コンスタントにプレイしている人とは大きく違った景色が見られそうで、その点では羨ましい。
今のイベントで「教令院久しぶりだな!」っていうパイモンのセリフを聞いて「うん!久しぶり!初めまして!!」って爆笑したり、リゾートで「ナタの大英雄様ー!」って言われて「そうだぞ!知らんけど!!!」って笑ったり、森林書で子供と話すとき「海から七つの首の魔神が…」「偉大な二人のお姉さんが…」っていう”完璧な作り話”をしている自分とパイモンを見て爆笑したり、色々と面白い。一番好きだったのは璃月の鯉の所から歩いてフォンテーヌ行って、歩いて…世界樹?みたいな所行ったら、急にフォンテーヌの方振り向いて「俺たちはあそこから来たんだな…」って感慨深そうに眺めるムービーが入ったのが一番ツボに入った。実装順を知らないことを踏まえて、オープンワールドゲーム!!って感じがして原神凄い楽しい。でも稲妻まで歩いて行ったら強制送還喰らった事だけは許してない()
その楽しみを「オープンワールド」って呼ぶのはオープンワールドに対して失礼だからやめて欲しいね。デザインされた「無視」を楽しむのとデザインの無視を楽しむのは全く別物だから 原神はコンセプトこそオープンワールドを継承してるけど、スタイルとしてはほとんどの部分でそうじゃないよ
昔の原神イベントは誰と初対面かボイス付きで差分あったんだけどな 流石にもう分岐しすぎて無理か
買い切りゲームならフラグ管理もしっかりしてるんだろうけど、運営型は時期限定イベントもあって全く整理出来てないからなぁ。
イベントとか世界任務が初対面だとキャラ説明は入るね。地脈の話で刻晴と夜蘭にあった時とか璃月港でカメラ受け取ったらそのままフォンテーヌに飛ばされて初対面の人にレンズ貰った時とか、挿絵でキャラ説明が入った。後今回のイベントのコレイもかな。セリフまで分岐されてたら確かに良かったかもだけど、手間もかかるだろうしこれはこれで楽しいので好きだよ。でもそれこそ別ゲームになるけど、チュートリアル台地を飛ばしてラスダンの城に乗り込んだり、無限飛行ロジックを発見して特定条件下じゃないと入れない街に入国したり、そういうのを「オープンワールドの楽しみ方」だと個人的には思っていて、故にそういう遊び方を原神でもしているのだけれど、この「オープンワールドの楽しみ」への認識はそんなに変かな…?(ただ原神にそぐわないと言われればそれはそう。だから普通に戦闘用のキャラを育成したり編成考えたりもしてる。環境沢山変わっててそっちも楽しいよ。)
普通にバグやグリッチを利用して感じる楽しみを「オープンワールド」にこじつけて考えてるだけ。例えば”特定条件でエンカウントしなくなる「RPG」”があって、それでボスをスキップ攻略できたとして、特定ダンジョンの入場やアイテムの入手ができるからって、それが「RPG」の楽しみや醍醐味にはならない。思考の場合分けができてないことを大っぴらに”○○の楽しみ方”とか言われても賛同も理解も得られないと思うよ
なんか議論が白熱しているけど、「オープンワールドの楽しみ方の一つとしてそういうものもある」「原神はそういう風に楽しむために設計されてないところがある」じゃダメなんか?
そもそも「オープンワールド」は一般的に「ノンリニアを通してゲーム内世界のリアルさを演出するレベルデザインの手法」を指す言葉で、プレイヤーに自由度を与えてゲーム内世界に作用させることを緻密に計算してるんだよね 原神は必ずしもそうではないし、シームレスなマップで好き勝手行動できることはオープンワールドと重なる部分こそあれど本質ではないよね(グリッチを込むなら尚更)
グリッチって不具合とか悪用することを指すイメージあるけど時系列のトンチキを面白がるのもだめなのかな…?自分はそういう楽しみ方があってもいいと思った。「自由に探索しよう」って言われて自由に探索するのが失礼とも思わんし…
頑張ったら行けるけど話の齟齬が生じるのとバグやグリッジで行って話の齟齬が出るのとでは根本が違うのでは?
「〇〇の楽しみ方」というより「〇〇(この場合はオープンワールド)の楽しみ方の一つ」といったほうがより正確なのは確かだな。その上で「原神はそういう(純粋なオープンワールドとしての)設計をされていない(例:弓や法器で100%被弾しない位置取りをして攻撃をしても敵が元の位置に戻ってHPが回復する・時間制限討伐系ギミックが多い)」というのも間違いのない事実。ただ一方で直接ナタやナド・クライにワープして行けるようになっている上に、行ってもギミックは作動して探索を楽しめるし実際楽しいので原神にも一部そういう設計が考慮されている節もあると思う。だからそういう(例えば上で言う時系列のトンチキ)を楽しむのも数ある原神の遊び方の一つ…と結論に置いたらダメかな…?上のBoTwの例も原神のこれも、間違ってもバグを利用しているわけでもないしそれによって強化素材等の不正入手をしているわけでもないしね。本人が話の齟齬すらネタにできるなら尚更…。
チャージマン研がいっとき流行ったけどああいう古いアニメや映画をみて現代では通用しない倫理観や制作技術の古さを面白がるのは趣味としてべつに否定しないけど制作者の意図した楽しみ方とは違うよね。
オープンワールドの自由はあくまで「デザインされた自由」なので、それを無視した遊び方はオープンワールドとしての遊び方とは違うよってこと。ゲーム内世界で出来そうなことが出来ることの楽しさがキモであって、グリッチ移動やストーリーの破綻を楽しむのは(ゲーム設計の未熟さをダシにした)メタ的な視点だよね。そういう遊び方自体を否定してるわけじゃないけど
このジャンルのここが楽しいっていう個人の感想にそれは本質じゃない!失礼だ!製作者の意図じゃない!って余計なお世話だと思わないのか……?
グリッジ移動って大昔でいうマリオ64のケツワープみたいなものだと思うけど、別に木はそういうものを利用しているなんて一言も言ってなくない…?5年前からの復帰勢だからガイアとか駆使して稲妻やナド・クライまで行ってるまであるでしょ。ストーリーが破綻していることも馬鹿にしているわけじゃなく、それ含めて面白いなって感想をもって遊んでるだけだと思う。
「オープンワールドの楽しさ」として括られるとモヤるってことじゃないかなぁ。それを目的に遊ぶものではないから、そういう齟齬があってこそオープンワールドだ!とまで言ってしまっているように聞こえるというか
木主だけど、ナタとナド・クライはなぜか飛べるようになってたワープポイントから、稲妻とフォンテーヌとスメール北部(なんか禍々しいクレーターと世界樹みたいな木があるところ)はガイアで歩きました。やはり大地の名を冠するだけあってどんな水面も歩けるガイアは偉大(なお稲妻)なんか燃えててごめん………
木主はなんも悪くない。気にすんな(木主なだけに
オープンワールドとはかくあるべき(キリッ)みたいな変なのに絡まれた事故よ事故
次は良い事あるよ
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今のイベントで「教令院久しぶりだな!」っていうパイモンのセリフを聞いて「うん!久しぶり!初めまして!!」って爆笑したり、リゾートで「ナタの大英雄様ー!」って言われて「そうだぞ!知らんけど!!!」って笑ったり、森林書で子供と話すとき「海から七つの首の魔神が…」「偉大な二人のお姉さんが…」っていう”完璧な作り話”をしている自分とパイモンを見て爆笑したり、色々と面白い。一番好きだったのは璃月の鯉の所から歩いてフォンテーヌ行って、歩いて…世界樹?みたいな所行ったら、急にフォンテーヌの方振り向いて「俺たちはあそこから来たんだな…」って感慨深そうに眺めるムービーが入ったのが一番ツボに入った。実装順を知らないことを踏まえて、オープンワールドゲーム!!って感じがして原神凄い楽しい。でも稲妻まで歩いて行ったら強制送還喰らった事だけは許してない()
その楽しみを「オープンワールド」って呼ぶのはオープンワールドに対して失礼だからやめて欲しいね。デザインされた「無視」を楽しむのとデザインの無視を楽しむのは全く別物だから
原神はコンセプトこそオープンワールドを継承してるけど、スタイルとしてはほとんどの部分でそうじゃないよ
昔の原神イベントは誰と初対面かボイス付きで差分あったんだけどな 流石にもう分岐しすぎて無理か
買い切りゲームならフラグ管理もしっかりしてるんだろうけど、運営型は時期限定イベントもあって全く整理出来てないからなぁ。
イベントとか世界任務が初対面だとキャラ説明は入るね。地脈の話で刻晴と夜蘭にあった時とか璃月港でカメラ受け取ったらそのままフォンテーヌに飛ばされて初対面の人にレンズ貰った時とか、挿絵でキャラ説明が入った。後今回のイベントのコレイもかな。セリフまで分岐されてたら確かに良かったかもだけど、手間もかかるだろうしこれはこれで楽しいので好きだよ。でもそれこそ別ゲームになるけど、チュートリアル台地を飛ばしてラスダンの城に乗り込んだり、無限飛行ロジックを発見して特定条件下じゃないと入れない街に入国したり、そういうのを「オープンワールドの楽しみ方」だと個人的には思っていて、故にそういう遊び方を原神でもしているのだけれど、この「オープンワールドの楽しみ」への認識はそんなに変かな…?(ただ原神にそぐわないと言われればそれはそう。だから普通に戦闘用のキャラを育成したり編成考えたりもしてる。環境沢山変わっててそっちも楽しいよ。)
普通にバグやグリッチを利用して感じる楽しみを「オープンワールド」にこじつけて考えてるだけ。例えば”特定条件でエンカウントしなくなる「RPG」”があって、それでボスをスキップ攻略できたとして、特定ダンジョンの入場やアイテムの入手ができるからって、それが「RPG」の楽しみや醍醐味にはならない。思考の場合分けができてないことを大っぴらに”○○の楽しみ方”とか言われても賛同も理解も得られないと思うよ
なんか議論が白熱しているけど、「オープンワールドの楽しみ方の一つとしてそういうものもある」「原神はそういう風に楽しむために設計されてないところがある」じゃダメなんか?
そもそも「オープンワールド」は一般的に「ノンリニアを通してゲーム内世界のリアルさを演出するレベルデザインの手法」を指す言葉で、プレイヤーに自由度を与えてゲーム内世界に作用させることを緻密に計算してるんだよね
原神は必ずしもそうではないし、シームレスなマップで好き勝手行動できることはオープンワールドと重なる部分こそあれど本質ではないよね(グリッチを込むなら尚更)
グリッチって不具合とか悪用することを指すイメージあるけど時系列のトンチキを面白がるのもだめなのかな…?自分はそういう楽しみ方があってもいいと思った。「自由に探索しよう」って言われて自由に探索するのが失礼とも思わんし…
頑張ったら行けるけど話の齟齬が生じるのとバグやグリッジで行って話の齟齬が出るのとでは根本が違うのでは?
「〇〇の楽しみ方」というより「〇〇(この場合はオープンワールド)の楽しみ方の一つ」といったほうがより正確なのは確かだな。その上で「原神はそういう(純粋なオープンワールドとしての)設計をされていない(例:弓や法器で100%被弾しない位置取りをして攻撃をしても敵が元の位置に戻ってHPが回復する・時間制限討伐系ギミックが多い)」というのも間違いのない事実。ただ一方で直接ナタやナド・クライにワープして行けるようになっている上に、行ってもギミックは作動して探索を楽しめるし実際楽しいので原神にも一部そういう設計が考慮されている節もあると思う。だからそういう(例えば上で言う時系列のトンチキ)を楽しむのも数ある原神の遊び方の一つ…と結論に置いたらダメかな…?上のBoTwの例も原神のこれも、間違ってもバグを利用しているわけでもないしそれによって強化素材等の不正入手をしているわけでもないしね。本人が話の齟齬すらネタにできるなら尚更…。
チャージマン研がいっとき流行ったけどああいう古いアニメや映画をみて現代では通用しない倫理観や制作技術の古さを面白がるのは趣味としてべつに否定しないけど制作者の意図した楽しみ方とは違うよね。
オープンワールドの自由はあくまで「デザインされた自由」なので、それを無視した遊び方はオープンワールドとしての遊び方とは違うよってこと。ゲーム内世界で出来そうなことが出来ることの楽しさがキモであって、グリッチ移動やストーリーの破綻を楽しむのは(ゲーム設計の未熟さをダシにした)メタ的な視点だよね。そういう遊び方自体を否定してるわけじゃないけど
このジャンルのここが楽しいっていう個人の感想にそれは本質じゃない!失礼だ!製作者の意図じゃない!って余計なお世話だと思わないのか……?
グリッジ移動って大昔でいうマリオ64のケツワープみたいなものだと思うけど、別に木はそういうものを利用しているなんて一言も言ってなくない…?5年前からの復帰勢だからガイアとか駆使して稲妻やナド・クライまで行ってるまであるでしょ。ストーリーが破綻していることも馬鹿にしているわけじゃなく、それ含めて面白いなって感想をもって遊んでるだけだと思う。
「オープンワールドの楽しさ」として括られるとモヤるってことじゃないかなぁ。それを目的に遊ぶものではないから、そういう齟齬があってこそオープンワールドだ!とまで言ってしまっているように聞こえるというか
木主だけど、ナタとナド・クライはなぜか飛べるようになってたワープポイントから、稲妻とフォンテーヌとスメール北部(なんか禍々しいクレーターと世界樹みたいな木があるところ)はガイアで歩きました。やはり大地の名を冠するだけあってどんな水面も歩けるガイアは偉大(なお稲妻)なんか燃えててごめん………
木主はなんも悪くない。気にすんな(木主なだけに
オープンワールドとはかくあるべき(キリッ)みたいな変なのに絡まれた事故よ事故
次は良い事あるよ