かとかの記憶

リーンの翼 / 401

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katka_yg 2026/03/09 (月) 22:36:55 修正

「第五章 オーラマシンのもとに」
実弾の数を製造できなければ実戦的な訓練ひとつ行えないということから、そのための工場が必要で、またその実績ある企業を外国から誘致もする等の経過は、リアリズムを欠いた空想からは出てこない、書けないだろうと思い富野作品の特徴に今は挙げるだろう。

一方で、現実世界の社会基盤のあれこれをノウハウとして異世界に移植してみればいい発想は、「異世界もの」ジャンルにむしろありふれたテーゼになりきっているかもしれず、異世界を安易に文化汚染しては足をすくわれる、いけない理由も深く訊ねなくても約束事で済むのが1990年代頃だったのではないか。それは『ガーゼィ』で前回。

『リーン』のホウジョウ建国記を読んで富野作品の独自性がどこにあるのかを言える読者もそんなにいないだろう。どこを取って読めばいいのか?
本章中、起こっている事件の間隔は何年単位で進んでいき、十年がまたたく間にか過ぎる。ひとつひとつを取り上げていけば目にも留まらぬ時間の渦の中のようだ。

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  • 402
    katka_yg 2026/03/09 (月) 22:44:14 修正 >> 401

    アピアとの子シンイチは乳児から七歳になり十歳で急死する。明朗な少女だったアピアはいつしか妻らしい婦人になり、一子の死後は鬱にしずんでいく。

    オーラバトラー開発記は本章のメインテーマではそんなにないが、マリアはパジャマリアになり、新型機の計画も。マットウタの上空戦で迫水のオーラバトラーから(思い出したように)リーンの翼が顕現し、圧倒的不利な戦況で五十機近い敵を殲滅。この機械化時代でも聖戦士伝説が生きていることを世界に印象づける。

    バイストン・ウェルの地上人の最年長者のスコット大佐はこの戦いで戦死。戦死であって老衰で死んだわけではない。蓼科中尉らは現役で健在。ポーランド人が落ちてきた頃には東京オリンピックの頃、学生運動闘争の頃で、日本は戦後二十年になっていた。

  • 403
    katka_yg 2026/03/09 (月) 22:57:48 修正 >> 401

    迫水の終生のテーマ

    二十年がすぎる間に迫水の仕事はものすごく忙しかった。休む間もない、妻子の顔を見に帰る間もないほど。読者としては、迫水が何に忙しかったかを一々挙げ尽くせない文章量だが、迫水が何を中心軸にしているかでは、

     組織と人間の関係をいかに考えるのかということが、迫水の終生のテーマになっていく。

    ここでは、コモン人の部族社会を一新して考えなければならない仕事は軍・産業・民生に及び、戦争だけではない経済から医療から教育からとシステムを整えていくほど、社会の体裁が社会主義や全体主義になっているじゃないか――ではなく、『人は性善説でうごくのか、性悪説なのかといった問題だ』という。

    これも富野読者に区別がわかりにくいポイントかもしれない。迫水のこれまでのテーマについては、前巻までのガダバ編までではあくまでも彼の個人的なロマンチシズムに集約できたと思う。今のテーマが「組織と人間」になり、それは終生というから死ぬまで。

    この巻の後の章には、「エメリス・マキャベルの終生のテーマ」もある。それは、「正しい戦争はあるのか」「軍人にとって命令は常に正しいことか」等。追っておこう。

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    katka_yg 2026/03/09 (月) 23:05:06 修正 >> 403

    新しい国ホウジョウを「覇権主義」にはしてはならないという自戒を、迫水や地上人らがたびたびする。彼らは第二次大戦までの反省が身に染みてあってそう言っているが、読者には、「覇権主義がなぜいけないのか」は、日本の教育一般としてインプットされているとしても、主体的に説明できる人はそうはいない。

    このたびの富野通読では、富野作中で「国家の覇権主義への傾斜」を警戒し拒む気持ちは『王の心』に書かれていて参考になった。1995年の作品でありこういう時に前後を繋げておきたいが現在、絶版が壁になるところ。

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    katka_yg 2026/03/10 (火) 00:16:39 修正 >> 403

    それをして本当に憎むべきはジャコバ・アオンなのか??は、こんどその章まで追ってから考えよう。簡単にそう思ってしまってはヒロイック・ファンタジーは面白くないかもしれない。ジャコバは所詮とるにたらないフェラリオとも言える。