第1回 僕の自転車生活のはじまり
僕が自転車と初めて関わったのは師匠にオールスター競輪で3連勝したピストを頂き、それに乗り始めたこと、最初からアマチュアで走るつもりはなく、めざすのは競輪のみ。固定ギア競輪ピストから自転車を始めたのも後から考えると異常だったけど、競輪シューズをペダルに固定しフラペ禁止だったので停止する度に転倒の繰り返し。
一番最初に覚えるのは転倒しないためのスタンディング。30秒止まれないとあちこちでこける。保育園児の横断待ちで耐えられず転倒し、こけてもストラップのベルトを緩めないと足が抜けないので、こけたまま。保育園児が「この兄ちゃんなんでこけたまま動けないんだろ」と不思議そうな顔でこちらを見て横断していった。ガチガチに締め込んでるので、こけても足はすぐには外れない、焦れば焦るほど足は抜けない。
自転車に乗れるというのは静止できるということなんだと思った。走るより前に止まれるようにならなければ道路に出れない。世界戦ではバンクで5時間静止してレースをする(当時のスクラッチレースでは30分以上の静止はザラ。僕は分どころか30秒の静止ができなかった)スクラッチは昔の競技名で今とは違いますが昔の呼称をそのまま使います。
僕が自転車に乗り始めたのは10歳、競輪ピストを頂きバンクを走ったのは11歳、その間自転車に乗った経験もなく、なんて自分は未熟なスキルしかないんだと思った。走るより静止、徹底的にスタンディングを練習した。師匠のピストはシートが530mmあった、当時の僕の身体には大きすぎてギリギリ乗れただけでコントロールができなかった。ピストのサドルは細くて乗る部分が少なく、ずり落ちた。ハンドルはタイヤより下が定位置で前傾が半端ない、僕は器械体操が得意だったので身体がものすごく柔らかったので、あんな極端で身体に合わなかった自転車でも乗れたのだと今ならわかる。
というか、あんな凶器みたいな自転車小学生に乗せるなよ!今ならパワハラ人殺し。テレビで星一徹がちゃぶ台ひっくり返して星飛雄馬が大リーグボール養成ギブスをつけてた時代。師匠がオールスター3連勝した自転車で走れないのは自分の実力が足りないせいと疑わなかった。昭和って無茶苦茶が通ってました。結局、身体が大きくなってフレームに体格が合うまで、このピストはうまく扱えなかった。
あるとき僕はなんてスキルが低いんだと思ってた時、同級生が乗ってたジュニア車を借りて静止してみた。なんと1分くらいは静止できた。それから近くの学校運動会で自転車遅乗り競争に近所のおばちゃんのママチャリで参加したら圧倒的遅さ(みんなはゴールしてるのに僕はスタートで静止していた)で優勝した。この時、俺静止一番うまいんちゃう?と自信持った。スタンディングが下手だったのは身体に合ってない競輪ピストが原因、でも師匠にはそんなことは間違っても言えない。それから自分の身体に合った自転車を作ろうと決心した。でもどうやって??当時、整備も含めて自転車の知識はゼロだった。
まず近所の自転車屋に行ってみた。競輪ピストを乗っていくと珍しくジロジロ見られる。2~3質問すると「この自転車屋はピストを触ったことがないド素人」とわかった。ママチャリしか知らない自転車屋ばっかりだった。当然僕が作ろうと思っている自転車の情報はない。師匠はどこで部品を買っているのか聞いてみた。「競輪開催日に競輪場に売りに来る業者から買ってる、整備もそこでやってもらってる」開催日に僕がそこに行って買うことはできる??「それは出来ない、開催期間中は出入りは厳重に監視され選手も宿舎に缶詰になる、部外者は絶対入れない」
どこに僕が求める自転車屋があるんだ・・・大阪の街を自転車屋を求めて走り出した。
第2回 自転車の街 大阪 へつづく