる不忠義者」として諸藩の大名(家臣)に「織田信長を討ち取る」よう命じる
そのため 上様の征夷大将軍の足利義昭の「忠臣」だった 越前の大名「朝倉義景」や近江の大名「浅井長政」が 上様に不忠義な織田信長を討ち取るため 首を狙う
ここで 比叡山・延暦寺で最澄が「天台宗」を開き 室町幕府や 天皇の朝廷が 比叡山の天台宗を「庇護」していたので
比叡山の僧侶たちは「傲慢」になり 権力を振い 一向宗のように「戦闘軍団化」していたので
比叡山の天台宗を「擁護」していた室町幕府の「足利義昭」が 比叡山を味方に付ける
つまり、織田信長にとって「敵の足利義昭」に味方した「比叡山が憎むべき敵になる」
そのため 忠臣の「明智光秀」「羽柴秀吉「柴田勝家」に比叡山を焼き払うよう命じる
ここで 一番 困った立場に陥ったのが室町幕府の「上様である足利義昭・征夷大将軍」に「忠誠を誓っていた「明智光秀」
「上様である足利義昭・征夷大将軍」に忠誠を誓うべきか? 主君の織田信長に忠誠を誓うべきか
主君の織田信長に忠誠を誓えば 忠誠を誓っていた「上様である足利義昭・征夷大将軍」を滅ぼす「不忠義者」になる
こうして 明智光秀は「中間に挟まれてしまう」
そのため 主君の織田信長が 家臣たちの前で 明智光秀を「愚か者」として「罵倒」する
そのため 明智光秀は、家臣たちの前で「不名誉な屈辱」を受け 織田信長に代わり自分が 天下人に成れば「屈辱を受けることはない」ので
天下人の織田信長を「討つ」ため「敵は本能寺にあり」織田信長を討ち 明智光秀が 天下人になる
ところが 織田信長の忠臣だった「羽柴秀吉」が自分が天下人になるため 明智光秀を討ち
豊臣秀吉が「天下人」になり 朝廷の正親町天皇から「関白」の地位を授けられ「関白秀吉」として日本全土を支配
豊臣秀吉は 百姓の子供として生まれるが 天下人まで「上り詰めた」日本歴史上最高に立身出世した「知恵者」
だから こう言われている
豊臣秀吉・・・「鳴かねば、鳴かせてみようホトトギス」
織田信長・・「鳴かねば、コロしてしまえホトトギス」
3ページ目
■光秀は“信長の本気度”を見抜いていたか
信長と延暦寺の関係は、まさにこれだった。延暦寺は「また難癖をつけてきた権力者」への慣れた対処法で臨んだ。黄金を贈って、頭を下げて、うまく丸め込めばいい。これまでも何度もそうやってきた。
しかし両者には、周囲の常識が通じない共通点があった。メフメト2世は「千年間誰も落とせなかった。当然だ。俺がいなかったから」という厨二病全開な思春期(当時21歳)。信長もまた、身内に手を出されると損得勘定が消える男だった。弟・信治の死は、信長にとって「舐められた」ではなく「やられた」だった。そうなると、もう止まらない。
しかし‼ ここに一人だけ「あ、これはもうダメだ」と察していた男がいた。明智光秀である。
光秀は比叡山東麓の宇佐山城を任されていた。最前線で信長の動向を逐一把握していた男だ。そして能力が高いということは、見たくないものまで見えてしまうということでもある。
信長は本気だ。これは止まらない。
光秀にはそれが読めた。だから同僚たちに言って回ったはずだ。古参の重臣・柴田勝家にも、筆頭家老格の佐久間信盛にも。「上様、本気で焼きますよ」と。
■「焼き討ち前」に情報を伝えた光秀
返ってきたのはこんな反応だっただろう。
「ほう、新参者の割にはよく上様の心中を読めるものだな(笑)」
「まあまあ光秀殿、書物の読みすぎじゃないですか。戦場は理屈通りにはいきませんよ」
「光秀殿、上様が本気かどうかは俺が一番わかっとる。あそこは攻めん。攻めれんわ」
と、こんな感じに「光秀殿はまあ……頭はいいんだけどな。融通が利かんというか、なんというか」とばかりに、本気にされなかったのだろう。
こうなったら自分で動くしかない。光秀は焼き討ちが不可避と判断し、粛々と準備を始めた。焼き討ちの10日前、光秀は地元の土豪・和田秀純に書状を送っている。
この有名な文書である「仰木之事ハ是非共なてきりニ可仕候、頓而可為本意候」。つまり、仰木のことは是非とも皆殺しにする、すぐにそうなるだろう、とある。後世この一文だけを取り出して「光秀は積極的に虐殺を望んだ」と読む向きもあるが、この書状をよく読むと、同時に信長の出陣日程を正確に和田に伝えている。また8月2日に和田に送った書状では、芦浦観音寺に「18日に信長が動く」という事前通知していたこともわかる。
和田光生「比叡山焼き討ちと天正の復興 明智光秀の果たした役割」(『成安造形大学附属近江学研究所紀要』第11号、2021年)は、この書状を丁寧に読み解き、光秀が焼き討ちを前提として周辺の土豪を懐柔し、綿密な事前準備を進めていたと指摘している。
比叡山焼き討ちで 一番 貧乏くじを引いた武将
答えは明白 明智光秀が 一番 困った立場になる
ある識者が 4ページに渡り解説・・1ページと 3ページ転載
見出し・・1ページ・・油断した延暦寺でも、激怒した信長でもない…比叡山焼き討ちで「最も損な役回り」を強いられた戦国武将の名前
NHK「豊臣兄弟!」では、織田信長が比叡山を焼き討ちするよう命じる、大河ドラマの定番シーンが描かれた。信長の冷酷ぶりを表すエピソードだが、最新研究からは違った側面が見えてきたという。ルポライターの昼間たかしさんが、文献などを基に史実に迫る――。
【画像をみる】最も損な役回りだった戦国武将
■“焼失”したのは根本中堂と大講堂のみだった
NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」。第15回(4月19日放送)は朝倉・浅井連合軍との一大決戦である姉川大合戦が描かれた。そして、第16回(4月26日放送)はついに来た、タイトルは「覚悟の比叡山」。藤吉郎(池松壮亮)と小一郎(仲野太賀)は浅井方の宮部継潤(ドンペイ)の調略を行っている一方で、信長(小栗旬)は、織田に従わないなら寺を焼き払えと光秀(要潤)に命じたのである。
いよいよやってきた、信長の見せ場比叡山の焼き討ち。時に1571(元亀2)年9月12日のことである。
さて、この比叡山焼き討ちのステレオタイプなイメージはこうである。
信長が焼き討ちを命じる→光秀がそれはまずいと説得→信長が応じず「比叡山、焼き払うべし‼」→僧侶から避難していた女子供まで皆殺し……。
しかし、研究によって現実の焼き討ちはこうではなかったということが明らかになっている。戦後になって、比叡山では発掘調査が本格的に実施された。その結果、明確に信長の比叡山焼き打ちで焼失が指摘できる建物は、根本中堂と大講堂のみで、ほかに見られる焦土層は、焼き討ち以前に廃絶していたものが大半だということが明らかになった。
■「全山大虐殺」はまったく過去のもの
こうした調査結果をもとにした兼康保明の「織田信長比叡山焼打ちの考古学的再検討」(『滋賀考古学論叢』第1集、1981年)では、「織田信長の人物像をはじめとする戦国時代の歴史観を再構築しなくてはならない時期が訪れつつある」としている。
信長研究の大家であった谷口克広『信長の天下布武への道』(吉川弘文館、2006年)では、殺戮が八王子山(別名:牛尾山、日吉大社の北側の位置に聳えるご神体のお山)を中心として行われたとしており、長らくイメージされていた「全山大虐殺」はまったく過去のものとして考えられるようになっている。
そもそも、信長が比叡山に怒り狂うまでには、それなりの経緯がある。
発端は信長による比叡山の寺領横領だった。つまり最初にケンカを売ったのは信長側である。これに怒った延暦寺は朝廷に訴え、朝廷から寺領を返せという綸旨まで出たが、信長は無視した。
こじれた関係の中で1570年、浅井・朝倉連合軍が比叡山に立て籠もった。信長は包囲したものの、四方から敵に囲まれる形になり、結局は天皇の調停で和睦するしかなかった。この「志賀の陣」の最中には弟・信治が浅井・朝倉勢に討たれている。
明智光秀
日本人は学者でも「理解力に乏しい」
「幕府」とは「最大の力ある権力者」が「征夷大将軍」となり 日本全土を「支配」し
「他の武将たち」が征夷大将軍に屈服し 征夷大将軍が支配する「全国の領土」を忠誠を誓う武将に
分割して委ね「藩」とし「藩主」となる この藩主が「大名」
諸藩の 藩民たちは 藩主(大名)を「殿様」と呼び 諸藩の大名たちは征夷大将軍を「上様』と呼び忠誠を誓っていた
この上様(征夷大将軍)をサポートする役職を「幕閣」と言い
現在では上様(征夷大将軍)に相当するのが「総理大臣」で 総理大臣をサポートする役職が「内閣」
「幕府」とは 上様(征夷大将軍)と幕閣が「幕府」
現代では 総理大臣と 内閣が「政府」
幕府=政府
つまり征夷大将軍(上様)が最高権力者となった中央政権が「幕府」
室町幕府は 足利尊氏が初代の征夷大将軍となり、足利尊氏の子孫たちが累代の「足利征夷大将軍」
だから 各地の「武将・大名」は「幕府の征夷大将軍」に「忠誠を誓っていた」
明知光秀も武将として 越前の大名「朝倉義景」も 近江の大名「浅井長政」も「室町幕府」の足利征夷大将軍に「忠誠を誓っていた」
しかし 諸行無常・栄枯盛衰は世の習いで 室町幕府は 11代足利義輝・征夷大将軍の頃から、次第に衰退に向かう
幕府が「衰退」すれば 当然の成り行きで「諸藩の大名」は自分が「天下人」に成り。日本を支配したい」と思うのが当然で
三河の大名「織田信長」が 天下を取るため 足利征夷大将軍を「手玉に取り操り」室町幕府を「支配」するため
趙高が 秦王朝を支配するため「胡亥」を2代目皇帝に擁立 2代目皇帝・胡亥を「手玉に取り」秦王朝」を支配したように
織田信長も室町幕府を支配するため 15代征夷大将軍に「足利義昭を擁立」
足利義昭を「手玉に取り」利用
ここで「明智光秀」は 室町幕府の足利征夷大将軍に「忠誠」を誓っていたが「幕府零落」
零落している幕府の足利義昭・征夷大将軍に忠誠を誓うより 天下人を目指し 室町幕府の支配を目指す「織田信長」に仕えた方が立身出世できるので「織田信長」の忠臣になる
明智光秀は 知略ある武将で 比叡山焼き討ちでも、羽柴秀吉 柴田勝家より多くの戦功を上げ織田信長の「直臣下」になる
ところが 足利義昭・征夷大将軍は 織田信長から「手玉に取られ利用」されていたので 織田信長を「不届きな不忠義者」として諸藩の家臣(大名)に
織田信長を「討ち取る」よう命じる
その為 幕府の足利義昭・征夷大将軍に「忠誠」を誓っていた 越前の大名「朝倉義景」や近江の大名「浅井長政」が 不忠義者の 織田信長の首を討ち取ろうとする
ここで 足利義昭・征夷大将軍の「忠臣」朝倉・浅井は「比叡山」を味方に付ける
そのため 比叡山は織田信長の「敵」に成り、織田信長が「比叡山焼き討ち」
さらに姉川の戦いで 幕府・足利義昭征夷大将軍の忠臣。。浅井・朝倉を「滅ぼし」
室町幕府を「滅亡」 安土桃山時代を築く
ここで 織田信長の忠臣になっていた「明智光秀」は 元々 幕府の足利義昭・征夷大将軍に忠誠を誓っていたので
幕府の足利義昭・征夷大将軍に忠誠を誓い 主君の織田信長を「討ち取るべきか」
それとも主君・織田信長に忠誠を誓うべきか 迷うことになり 自分が 天下人になるため本能寺の変で織田信長を攻め 明知光秀が天下人になる
ところが織田信長の忠臣、羽柴秀吉が 天下人になるため 天下人になった明智光秀を成敗
天下人豊臣秀吉になる・・栄枯盛衰は世の習い・・諸行無常
、
核心がハッキリ分かってない識者
明知光秀が「本当に善人だったのか?」 そんな事は学生時代に言うセリフ
見出し・・・明智光秀は本当に「善人」だったのか?比叡山焼き討ちに積極関与した証拠と
織田信長による比叡山焼き討ちは、戦国史の中でも特に衝撃的な出来事として知られている。一般には信長の苛烈な行動として語られることが多いが、その裏側では家臣たちも重要な役割を担っていた。その中でも注目すべき存在が、後に本能寺の変を起こす明智光秀である。
実は光秀は、この比叡山焼き討ちにおいて積極的な役割を果たしていた可能性が高い。いったい光秀はどのように関与していたのか。その経緯を史料からたどってみたい。
比叡山焼き討ちへと至る緊迫の情勢
元亀2年(1571)2月、浅井氏の家臣で佐和山城(滋賀県彦根市)を守備していた磯野員昌が、突如として織田方に寝返った。佐和山城は美濃と近江を結ぶ交通の要衝であり、この離反は浅井氏にとって大きな打撃となった。
信長は磯野氏の代わりとして、家臣の丹羽長秀を佐和山城に配置した。同年5月、信長は長島の一向一揆と戦ったものの、意外にも敗北を喫している。その一方で、顕如の子・教如と朝倉義景の娘との縁談が成立し、反信長勢力の結束は強まりつつあった。
同年8月、信長は浅井氏を攻めるため出陣し、さらに金森(滋賀県守山市)まで軍を進めた。ここは近江一向一揆の拠点であったが、最終的に一向一揆側は降参し、人質を差し出すこととなったのである。
和睦を拒み続けた比叡山の強硬姿勢
こうした情勢の中で、比叡山延暦寺もまた反信長の姿勢を鮮明にしていった。もともと比叡山は信長との和睦に消極的で、交渉への返答も滞りがちであった。交渉を担当していた二条晴良は憤慨し、信長自身も同様の不満を募らせていたと考えられる。
信長は比叡山が要請に応じないことに加え、いちおう和睦が成立したものの近江から撤退せざるを得なかった無念を晴らそうと考えた(『信長公記』)。こうして決断されたのが、後世に悪名高い比叡山焼き討ちであった。
光秀は裏方ではなかった―土豪調略という重要任務
比叡山焼き討ちに際し、明智光秀は単なる従軍者ではなかった。同年9月2日、光秀は和田秀純に宛てて書状を送っている(「和田家文書」)。和田氏は、宇佐山城からほど近い雄琴(滋賀県大津市)の土豪であった。
秀純は近隣の土豪である八木氏とともに光秀に味方することを約束し、鉄砲や弾薬の補給を受けたうえで仰木(同大津市)の攻略にあたることになった。これは、焼き討ち作戦の周辺地域を制圧するための重要な準備であったとみられる。
さらに信長は志村城(滋賀県東近江市)を攻略し、その後は長光寺(滋賀県近江八幡市)に全軍を結集する計画だったという。光秀は近江の土豪を調略する任務を担っており、この作戦の進行に深く関与していたのである。光秀が焼き討ちに積極的に関わっていた可能性は、こうした史料からも読み取ることができる。
焼き討ち後に待っていた光秀の大出世
比叡山焼き討ちが行われた後、信長はただちに家臣たちへ恩賞を与えた。光秀には志賀郡が与えられている。志賀郡は現在の大津市域の大部分を占め、比叡山の東麓に位置する重要な地域であった。
光秀が坂本城を築いたのも、この比叡山麓の坂本である。坂本は山中越えによって京都の白川へ至る交通の要衝であり、軍事・政治の両面で極めて重要な地点だった。つまり、この所領付与は単なる恩賞ではなく、信長からの厚い信任を示すものだったといえるだろう。
メラニン色素ばばさんのもだえ あえぎ脱糞
見出し・・・メラニア夫人がABC司会者の処分を要求 侮辱発言を「憎悪的で暴力的」と批判 トランプ大統領も「明らかに度を超えている」
トランプ大統領の妻メラニア夫人は27日、ABCテレビに対し、番組の司会者が自身を侮辱する発言をしたとして、処分を求めました
知略がない米トラ政権
イランから振り回されているじじころじいさん 日本の高いちんころ政権は、米トラに振り回されている万ころばばさん
戦争すれば 中国の知略に歯が立たない 日本識者は田舎のチンドン屋
見出し・・・「アメリカ全体がイランに屈辱をうけている」ドイツのメルツ首相が痛烈批判 「控えめにいっても軽率だ」
ドイツのメルツ首相は27日、アメリカのイラン戦略について、「控えめに言っても軽率で国全体が屈辱を受けている」と批判しました。
メルツ首相は27日、自身の選挙区で学生たちに向けて講演し、イラン情勢をめぐるアメリカの対応について、「明らかに戦略がない」と指摘しました。
また、紛争における出口戦略の重要性について、「アフガニスタンやイラクで、私たちはそれを痛ましく経験した」と述べたうえで、「一連の出来事は、控えめに言っても軽率だ」と批判しました。
一方、イラン側については、「非常に巧みに交渉している。あるいは、巧みに交渉しないことで、アメリカ側をイスラマバードまで行かせたにもかかわらず、何の成果もなく帰らせている」との見方を示しました。
さらに、「アメリカという国全体が、イランの国家指導部、とりわけ、いわゆる革命防衛隊によって屈辱を受けている」と述べました。
自己矛盾に満ちている「高市総理」
この自己矛盾に気付かず「相対性理論」を構築した物理学者が 20世紀最大の理論物理学者アインシュタイン
アインシュタインは 自分の「自己矛盾」に気付かず 相対性理論を構築
しかし この理論は自己矛盾しているので 100年経った現在でも「正しさが立証されていない」
アインシュタインがノーベル物理学賞を受賞したのは 相対性理論ではなく「光量子仮設」
つまり 20世紀最大の物理学者アインシュタインは 自己矛盾して相対性理論を構築
高市総理も「自己矛盾」していて 憲法第9条 改憲
だから自己矛盾している高市総理を・・中国政府が 高市総理に「日本は また軍国主義に戻るのか」非難している
日本は軍国主義に戻るのか
参考
日本は「新型軍国主義」と批判 中国、秩序挑戦者と定義か
「新型軍国主義」という言葉を用いた評論を掲載した、中国共産党機関紙、人民日報
中国が「新型軍国主義」という言葉で日本を批判し始めた。
中国専門家は「戦後国際秩序への挑戦者として日本を再定義する動きだ」と分析。
18日に発足する第2次高市政権が憲法改正に向けた議論や防衛力増強を加速させることを中国は警戒しており、
対日対抗措置を念頭に置いた「ストーリー作り」の一環との見方も出ている。
『新型軍国主義』は日本を再び深淵に引き込む」。1月9日付の中国共産党機関紙、人民日報は「鐘声」というペンネームで国際論評を載せた。
鐘声の署名論評は習近平指導部の対外認識を示すとされ、同論評が新型軍国主義という言葉を使用したのは「これが初めて」
論評は「日本の右翼が侵略の歴史を否定し、非核三原則を見直し、平和憲法から離脱することを望んでいる」と高市政権を批判。
「新型軍国主義の執念に基づき日本を改造しようとしている」と主張した。
人民日報は同27日付紙面にも「日本の『新型軍国主義』を食い止めなければならない」との論評を掲載した。
中国政府は 高市総理に「日本は また軍国主義に戻るのか」非難している
この「理由」
日本は 明治時代「軍国主義」の国家になり 昭和時代の1937年「盧溝橋事件」を契機に
何の罪もない 中国を 一方的に「侵略」
だから、中国政府は 高市総理に「日本は また軍国主義に戻るのか」非難している理由
自衛隊とは何か?
太平洋戦争で1945年 日本は米国に「敗戦」 その為 戦勝国の「米国」が「日本を統治支配するため
米国GHQ(進駐軍)が 日本を統治支配する
しかし 日本人民にとって太平洋戦争で「鬼畜米兵」と呼んでいた米軍の進駐軍が
日本を統治支配したため
日本人民が 米国の進駐軍(米国GHQ)に反乱 治安が乱れてしまう
そのため米国GHQが「日本の治安を治める」為「警察予備隊」を設立
ところが 1950年 共産主義勢力が資本主義の米国が建国した「韓国」を侵略したため
資本主義の米国が「共産主義の拡大」を「防衛」するため1952年 日米同盟 日米安全保障条約締結
そのため「警察予備隊」が 共産主義を「防衛」する「自衛隊」になる
しかし 日本国憲法第9条で「日本は恒久的に戦争放棄の条文」
だから 自衛隊は「軍隊ではない」
ところが「高市総理」は 米トラに「ゴマすり」で、憲法第9条を 改正しようとしている
つまり 自衛隊を軍隊化しようとしている
だから 中国政府は 高市総理に「日本は また軍国主義に戻るのか」非難している
高市総理は 自己矛盾しているが単純なので それも自覚できない
だから 自衛官の葬儀にも参列しない、自己矛盾も分からない
自衛隊の戦車爆発で犠牲になった3人の自衛官が「昇格」
見出し・・・死亡隊員3人が特別昇任 陸自戦車事故共同通信
大分県の日出生台演習場で戦車の射撃訓練中に砲弾が破裂した事故で、防衛省は27日、死亡した陸上自衛隊の隊員3人をそれぞれ1階級特別昇任させたと明らかにした。昇任は死亡が確認された事故当日の21日付。
・・・これは「軍隊では当然」の形式
どの国の軍隊も同じで「階級制度」があり
1)最前線で敵と戦う兵隊が「最下位」の兵士
2)兵隊を指導する軍人が「伍長」
3)この伍長を指揮する軍人が「軍曹や曹長」
4)この軍曹・曹長を指揮する階級が 大尉・中尉・少尉
5)この大尉・中尉・少尉を指揮する階級が 大佐 中佐 少佐
6)この大佐 中佐 少佐を指揮する階級が 大将 中将 少将
軍隊の最高トップは 大将
このような階級制度に成っていて 国のため殉死すれば 階級が昇格する仕組みになっっていて
今回 戦車で死亡した自衛官3名は 国のため殉死したとして昇格
しかし高市総理は 軍隊に無知で 葬儀に参列してない
人民、思いでない日本の政治家
自分の「保身ばかり重要視」人民の事など軽視
先般 自衛隊の戦車が爆発、犠牲になった3人の自衛官の葬儀に、高市総理は参列しなかったと言う
この人民軽視は 高市が 立身出世で裏金議員まで味方に付け「自民党総裁」になり、さらに最高指導者の総理大臣になるため 自民党最大派閥の麻生太朗を取り込み「総理大臣」に就任
高市は「自分の保身と国際社会から評価」される事しか頭にない女
だから米トラから、評価される為「ゴマすりの太鼓持ち」
ところが 日本人民の大多数は「マゾ」で 70%のマゾ日本人が支持
見出し・・・戦車事故殉職者の葬送式に首相参列せず、米山隆一氏が批判「理解できません」 投稿に波紋、過去にも首相参列なしの例
中道改革連合の米山隆一前衆院議員が、大分県・日出生台演習場で訓練中に戦車内で砲弾が破裂して亡くなった3人の自衛官の葬送式に、高市早苗首相が参列しなかったことについて、「理解できません」と意見した。過去にも首相が参列しなかった例はあり、米山氏の投稿には波紋が広がっている。
■「自衛隊トップである総理大臣が出席しないのは、私には理解できません」
高市首相は26日にXで、同日に陸上自衛隊玖珠駐屯地(大分県玖珠町)で葬送式が行われたことを報告。「内閣総理大臣として、衷心より哀悼の誠を捧げます」とした。一方、各社の首相動静によるとこの日は終日公邸で過ごしていたとあり、葬送式に参列はしていないようだった。
なお、小泉進次郎防衛相は参列したことを自身のXで報告している。
米山氏はXで、高市首相が葬送式に参列しなかったことに言及。「勿論、公務の優先順位はあります。全てに出る必要があると言う事ではありません」としたうえで、
「特段の公務がないにも関わらず、自衛隊トップである総理大臣が出席しないのは、私には理解できません」
と意見した。
この投稿には同意を示す意見が寄せられた一方、首相が殉職した自衛隊員の葬送式に参列しなかった例は過去にもあったとして、「全ての公務員の葬儀に総理が出るって現実的じゃないでしょう」「葬送式では防衛大臣が出席されてます」「高市さんが嫌いだからって難癖は付けないで欲しい」といった声も寄せられた。
例えば岸田文雄元首相は、23年6月10日に行われた、陸上自衛隊のヘリコプター事故で犠牲となった自衛隊員の10人の葬送式には参列している一方で、参列しなかった葬送式もある。24年6月22日と30日に行われた海上自衛隊の哨戒ヘリコプター2機の衝突・墜落事故で殉職した計8人の葬送式には、当時の防衛相・木原稔氏は参列したものの、岸田氏は参列していない。
歴史の無知な識者
>織田信長は本当に無神論者だったのか?比叡山焼き討ちの「真の理由」を史料
・・・現代社会は 金や物の「物質世界」だが 昔は 今より遥かに「純朴」で現代のように「学問」が発達していない時代
「運命は神頼み」で、戦国の武将は戦いで「勝利するよう神頼み」で「信仰心に篤かった」
因みに歴史家・井上鋭夫の著書「上杉謙信」では 謙信は生涯、70戦、戦ったといわれ
戦いに際し「鶴岡八幡宮』に祈祷文を奉納していて 今も上杉神社に残されている
織田信長の「先祖」は、越前の織田神社(剣神社)の神官で「信仰心に篤い武将」
ところが 比叡山の僧侶たちは 色街に繰り出し 酒を「般若湯」と称し、遊女を「蓮の花」と称し 傲慢に振る舞い「戦闘軍団化」していて
僧侶ではなく酒を飲み 遊女と交わっていた「破戒僧」どもで「生臭坊主」どもは 仏教の僧衣を着た「偽僧侶」として
比叡山の「仏閣」を悉く焼き払い 比叡山の生臭坊主(破戒僧)どもを皆コロし したのが「比叡山焼き討ち」
甲斐の「武田信玄」も 諏訪大社を「勝利に導く神社」として信仰していた武将
だから織田信長が 比叡山の僧侶どもを皆コロし、する「比叡山焼き討ち』に際し
家臣の 真田昌幸に「天台座主・曼珠院門跡覚恕」の救出を命じ 真田昌幸が無事救出したため
天台宗が破滅せず生き残る
戦国の武将たちは 戦いで 死ぬか生きるかの運命で 信仰は篤かった
発砲男は アラブ系イスラム教徒の可能性
キリスト教米国とイスラム教アラブは 昔から敵対関係
見出し・・米記者団夕食会銃撃事件の容疑者、犯行10分前に家族へ声明文…トランプ氏殺害を示唆
米ワシントンDCのホテルで開かれたホワイトハウス記者団夕食会会場で発生した銃撃事件の容疑者、コール・トーマス・アレン。[フェイスブック キャプチャー]
アレン容疑者は「もし絶対的に必要であれば、行事参加者の大半は小児性愛者、強姦犯、反逆者の演説に出席することを『選択』したのだから共犯に当たるという前提で、ほぼすべての人を押しのけてでも標的に接近する」とし、「ただ、そのような状況にならないことを願う」と記した。数百人の会場参加者に対しても敵意を示し、潜在的な攻撃を正当化した形だ。
アレン容疑者は、自身の犯行に対して予想される批判と、それへの反論もあらかじめ文書に盛り込んだ。彼は自身の犯行については、「キリスト教徒として(誰かがあなたの片方の頬を打てば)もう一方の頬を差し出すべきだ」という反論が出る可能性があるとし、「もう一方の頬を差し出すのは、自分が抑圧されている時だ」と反論した。続けて「私は、収容所で強姦された人、裁判もなく処刑された漁師、爆撃で死亡した学生、飢えた子ども、この政権の数多くの犯罪者に虐待された10代少女でもない」とし、自身は直接的被害者ではないとしたうえで、「他の誰かが抑圧されている時に、もう一方の頬を差し出すのはキリスト教徒の行動ではない。それは圧制者の犯罪に加担することだ」と主張した。
トランプ大統領は26日、FOXニュースのインタビューで、「彼の声明文を読めば、彼がキリスト教徒を憎んでいることは明らかだ」とし、「彼は長い間、心の中に深い憎悪を抱いていた。それは宗教的な問題だった。強い反キリスト教的傾向を示していた」と語った。
アレン容疑者は声明文で、今はこのようなことを行うのに適切な時期ではないという批判があり得るとし、「誰かが強姦されたり殺害されたり虐待されたりするのを目撃した時、被害者ではない人々にとって『不快』かもしれないという理由で、そのまま通り過ぎるべきだと思うのか」とし、「私が思いつく限り最善のタイミングであり、成功の可能性が高い機会だった」と主張した。
核心が、まだ分からない識者
見出し・・織田信長は本当に無神論者だったのか?比叡山焼き討ちの「真の理由」を史料
元亀2年(1571)9月、織田信長は比叡山焼き討ちを決行した。この出来事は、信長が宗教を否定した象徴的な事件として広く知られている。
しかし、信長は本当に無神論者だったのだろうか。比叡山焼き討ちは、単なる宗教否定の行動だったのか。本稿では史料をもとに、その実態を改めて考えてみたい。
信長による比叡山の焼き討ち
信長の軍勢が坂本・堅田付近に放火を開始すると、一斉に比叡山へ攻め込んだ。その様子は、『信長公記』に詳しく描かれている。死者の数は、フロイスの書簡には約1500人、『信長公記』には数千人、『言継卿記』には3000~4000と記されており、数には差がある。
いずれにしても、相当数の人々が亡くなったことは間違いない。坂本周辺に居住していた僧侶や住民たちは、日吉大社の奥宮の八王子山に立てこもったが、信長の軍勢によって焼き殺された。
比叡山焼き討ちはどう理解されてきたのか
これまで信長による比叡山焼き討ちは、どのように理解されてきたのだろうか。天台宗の比叡山延暦寺は、中世を通して宗教的権威として畏怖され、ときの権力者は公家・武家を問わず、容易に手出しできない存在であった。
しかし信長は、その中世的権威を否定すべく焼き討ちを実行したと考えられてきた。こうした理解から、この出来事は信長の革新性や無神論的性格を示す象徴的な事件として、長く評価されてきたのである。
では、当時の人々はこの焼き討ちをどのように受け止めていたのか。山科言継(ときつぐ)の日記『言継卿記』には、「仏法破滅」「王法いかがあるべきことか」とあり、この行為を厳しく非難している。
仏法とは仏教のことであり、王法とは政治や世俗の法、慣行を意味する。言継は、信長の行為をきわめて批判的に捉えていたのである。
信長が見た比叡山の実態とは何か
一方で、信長自身はどのように考えていたのだろうか。当時の比叡山延暦寺の様子について、『信長公記』には次のように記されている。
山本山下の僧衆、王城の鎮守たりといえども、行体、行法、出家の作法にもかかわらず、天下の嘲弄をも恥じず、天道のおそれをも顧みず、淫乱、魚鳥を食し、金銀賄いにふけり、浅井・朝倉をひきい、ほしいままに相働く。
この記述を見る限り、比叡山延暦寺の僧侶らは本来の責務を果たさず、放蕩三昧の生活を送っていたと認識されていたようだ。こうした状況は、『多聞院日記』(興福寺塔頭多聞院英俊の日記)にも、修学を怠っていた様子が記されている。
さらに比叡山延暦寺は、信長に敵対する朝倉氏・浅井氏に与同したという。結論として、こうした僧侶らの不行儀と敵対行動こそが、比叡山焼き討ちの原因であったと考えられる。
信長は事前に「最後通告」を行っていた
前年の元亀元年、朝倉氏・浅井氏と戦っていた信長は、比叡山延暦寺に対して次のように通告していた(『信長公記』)。
1.信長に味方するなら、山門(比叡山)領を返還すること。
2.一方に加担せず、中立を保つこと。
3.これらを受け入れない場合、根本中堂を焼き払うこと。
しかし、比叡山延暦寺の衆徒は明確な回答をせず、最終的には朝倉氏・浅井氏に味方した。信長は自らの申し出が受け入れられなかったため、比叡山焼き討ちを決意することになる。
ここで重要なのは、信長が仏教そのものを否定したわけではないという点である。問題とされたのは、僧侶が本分を忘れ修学を怠り、さらに信長に敵対する勢力に加担したことであった。
「信長=宗教否定」は本当に正しいのか
信長による比叡山焼き討ちは、仏教の否定や宗教的権威の破壊を意味する出来事として理解され、信長が無神論者であったことの証拠とする見方が広く流布してきた。
しかし実際には、信長に宗教そのものを否定する意図があったとする確かな根拠は見出しにくい。むしろ、敵対勢力に与同した武装勢力としての比叡山への軍事的対応と理解する方が、史料の内容には即している。
いまなお「信長は宗教を否定した人物である」という説は広く知られているが、それは必ずしも史料に基づいた理解とはいえない。比叡山焼き討ちの実像を正しく捉えるためには、従来のイメージだけでなく、史料の内容を丁寧に読み直す必要があるだろう。
米人が 喧嘩相手を罵る英語
ファッ、キュー ・・Fuck you!
参考
「huck you 意味」
huck you は英語の本来の表現ではなく、多くの場合 fuck you(「くたばれ」「ふざけんな」などの強い悪口)の F を打ち間違えたもの、
あるいは放送コード・検閲回避のために F を H に置き換えた婉曲表現として使われます。
したがって意味も、ほぼ同じ強い侮辱表現と考えてください。
翻訳
Open the Fuckin’ Strait・・・Fuckin’ とは、Fuckining の事で ing を省略したのが
コンマ(’)を付けた、Fuckin’ で 意味は「忌々しい」、と言ったように 語気を強めるために使う用語で
Strait とは 海峡のことで
このいまいましい閉じられた海峡を さっさと開けろ=! といういう意味
それを ある識者が
Open the Fuckin’ Strait(ファッキン海峡を開けろ)・・性的に閉じられた海峡を開けろ!
つまり 女性の閉じられたアソコを開けろ と言う具合に翻訳
翻訳
Open the Fuckin’ Strait(いまいましい海峡を開けろ)
you crazy bastard(お前は、気が狂った嫌なヤツだ)
you’ll be living in Hell(地獄で生きていくことになるぞ)
・・国家の大統領としては 品格が落ちる表現だが、男なら誰でも「喧嘩相手を罵る表現」
何処も不適切な発言ではない・・翻訳の仕方が違い「不適切な表現」にしている
人間は「落ち目」になると「寄ってたかって」 散々 非難される
トランプは不適切は 発言をしていない
日本識者が「おかしな翻訳」を報道している
見出し・・4ページの1ページ・・「トランプは狂った犯罪者」支持者は離れ、他国からも批判…トランプ大統領が発した“禁句”とは
支持率低迷が続くトランプ大統領 ©CNP/時事通信フォト
ドナルド・トランプは自滅への道を歩んでいるように見える。公約だった「戦争をしない」を覆してイラン戦争を始め、MAGAインフルエンサーたちから一斉に批判された。ガソリン代の急騰により、MAGA有権者もトランプから離れ始めた。(寄稿:堂本かおる)
◇
確たるプランもなく簡単に勝てると始めた戦争は泥沼にはまり、逆上してイランの「文明を全滅させる」と人道にもとる暴言を吐いた。さらには戦争反対を唱えるローマ教皇にまで噛み付いた。失いつつあるクリスチャン有権者の支持を取り戻そうと自身をキリストとして描いた画像をSNSにポストしたが逆効果となり、世界中から大批判を浴びた。
トランプのこうした言動を受け、職務履行が不可能な大統領を罷免する憲法修正第25条の発動案までもが出ている。それでもなおトランプはナルシシズムと権力志向に基づいた暴言をやめられずにいる。
大統領が口にした「Fワード」
4月5日はイースター(復活祭)だった。キリストの復活を祝う、キリスト教徒にとって非常に重要な祭日だ。春の訪れを祝う日でもあり、かわいいウサギをシンボルとし、カラフルに塗ったタマゴを子供たちが探すゲームが行われる。
そんなイースター・サンデーの朝8時(現地時間。以下同)にトランプが自身のSNS、トゥルース・ソーシャルに行なったポストは誰にとってもショッキングだった。
〈「火曜日はイランにおいて発電所の日であり、橋の日でもある、全てが一度に起こる日となる。これほどの日は他にない!!! このクレイジーなクソッタレども、ファッキン海峡を開けろ。さもないと地獄で生きていくことになるぞ――見てろ!アッラーに栄光あれ。ドナルド・J・トランプ大統領」〉
米軍がイランの発電所と橋、つまりインフラを一斉攻撃するという脅しだが、その内容以上にトランプの言葉遣いに誰もが驚いた。
・Open the Fuckin’ Strait(ファッキン海峡を開けろ)
・you crazy bastards(クレイジーなクソッタレども)
・you’ll be living in Hell(地獄で生きていくことになるぞ)
合衆国政府の「移民奨励法」とアラブ人
参考
「移民奨励法」とは何か
移民奨励の代表例
アメリカで「移民を奨励する」法律としてよく挙げられるのは、南北戦争期の次のようなものです。
1864年「移民奨励法」
南北戦争で労働力不足になったことから、政府が移民募集会社を認め、契約労働移民を組織的に受け入れようとした法律です。エイブラハム・リンカーン大統領が署名し、連邦レベルでは初の本格的な「移民奨励」法と言われます。
ただし、この法律自体は短命で、のちに廃止され、アメリカの移民政策は次第に「奨励」から「制限・選別」へと向かっていきます。
🧭 アラブ人とアメリカ移民法
国籍別・地域別の制限
アラブ人を名指しで「奨励」した法律があるわけではなく、アラブ人は主に「中東・北アフリカ地域出身者」として、他の地域と同様に移民法の枠組みの中で扱われてきました。
アメリカの移民法は、20世紀前半までは国籍ごとの割当制など「人種・出身地」に強く依存した規制で、西欧出身者を相対的に優遇していました。
1924年移民法などは、特定地域の移民を大幅に制限し、民族構成の維持を目的としたものとして知られています。
その後、1965年移民法改正で人種・国籍による差別的な割当が撤廃され、家族結合や職業技能を重視する現在の枠組みに近づき、中東・アラブ地域からの移民も増えていきました。
「奨励」というより「条件付き受け入れ」
現代の制度では、アラブ人を特別に「奨励」するというよりも、他地域と同じように
家族呼び寄せ
雇用ベースの移民ビザ 難民・亡命などのカテゴリーで、条件を満たす人を受け入れている形です。
一方で、テロ対策や安全保障上の理由から、中東・アラブ地域出身者への審査が実務上厳格になった時期もあり、「奨励」というよりは、セキュリティ審査と移民受け入れが常にセットで語られてきました。
🧩 いまのアラブ系アメリカ人の位置づけ
アラブ系アメリカ人は、アメリカ社会の中で一つの少数派コミュニティとして存在しており、政治意識や社会問題への考え方は一枚岩ではありません。調査によると、多くは政治的に中道からリベラルと自認しながらも、不法移民問題などでは比較的保守的な意見を持つなど、複雑な立場が見られます。