語本来
作中の、架空の2ch語から。
『その心性のありようは
〝逝〟の語源のもつ深刻さなどは皆無でも、文字としての〝逝〟には語源である〝この世を去る〟という意味は投影されているし、〝イッテヨシ〟の音にふくまれる〝ここから出て行け〟〝即座に出て行け〟という強圧的な意味もふくまれているのだから、(後略)
書き込みユーザー(書き手)の意図にかかわらず、言葉(文字)にはそれ自体の本来を含んでいるし――という言及について、富野監督もやはりそういうことは思うのか。思うはずだろう、とは思う。
教育の文脈で言われるような心性を涵養するとかいう話、ではなく、今は富野小説を読んでいるにあたって、富野文中の語法にも語の一般的な用法、語本来の意味からも離れた使われ方、時には全く間違っているんじゃないかと思えるような言葉遣いをされることはファンには知られているわけで、……最近ここでよく扱うのは「蓋然的」とか……そういう自覚はおありなんだ。じゃあやっぱり、わざとやっているんですねのように覚えておく。
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たちの悪さ
今それは飛ばしたけど、当時の2chを例に「たちの悪さ」と富野文のここで言っているのは、
という点を挙げていて、荒んだ暴力的な言葉づかいをたくさん使っているということではない。
大ざっぱにロウリィはこうしたバーチャルさを嫌うに及んで「実行してみるかない仲間たち(ジスミナ)」を夢想するが、そうする間もロウリィ自身は同じバーチャル感覚に浸りきっているし、ロウリィの気分では実行することが先にあって何を実行するかはまだ決まっていない。
『煽りではない』
平和憲法の本文に解釈の余地はなかろうと思えるものも政治的にどうでも解釈される
というレベルに較べれば、銃刀法か何かを根拠にアキバで若者をしょっぴくみたいな次元は問題にならない。
ここはちょっと違うなと思う。当時のネット語の「煽り」は相手の書き込みに対して意図的に挑発的か、侮辱的な言いがかりのレスをつけて、相手が乗ってくればスレで寄ってたかって盛り上がる遊戯の習慣。『リーンの翼』のここでは、『集団の気勢を上げるための(仲間を)扇動するスローガン』と解しているようだ。
2ちゃねらーの感覚でこの文章を読むと少し変な気分になると思う。もともと字義通りではないし、「らしい」と紹介した行動とも違う。スレを加熱か加速させる、祭りという意味では同じだが。ともかくロウリィは「これは掛け値無しにシリアスな現実だ」と言いたかったのだが、『煽りではない』もリアルジスミナに通じたかどうか。
2010年の小説を2026年に読んでいるだけなのに変な注釈だ……。そんなこと言うわたしも真面目にネットに耽っていたことはないし、小説としてどうしても完璧な考証を期すことは誰にもできまい。深入りはせずに、ロウリィやエイサップの話に集中しよう。
ごく最近出版の、現代日本語の用法の言語学の本をめくったとき、20年は昔のネット語も現代語研究の中で手短に紹介しなければならないらしい事情には一読してげんなりした。その項に続いては、「ケータイ語」とか。
正調の常用語でいえば、
『今良い話をしているんだから余計な茶々を入れるな。煽ってんじゃねえよ。こういう馬鹿がいるからスレの空気が悪くなって荒れるんだ、クソが』
のように半ギレになった人がいたら、『そいつ煽ってねーよ。興味あるからその話つづけてよ』というのは『煽りではない』という言い方になると思う。穏当な宥めかな。そんな執り成し対応は普通されないと思う。黙ってNGしとけが鉄則のはず。
あぽ~ん
小説の『リーンの翼』中の2ch語の表現はやはりフィクションのもので、どんな世代の読者が読んでも多かれ少なかれ「変だわ」という気にはなると思う。
まず、あぼ~んではなくあぽ~んというのを読者は見たことがあるか、どうか。その意味説明にも違和感があるが、著者の富野由悠季は2ちゃねらーではあるまいし、あくまで一通りの取材の上で、現実の2chとは違う作中に通じるネット語を創作したのかもしれない。
そのうえで、ここで『質の悪い言葉だ』と評しているのは、著者による評言なのか、この場面での主人公格を担っているロウリィの気分なのかというと、後者だろう。
富野監督はネットに詳しくないとは言い切れず、仮に詳しかったとしても小説の中で創作を加えていいし、フィクションまじりにせよ根本的なところの批評は妥当だと思う。その批評はネット上の言葉の使われ方のバーチャル性を指摘しつつ、一見して浅はかで見境のない行動にロウリィを衝き動かしていくものを書いている。
ロウリィの動機は「父親への反発から発する反米思想」「自己中心的な性格」「承認欲求」などの説明は、作品に対して単純化がすぎる。が、アニメでは到底わからないし、小説を読んでも大半の読者にそこまで彼の身に添って読むほど文芸に興味がないんだろう。
小説『リーンの翼』は、3巻ではここまでのバランモンや、漂流地上人の各人談話・思想や、現代ネット語といった諸々の言葉の使い方・語りの間をくぐり抜けながらその先に再びヒロイック・ファンタジーの確立を目指す。
テロリストにロマンを認めるべきかは、今2026年2月にはハサウェイの話になってしまい、同情・共感すべきことでハサウェイと比較ではロウリィに分が悪すぎる。彼の気分をせめて理解できろとも言われまいか。