参考 リンク
Ekman, P.,&Friesen,W.V. (1975).Unmasking the face:Aguide to recognizing emotions fromfacial clues.NewJersey:Prentice-Hall.(エクマン,P.・フリーセン,W.V.工藤力(訳編)(1987).表情分析入門──表情に隠された意味をさぐる──誠信書房) ※1
Argyle, M.(1996). Bodily communication. London: Routledge. ※1 リンク
Nisbett, R. E. (2003). The geography of thought: The geography of thought: How Asians and Westerners think differently ... and why. London: Nicholas Brealey. (村本由紀子(訳) (2004). 木を見る西洋人森を見る東洋人 ―思考の違いはいかにして生まれるか― ダイヤモンド社) ※1
8章
課題1 状態依存記憶についての補足
学習した時と思い出そうとしている時の精神的状況が似ている方が、よりよく思い出せる。これを状態依存記憶(state-dependent memory)という。例としてしらふで学習したか酔って学習したかの研究がある。実験参加者はその後、同じ状態もしくは異なる状態で記憶テストを受けた。その時、学習時とテスト時で同じ精神状態の方が、記憶成績が良かった。似たような状態依存記憶の効果は、ニコチン、マリファナ、リタリン、有酸素運動による身体的変化でも生じる。
一方、学習時の気分状態(ポジティブやネガティブなど)と思い出そうとする時のそれが同じ方が、記憶が良くなることを気分依存効果(mood-dependent memory)という。
出典:ガブリエル・A・ラドヴァンスキー(2021),記憶の心理学–基礎と応用,誠信書房
教科書ではmood-dependent memoryを状態依存記憶と呼んでいるが、補足情報の通り、正しくは気分依存記憶である。状態依存記憶はstate-dependent memoryで、個人の精神的な状態と記憶の関連についての語句であり、気分や感情と関連する言葉ではない。この教科書の誤りを指摘し、状態依存記憶についての正しい説明と具体例を示すことで教科書理解に役立つと考えたため、この情報を補足した。
課題2
私は、他人を支配したいという感情は二次元では評価できないと考えた。支配したいという感情を二次元のみで考えると、「快・覚醒でも睡眠でもない」となり、教科書の表情の円環図でいうと、満足と同じになる。しかし、満足という感情だけでは、自分の想い通りにしたいという支配欲の特徴を説明できていない。そこで私は「他人からの信頼」という次元を追加する。なぜなら、他人から信頼されず思い通りに動いてくれないと感じた時に支配したいという感情が生じるからだ。もし信頼されていると感じているなら、支配せずともついてきてくれるため、支配したいという感情は少なくなる。
8章 感情心理学の課題
課題1
僕は基本6感情について補足します。エクマンは普遍的に認識されることが分かっている6つ感情(今では7番目に軽蔑を加えようとしている)が基本感情を構成し、これら一つ一つの感情が個体と種の両方の生存の特定の機能を果たしていること、そしてほかのすべての感情は多かれ少なかれこの基本セットの複合、修正であることを主張している。例えば後悔であれば「悲しみ+嫌悪」であらわすことができる。
出典 ランドルフ・R・コーネリアス 「感情の科学」1999誠信書房
教科書だけではエクマンは6つの感情だけしか提唱してないと思われるのではないかと考えました。正しくはエクマンは6つの感情の組み合わせですべての感情を表すことができるとを提唱している。ということが教科書には書かれていなかったので補足しました。
課題2
僕は「恐怖」「恐れ」「不安」の感情を上げます。この3つは「快-不快」「覚醒-睡眠」の二次元では不快が強く覚醒と睡眠はどちらとも強くない感情になり同じ感情になってしまいます。なので僕は感情の強さという次元を追加することで表せると考えました。そうすることで感情が強い順に「恐怖」「恐れ」「不安」と区別することができます。これはアメリカの心理学者プルチック氏の「感情の輪」を参考にしました。
課題1: あなたの説明だと、何が貢献なのかがよくわからないのではと思いました。提供してくれた情報の、「閾下での単純接触が個人の行動にまで影響を及ぼすことを示した研究成果はほとんどない」という部分に注目すべきだと思いました。教科書では「好意」という認知に影響を与えると述べられていましたが、この情報では「行動変容まで行くとは言えない」と書かれています。教科書が曖昧にした、何が変化するのかということに注意を促してくれる情報だと思います。ここが指摘すべきところでは?
課題2: よく考えられていると思います。
7点差し上げます。
8章
課題1
基本6感情について、教科書では表情の認知が西洋文化圏と同様とされている。
しかし、本当はわからないということを補足します。
基本6感情は西洋文化圏の人の共通する表情を研究したものである。
サイトでは日本人も西洋文化圏の人と同じ表情をするのかを研究したものである。
ひとつ目の条件である「シナリオ条件」では、基本感情のラベルとそれに対応するシナリオを読み、
そのような状況によって引き起こされる感情を感じたときに、
一般的に表出する表情を再現するよう参加者に教示しました。
もうひとつの「写真条件」では、参加者に基本6感情の表情の典型的な写真を呈示し、
その表情を模倣するように教示しました。どちらの条件においても、参加者は自分の顔を見ながら十分に練習をしたうえで、実証に臨んでいます。
結果は、日本人は基本6表情の典型的な表情を表出することが可能であるにも関わらず、実際の場面では典型的な表情とは異なる特徴の表情を表出しているということが示唆している。
出典 https://academist-cf.com/journal/?p=10185
課題2
私は、「快-不快」「覚醒-睡眠」の二次元だけでは評価できない感情として「もどかしい」であると考えた。
この表情の円環図では快でもなく不快でもないというのは当てはまることができる。
しかし、反対に快でもあり不快でもあることは当てはめることができない。「もどかしい」というのは快もあり、不快もあることになるため当てはまらないと考えた。
わたしはこれを円環図ではなく、棒グラフによってあらわすことができればよいと考えた。
たとえば、五段階で各項目を当てはめるとどちらも肯定することができる。
8章 感情心理学の課題
課題1
情動についての補足
感情と情動はともにemotionと訳されるが、これは日本語と英語の対応が完全ではないことによるものである。一般に感情の動的側面(客観的に観測可能な行動的側面)に焦点があてられるときは情動が、認知的側面や主観的体験の様相に言及するときは感情が用いられる。感情の動機付け機能を重視する学習心理学、動物心理学の領域ならびに感情の生理的基礎を解明しようとする神経科学、生理心理学領域では情動と呼ぶことが多い。
出典 日本心理学諸学会連合 心理学検定局編,心理学検定基本キーワード改訂版,2022,実務教育出版
補足した理由として、情動という語が感情と似たものであり文献次第では感情を総称として使用しているものもある。用いられ方が違うこともあるので、それぞれの用例を記載することで用語の理解に役立つと考えた。
課題2
愛情は快-不快・覚醒-睡眠では評価できないと考えた。私は愛情を測るために「相手への依存度」という次元を導入する。愛を快-不快・覚醒-睡眠の次元で測るなら、快と覚醒の次元が高いと考えた。そのため、円環図にある「上機嫌」との差異を区別できる次元が必要となり、相手への依存の程度を用いて考えることとした。つまり、愛情は快と覚醒と依存度が高くなると捉え、愛情の対になる感情として「無関心」を想定しこの場合は、睡眠と依存度が低いと捉えられる。
8章 感情心理学
課題1
表情についての追加情報。
教科書では、「心の中に目には見えないけれども感情が発生し、それが外に現れていたものが表情である」とある。しかし実際には、笑う場面ではないところで笑ういわゆる「笑ってごまかす」ということがある。例えば、ジャパニーズスマイルというものがあり、これは日本人がうまく質問に答えられないときなどに、困惑、うまく言葉にできないもどかしさなど、否定的な感情が発生していると考えられるが、感情に反して表情は笑っているという状態のことである。この「笑ってごまかす」ことの存在は、表情が感情をそのまま反映しないことの根拠である。つまり、表情は必ず感情を示しているとは言えない。
この情報を追加した理由として、まず教科書の顔面表出の定義では、ジャパニーズスマイルのような、顔面表出の失敗ともいえる現象を無視している。表情は必ず感情を表すものではないという追加情報は、感情の役割を考える感情心理学の分野において、表情だけで感情を測ることはできないという理解につながると考えた。
出典:繁桝算男(2022) 「心理学概論」117-118. 遠海書房.
課題2
私は「快-不快」「覚醒-睡眠」の二次元だけでは評価できない感情として「呆れ」を挙げる。
呆れは、上記の二次元で考えると、不快、睡眠だと考えられる。しかし、教科書に書いてある「不快、睡眠」の感情で挙げられている例は、飽き、疲れなどであり、これらは主観が首位の感情である。呆れは、何か物事に対して生じる感情であり、飽きや疲れとは意味が違うことが分かる。
そこで、これらを差別化するために、「客観的」という次元を導入する。これを導入することで、呆れは「不快、睡眠、客観的」なものと考えられ、呆れの逆の感情である関心は「快、覚醒、主観的」であると考えられる。
第8章 感情心理学の課題
課題1:「気分一致効果」「状態依存記憶」についての情報を追加する。
記憶は覚える際の状況(符号化文脈)と思い出す際の状況(検索文脈)の一致度によって規定される。このことを符号化特定性原理と呼ぶ。気分状態依存効果(状態依存記憶)は符号化特定性原理で説明できる。また、バウアーらの研究では、催眠を用いて参加者の気分を幸せな気分もしくは悲しい気分に誘導し、物語を読ませた。後日物語の内容を想い出すテストを行った時、参加者は物語のうち誘導された方の感情価を含む部分をより多く再生した。
出典:日本心理学諸学会連合 心理学検定局編(2022)「心理学検定基本キーワード改訂版」実務教育出版
この情報を追加したのは、教科書では状態依存記憶は気分一致効果の下位概念のように書かれているが、状態依存記憶は記憶した内容が持つ感情価に左右されず、符号化時と検索時の状態にのみ影響を受ける点で気分一致効果とは異なる概念であることと、教科書では気分一致効果のうち内容と検索時の感情価の一致にのみ触れられているが、符号化時と内容の感情価が一致している場合にも気分一致効果が成立することを示すことで教科書に不足している説明を補い、より正確な理解を促せると考えたためである。
課題2:私は「快-不快」「覚醒-睡眠」の二次元で評価できない感情として、恥じることを挙げる。快-不快・覚醒-睡眠の二次元で捉えると、不快かつ覚醒と考えられ、怒りや不安と量的差異しかない感情である捉えられることになってしまうが、それらとは質的に異なる感情であることは明らかである。そこで、「相対的評価」という次元を加える。なぜなら、恥は他者との差異を感じた時に生まれる感情だからである。恥は「不快-覚醒-相対的評価低」と捉えられ、対となる感情として挙げられる誇ることは「快-覚醒-相対的評価高」と捉えることができる。
「第8章 感情心理学の課題」
●課題1
単純接触効果についての追加情報
「単純接触効果」とは、情動の原因推測のみならず、それ以外の認知判断に関しても、「誤帰属」の現れと思われる現象の一例である。特定の対象との接触をただ繰り返し経験するだけで、その対象に対する好意や愛着が増大するというこの現象は、接触体験に伴って知覚的な情報処理が容易になることが、対象の好ましさに誤って帰属されることで生じると考えられている。また、人物のみならず、絵や文字、図形、商品など、どのような対象の場合でも、単純に接触が繰り返されるほど好感度が増大する。さらに、必ずしも対象への見覚え・既視感によってもたらされるとは限らず、本人が対象との接触経験を覚えていない場合にも見出されることがある。単純接触効果は、現実場面における広告の戦略にも応用されている。例えば、候補者の名前だけを連呼する選挙カー、商品名をメロディと結び付けて繰り返し流すテレビCMなどだ。しかし、閾下での単純接触が個人の行動にまで影響を及ぼすことを示した研究成果はほとんどない。したがって、閾下刺激が埋め込まれた広告に接したとしても、それが直接の原因となって、有権者が無意識のうちに特定の政治家に投票したり、消費者が特定の商品を買ったりすることはない。個人の無自覚な関心や好意が明確な行動の動機づけに変化するには、みずからの能動的な働きかけが必要だと考えられる。
出典:繁桝算男(2022) 「心理学概論」162-163.遠海書房.
この情報を追加した理由は、「閾下単純接触効果」(教科書p.137.6-8)の例を加えることで、単純接触効果は本人が無意識のうちに接触した場合にも働くことを具体的に知ることができると考えたからだ。また、閾下での単純接触は、閾下刺激が直接の原因となり、無意識に特定のものを好きになったことで、それが行動の動機づけに変化するというわけではないことを理解できる。
●課題2
私は、罪悪感は「快・不快」「覚醒・睡眠」の二次元だけでは評価できない感情だと考えた。罪悪感を「快・不快」「覚醒・睡眠」の二次元で捉えようとすると、「覚醒・不快」の次元が高い。したがって、教科書の円環図の中では、「不安」の感情に近い。しかし、「不安」だけでは、罪悪感の本質にある他者からどう思われるかという感情を説明することはできない。そのため、罪悪感という感情を測るためには、他者からの評価という次元を導入する。なぜなら、罪悪感は、相手に対して悪いことをしたと思ったときや、それによって、集団から排除されそうになったときなどに感じるからだ。一方、周りから見て、道徳的でない行為でも、自分のいる集団にとっては正当なものである場合、罪悪感が軽減する。この次元を導入することで、罪悪感は「覚醒・不快・否定的な自己意識」とによるものだと考えられ、その反対の感情は「睡眠・快・肯定的な自己意識」によるものだと考えられる。
課題1: ハイとロー、二つのコンテクストへの依存があることはわかりました。これが教科書の理解とどう関係するのでしょうか。この二つがあることは、どういう点で教科書を理解しやすくしますか。
②の研究なのですが、これが「コン・テキスト」に関わる情報だというのはどういう理由からですか。「⻄洋文化圏と東洋文化圏で表情に⽂化差があることの証明」であることはわかりますが。
「エクマンやフリーセンの「表情の表出と認知は文化によらず普遍」という主張」への批判についても、どういう点で批判されるべきかを明示した方がよいと思います。日本人は感情の顔面表出が弱いことは②の研究でわかりますが、これは「無表情」ということなのですかね。二つのコン・テキストのあり方への注意があると、エクマンやフリーセンの学説はどう評価されるのか。そこも明確にしたいところです。
課題2: よく考えられていると思います。しかし、「快・不快」「覚醒・睡眠」の二次元では不足だというためには、「これら二次元だけだと他のこの感情と区別がつかない」という理由が必要なのではないかと思います。あるいは、二次元で優越感、劣等感が位置づけられるとすると、その近傍の他の感情と量的な差異しかないことになります。その不適切さを指摘するとか。優越感、劣等感を適切に特定するには、あなたが言うように「自己評価と他者との比較」次元を導入した方がよいようにも思えますが、もう一押ししてほしいところです。ところで、あなたが新たに導入したいと思う次元は「自己評価と他者との比較」次元ですか、それとも「自己評価」次元と「他者との比較」次元の二つですか。
6点差し上げます。
>> 1012
質問をしてくれた F23071 さん、ありがとうございます。4点差し上げます。
課題1: この情報は教科書理解にどう貢献するのでしょう。それと、あなたが抱いた疑問はどのように解消されたのですか。
「凶器効果」という表現は間違いであると資料で指摘しました。あなたが引用した記事にも「凶器注目効果」とありますね。教科書通りでなく、正しい表現を使用していいですよ。教科書が間違っているのだから。
2点差し上げます。
8章 感情心理学
課題1:コン・テキストに関する補足を二つの出典を用いて行います。
①コン・テキストは大まかに、ロー・コンテクストとハイ・コンテクストに分かれます。ロー・コンテクストでは、人間関係や情報がはっきり区別され、主にゲルマン系や北欧系がこれに当たります。対照的に、ハイ・コンテクストでは、日常的に広範な人間関係が築かれ、多くの情報が共有され、ラテン系や日本の文化が該当します。ハイ・コンテクストでは、コミュニケーションの当事者は既に多くの情報を持っているため、情報の補足が少なくてもコミュニケーションが成り立ちます。一方で、ロー・コンテクストでは、コミュニケーションには相手に多くの情報を提供する必要があります。
出典:https://www.jstage.jst.go.jp/article/nbukiyou/3/0/3_KJ00004289029/_pdf/-char/ja
②佐藤弥特定准教授らの研究グループは、日本人を対象に基本6感情のシナリオに基づいた表情の表出に関する研究を行いました。結果はエクマン博士の普遍的な表情理論とは異なり、日本人の表情はその一部を支持するにとどまり、感情の表出が限定的であることが示されました。これが⽇本⼈の基本6感情の表情を報告する世界初の実証的知⾒となりました。
出典:https://www.kyoto-u.ac.jp/sites/default/files/embed/jaresearchresearch_results2018documents190212_201.pdf
①の情報ではコン・テキストには2つの分け方があり、国によって異なる文化差が存在することや文脈とその他情報への依存の差を示唆しています。また、②の情報では⻄洋文化圏と東洋文化圏で表情に⽂化差があることの証明となっています。
これらの情報は、教科書で説明が不足されているコン・テキストの理解に役立つと同時に、エクマンやフリーセンの「表情の表出と認知は文化によらず普遍」という主張は、異なる文化やコン・テキストの考慮が不足していたことによる主張であると認識するための手助けになると考え、補足しました。
課題2:優越感は快ー不快 覚醒ー睡眠の2つでは分類できないと考える。
私は自己評価と他者との比較という次元を使う。
スポーツを例として想像していただきたい。自分が他者よりも優れたパフォーマンスを発揮した場合、自己評価が高まり、「自分はあの人よりも優れたパフォーマンスをした」という快感を得ることが出来るだろう。
このように優越感は、自己評価と他者との比較という次元を導入することで「快・覚醒・自己評価が他者に対して勝っていると感じる」と表すことができると考えた。また、劣等感も同様の考え方により「不快・覚醒・自己評価が他者に対して劣っていると感じる」と表すことができると考えた。
第8章 感情心理学
課題1 凶器効果について追加情報
教科書内では凶器を持っている人が突然現れた場合凶器に目が行きその人の顔の記憶が妨害されてしまうとある。そして感情によって中でもネガティブな感情は記憶に影響を与えやすいとあったなら逆にポジティブでナイフを持っていた場合でも記憶に影響はあるのかと思い調べた。凶器が日常生活において文脈に不一致であることが原因だとする文脈不一致説(新奇性説)と,凶器の出現や犯罪現場への直面によって覚醒することが原因だとする情動覚醒説がある結果的に文脈不一致説は関係があまり影響が出ずそれに伴ってネガティブな感情は情動覚醒が必ずしも注意を狭くするものではないことが示唆された。凶器注目効果に先行して生じると考えられる注意の狭まりは,周りの環境によって凶器が意味的によって生じている可能性が高い。リンク
課題1: アレキシサイミアは公認心理師の教科書には載っている、重要事項の一つです。教科書のレベルでは必要ない情報とされているので載っていないかもしれないです。教科書に載っていないにはそれなりの意味があるので、単に載っていないとするのでなく、自身が提供した情報がどうして必要なのかを考えるといいかと思います。たとえば、感情の機能について教科書は触れていますが、この観点からアレキシサイミアを考察するとどうなるでしょうか。
教科書の範囲を超えていろいろ考えてみること自体はとてもよいことです。
リンクが張られていません。またリンクを張るだけでなく、出典を文字にしてください。
4点差し上げます。
課題1:>> 1132の投稿に対して、「根拠はどこにあるのだろう」と疑問を呈しました。今回の投稿はその根拠の一端を記してくれたものと思います。とてもありがたい情報ですが、「東洋圏においては、他者がいる場面では、西洋圏の人種に比べて情動表出を抑制するという研究結果」について、もう少し具体的に書いてくれると読者が助かったかなと思いました。
リンクをクリックしてみましたが、記事に飛べませんでした。
6点差し上げます。
返礼ありがとうございます。私が言うのも変ですが。学生同士の対話が継続されていくのを期待します。
解答してもらった返礼をしていますね。とてもよいことだと思います。再度リクエストがなされていますが、応えてもらえるでしょうか。受講生同士が教え合い、学び合う風土があるのは、とても大学らしい雰囲気ですね。
課題1: 教科書の「かもしれない」という表現に代わって、この情報では「異なる」と言い切っています。しかし、この情報のどこにその根拠が示されていますか。断定的に主張しているだけで根拠がない。そうであれば、教科書の控えめな表現の方がましかもしれないです。偉い人が言っていても、その主張が根拠を踏まえたものでなければ、問い続ける必要があります。
3点差し上げます。
課題1: 教科書では感情の機能が紹介されています。ネガティビティ・バイアスは、環境適応の一つとして挙げられていますね。害になりそうな人を見つけて、自分から遠ざけるという適応的観点からの考察です。これ以外の説明はあるかもしれませんが、感情と適応というテーマが教科書が選択したテーマですので、ここからはみ出ると教科書のレベルを超えてしまいます。あなたの情報はネガティビティ・バイアスにかかわる有益な情報ではありますが、教科書のテーマである適応という観点からするとどうでしょうか。他の観点から見てみることは大切ですが、教科書通りのテーマでまず考えてみることも必要ではないでしょうか。
それにしても、「人間には「自分のいる世界は悪いことよりよいことのほうが多い」と信じようとする傾向がある」と言われても、「どうしてだろう」と思いませんか。これ、説明になっていると思いますか。単に経験的事実を述べたものでしかない気がします。あらためて教科書が提示している「適応」という観点で見てみるとどうでしょう。
5点差し上げます。
第8章 感情心理学
課題1
感情についての補足情報
感情がなくなることはあるのか。教科書を読んでいてふとそう思い調べてみた。
失感情症(アレキシサイミア)という障害がある。感情を失うと書いて失感情症というが、結論から言うと感情の変化を失うことではなく、感情を認知することの障害といわれている。もっと簡単に言うと感情がないのではなく、感情があるのに気づいていないということらしい。そしてその原因は定まっていないが、主な原因として偶発的な出来事や歪んだ家庭環境という環境的要因と遺伝からなる性格的要因となっている。アレキシサイミアはストレスにも気づきにくく、薬物依存、過食、拒食に走ってしまうこともある。
リンク
この情報を追加することによって失感情症は感情がなくなるのではなく、感情があることに気づいていないということだと周知することができる。また、教科書には感情を失うことの説明はなかったので追記した。
課題1 表情規則について
表情規則はすでにある投稿(>> 1132)にも記述されていた通り、文化圏によって異なる。Ekuman & Frisen(エクマンとフリーセン)の実験では、相互協調的自己観(人は周りの人や社会からその人に求められている役割や期待といったものに突き動かされている存在であるという自己観)を背景に持つ東洋圏においては、他者がいる場面では、西洋圏の人種に比べて情動表出を抑制するという研究結果が出ている。また、Argyle(アジール)によると、情動表出を抑制する傾向は、東アジア文化に共通する。ちなみに、Nisbett(ニスベット)によると、相互独立的自己観を背景に持つ西洋圏の人種では、他者と異なる関係性を望み、対人関係よりも個人的な成功を重視する。
補足理由
教科書内や先にされていた投稿では、文化圏の違いについて具体的に記述されていなかったため。また、教科書p132 5行目の「どのような場面でどの表情が表出されるのか」という部分について考える際に、具体的な事例(東洋圏と西洋圏の違い)を挙げることで、参考となると考えたため。
参考
リンク
Ekman, P.,&Friesen,W.V. (1975).Unmasking the face:Aguide to recognizing emotions fromfacial clues.NewJersey:Prentice-Hall.(エクマン,P.・フリーセン,W.V.工藤力(訳編)(1987).表情分析入門──表情に隠された意味をさぐる──誠信書房) ※1
Argyle, M.(1996). Bodily communication. London: Routledge. ※1
リンク
Nisbett, R. E. (2003). The geography of thought: The geography of thought: How Asians and Westerners think differently ... and why. London: Nicholas Brealey. (村本由紀子(訳) (2004). 木を見る西洋人森を見る東洋人 ―思考の違いはいかにして生まれるか― ダイヤモンド社) ※1
※1 論文中で参考にされていた資料
>> 1090
ご返答ありがとうございます。
私も文献を見直しましたが、3番の重視する側面から、名称を変えているのではないかという指摘は確かに適切であると思いました。
心理社会発達理論の文献でも、パーソナリティが「心理社会的に」発達していく過程、と書いてあるので、そこを重視して名称を変えていると考えてもいいかもしれません。
>> 1064
ご返答ありがとうございます。
発達段階が生涯で8つの段階に分かれているという点と、乳幼児から老年期までにそれぞれの発達段階があるという点から、確かに同じ理論を言っているものであると思いました。
自我発達理論についてもぜひお聞きしたいです。
8章 感情心理学
課題1.
表示規則についての補足情報です。
印象管理にかかわる情動の表出規則の研究は,エクマンらによってなされ、情緒的コミュニケーションの一部が文化によって鋳型づけられたものであることを示しました。エクマンの情緒的コミュニケーション理論は、「神経-文化的理論」とよばれ、6ないし7つの基本的情動とその顔の表情は人類普遍的ですが、文化によってその「表示規則」は異なるといいます。この「表示規則」とは、生活習慣から習得した状況に合った顔の表情などの表出のルールであって、これらは自動化して用いられていると述べています。たとえば葬式においては大きな顔の表情は抑えるというようなものを指します。「表示規則」とは,表出の強調、微弱化、偽わり、中立化があるといわれています。彼らは見た目で誠実に見える表情や姿勢などを実験的に調べていますが、これらは文化によって印象管理が異なることを意味しています。
出典
佐藤達哉編 『心理学総合事典 新装版』2014 朝倉書店
補足した理由
教科書には、「どのような場面でどの表情が表出されるのかは、文化によって異なるかもしれない」という記述しかなく、文化で異なるかどうかがはっきりしていなかったため、補足しました。文化によって異なること、また、生活習慣から習得したものであるという補足をすることで、表示規則について曖昧な認識ではなく、正しい認識を持つことができるという点において、貢献すると考えました。
8章 感情心理学
課題1.
ネガティビティ・バイアスについての追加情報です。ポジティブな情報とネガティブな情報のもつ重みが同等ではなく、後者の方が重視される理由についての説明です。1つは、人間には、「自分のいる世界は悪いことよりよいことのほうが多い」と信じようとする傾向があり、この信念に反するネガティブな出来事は注意を引きやすいからというものです。2つ目は、対応推論理論の観点からみたもので、ポジティブな行動は単に規範に従ったものであることが多いですが、ネガティブな行動は本人の内的性質のあらわれである可能性が高いからというものです。
出典:佐藤達也編,「心理学総合辞典 新装版」2014,朝倉書店.
教科書には、ネガティビティ・バイアスそのものについての記載はありましたが、なぜそのような傾向になるのかについては、危害を及ぼす可能性のある人物という着眼点以外の記載が無かったので追加情報としました。教科書に記載されている「自分にとって少しでも害になりそうな人を見つけて自分を守る」という説明だけでは、第三者が直接関係していない場合での説明が不十分になってしまいます。具体的には、過去に自分が起こしてしまった失敗や恥ずかしいエピソードを忘れられないなどがあげられます。よって、より広い視点からネガティビティ・バイアスについて考えることが可能になるという点で、貢献すると考えました。
皆さんの回答をお待ちします。なお、ある本を読んでいてわからない場合は、別の本を(複数冊)よむことをお勧めします。異なる説明をしてもらうとわかることがあるように、同一事項に対する複数の書き方を読むとわからなかったことがわかってくることが多いようです。
課題2: この学説のどこに「円環」を見ることができるでしょうか。「循環的なパターン」は、この学説のどこにあるのですか。学説を紹介してくれた文章には、それが明示されていないようです。
1点差し上げます。
課題1: この書き方は誤解を招きます。「敏感期とは学習が成立するに適切な時期のことを指すが、時期を逸すると学習ができなくなることを意味する臨界期と違って、学習する際の容易度が徐々に衰退していくと考える概念である」というように書くべきかと。
課題2: 「1人でできることが増えていく」のはいいとして、「発達の最近接領域は変化していく」ことは、この学説が「右肩上がりの発達観」であることの根拠にどういう意味でなるのですか。円環的発達観であるという主張はよくわからないです。エリクソンの理論が「円環的」と形容されるのは、「ライフサイクル」という概念が含まれているからだと思われます。この学説のどこにライフサイクルの概念が含まれているでしょうか。
コメント部分にだけ返信するのではなく、再投稿として全体を書き直したものを投稿した方がよいと思います。
3点差し上げます。
課題1: 共通している部分はあります。「学習が成立するに適切な時期」という点ですね。しかし意味合いが異なるので、違う用語をしたのだと思います。教科書にもそのことは明記されています。
このページに学術的信用性はあるのでしょうか。
課題2: これが右上がりの発達観であることを説明してください。説明がなされていません。
2点差し上げます。
課題1: 提供された情報が教科書理解にどう貢献するのかを記すのが課題1です。それを書いてください。現象自体は興味深いです。
課題2: 「段階的に発達していく」という表現が、右肩上がりの発達観であることの根拠とするには曖昧です。エリクソンの理論も段階ですが、右肩上がりではありませんね。
3点差し上げます。
仲間の質問に丁寧に回答してくれてありがとうございます。
私は「3」だと思いました。内容的には投稿者に同意します。「1」についてですが、同じ用語であれば、ここまで異なる訳語を当てることはないと思います。異なった日本語名称には対応する英文があると思います。「2」については今回の投稿に対する本質的なコメントではありませんが、「生涯発達について論じている理論は全てライフサイクル論に属します」の部分に異論があります。生涯発達を扱っていても、個体の発達のみに言及し、世代間への注目がないものはライフサイクル論とは言えないと思うのです。エリクソンの理論には、たとえば「生殖性(世代継承性)」というライフタスクの一つに反映されているよう、次の世代とのかかわりが明記されています。そして続く世代も前世代と同様のサイクルを描くように、その次世代へとかかわります。
とても丁寧な説明で、質問者にとってとても有益だったのではないかと思います。
8点差し上げます。
課題1: この情報がどのように教科書理解につながるのかを書いてください。指定されたURLをクリックすると、商業サイトのトップページが出ます。
1点差し上げます。
課題2: エリクソンの理論は、教科書では「円環としての発達観」として紹介されていますよ。異論はあってもいいですが、あなたの説明では、エリクソン理論が「人間の発達が右肩上がりに進むという考え方に基づいている」とは思えないです。
課題1: この情報が教科書理解に対してどういう貢献をするのかを書いてください。単に情報を増やすのでなく、それを考えるのが課題1です。
2点差し上げます。
課題1: なぜエリクソンの理論がライフサイクル論と呼ばれるのかを誰か説明してくれないかなと思っていました。ありがとうございます。「バトンを受け継ぐリレーの様に円環を築く」という表現が、ライフサイクルの形容として非常に適切ではないかと思いました。エリクソンはフロイトの孫弟子です(直接の師匠はフロイトの娘、アンナ・フロイトだったと思います)。彼はフロイト理論を継承しつつ、それを生涯にわたる発達へと拡張し、ライフサイクルの概念と、発達における社会や文化の重要性を発見しました。
課題2: 一つ一つの発達観にどういう点で適合していないかを詳述し、結論を出してくれました。とてもよい考察の進め方だと思います。「円環を描く」以外の点ではエリクソン理論に似ている学説がたくさんありました。フロイト学説もその一つです。これまでの投稿で、この類似性ゆえ「円環としての発達論」に分類した人が多かったです。その分類の何がよくて、何が不適切だっかが、この投稿を読むとよくわかると思います。
どういう側面に焦点を当てるかによって、さまざまな発達観を立てることができます。それを超えたところに、統一的な発達観を見出すこともできるかもしれないですね。
12点差し上げます。
課題1: この記事ですが、知覚的狭窄化に関係したものですか。あなたの紹介でも、知覚的狭窄化の話であるのかどうかよくわからないです。
商業サイトではないかと思います。学術的信用性を担保した書き方になっていないです。
課題2: バルテスの理論のどこが「円環」だと思いますか。バルテスの考えは、その時々の生の意味に関わるものもありますが、「円熟した人格」とか「他から頼りにされる経験値」のような能力的なものもあると思います。
典拠を示してください。
3点差し上げます。
課題1: 臨界期の神経学的基盤を提供したのですね。「臨界期に継続的に刺激を受けると・・・」とありますが、どうして臨界期にこういうことが起こるのでしょうか。「この機能的な神経回路網によって、臨界期には初期経験の効果が大きくなることがわかる」ということは、臨界期以外にはこの現象は起こらないのですか。一般的な学習の神経学的基盤について書かれた記事とは認められますが、臨界期とつなげるには情報が不足しているように思えます。
課題2: この理論のどこが「円環」となっているのでしょうか。
この資料、信用できる資料ですか。
3点差し上げます。
課題1: 学習対象によって臨界期が異なることは教科書にはなかったですね。年齢よりも、それがどういう時期であるかを学んでほしかったかもしれません。その意味では、臨界期が敏感期のように述べられているのが気になる記事でした。
商業サイトです。書き手は医師ですが、どういう研究を根拠にしているかわからない書き方なので、注意した方がいいと思います。
課題2: 「こどもが協調性を理解していく段階を踏まえ」ると、どうして「右肩上がりの発達段階論に該当している」と言えるのですか。記事の引用も、最終的な主張に関連する部分はどこかがわかるようにしてください。評価方法への言及は、なくてもいい情報ではないかと思います。
サイトと書き手に信憑性はあるのでしょうか。よくある、「本を要約した記事」です。適切に要約できているかは、どのように保証できるのでしょうか。
3点差し上げます。
質問
覚醒-睡眠の次元に関する質問です。
快-不快の次元はどのようなものかわかるのですが、覚醒-睡眠の次元がどのようなものなのか、理解ができていません。教科書に書いてある、「ヒトにとって表情とは、まず『快』か『不快』か、という判断がなされるべきものであり、その次に『その強さ、たとえば覚醒度』が判断されるもの」という記述の通り、覚醒-睡眠の次元とは、感情の強さや、落ち着き度を示すものなのでしょうか。わかる方、教えて下さると嬉しいです。
大切なことをまた一つ学ばれたと、嬉しく思います。質問は、他の人に考える機会を提供してくれます。解答することも素晴らしいですが、疑問を提出することもまた重要なことです。また、解答者に対して返信をして、何を学ぶことができたのかを知らせ、感謝を示していることも喜ばしいことです。
3点差し上げます。