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オビディ✩.*˚ 2025/07/14 (月) 17:55:39

だいぶ遅くなっちゃった。
今からのんびり運営していきます!

48
American_Crusoe 2025/07/14 (月) 16:12:03

「甘美にして流麗、機知に富み、言葉の響きに満ちた弁論を旨とする演示(ἐπιδεικτικόν)の類  それこそソフィストたちの本領であったわけだが、こうした弁論は戦いというよりお祭り向きで、体育場や訓練の場に取っておかれはしても、公論の場では蔑まれ、放逐されたのだ」(キケロ『弁論家』)

47
American_Crusoe 2025/07/14 (月) 16:07:16

「これは、じっさいに第二ソフィストたちの扱った弁論のタイトルを見れば、いっそうはっきりしてくる。たとえば『列伝』では、この時期を代表するソフィストであるアリステイデスの代表作として、『アテナイ人を海上覇権から引き離そうとするイソクラテス』、『十人の将軍を埋葬しなかった件でカリクセイノスを弾劾する』、あるいは『シケリア情勢について審議する人々』等、歴史的にして個別具体的な状況を設定したうえで架空の弁論を行うという、いわゆる模擬弁論の典型的な主題が列挙されているのである。

ここまでの考察から、フィロストラトスのいう二つのソフィスト術の違いとは、この「一般論題」と「個別論題」という、弁論術において扱われるべき論題の質的な相違を反映したものだと考えることが許されよう。その際、「哲学的」すなわち「哲学的な課題を論じる」弁論術τὰ φιλοσοφούμενα ὑποτιθεμένη とは、「一般論題」を扱う弁論術と読み替えることができ、これに対して「第二のソフィスト術」が扱う題材は、つまりは、法廷や議会を想定した「個別論題」を扱う弁論術の領域に等しい、ということになる。」

46
American_Crusoe 2025/07/14 (月) 15:59:30

「模擬弁論」declamatio / μελέτηにおいては、「一般論題」θέσιςではなく、具体的な人物、時代状況等が設定される「個別論題」ὑπόθεσιςが扱われる。これも、すでに見てきたとおりです。

45
American_Crusoe 2025/07/14 (月) 15:57:52

「すでに指摘したとおり、フィロストラトスのいう「哲学的」弁論術 ῥητορικὴ φιλοσοφοῦσα とは、そこで扱われる論題の性質についての表現であると考えられる。そうであるならば、著者が古のソフィスト術と「第二の」それとを区別する最大の基準は、扱われる題材の違いにこそあった、という見方が成り立つのではないか。

ところで、論題の性質に応じて弁論術を分類する際のひとつの基準として広く知られていたのが、前2世紀のヘルマゴラスが提示したとされる、「一般論題」θέσιςと「個別論題」ὑπόθεσις との二分法である。すなわち、およそ弁論術の扱う論題は、「個別具体的な状況を伴わないもの」(=前者)と「それらの規定を伴うもの」(=後者)とに分けられる、という基本認識が、ヘレニズム期以降のギリシア修辞学において一貫して共有されることになる。

このうち前者の「一般論題」については、たとえばキケロは『発想論』において、それに該当する例として「名誉のほかに善はあるか」、「感覚は嘘をつかないか」、さらには「世界の形状はどのようなものか」といった論題を紹介している。また後者は、弁論家たちが扱ういわゆる「模擬弁論」declamatio / μελέτη の題材に一致すると考えられ、そこでは通常、具体的な人物、時代状況等が設定される。」

44
American_Crusoe 2025/07/14 (月) 15:49:00

この、ハリカルナッソスのディオニュシオスが「イソクラテス」に由来すると述べた「哲学」こそが、繰り返しになりますが、第一次ソフィスト→イソクラテス→第二次ソフィスト→中世ディクレイメーション小説→18世紀エロキューション声優→19世紀エロキューション演劇→20世紀エロキューションアフロと連なってきた、「政治的πολιτικός というのに限りなく近い哲学」なのです。(←どないやねん🤤)

43
American_Crusoe 2025/07/14 (月) 15:44:59

「帝政期の修辞学文献に見られるφιλοσοφία の用例には、狭義の「哲学」には収まりきらない意味の広がりが、少なからず見受けられるのも事実である。

ハリカルナッソスのディオニュシオスによる『古代弁論家・序説』は、その代表的な例といえよう。そこではアウグストゥスの治世における「政治的弁論」πολιτικοὶ λόγοι の復活について、以下のような解説が施されている。

「われわれに先行する時代にあっては、「古の哲学的弁論術」ἡ ἀρχαία καὶ φιλόσοφος ῥητορική は踏みにじられ、ひどい侮蔑を受けて滅びかけていた。マケドニアのアレクサンドロス大王の死後、それは徐々に生気を失い衰えはじめ、われわれの時代ともなると、もうほとんど完全に消滅するところまで来ていたのだ。その地位に収まっていたのは「何か別の弁論術」ἑτέρα τιςであり、その見世物的な厚かましさは堪えがたく、没趣味で、「哲学」φιλοσοφία ないしはその他「自由人にふさわしい教養」παίδευμα ἐλευθέριον に何ら与るところのない代物だった。」(ハリカルナッソスのディオニュシオス『古代弁論家・序説』)

これが著者ディオニュシオスの直前の時代までの状況だった。ところが、その要因が何であったかはともかく、自分たちの時代になって「古くて思慮ある弁論術」ἡ ἀρχαία καὶ σώφρων ῥητορική は正当な地位を回復し、一方の「新しくて無分別なほう」ἡ νέα καὶ ἀνόητος は、若干のアジア諸都市を例外として、ほとんどすたれてしまったという。ディオニュシオスはさらに、古典期の弁論家たちを扱う自らの論考が、「市民的な哲学」ἡ πολιτικὴ φιλοσοφία の研鑽に励む人々にとって有為にして不可欠なものだ、とも述べている。またその『イソクラテス論』においては、「真の哲学」ἡ ἀληθίνη φιλοσοφίαにいそしもうとする者、わけても実践において世を裨益すべくそれを志す者は、イソクラテスの示した道にこそ倣うべきだ、と促される。ディオニュシオスにおけるこうしたφιλοσοφία の用法が、狭義の「哲学」を念頭に置いたものではなく、イソクラテスの用例に倣ったものであること、そしてそこでの「哲学的」φιλόσοφος という形容詞は、むしろ「政治的」πολιτικός というのに限りなく近いことは、これまでにもすでに多くの論者によって指摘されてきた。」

42
American_Crusoe 2025/07/14 (月) 15:38:24

つまり、「ソフィスト的なもの」の流れ、我々的には「喧嘩」の流れに注目して哲学史をたどっていくと、必ずしもソクラテスやプラトン由来の所謂「哲学」とはかなり異なる「哲学」というものがありうる、ということなのである。これはすごいことですよ。第一次ソフィスト→イソクラテス→第二次ソフィスト→中世ディクレイメーション小説→18世紀エロキューション声優→19世紀エロキューション演劇→20世紀エロキューションアフロ、みたいな全く違った「哲学史」が想定できるわけです。(←ホンマかいな😅)

41
American_Crusoe 2025/07/14 (月) 15:28:56

「ここでまず思い起こされてよいのは、イソクラテスにおける「哲学」φιλοσοφία という語の用いられ方であろう。よく知られるように、彼は自らの弁論術的な営みにこの名称を用いているが、そこでの「哲学」とは、しかし、抽象的な思弁を斥けた、国家の政治に関わる市民としての現実的な姿勢を指すものだった。「 厳 密 な 知 識 」 ἐπιστήμη よりもむしろ「健全な常識」δόξα が強調されていることからも明らかなとおり、そこでははっきりとプラトンとは異なる、おそらくはライバルを強く意識しての「哲学」観が示されていた。こうしたもう一つの「哲学」は、しかしプラトン—アリストテレスら「主流派」の優位によって圧倒され、消滅した、というのが「哲学史」の常識であるのかも知れない。けれども、帝政期の修辞学文献に見られるφιλοσοφία の用例には、狭義の「哲学」には収まりきらない意味の広がりが、少なからず見受けられるのも事実である。」

40
American_Crusoe 2025/07/14 (月) 15:27:17

「『列伝』の著者が「第一の」ソフィストとして具体的に名前を挙げているのは、ゴルギアス、プロタゴラス、クリティアスからイソクラテスまで、基本的にはわれわれがプラトンやアリストテレスの著作を介して「ソフィスト」として認識する人物群と一致する。そうした彼らの営みが、何ゆえ「哲学的」弁論術と形容されるのか。われわれは、カルネアデスまたはディオンに代表されるように、一般に「哲学者」と目される者が弁論家的な活動に深く関わった例を知っている。けれども著者は、狭義の「哲学」に軸足を置くこうした者たちに関しては、わざわざ「本当の」ソフィストたちとは区別をたてて論じるという念の入りようであり、彼らの活動を指して「哲学的」弁論術と言っているわけではない。かといって、プラトン—アリストテレスによってわれわれに馴染みの <哲学者> 対  <ソフィスト> という構図をこの箇所に読み込もうとしても、語義そのものに矛盾が生じてしまうのは明らかである。 」

39
American_Crusoe 2025/07/14 (月) 15:19:52

つまり、一人だけ「第二次ソフィスト」なのに紀元前4世紀の人がいるわけですね。従って、「第二次ソフィスト」というのは、時代区分の概念ではなくて、「古典期ギリシアのソフィストとは明確に区別されるある特徴をもった新しいソフィスト」という「質の区別」を前提にした概念なわけです。

38
American_Crusoe 2025/07/14 (月) 15:16:34

「『列伝』の本文は、「古ソフィスト術は「哲学的」弁論術と考えるべきである」という言葉に始まる。さらに少しあとに、これを説明する次のような一節が見られる。

「古のソフィスト術は、哲学的問題までをも主題に掲げて、これらを長広舌で語っていた。すなわち、勇気について語るかと思えば、こんどは正義について語り、そして英雄たちや神々について、さらには宇宙の姿はいかにして出来上がったのか、ということまで語っていたのである。」(『列伝』VS.481)

ここでは、哲学的な弁論術ῥητορικὴ φιλοσοφοῦσα とは、哲学的な問題φιλοσοφούμεναをもその主題に掲げるような営みである、と敷衍されている。これに対して、「第二の」ソフィスト術については次のように説明される。

「この後にくるソフィスト術は  これは「新しい」と呼ぶべきではなく(古くからあるものだから)むしろ「第二の」と呼ぶべきものであるが  、貧乏人や金持ち、王侯や独裁者たちを描き出し、歴史上の個々具体的な論題を扱った。」 (『列伝』VS.481)

これが「第二ソフィスト」ἡ δευτέρα σοφιστικήという用語の由来となった一節であり、また古代におけるこの言葉の唯一の定義でもある。ここでの「第二の」という形容は時代区分を意味するものではない、と著者はわざわざことわっている。じっさい、『 列 伝 』 において「第二の」ソフィストとして最初に言及されるのは前4世紀の弁論家アイスキネスであり、これを額面どおりに受けとるなら、「第二のソフィスト術」は前 4 世紀にまで遡る、ということになろう。ところが、その次に言及されるのは紀元後1世紀にスミュルナを中心に活躍したニケテスであり、以降、著者の時代に至るまでの 40 人にのぼるソフィストたちに関する記述が続く。したがって実質的には、紀元後 1〜3 世紀の文学活動を指して「第二ソフィスト時代」という名称を用いること自体に、ほとんど不都合はないといってよい。 」

37
American_Crusoe 2025/07/14 (月) 15:05:11

おお、何故か引用文が大きくなった・・・。😰

36
American_Crusoe 2025/07/14 (月) 15:04:18

「ただ、著者フィロストラトス自身の強調するところでは、この「第二の」δευτέρα という形容詞は時代区分の指標ではなく、あくまで“質的な”違いと解されるべきものだった。それでは、その違いとは何か。19世紀以来その定義および評価をめぐって大いに議論が重ねられてきたこの「第二ソフィスト」問題をあらためて検証することで、ソフィスト的な営為の特質とは何か、また時代の推移によってそれがどう変わり、あるいは変わらなかったのかを考察するための、ひとつの視座を提供したい。」

つまり、この論文は「第一次ソフィストと第二次ソフィストの差異と同一性」を主題としており、それを通じて「ソフィスト的なもの」とは何かということを記述しようとしているわけです。

35
American_Crusoe 2025/07/14 (月) 14:59:59

この辺はすでにわれわれも見てきたところですね。

34
American_Crusoe 2025/07/14 (月) 14:57:50

今度は、堀尾耕一氏の論文「哲学的弁論術と第二のソフィスト術 」を読んでいくこととしましょう。
 
chrome-extension://efaidnbmnnnibpcajpcglclefindmkaj/http://greek-philosophy.org/ja/files/2014/03/Ronshu2014Horio.pdf
堀尾耕一「哲学的弁論術と第二のソフィスト術 」(『ギリシャ哲学セミナー論集』XI 2014 )
リンク
 
「ローマ帝政期、紀元 230 年代に書かれたフィロストラトス『ソフィスト列伝』(以下『列伝』)は、その主題を「ソフィスト」と呼ばれる者たちの活動に特化した、他に類書を見ない貴重な論考である。そこでは、この言葉が古典期に帯びていた否定的な響きはすっかり影を潜め、主として帝政期に活躍したソフィストたちの営みが、とくにその弁論パフォーマンスに重点を置いたかたちで記述される。そして著者は、古代のソフィスト術と同時代のそれとの、ある看過しがたい違いに注意を促し、後者を「第二のソフィスト術」と命名する。」

33
American_Crusoe 2025/07/14 (月) 14:50:51

なんと最後には音楽や舞踏とも融合するんですね!

いや~第二次ソフィストの研究なのに、えらいところにたどり着いてしまいました。

「喧嘩」もヒップホップはもちろん、テクノ・エレクトロやJ-POPやアイドル文化と融合するのかもしれません。
Vチューバーや声優文化(ラジオ)や、なろう小説、文学フリマ(批評)と融合するのかもしれません。

32
American_Crusoe 2025/07/14 (月) 14:44:41

「By the mid-nineteenth century, reformers were using the "art of declamation" to publicly address vice and provide moral guidance. In the Americas, missionary-run schools focused on teaching former slaves the art of public speaking to enable them to elevate others of their race as teachers and ministers. Using drama as a tool to teach, reformers hoped to standardize the spoken word, while creating a sense of national pride. Studies and presentation of declamation flourished in Latin America and particularly in the African-American and Afro-Caribbean communities through the first third of the twentieth century. Practitioners attempted to interpret their orations to convey the emotions and feeling behind the writer's words to the audience, rather than simply recite them. In the twentieth century, among black practitioners, topical focus often was on the irony of their lives in a post-slavery world, recognizing that they had gained freedom but were limited by racial discrimination. Presentation involved use of African rhythms from dance and music,[9] and local dialect, as a form of social protest.」

「19世紀半ばには、改革運動家たちが「ディクレイメーション(朗誦)の技術」を活用して、悪徳を公に非難し、人々に道徳的指針を示すようになっていた。アメリカ大陸では、宣教師が運営する学校が、かつての奴隷たちにパブリックスピーキング(演説術)を教えることに力を注いでいた。これは彼らが教師や説教師として同胞を啓発し、共同体の向上を導く存在となることを目指す教育であった。演劇を教育手段として活用しながら、改革者たちは、標準的な話し方を普及させると同時に、国民的誇りを育むことを期待していた。ディクレイメーションの研究と実践は、20世紀前半まで、ラテンアメリカ、特にアフリカ系アメリカ人やアフロ・カリブ系のコミュニティにおいて盛んに行われた。朗誦の実践者たちは、単に文章を暗唱するのではなく、作家の言葉の背後にある感情や想いを聴衆に伝えるように解釈しながら語ることを目指していた。20世紀になると、黒人の朗誦家たちはしばしば「奴隷制後の世界における自らの皮肉な現実」に焦点を当てた。すなわち、法的には自由を得たが、依然として人種差別によって抑圧されている状況を告発する内容である。その発表スタイルには、アフリカ由来のリズム(音楽や舞踊からの影響)や地域方言の使用が取り入れられ、一種の社会的抗議表現となっていた。」

31
American_Crusoe 2025/07/14 (月) 14:38:50

【ChatGPTつづき】

■ 市民教育・道徳教育との関係

学校教育において「道徳的模範としてのスピーチ」が重視され、演説会・朗読大会(declamation contests)が普及。

学生たちは、リンカーンの演説や詩、歴史的名文を演じるように語ることで、国家観・道徳観・修辞的能力を育てられた。

30
American_Crusoe 2025/07/14 (月) 14:37:31

なるほど、おざっぱにいうと、「古代=言語と身体による演技(言論ないし遊戯)」→「中世=書き言葉(散文)による文芸」→「18世紀イギリス=声による説得(説教)」→「19世紀アメリカ=再び言語と身体による演技(ただし教育として)」みたいな感じかな?やはりリアルな歴史は複雑に展開しよりますね~。

29
American_Crusoe 2025/07/14 (月) 14:29:33

【ChatGPTつづき】

■ アメリカ演劇教育におけるエロキューションの影響

◆ エロキューション → オーラル・インタープリテーション → 演技術

19世紀のアメリカでは、エロキューションは演劇訓練の基礎とみなされました。

朗読技術は、後の「口頭による文学の表現(oral interpretation of literature)」の基礎となり、さらに演技教育へと発展。

演劇学校では、姿勢・発声・視線・表情など、身体全体で言葉を表現する訓練が行われた。

28
American_Crusoe 2025/07/14 (月) 14:28:10

【ChatGPTつづき】

■ 女性とエロキューション:教育・演劇・社会改革へ

◆ 女性の自己表現と社会進出のツールとして
19世紀アメリカでは、「上流女性のたしなみ」としてエロキューションが普及し始めましたが、やがてそれは女性の演劇活動・教育活動・政治演説活動への道を開きました。

※「パブリックスピーキングは女性にふさわしくない」とされた時代
→ しかし、エロキューションは「詩の朗読」「宗教的演説」「ホームルームでの発言」として受容され、女性が公の場で声を上げる訓練の入り口となった。

◆ 代表的人物:

シャーロット・カッシー(Charlotte Cushman)
→アメリカ初の国際的女優の一人。
→Shakespeareの男役などで知られたが、発声・身振りの訓練はエロキューションに基づいていた。

フランセス・ウィラード(Frances Willard)
→女性禁酒運動・教育改革運動のリーダー。
→エロキューションを通じて女性が説得的に、感情を込めて語る訓練を受けた。

27
American_Crusoe 2025/07/14 (月) 14:25:20

「ソジャーナ・トゥルース→演技的要素を持つディクレイメーション的語りだった」。先祖返りですね。ちなみに、ソジャーナ・トゥルース(Sojourner Truth)はこんな人です。画像1

26
American_Crusoe 2025/07/14 (月) 14:19:32

【ChatGPTつづき】

■ 奴隷解放運動とエロキューション

◆ 奴隷制度廃止運動(アボリショニズム)における演説の力
→19世紀アメリカにおいて、奴隷制度に反対する人々は、雄弁と朗読の力を武器としました。
→特に黒人演説家や逃亡奴隷出身のアクティビストたちにとって、明晰な話し方・表現力のあるジェスチャー・道徳的熱情を込めた語りは、文字以上に強力な訴求手段となりました。

◆ 代表的人物:

フレデリック・ダグラス(Frederick Douglass)
→奴隷出身の黒人演説家・作家。
→「私は私の人生を、語ることによって勝ち取った」と言われるほど、ディクレイメーション技術に長けた人物。
→白人社会で受け入れられるため、完璧な文法・発音・態度を身につけていたことが当時の証言に残っている。

ソジャーナ・トゥルース(Sojourner Truth)
→講演活動で知られた黒人女性解放活動家。
→強い口調と宗教的熱情を込めた口述スタイルは、演技的要素を持つディクレイメーション的語りだった。

25
American_Crusoe 2025/07/14 (月) 14:16:47

「印刷物よりも『声の力』が重視されていた時代背景」。なるほどね~令和日本もそうなのか!?本より声なのか!?

24
American_Crusoe 2025/07/14 (月) 14:14:55

【ChatGPT】

以下に、「エロキューション運動(The Elocution Movement)」が19世紀以降のアメリカにおいて、奴隷解放運動・演劇教育・女性の社会進出・市民教育などに与えた文化的影響を、歴史的文脈とともに詳しく解説します。

■ エロキューション運動のアメリカへの伝播と変容

18世紀末から19世紀にかけて、イギリスの朗唱・朗読教育(elocution)はアメリカにも輸入され、修辞学・美学・道徳教育の一部として制度化されていきました。

→大学や神学校のカリキュラムに組み込まれた
→演説家や牧師、教育者が「説得力ある語り」を磨く訓練として重視

※印刷物よりも「声の力」が重視されていた時代背景

23
American_Crusoe 2025/07/14 (月) 14:11:10

ほうほう。古代ギリシアや帝政ローマでは口頭での弁論(喧嘩)が中心だった「ディクレイメーション」が衰退し、5世紀末〜6世紀初頭には「文芸作品」という書き言葉(書物)となったが、18世紀のイギリスに復興運動が起こり、「エロキューション運動」と呼ばれたと。ただし、「ディクレイメーション」が身体も言語も使う全身的なパフォーマンス(演技)だったのに対し、「エロキューション」は発音、滑舌、発声に重点を置く「朗唱術」だったと。普通のアイドルより声優とかVチューバーが人気になる令和日本に通ずるものがありますねぇ~😅

22
American_Crusoe 2025/07/14 (月) 14:04:30

「In the eighteenth century, a classical revival of the art of public speaking, often referred to as The Elocution Movement occurred in Britain. While elocution focused on the voice—articulation, diction, and pronunciation—declamation focused on delivery. Rather than a narrow focus on rhetoric, or persuasion, practitioners involved in the movement focused on improving speech and gesture to convey the full sentiment of the message. Traditionally, practitioners of declamation served in the clergy, legislature or law, but by the nineteenth century, the practice had extended to theatrical and reformist venues.Initially, the aim was to improve the standard of oral communication, as high rates of illiteracy made it imperative for churches, courts and parliaments, to rely on the spoken word.Through modification of inflection and phrasing, along with appropriate gestures, speakers were taught to convey the meaning and persuade the audience, rather than deliver monotonous litanies.」

「18世紀のイギリスでは、古典的な雄弁術の復興運動が起こり、「エロキューション運動(The Elocution Movement)」と呼ばれた。この運動において、エロキューション(朗唱術)は主に声に焦点を当てていた――すなわち発音、滑舌、発声である――のに対し、ディクレイメーション(朗誦術)は演技的な「表現」に重点を置いていた。この運動の担い手たちは、単なる修辞(説得技術)に限定されるのではなく、話し方や身振りの改善によって、話の感情や意味を最大限に伝えることを目的としていた。伝統的に、ディクレイメーションの実践者は聖職者、議員、法律家などであったが、19世紀にはその実践範囲は演劇界や社会改革運動の場へと広がっていった。当初の目的は、口頭表現の水準を向上させることにあった。というのも、当時は識字率が低く、教会・法廷・議会などでは口頭による伝達が不可欠だったためである。話者たちは、抑揚や語句の切り方を工夫し、適切なジェスチャーを交えることで、単調な朗読ではなく、意味を伝え聴衆を説得する演説を行うよう指導された。」

21
American_Crusoe 2025/07/14 (月) 14:00:30

なるほど、口頭での喧嘩が中心だったディクレイメーションが、5世紀末〜6世紀初頭のエンノディウス(Ennodius)で「文芸的散文」になるわけですね。エンノディウス一人で喧嘩するわけにもいきませんし、文化としてのディクレイメーションが衰退した後、それが「文芸作品」という形になるのは必然でしょう。この時代にネットがあれば「文字喧嘩」として別の展開があったかもしれませんが。

20
American_Crusoe 2025/07/14 (月) 13:55:55

「Later examples of declamation can be seen in the work of the sixth century AD bishop and author Ennodius.」

「後世のディクレイメーションの例は、6世紀の司教であり作家でもあるエンノディウスの作品に見ることができる。」
 
 
【ChatGPT】

少し補足します:

■ エンノディウス(Ennodius)とは?

マグヌス・フェリクス・エンノディウス(Magnus Felix Ennodius)

→5世紀末〜6世紀初頭の西ローマ末期のキリスト教知識人
→ミラノ大司教アウルリウス・アンブロシウスの影響を受けたラテン文学者
→書簡、説教、詩、散文作品のほか、ディクレイメーション風の文芸的散文も執筆

彼の作品には、古典修辞教育の伝統(とくに感情に訴える文体や誇張的構文)を受け継ぐ要素があり、ディクレイメーションの後継と見なされています。

19
American_Crusoe 2025/07/14 (月) 13:50:11

つまり、「ディクレイメーション(弁論)」は、プレイヤー(ディクレイマー(弁論家))のパフォーマンスと、観客の「批評」がセットだったというわけですね。これは興味深いです。喧嘩も喧嘩後の「感想戦」を重視するといろいろ深まるかもしれません。

18
American_Crusoe 2025/07/14 (月) 13:44:41

【ChatGPTつづき】

(4)社会的な舞台としての側面

自己表現と階級アイデンティティの場
→ エリート階級の子弟は、ディクレイメーションを通じて「自分は修辞の素養あるローマ人である」という文化的アイデンティティを誇示しました。

※観客も「知識人」としてふるまう
→ 観客はただの受け手ではなく、教養のある批評家として演説を評価する側でもありました。

17
American_Crusoe 2025/07/14 (月) 13:43:01

【ChatGPTつづき】

(3)演劇的な要素(ドラマティックな演出)

ディクレイメーションは単なる論理的主張ではなく、身体表現・声色・間の取り方・身振りが重要な要素とされていました。

※「演技」と「説得」が融合

哲学や法学では禁欲的な論理が重んじられたのに対し、ディクレイメーションでは、「情動に訴える表現(パトス)」が大いに奨励されました。

演者は、「怒る父親」「絶望する英雄」「傲慢な富豪」などの役柄を演じ分けながら語りました。

※身体言語の重視

有名な修辞家クィンティリアヌスは、『弁論家の教育(Institutio Oratoria)』の中で、「身振り(actio)は演説の魂である」と強調しています。

16
American_Crusoe 2025/07/14 (月) 13:40:05

「2.」が「1.」に変換されてしまってますね。これはZawaZawaの仕様なのでしょうか。

15
American_Crusoe 2025/07/14 (月) 13:38:07

【ChatGPTつづき】

  1. 競技性(コンテスト要素)

ディクレイメーションは、即興性・機知・表現力を競う演技的勝負の場でもありました。

ライバル同士の対決形式
→同じテーマ(例:「ルビコンを渡るべきか?」)を与えられ、複数の学生や弁論家が順に登壇して弁じ合う形式が一般的でした。

審査員や教師だけでなく、観客も「勝敗」の判断に参加することがありました。

勝者には名声と将来の保証
→若くして名を上げた弁論家は、法廷弁護士や政治家としても引く手あまたになりました。

オウィディウスも、こうした演説会で名を上げた「若きスター」として知られています。

14
American_Crusoe 2025/07/14 (月) 13:36:16

ChatGPTに、「『パフォーマンス的なジャンル』としての具体例(例:観客の反応、競技性など)について掘り下げて紹介してください」と頼んでみました。
 
 
【ChatGPT】

■ 「パフォーマンス的なジャンル」としてのディクレイメーション:具体的な特徴と事例

  1. 公開演説会(public declamation)という場

ディクレイメーションは、単なる教育訓練にとどまらず、一種の文化的エンターテインメントでもありました。特にローマ帝政期には、観衆の前で演説を披露する公開イベントとして行われ、貴族・知識人・政治家・芸術家らが聴衆として集いました。

演説会は劇場・講堂・私邸などで開催
→ 特にアテナイやローマの上流階級の邸宅では、定期的にサロン的な「演説会」が開かれました。

「喝采」や「野次」が飛び交う場
→ うまい言い回し(sententiae)や鮮やかな逆転論理には拍手喝采、退屈な演説や言葉の誤りには冷笑やブーイング。観客の反応も教育の一部でした。

13
American_Crusoe 2025/07/14 (月) 13:32:16

「スター・ディクレイマー(人気弁論家)」!

いいですね~😊

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American_Crusoe 2025/07/14 (月) 13:31:01

「As a critical part of rhetorical education, declamation's influence was widespread in Roman elite culture. In addition to its didactic role, it is also attested as a performative genre: public declamations were visited by such figures as Pliny the Elder, Asinius Pollio, Maecenas, and the emperor Augustus. The poet Ovid is recorded by Seneca the Elder as being a star declaimer, and the works of the satirists Martial and Juvenal, as well as the historian Tacitus, reveal a substantial declamatory influence.」

「ディクレイメーションは修辞教育の中核をなす要素であり、その影響はローマの上流文化に広く行き渡っていた。教育的な役割に加えて、パフォーマンス的なジャンルとしても機能していたことが記録されている。公開ディクレイメーション(演説会)には、大プリニウス(プラウィニウス)、アシニウス・ポッリオ、マエケナス、さらには初代皇帝アウグストゥスのような著名人たちも聴衆として訪れていた。また、詩人オウィディウスは、セネカ(父)によって「スター・ディクレイマー(人気弁論家)」として記録されている。さらに、風刺詩人のマルティアリスやユウェナリス、歴史家タキトゥスの作品には、ディクレイメーション的な影響が顕著に見られる。」

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American_Crusoe 2025/07/14 (月) 13:28:00

これをみる限り、「スアソリア(助言演説)」をそのまま小説にしたら、かなり押し付けがましく説教臭い小説になってしまいそうですね(笑)。ただ、生きる目的がはっきりしない我々現代日本人からしたら羨ましくもあります。

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American_Crusoe 2025/07/14 (月) 13:24:51

【ChatGPTつづき】

■ 《スアソリアエ(Suasoriae)》の構成と特徴

→現存するのは全7題のスアソリア

各題には以下のような要素が含まれます:

主題(たとえば「アレクサンドロスは海に乗り出すべきか?」)

実際に行われた有名修辞家たちの演説の要点・言い回し・論理構成

多くのsententiae(格言)やexempla(実例)を紹介

◆ 主な題例:

アレクサンドロスは航海に出るべきか?

カトーはポンペイウスと講和すべきか?

アグリッピナ(ネロの母)は息子に復讐すべきか?
など、実在または半伝説的な人物に対して行動方針を示す形式。

■ 教育的意義と文化的背景

教育目的:若い修辞学徒が論理、説得力、表現力を鍛える訓練

文化的役割:ギリシア・ローマの歴史的遺産を語り継ぐ場

倫理的訓練:歴史上の道徳的ジレンマを言語化・評価する

セネカ(父)の《スアソリアエ》は、この形式を記録・分析し、後世に伝えた唯一のローマ時代の文献であり、ローマの修辞教育における貴重な史料となっています。