迫水の終生のテーマ
二十年がすぎる間に迫水の仕事はものすごく忙しかった。休む間もない、妻子の顔を見に帰る間もないほど。読者としては、迫水が何に忙しかったかを一々挙げ尽くせない文章量だが、迫水が何を中心軸にしているかでは、
組織と人間の関係をいかに考えるのかということが、迫水の終生のテーマになっていく。
ここでは、コモン人の部族社会を一新して考えなければならない仕事は軍・産業・民生に及び、戦争だけではない経済から医療から教育からとシステムを整えていくほど、社会の体裁が社会主義や全体主義になっているじゃないか――ではなく、『人は性善説でうごくのか、性悪説なのかといった問題だ』という。
これも富野読者に区別がわかりにくいポイントかもしれない。迫水のこれまでのテーマについては、前巻までのガダバ編までではあくまでも彼の個人的なロマンチシズムに集約できたと思う。今のテーマが「組織と人間」になり、それは終生というから死ぬまで。
この巻の後の章には、「エメリス・マキャベルの終生のテーマ」もある。それは、「正しい戦争はあるのか」「軍人にとって命令は常に正しいことか」等。追っておこう。
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新しい国ホウジョウを「覇権主義」にはしてはならないという自戒を、迫水や地上人らがたびたびする。彼らは第二次大戦までの反省が身に染みてあってそう言っているが、読者には、「覇権主義がなぜいけないのか」は、日本の教育一般としてインプットされているとしても、主体的に説明できる人はそうはいない。
このたびの富野通読では、富野作中で「国家の覇権主義への傾斜」を警戒し拒む気持ちは『王の心』に書かれていて参考になった。1995年の作品でありこういう時に前後を繋げておきたいが現在、絶版が壁になるところ。
それをして本当に憎むべきはジャコバ・アオンなのか??は、こんどその章まで追ってから考えよう。簡単にそう思ってしまってはヒロイック・ファンタジーは面白くないかもしれない。ジャコバは所詮とるにたらないフェラリオとも言える。