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長く続いた思索に疲れ果てたように、透明の軌跡は自傷的な笑みを浮かべた。
それは笑顔と呼ぶにはあまりにも力がなく、己の空白を嘲るためだけに残された、乾いた表情だった。
椅子の背凭れへ身体を預ける。
支える力すら惜しむように、全身の重みをそのまま背後へ委ね、首を僅かに傾けた。
視線だけが、机の上に残された一枚の絵画へ向けられる。
「……この子は」
「今も笑っているのだろうか」
「お前を信じ待っているのだろうか」
描かれた少女の笑みは変わらない。
透明の軌跡は、その表情を見つめながら、先ほど浮かべた口角をそのまま維持する。
笑っているのか。
諦めているのか。
あるいは、そのどちらでもないのか。
自分自身でさえ、もう判別出来なかった。
「いつか、教えてくれるか」
「お前が見てきた笑顔の暖かさを」
「お前が護りたかった鼓動の尊さを」
自分にはないもの。
自分が知らないもの。
けれど、かつてユンフという人間が確かに知っていたもの。
その温度を、いつか知りたいと思った。
それが記憶なのか、感情なのか、それともただの憧憬なのか。
今の彼には、まだ名前を付けることすら出来ない。
ただ一つだけ確かなことがある。
この絵を描いたのはユンフではない。
この感情を抱いたのも、ユンフではない。
少なくとも、そうであろうとしている。
それでも彼は、ユンフの延長線上にいる。
ならば、その線の先に何があるのかを確かめることくらいは許されるのだろうか。
そんな答えのない問いを胸に残したまま、透明の軌跡は疲れ切ったように瞼を閉じた。
身体から力が抜け、椅子へ預けたままの姿勢が僅かに崩れる。
やがて、呼吸がゆっくりと一定の間隔へ変わっていき、眠りに堕ちた。
蝋燭に揺らめく光の中、少女の絵画の笑みは変わらず暖かさを放っていた。
その芸術は、ユンフの描いたものより描写力に優れたものだった。
長い髪。
閉じられた瞼。
そして、ほんの僅かに口元を緩めた、穏やかな表情。
紙面には淡い褐色の色彩が沈み、輪郭を縁取る線には手描き特有の揺らぎが残っている。
精巧に整えられた肖像というより、何度もその姿を思い返しながら、少しずつ形にしていったような絵だった。
たった一度の邂逅。其れもキャンバス越しに見えた少女の姿。
透明の軌跡は、そんな彼女を描いた。
ユンフとしての筆ではなく、彼自身の筆として、
ユンフの軌跡の先に存在する方向標を。
「……」
「『いつもの日』」
「お前が見たい笑顔は」
「感情というコップに注がれた愛」
「唯一無二の思い出」
「何もない俺と違って」
「お前は――」
筆を置く。
溢れそうになった感情を抑え込みながら、描いた少女を見つめる。
決して自身の記憶に存在するものでもなく、
自身の核を形成するものでもない。
ただ、今描いた少女そのものが、この肉体に宿る魂を構成する感情そのもの。
ならばその肉体に宿りし自身は何者なのか。
虚像、フェイク、贋作――。
思考に奔るノイズは、どれも自身を攻撃する。
偽物なのだと。空っぽなのだと。借り物なのだと。
劣等感は際限なく、彼の表情を変える。
「――」
「……」
「その物語を有するなら……」
「何故俺は、此処にいる」
「お前は、何故俺を此処に誘った」
「何故、この子の為に戻る決断をしなかった」
「その軌跡を、何故俺に委ねた」
「――」
「答えはわからねぇか」
「こうして『意識』が此処にある以上」
「俺はお前の延長線に立つ何者かなんだろうよ」
「……俺の芸術……」
「横道」
「お前の方向標」
「思い出」
「……」
「『愛情』」
「一度も手に入れた事なんざないってのに」
「なんて残酷な道を提示するのだろうか」
「クソ」
「俺自身、どうしたいんだろうな」
「都市に存在する以上、都市で生きて往くことは当たり前だ」
「だが、俺の前任はそうじゃなかった」
「都市は『思い出』への通過点に過ぎない」
「見ている場所が違う」
「……故郷ってなんだ」
「故郷の連中とは仲良かったのか」
「何故そいつらを護ろうと思った」
「その上で、何故利己的に生きる決断が出来た」
「その決断をさせた子は」
「一体、どんな子だったんだ」
瞼の裏に現れたのは、大切に保管された画材に描かれた一人の少女の絵。
彼自身の記憶には存在しない。
それでも、その姿だけは妙に鮮明だった。
柔らかな輪郭。橙にも輝く太陽のような笑顔。
これまで色彩に乏しかった彼の視界へ、初めて強烈な色を差し込んだ存在。
「……」
蝋燭の炎が揺れた。
その僅かな光が、透明の軌跡の瞳へ映り込む。
虚ろにも見える瞳だった。
けれど、その奥には先ほどまで存在しなかった微かな光があった。
視線の先にあるのは、空白の画材。
「……」
「俺の感情は俺のものだ」
「それ故に、俺は都市で描かれた軌跡に抗いたくて」
「数多の人間との視線を遮ってきた」
「俺でない俺を見ているその視線」
「……その視線を描いてきたのは間違いなくユンフであり」
「そのユンフを構成したのは……」
「君なんだろうな」
徐に手を伸ばし、筆を奔らせる。
筆先が、画用紙の上を静かに滑っていく。
淡い色が細い線となって残される。
手首はほとんど動かず、指先だけが微細な調整を繰り返していた。
力を込めれば濃く、僅かに緩めれば掠れる。そのわずかな力加減だけで、線には異なる表情が生まれていく。
その精錬にも思える程、細やかな動きで、描き手の意思を紙面へと紡いでいく。
誰かから教えられたわけでもなく、
ユンフの記憶の真似事をしている訳でもない。
ただ、自身の意思で、筆を動かしていった。
「……」
溶け落ちた蝋は燭台の縁を伝い、小さな炎は頼りなく揺れながら、それでも暗闇を退けるには十分な光を投げかけていた。
其処に差し込まれた仮初の芸術。
―12区 裏路地 仮宿―
窓もなく、隙間風が過ぎ去る一つの部屋。
夜の静けさと冷えた空気が心地よい湿感を保っている。
暖炉からの明かりも無く、煤の黒さだけが妙に鮮明で、
かつてここにあった炎の熱を思わせるものはもう何もない。
その付近の一脚の机。
蝋燭に照らされた1畳程の机の表面が擦り減り、角は丸く削れていた。
先まで合った資料は乱雑にファイリングされ、隅へと追いやられている。
「……」
透明の軌跡はその作業台と向き合い、一つの画材に手を掛けていた。
空白で埋められた白い画用紙。
何かを描く前の白ではなく、何も描けなかった者の白。
手元には数多の彩りが揃えられた筆がケースに収まっており、
絵描きを思わせる構図が出来上がっていた。
「……」
透明の軌跡は、白紙を見つめ続ける。
その視線の奥には、既に何度も聞き返した言葉があった。
ドルドインの言葉が幾度も脳裏を巡る。
ユンフという旅人が示した芸術。
単一の意味ではないことは理解していた。
だが、其処に想いを馳せるには、彼は思い出がなかった。
「今更思い出作りに励んだところで」
「俺の思う芸術って奴を、この白紙に埋める事なんざ出来やしない」
言葉にした途端、その現実だけが妙に鮮明になった。
なればどうすればいいのか。
思考が幾多にも絡まる。
一つの問いから別の問いが生まれ、それがさらに別の疑問を引きずり出す。
答えへ近づいているのか、それとも同じ場所を延々と回っているのかすら分からない。
自身の在り方が薄っぺらであると、ドルドインは突きつけてきた。
それもそのはず。
ユンフという男は、発芽のために蓄えられていた、潤沢な栄養を含んだ種だった。
旅をして。
人と出会い。
故郷を想い。
誰かを護ろうとし。
そして、最後にはたった一人の少女のために、利己を提示した。
それら全てが、種の中に蓄えられていた。
だからこそ、彼は芽吹いた。
だが、その中身が失われ、残されたのは種の外殻だけ。
形はある。肉体もある。声もある。名前すらある。
けれど、その名前に相応しいだけの中身がない。
感情の外側に存在する肉体。殻のみ。
それだけが、彼を「透明の軌跡」として成立させている。
そして、それを誰よりも理解しているのは、他でもない彼自身だった。
その言葉の後には、長い沈黙が残った。
悲しみとは少し違う。悔恨とも違う。
忘れてしまった。
けれど、忘れていたことを悲しいと思えた。
知らなかった。
けれど、知らない少女のために誰かが生きたのだと知ることができた。
それだけでいい。
少なくとも今は、それだけでいい。
少女の笑顔が、スポットライトの中で淡く揺れている。
その光景を前にして、彼は初めて、自分の中に残された空白を完全な「無」ではないのだと知った。
そこにはまだ、名前のない色がある。
まだ線にはならない。まだ形にもならない。
それでも確かに、そこにある。
「貴方の線を、描けるといいですね」
「貴方のアヴァンギャルドを」
スポットライトの光が揺らめく。
粒子が散るその背景に、
彼は普段よりもぶっきらぼうに笑いながら、溶け込んでいった。
「貴方が持ち帰る分には、彼は何も言わないでしょう」
「一度の対話でしたが」
「私の根底を揺るがすような芸術を見せつけた彼です」
「彼がどのような思いを持ち、今の貴方を見てどのような顔をするかだなんて」
「自ずと分かるに決まっているではありませんか」
手元の肖像画を、透明の軌跡へと再び差し出す。
陽光そのものを閉じ込めたような笑顔。
見る者の記憶さえ照らし出すような、太陽のような輝き。
それは、描かれた少女の表情というより――彼女を見ていた誰かの眼差しまで描いた絵だった。
そんな絵画と、彼はしばらく見つめ合う。
やがて、ゆっくりと目を伏せた。
「俺が受け取る資格はないだろ……」
「まだ、自分の芸術を表現するだけの『利己』を持ち合わせちゃいないんだ」
その言葉とともに、視線が横へ滑る。
そこにあるのは、空白のキャンバス。
白い面だけが、無機質な照明を受けている。
そこには、何かを描こうとした痕跡すらなかった。
筆跡も色彩もない。線一本すら存在しない。
ただ、何も描けなかったという事実だけが、真っ白な画面の上に残されている。
空白とは、何もないことではない。
描けなかった者にとっては、描けなかったという事実そのものが、何より雄弁な証明になる。
彼はそこへ視線を置いたまま、自嘲するように口角を僅かに吊り上げた。
「……そうですか」
その笑みに対する応えとして、ドルドインは再び目を伏せ、小さく笑った。
「貴方の望む答えは得られましたか」
「さぁな……でも、なんだろうか」
声には、先ほどまでとは僅かに違う響きがあった。
答えを得たわけではない。
むしろ、分からないことが増えたのかもしれない。
それでも――何も知らなかった頃とは、明らかに違っていた。
その笑みを浮かべたまま、アトリの絵画へ視線を置く。
少女は変わらず笑っている。
ただ、いつか来る「いつもの日」を待つように。
彼は、寂し気に口角を上げる。
「この子の事を知っていれば」
「忘れる、なんてこと、なかったんだろうなって思う」
「そう感じられただけでも」
「良かったかな」
目を細め、絵画に触れる。
「記憶というものは、本来ならば脳裏に刻まれた像であり、過ぎ去った時間の断片に過ぎない」
「失えば、二度と取り戻せない」
「少なくとも、そう思っていた」
「だけど、なんなんだろうな」
「名前も顔も、共に過ごした時間を知らなくても」
「この子がどれ程大切な存在だったのかは、わかる」
「なんとも儚く、それでいて力強い意思を感じるとは思いませんか」
「そんな彼を私のキャンバスに描く事が出来たら」
「どれ程の傑作が生みだされたのでしょうか」
ドルドインはそう言いながら、絵画を見つめていた。
その瞳に浮かんでいるのは、芸術家としての純粋な渇望だった。
羨望とも違う。憧憬とも違う。
自分の中には存在しなかった色彩を見つけた者が、それをどうにか自分の作品へ取り込もうとする、抗いがたい創作欲。
点によって世界を描いてきた男にとって、ユンフという存在はあまりにも異質だった。
彼は、点ではなく線を残した。
そしてその線は、過去から現在へ、記憶から感情へ、そして一人の少女から、今ここにいる誰かへと伸びている。
「……」
「ドルドイン」
「なんでしょうか」
「ユンフなら、この肖像画を持って帰るだろうか」
視線だけを、差し出した肖像画へ落とすドルドイン。
「私達薬指に、自分の芸術を具現化させたものを提示してきたのです」
「恐らくですが、彼は既に心に少女の絵画を持っているのでしょう」
「形としてこの世界に残したのは」
「先ほど貴方が形を持たないといった軌跡に色彩を添えるため」
「……は……なんだ、そりゃつまり……」
「惚気ですね」
「『愛情』の付随した芸術は、非常に繊細でありながら、堂々たる完成度を有しています」
「ユンフが描いた芸術は、自身の成したい事や、根底にある感情を率直に表現しているのです」
「だからこそ、これを手元に残すのではなく」
「彼女を愛した思い出を、此処に残すことを望むと私は解釈しています」
「……」
「利己的でありながら、他者には代替出来ない輪郭です」
「誰かを愛したからこそ描けた」
「誰かを想ったからこそ残せた」
「この一点そのものは、彼だけが描く芸術です」
「……」
「タイトルは『いつもの日』」
「彼が願っていたことの断片です」
「必ず来るであろう未来」
「その未来で、『いつも』が来る事を望み」
「其処に辿り着く為の芸術」
「……」
「貴方は、この絵画を見て」
「どう感じましたか」
「……」
「……」
「……」
「形のない記憶や思い出から成せるものが在る事を、私は知り得たのです」
「彼が頑なに言葉にすることのなかった『愛情』」
「都市を生きる為に、ただこれだけがあれば」
「彼は彼自身の芸術だけで、都市に染まらず歩めることを示しました」
「その上で、私にその芸術を突き付けてきました」
「私ごと、彼の芸術に沿って背負っていくとばかりに」
「……本当に、ただアトリという少女のために」
「彼は全て『いい思い出話』にしようとしていた」
「この利己的な芸術は、きっと貴方の根底にもある」
「そう願っています」
「……」
「インスピレーションは得られましたか」
「……俺は」
「この子を、知らない」
「『覚えてない』んじゃないんだ」
「知らないんだ……」
「えぇ、ユンフという絵具が無ければ、彼女の存在は証明されません」
「……でも……」
「そうか……」
「この子の為に」
「都市を駆け抜けていたんだな」
「ユンフという人は」
「……」
「観点に変異が見受けられる時」
「それは自身を構成する核そのものが幾重にも皮を破る時です」
「記憶を喪っても尚残る感情」
「アイツはそうやって、此処に『思い出』を遺した」
「その軌跡は形を持たないが」
「確かにこうして残っている」
「……これが……ユンフの芸術なのか……」
点と線。
それは、あまりにも単純な対比だった。
点描派にとって、世界は無数の点によって構成される。
細分化され、観測され、配置され、そして一つの像へと統合される。
だが、線は違う。
線には始点と終点がある。
その二つを結ぶために、途中という時間が生まれる。
ユンフが突き付けたものは、まさにそれだった。
過去から現在へ。
そして現在から未来へ。
途切れずに続いていく、一本の線。
「思い出話に華を咲かせながら、自身の芸術が過去にある事を説き」
「そしてその過去の為に残酷な今を歩み抜く」
「その光景を、私達都市の人間に、語り、そして見せてきた」
ドルドインの声が、ほんの僅かに柔らかくなる。
「絶望的な世界観の中でさえ、利他的に生き抜く事を選んだ彼が」
「ただ一人の少女の為に、利己的に生きる事を選んだあの場面」
「えぇ」
「あのエヴォカティブ(喚起的)な芸術は、彼の色だけであり、そして少女の色でもありました」
「……」
ギャラリーには、無音という静寂だけが残った。
「私はその記憶を突き付けられ、彼の芸術の主観に酷く影響されましたよ」
「こんなにも優しく、一途であり、希望溢れる芸術」
「凪いだ風を抱きしめるような、淡い空気を纏った憧憬」
「それを彼は描いてくれたんです」
ドルドインは踵を返し、作品群の一つに手を掛ける。
手つきは異様なほど優しかった。
先程まで作品を撫でていた指先とは違う。
壊れやすいものを扱っているというより、
そこに宿る何かを、決して傷つけてはならないと理解している者の手つきだった。
額縁に嵌ったその画材を手にとり、透明の軌跡の元へと戻って差し出した。
其処に映されていた絵画は、歪な線で、着色も定かではなく、
技巧だけを評価するのであれば、とても上手いとは言えない。
だが、その一枚の絵を見て、透明の軌跡は
「――」
ただ、ただ見る事しか出来ずにいた。
「私は点描派として、『点』に映る美に魅了されています」
「その根底に蔓延る美意識は、常に披露され、そして数多の学生に伝播しています」
「ここまでを聞いて、貴方個人の感想は如何ですか」
ドルドインは透明の軌跡へと向き直る。
彼の視線には、先まで歩いていたドルドインの奥側に潜んでいた作品群が映った。
その時に沸き上がった感情は決して正たるものではなく、
胸の奥に湧き上がるものは嫌悪だった。
「……感性が異なるとしか言いようがない」
「俺はアンタらの芸術に対して、心底嫌気を差している」
「嫌悪を抱く象徴は、その題材となった犠牲でしょうか」
「とても人のする事じゃねぇ」
吐き捨てるような言葉だった。
それは理論ではない。
思想でもない。
ただ、人として抱いた拒絶だった。
「客観性に基づいた芸術」
「今貴方が仰ったのは、受動的な思考に支配された感情です」
「その芸術を肯定しろってのか」
「いいえ」
「思想が希薄である貴方には、我々の芸術を否定する資格がありません」
「肯定も、否定も、貴方の選択は我々の芸術の枠外に存在します」
その言葉には、傲慢さすらなかった。
だからこそ、余計に冷たかった。
肯定する資格もない。
否定する資格もない。
そもそも、彼らの芸術を評価するための土俵にすら立っていない。
そう断じている。
「……」
「その資格が、ユンフにはあったのか」
「えぇ」
「彼を私のオークションに招いたきっかけ」
「出来る事なら、ビエンナーレに彼を飾りたかった程です」
「……」
ドルドインは、ゆっくりと視線を逸らした。
そこには先程までの傲慢な芸術論を語る男とは異なる、微かな感慨が宿っていた。
「彼が描いた芸術は、『思い出』に沿った幸せの道標でした」
「点描派たる私に、『線』を突き付けてきたのです」
「ですが、私はその『線』に対する美を理解する事はしませんでした」
「それは所詮、感情に過ぎない目に見えないものであるが故」
「ですがどうでしょうか」
「彼は、そんな私達を納得させるだけの感情の側面を立体化させてきたのですよ」
「ユンフという人物は、都市において特異な観点を持っています」
「自身の望む事に忠実であり、其処に達観が無い事」
「例えどちらを選んでも不幸せが訪れようとも」
「敢えて選択した上で、それを思い出として抱えていく」
彫刻に飾られたペンダントに手を添え、ドルドインはより小さく笑みを浮かべた。
その光景を目にして、透明の軌跡はその意味を察する事は出来ずに居た。
だが、そこに意味がある事は、漠然とだが理解していた。
「やる事成す事、壮大でありながらも、その到達地点は人としての幸せを享受する事」
「その道を、彼は『方向標』として描いてきた」
「貴方が描こうとして出来なかった壮大な絵です」
「……」
「私はこのギャラリーにおけるマエストロとして、幾多用にも変化した芸術を目にしてきました」
「上腕筋で出来た乾電池」
「剥いだ爪を合わせて振り回すファン」
「スノードームに閉じ込められた心臓」
「私の思い描く芸術とは異なるキッチュに富んだそれぞれ」
「触発されるには少々私の感性に罅を入れる事は叶わなかったのです」
ドルドインがスポットライトで照らされた縁に沿って円を描いて歩み始める。
光の外側には、半ば闇へ沈んだ芸術品が無数に並んでいる。
照明の届かぬ輪郭だけが浮かび上がり、それらはまるで鑑賞者の視線を待つ亡霊の群れのように、静かに佇んでいた。
その一つへ手を添え、指先が作品の表面をなぞる。
愛でるようでもあり、検分するようでもある。
透明な軌跡の周囲を、彼は優雅に歩いていた。
まるで既に完成された一枚の絵画の上を、自身までも構成要素として配置しているかのようだった。
「根底の思想は決して覆る事はありません」
「目に見える形として自身の主観を示す事こそが芸術であり」
「その主観を曲げてはならないのです」
「それが私達薬指の芸術の模式図」
「着想やアイディアを自身の手で形にして、初めて意味を持つ」
「目に見えない感情や言葉だけの作品は、所詮は虚像に過ぎません」
その言葉は、芸術について語っているようでいて、同時に一つの生き方について語っていた。
歩んできた道があれど、
それを人に伝えたり、思い描いたりすることができなければ、
まるで意味がないと言うようなものだった。
「形作るうえで自身の芸術観・美意識を曲げる事」
「それもまた、自身の美学を蔑ろにした瞬間となりえます」
「主観的な感性の押し付け」
「それがアンタら薬指の芸術か」
「身体派のマエストロは、他流派である立体派の美術潮流を混ぜ込むようなことをしました」
「身体派、剰え自身の芸術観の根幹さえ曲解させてしまっている時点で」
「それは芸術とは程遠い駄作になります」
ドルドインは、彼の言葉を咎めることもなく、ただ一歩、また一歩と円を描く。
一周。
数多の芸術に触れたドルドインの手元には、血を思わせる、濃密な色彩が染まっており、
指の節にまで入り込んだ色は、洗い流すことを拒むように皮膚へ絡みつき、
掌の中では粘液めいた艶が、照明を受けてぬらりと光っていた。
「インテュイション(直感)さえ沸きませんか」
「……アンタたちが表現し合ったそれは」
「記憶があるから出来た事なんだろ」
筆を持った腕を力無くぶら下げ、自傷気味に小さく笑う。
その様子を見たドルドインは、そんな彼の笑みを見ないように目を伏せた。
「現在から派生した過去や未来」
「それらを描くのに必要な事はその人が人たる信念」
「客観視から生まれた評価に怯える事はあれど」
「何も表現出来ない事は、模倣(ミメーシス)さえ叶わぬ事」
「俺には過去がある」
「都市で出来た、横道が――」
「では、それを表現出来ますか」
「――」
「透明の軌跡」
「恐らく貴方は、記憶を喪ってから、新たな思い出を得たはずです」
「それでも其処に描けない事は」
「貴方のカタルシスは根源から異なる事を意味しています」
「どういうことだ」
「美的判断は概念によって完全に証明できるものではありません」
「私が描いた絵を万人に見せた時、その美しさの証明、提示する事は出来ません」
「それでも、私は『この絵を美しい』と胸を張って豪語するのです」
「貴方はその前提に辿り着く事が出来ておらず」
「傷心している」
「……」
「貴方が思い浮かべたその横道というもの」
「其処に派生する感情に、貴方が自ら名前を付けられないというのであれば」
「それは模倣しようとしているに過ぎず、しきれていない事の裏付けにさえなるのです」
「……」
「それもそのはず」
「貴方が本来、思い浮かべ、描きたいであろう事は」
「『ユンフ』という絵具があり、『アトリ』という表現がなければ出来ない事なのですから」
残酷な提示を、ドルドインは容赦なくつきつける。
彼が表現したかった過去の線。
その横道には生きた走馬灯があり、それでも自分の未来へと進む気概があった、
だが、それをいざ表現しろと言われた時、
彼はその思想をキャンバスに描く事が出来ずにいた。
その思い出に名前を馳せる事も出来ず、ただ歩んだに過ぎない。
そう言いつけるように、ドルドインは真っ新なキャンバスに手を添える。
「彼は多彩な色の混じったが故、透明と成り得た」
「ですが、貴方は灰色に染まった透明」
「それさえ表現する事を恐れている」
「……」
「もう少しお話をしましょうか」
「何のだ」
「ユンフが描いていた芸術についてです」
「これも誰かを模して造られた作品か」
「私は身体派や立体派、ましてや野獣派のような暴力性に富んだ作品は好みません」
「モニュメントに記されるべきはその儚さに美を追求した点であるが故」
「貴方が想像するような猟奇的発想など、忘れ去られた記憶と共にゴミ箱へ投げ捨てました」
「……」
怪訝そうに表情を変える透明の軌跡に、ドルドインは小さく笑ってみせる。
「構いません。悠々たる心情を表現する為に、座る必要はありませんから」
「貴方から感じるインスピレーションは、悲劇の最中に過ぎず」
「それを受け入れるには、立ち止まってなどいられないのでしょうね」
「ユンフの事は何処まで知っている」
「一度対話をしただけです」
「互いの芸術、派生した思想を表現し合う」
「キャンバスに彩った絵具と、描かれた表現に」
「私は知る事の無かった芸術を見出しました」
ドルドインは、遠い記憶を手繰るように天井を仰いだ。
スポットライトの眩光がその瞳を灼いているにもかかわらず、目を細めることはない。
その顔には、どこか狂気を孕みながらも、慈愛に似た柔らかな微笑が浮かんでいた。
やがて、再び透明の軌跡へ向き直る。
「透明の軌跡」
「今宵の芸術は郷愁に浸れぬ哀傷の調べ」
「貴方の今を語る時」
「マエストロ自ら、課題評価をしましょうか」
ドルドインの傍らに置かれていたキャンバスへ、新たな画材が添えられる。
一切の色彩を記していない、真新しい画材。
ドルドインはその画角から身を退き、透明の軌跡を手前へ誘うように視線を遣った。
「……」
透明の軌跡は、ゆっくりと歩み寄る。
眼前に佇むキャンバス。
その白紙は、何も描かれていないが故に、あまりにも饒舌だった。
横からドルドインが、小さな筆を差し出す。
描いてごらん、と促うような、微かな笑み。
「点描派の事はお気になさらず」
「思うがまま、表現を」
透明の軌跡は目を細めながらも、その筆を受け取る。
手元に残った小さな筆。
それを暫し見つめた後、画材に筆を――。
「……」
奔らせることは出来なかった。
部屋は、闇そのものを展示空間にしたようだった。
壁も、床も、天井も、ほとんどが黒い。
本来白であったその空間は、暗がりに満ちていた。
照明は意図的に落とされ、広大なギャラリーの輪郭さえ、暗がりの向こうへ溶け込んでいる。
中心で筆を動かす音だけが静かに響き、その音すらも黒い壁に吸い込まれていく。
天井から伸びるスポットライトが、円形の光を床へと投げかけている。
闇の中にぽっかりと開いたその場所だけが、別の世界のように明るい。
光の中心には、ひとりの芸術家が立っていた。
P4号サイズのキャンバスの前で、筆を回す。
描かれた芸術は、血の色をしており、其処に映し出された作品の意味を知るには精神を捻じ曲げねばならなかった。
その作品を手掛けている薬指マエストロ・ドルドインの横顔を遠くから眺めながら、透明の軌跡を足音を響かせて近づいた。
「アヴァンギャルドという言葉をご存じでしょうか」
「芸術面に置いて革新的且つ実験的」
「前衛美術として印象的作品を手掛ける思想の事です」
ドルドインは静かに口角を吊り上げた。
視線は依然として眼前のキャンバスへ向けたまま、透明の軌跡へ言葉を紡ぐ。
「意味の分からない事、理解し難い常識を逸脱した先駆」
「大衆が喜び、声を荒げる芸術への反撥の狼煙」
「線を引き裂いだ先に残った僅かな点に潜んだ感情」
「私のフェティシズム」
「……」
「業を背負う上で必要な覚悟は、如何なる共感を求める物ではないのです」
「客観的な評を得てしまっては、進むべき道の当然感じるべき人の痛みを直で受けてしまいますから」
「……」
「マエストロ薬指、ドルドインだな」
「薬指マエストロ、ドルドインです」
「初めまして、透明の軌跡」
ドルドインは筆を止める。
そして、ゆるやかに身体を翻した。
礼儀正しく一礼を終え、生気の希薄な瞳を透明の軌跡へ向ける。
「会ったことはあるはずだろ」
「そうですね」
「ですが、私が拝見した芸術は『ガンパウダー工房』としての貴方です」
「特異たる色彩に名を馳せた貴方は、また異色の芸術と成り得ました」
ドルドインはスポットライトの円環を横切る。
白く塗られた椅子を手に取ると、
透明の軌跡の傍にまでそれを丁寧に持ち運び、「座ってください」と促した。
内部へ足を踏み入れる。
そこに展示されていたのは、悍ましさという言葉だけでは到底括れない作品群だった。
生体そのものを素材とした芸術。
血肉の表現を忌避するどころか、生命が有する生々しさそのものを作品へと昇華させている。
臓腑を想起させる造形。
生物の輪郭を歪めた彫塑。
生命そのものへの畏敬と冒涜が、判然とした境界を持たぬまま混在している。
猟奇的な発想から生まれたそれらは、生命を嘲弄しているようにも見えれば、
逆説的に、その脆弱さと儚さを誰よりも凝視しているようにも見えた。
「趣味の悪い……」
心の奥底に湧き出る感情を抑え込みながら、ギャラリー内部を歩む。
目的地と言える部屋の途中、ベレー帽を被ったスチューデントに声を掛けられた。
「内部監査……でしょうか?」
「複雑な事情があるだけだ」
「ユンフが彩った軌跡の中の、重要な何かがある場所」
「それが此処だって直感的に信じた道」
「とてもじゃありませんが、特色はオークションが催されでもしなければご来校する事はありません」
「貴方のような『線』を描いてきた人が、我々点描派の作品に共感を示すとは到底思えないのですが……」
「……作品を見に来たわけじゃない」
「ただ、其処の部屋に用がある」
透明の軌跡が指し示した先。
掲げられた名称は――
『マエストロのギャラリー』
芸術
―薬指ギャラリー―
「あぁ……!2回目の落第……」
「つ、次はない……次落ちたら、私は……!」
白亜に塗り潰された建築物。
その佇まいは大学施設そのものを偽装することなく、
構内には学生服めいた装いの裏路地の住人たちが、談笑しながら校庭を闊歩していた。
一方では、蒼白な顔貌に絶望を滲ませる者もいる。
芸術を謳う世界の中で、生死の狭間に立たされているような佳境を演出していた。
昇降口を過ぎ、内部のエントランスホールには、透明の軌跡が受付付近で立っていた。
「来校履歴の確認……ですか」
「身分証のご提示をお願いします」
身分証を求められ、彼は懐へ手を差し入れる。
本来であれば、特色を示すバッジを提示すれば事足りるのだろう。
しかし、それが都市において如何ほどの効力を有するのか、彼には判然としない。
ただの装飾品程度にしか認識していなかったそれを、今さら取り出すという発想にも至らなかった。
懐を探り、何かを見つけようとしては手を止める。
その所作は、まるで無声劇の一幕だった。
すると、隣に腰掛けていたもう一人の受付スタッフが、慌てたように小声で囁く。
「ちょっと、この人は顔パスよ」
「失礼いたしました、透明の軌跡様」
「ギャラリー内部への通行証を発行いたします」
指の組織でありながら、そこには意外なほど外交的な融通が存在している。
透明の軌跡は僅かに怪訝な表情を浮かべながらも、差し出された通行証を受け取り、受付を通過した。
――――それから、数週間ごとに訪問診断に来る博士と幸一郎達の交流は続いた。
最初は渋々顔を合わせていた幸一郎だったが、博士の人柄や多種多様な発明品を目にする内に打ち解けていき、最初の出会いから3ヵ月が過ぎる頃にはすっかり懐いていた。
もともと人懐っこかったアキラも、博士の事はかなりお気に召した様子であり、いつしか博士は殆ど身内同然のレベルで歓迎されるようになっていった。
ヴァナダ「(桐岡家の戸を叩き)ごめんくださーい、博士が来ましたよー。」
幸一郎「ガラッッ(ヴァナダの発言からすぐに戸を開いて現れ)博士、遅いよー!俺、ずっと待ってたんだからねー? で、今日どんなの持ってきたの?(目を輝かせながら)」
ヴァナダ「Σうぇっ!?(凄い速さで開かれた戸に驚いて)お、おぉ、幸一郎君、相変わらず早い出迎えだね…… まぁそんなに慌てなくても、今日はいつもより多く見せてあげようじゃないか。ただし、その前に君の体を診せてもらってからね?」
幸一郎「え~?しょうがないなぁ…… ちょっとだけよ~?博士も好きねぇ~?( •ε- )♡(服をちらちら捲りながら)」
ヴァナダ「Σちょ、別に好きで見てないからね?私は至って真面目に………( •̀д•́ ; )」
幸一郎「え、分かってるけど?博士ってば、本気で焦ってやんのー。ギャグなのにー。 (σ・∀・)σ(からかううような仕草で)」
ヴァナダ「ほ、ほぉ~?大人をからかうとは、一丁前に生意気じゃないか……… よぉし、それじゃぁ診察の時君にだけは"特に"いろいろしてやるから覚えとくんだねぇ?( ¬̀_¬́) ✧」
幸一郎「キャーッ!おまわりさんヘンタイがいまーす!!Σ・ ・( Д ノ)ノ(オーバーリアクションではしゃぎながら)」
幸助「(曲がり角の壁から少し顔を出し、玄関の様子を見て)………何やってんだよ、あの2人………?│▼-≖)」
蒼真「いやー、随分仲良くなってくれたようで、父さん嬉しいよ。│-ω-´)(同じく壁から2人の様子を覗きながら)そんじゃ、その記念と言っちゃなんだけど……… レフィア、"例のもの"を博士に………。」
レフィア「………了解。(そう言って、抱きかかえていたアキラを床に立たせるようにして)アキラ、「じーじ」の所まで……… GO。│ ⩌)✧(そう言って、支えていた手をそっと離す)」
アキラ「あぅ……(手を離された後も、しっかり立った状態で玄関の方を見て)……んぁ……… あうー…… ⸜( ˶ ꒪꒫꒪ ˶)⸝(それから、玄関にいる2人の方に向けてよちよちと歩き出す)」
ヴァナダ「はい、それじゃぁ早く診察の準備を……… ん?(玄関口で幸一郎の相手を済ませて上がろうとしたところ、曲がり角の方から近づいて来るアキラが目に留まり)あれ、アキラちゃ――――― !?Σ(⊙⊙)(アキラが歩いてくる姿に、目を丸くして)あ、あ、あ、ある、あるい、ある……… あ、歩いてるぅ!?え、アキラちゃん、立って歩けるのぉ!?」
幸一郎「ん?(後ろを振り向き、アキラの姿を見つけ)Σあっ、アキラ! ……ってことは………(曲がり角の方を見て、いろいろと察し)……そ、そうなんだよ!ビックリしたでしょ?ちょっと前から歩けるようになったんだ、それよりほら!アキラ、博士のとこに来ようとしてるんだからちゃんと受け止めてあげないと!(ヴァナダを強引に通路に引っ張り込んで)アキラー!がんばれー!こけないように気を付けるんだぞー!!(アキラに向けて熱い声援を送り)」
ヴァナダ「あっ、ちょ、ちょっと、分かった!分かったから引っ張らないで…… というか、君力強いね!?修行の成果ですかなぁ!?(幸一郎に引っ張り込まれながらアキラの前に来て)……あ、アキラちゃん、頑張れ!ほら、博士はここだよー!(両手を広げながら待機して)」
アキラ「あ……… あぅ………(おぼつかない足取りでゆっくりと歩みを進めていき)………んぁ…… あーうー……♪(ヴァナダの目の前までたどり着いたところで、抱っこをせがむかのように笑顔で両手を伸ばし)」
ヴァナダ「お、おぉ……! 凄いじゃないか、よくここまで来たね…… 抱っこかい?良いとも良いとも……(そう言って、アキラを優しく抱きかかえ)おお、よしよし…… 蒼真君達も教えてくれたら良かったのに……… そしたら、お土産の1つでも買って祝ってあげたのにねぇ?」
幸一郎「Σお土産…… ( ゚д゚)! しまった、それは盲点だった…… くそっ、こっそり教えとくべきだったか……! けど、そうすると博士の驚く顔が見たいっていう父さんと母さんの思いが…… 俺は一体どうするべきだったんだ………!(;`皿´)グヌヌ」
アキラ「……えひひっ、じ……… じー、じ………♪(ヴァナダに抱えられながら、とても上機嫌な様子で言葉を口にする)」
ヴァナダ「いや、そんな大袈裟に考えるような事じゃ……… え?(突然放たれた言葉に、再び目を丸くして)………アキラちゃん、今……… し、しし、しししし…… しゃ、喋ったぁ………!?Σ(◎Д◎;)ね、ねぇ、今喋ったよねぇ!?(幸一郎に)」
幸一郎「えっ?……あぁ、そうそう、アキラね、言葉もちょっとなら喋れるんだよ。「パパ」とか「ママ」とか、俺と幸助兄ちゃんの事は「にーに」って言ってくれるよ。もう1歳なんだし、それくらい出来たっておかしくないでしょ?ねぇアキラー♪(アキラの頭を撫でながら)」
幸助「何言ってんだか?アキラが最初に喋った時に一番驚いてはしゃぎまわってたのはお前だろうに。(そう言って、潜んでいた角から出て来て)しっかし、博士も博士で良いリアクションするよな?そりゃ2人に遊ばれるわけだわ……。」
蒼真「Σあ、遊んでるとは失礼な…… いつも仕事のサポートしてくれてる博士へのサプライズだよ、サプライズ!(幸助の後に続くように歩いて来て)よぉ博士、いかがでしたかな?うちの可愛い愛娘の成長した姿は…… いやぁ、本当はすぐにでも報告しようと思ってたんだけどね?どうしても驚く顔が見たくなったというか、何というか……。(,,´∀`,,)ゞ」
ヴァナダ「おぉ、幸助君に、蒼真君…… いやいや、とても良いものを見せて頂いて感謝してるよ。子供の成長というのは、実に素晴らしいものだ………。(そう言って、手に抱えているアキラの顔を見て)」
アキラ「きゃひっ…… じーじ、じーじ……♪(満面の笑顔でヴァナダに呼び掛け)」
レフィア「………トントン(蒼真の肩を後ろから軽く叩いて)………サプライズ、うまくいったみたいね………。」
蒼真「あぁ、そうだな…… 見てみなよ、まるで本当の孫とじいちゃんみたいじゃない?(ヴァナダとアキラを見て、レフィアに)」
ヴァナダ「はーい、アキラちゃん、じーじですy………(∗´∀`∗) ………ん?( ・ ω ・ )(アキラをあやしている最中、何かに気付いたように我に返り)………ところでなんだけどさ、アキラちゃんって私の事、「じーじ」で認識してるの?私、一応まだ若いんだけど………。(・ω・`;)」
幸一郎「え? ……あー、それはね?その方が呼びやすいかなって思って…… だよね、父さん?」
蒼真「あ、あぁ、そうそう…… いや、すまないとは思ってるんだけどさ?試しに呼ばせたら、覚えちゃって……… 何か、嫌だったらごめんね?(;´-ω-)a”」
幸助「別にいいんじゃない?博士って歳の割に老けた感じだし、そんなに違和感ないと思うけどな…… むしろ、お似合いの様な気もするが?」
レフィア「こら、幸助…… ごめんね博士、私達その時、その……… 妙なテンションだったと言いますか……… 娘の成長が嬉しすぎて、ついつい浮かれちゃったもので………。(; ⩌ ⩌)(蒼真の後ろから顔を覗かせて)」
アキラ「じーじ、じーじ♪(ˊᗜˋ)(ヴァナダの腕の中ではしゃぎながら)」
ヴァナダ「は、ははは……… まったく、君達らしいというかなんというか………(アキラを抱いたまま立ち上がり)まぁ、良いでしょう…… この愛くるしいアキラちゃんの笑顔に免じて、許します!( • ̀ω•́ )✧ キリッ そんじゃ気を取り直して、今日の診察を始めましょう!行くよ幸一郎君、幸助君もいつものサポートお願いしまーす!(何故かテンション高めで居間に歩いていく)」
幸一郎「あ、はーい!それじゃ父さん、母さん、行ってまいりますっ。(*`・ω・)ゞ(敬礼のポーズをしてヴァナダについていく)」
幸助「はいはい……… 2人共、アキラが可愛いのは認めるがあんまりはしゃぐなよ?恥ずかしいから………。(呆れた様子で2人について行く)」
蒼真「はい、行ってらっさい。そんじゃ博士、頼んだよー。(3人を見送って)じゃ、俺達はまたささっと買い出しでも行ってこようか…… ていうか、さっきの博士のテンション見た?おかしかったよなぁ…… 一体どうしたんだろうねぇ?σ(・ω・`)(レフィアに)」
レフィア「………そりゃぁ、アキラの笑顔に"あてられた"んじゃないかな?私達みたいに………。(⩌⩊⩌) ………それにしても、本当にお爺ちゃんみたいだったね、博士………。(にやつきながら蒼真に)」
蒼真「なる程、違いない…… あの笑顔を前に正気でいられる生物が、この世にいるとは考えられないもんなぁ……( ー̀ωー́)⁾⁾ウンウン な?どう見たってあれはなぁ…… いっその事、本当に「じーじ」になってもらおうかな?なーんて………(レフィアと談笑しながら買い出しに出かけていく)」
「『安寧の煌めき』の事件詳細」
「……過去に解決した事件」
「横道」
紙面へ視線を落とす。
そこには、かつて彼自身が関わった事件の記録が、淡々とした、
だがそれでも色彩に富んだ筆致によって綴られていた。
それを読んでも胸の奥に何かが響くことはない。
文字は読める。
意味も理解出来る。
それなのに、その出来事が自分自身の過去であるという実感だけが、どこまでも希薄に浮かんでいた。
資料を捲る。
その下に埋もれていた別の資料へ、視線が移る。
あらゆる指との因果関係。
そこから派生した事件の数々。
複数の組織が絡み合い、都市の各所へと波及していった事象。
それらの詳細が、『セブン協会』時には『ハナ協会』との連携を以て記録されていた。
一枚。また一枚。
紙を捲るたび、過去という名の墓標を掘り返すような感覚があった。
「……」
その中でも、彼が直感的に視線の移った文字。
その無数の記録の中で、彼の視線が吸い寄せられる。
『薬指ギャラリー潜入捜査』の資料。
其処に描かれた『思い出』の単語。
「……」
直感的な意志。
彼はそれを手にすると、早足に仮宿を出て行った。
残された室内には、再び静寂だけが沈殿していく。
埃を被った机と、冷え切った暖炉。
そこに残された無数の過去だけが、忘却された時間の証人として、誰にも読まれぬまま佇んでいた。
―12区 裏路地―
裏路地の風景に、目立った変化はなかった。
煤けた建築物の隙間を縫うように、陰鬱な空気が澱み、
湿った石畳には都市特有の昏い気配が纏わりついている。
路地の彼方から向けられる組織の視線は、無遠慮に彼の背へと突き刺さっていた。
最も、その視線の意図は、「関わりたくない」という意思そのものではあったが。
12区における活動地。
ダンクの言葉を頼りに、黒霧事務所の跡地へと足を運ぶ。
かつて己が立ち、幾つもの出来事を積み重ねたはずの場所。
しかし、そこに嘗ての事務所を偲ばせる景観は、既に欠片ほども残されていなかった。
黒霧事務所という名も、其処で交わされた会話も、積み重ねられた時間も。
それらを一切知らぬ者が見れば、ただ新たな事務所が建造された、それだけの場所にしか映らない。
「随分立派な建物だ」
「巣の中心に行けば行くほど、荒廃的な住まいしかなかったってのに」
「……」
独白めいた言葉を零したものの、彼は建物へ足を止めることなく、そのまま素通りした。
既に情報として得ている、仮宿の位置。
そこへ至る道程だけを脳裏に刻み、余計なものへ視線を向けることなく、ただ黙々と歩を進める。
およそ十分。
その僅かな時間の中で、幾人もの人間とすれ違った。
その中には、彼へ声を掛ける者もいた。
だが、どう返せばいいのかが分からない。
相手が自分を知っている。
けれど、自分は相手を知らない。
その齟齬を埋めるだけの記憶を、彼は持ち合わせていなかった。
だからこそ、無難な挨拶だけを返す。
それ以上でも、それ以下でもない。
人と人との間に本来あるはずの繋がりを、表層的な礼節だけで繕いながら、彼は歩き続けた。
そうして辿り着いた仮宿。
人が住む上での最低限を模したような木製コンテナ。
「ま、まさかこんなところを拠点としてたんじゃねぇだろうな……?」
思わず苦笑が漏れる。
扉を開けて中へ入る。
一歩踏み込むたび、床板が乾いた軋音を奏でた。
長らく焚かれていない暖炉には煤が堆積し、その周囲だけが黒々と染め上げられている。
炎が消えた後の熱まで失われたような、ひどく空疎な空間だった。
向かい側には、一脚の机。
その上には、何者かが纏めたのであろう紙束が幾重にも積まれている。
長い間、人の手に触れられていなかったのだろう。
紙の表面には薄い埃が降り積もり、文字の輪郭さえ朧にしていた。
彼は最も上にあった資料を手に取る。
指先で表面の埃を払う。
さらり、と乾いた音がした。
「君は君だ」
「ユンフではない、君だ」
「望む答えと違ったかな?だとしたら申し訳ない」
「だが、何と言おうと君の沈痛なる表情に変化は無いだろう」
「……」
「ヴォールカとは違う事を言うんだな……」
「フッ、あの男ちゃんと生きているんだな」
「万人の望む事が一致するとは限らない」
「君は他者の言葉に応える必要は無い」
「もし応えたいと真に想うのであれば」
「それは決して意図せず発生する思い出になる」
「……」
「答えに辿り着かない旅路を、君は歩んでいる」
「ハハハ、都市の人間としては聊か気にしすぎなような気もする」
「透明の軌跡。他者の視線に重きを置くのであれば」
「アンダーボスである私からの視線は、君という存在に向いている事」
「それを横道として考えてくれてもいいんじゃないか?」
「……は……」
「ありがとう」
口元だけで浮かべた笑みで、彼はダンクに応える。
そうして鋼鉄を背に、巣の霧へと消えて行った。
「……」
「……」
「……ふむ」
「根底は変わっていない」
「ただ都市という風景に当てられているだけ」
「……そうか」
「今の君は、ユンフが背負った『思い出』を」
「傷つけたくないんだろうな」
「フフフ……都市に染まる事を選ぶ理由」
「いつかそれが覆される日が来る事」
「願っていよう」
それ以上は語らない。
語る必要もない。
用件は済んだ。
そう判断したように、ユンフは静かに踵を返した。
その背中には、以前のような確固たる目的地を目指す者の力強さがない。
ただ、歩く。
行き先を定めるためではなく、歩かなければならないから歩いている。
そんな空疎な歩みだった。
「何処へ行くのかな」
「そちらは図書館ではない」
透明の軌跡の背へと、ダンクの張った声が響いた。
「裏路地へ戻る」
「一度、頭を冷やしたい」
「透明の軌跡」
「『思い出』の軌跡を探すというのであれば」
「黒霧事務所の跡地から離れた仮宿を探すといい」
「君の嘗ての拠点地だ」
彼は振り返り、ダンクへと視線を置く。
「過去の横道」
「恐らく、あるんじゃないか」
「嘗ての君がしそうなことだ」
「……」
「ダンク」
「どうぞ」
「俺は、アンタにとってどう見える」
その問いだけは、ひどく静かだった。
記憶を失った者が、自分自身の輪郭を他者に尋ねている。
名前も。故郷も。旅の軌跡も。
自分が何者だったのかを証明するものが、己の中から零れ落ちてしまったからこそ。
それでもなお、自分という存在を他者の眼差しの中に探そうとしている。
ダンクはしばらく沈黙した。
やがて、いつものような落ち着いた声音で答える。
「それで、私の元に来たということは」
「ねじれ鎮圧の報告だけではなく、他に聞きたい事があるのだろう」
「今、この時」
「こうして俺とアンタが話している時間は」
「互いのとっての横道になってんだろうか」
神妙に語る彼の口元。
声音こそ平静を装っていたが、その視線には僅かな逡巡が宿っていた。
まるで、自分の言葉が正しいのかすら分からない。
それでも誰かに問い掛けなければ、次に踏み出すべき場所すら定められない。
そんな有様だった。
ダンクはその表情をしばし見つめる。
そして、クッ、と。
喉の奥で息を零すように笑った。
「私がそんな事を知ると思うかね」
「透明の軌跡」
「私達は親指だ」
「他者に対する道は、上下にしか無い」
「礼節と階級が全ての世界」
「見るべきは天辺への恒久的な欲望のみ」
「難しいもんだな……」
「あぁ」
「だが、それは親指としての私だ」
「過去の君は、私個人を絆す程の過去を有していた」
「だからだろうな」
「今の君の、過去として背中を支える事が出来るのであれば」
「それもまた、私個人の欲望と成り得る」
「……アンタ」
「結構好きだったろ。『ユンフ』のこと」
「礼節を弁えた青年であり」
「礼節を重んじるフィクサーであり」
「礼節を取り除いた友」
「私は勝手にそう認識している」
「フッ、君とは大違いだな」
「そうかい」
「……ねじれの鎮圧は完了した」
「図書館の情報、再認識って形にはなったが、助かったよ」
「随分と遅かったな」
霧掛かった巣の風景。
濃霧というにはあまりにも粘つき、靄というにはあまりにも重い白濁が、都市の輪郭をことごとく曖昧にしていた。
遠方に聳える建造物も、足元を這う路地も、幾重にも折り重なる巣の構造さえも、その境界を失っている。
その朦朧たる景色の只中で、男は佇んでいた。
双眸に霧を映しながら、ダンクは帰還した透明の軌跡を静かに迎える。
「私の読みでは、『生きた走馬灯』との戦闘に時間を有するとは思わなかった」
「ものの数分で帰ってくるものだと思っていたが」
「……」
霧の向こうから現れた透明の軌跡の姿には、
戦闘を終えた者特有の疲弊だけでは説明のつかない陰翳が滲んでいた。
「フッ、先までの生意気な態度は何処へ行った」
「諭されたか?」
「君でない君を知る者からの言葉に」
「君の道筋を示され、感傷的になっているようだな」
「……」
「どうにも気に入らねぇ」
「俺は俺が成したい事に忠実で」
「それを実現しようとした結果、望まぬ結果に至った」
「だが、その結果に伴う感情は、思い出として俺を構成する」
「……ほう」
僅かに。
ダンクの口元に浮かんでいた不敵な笑みが、その言葉によって別種の色を帯びた。
嘲弄でもない。
愉悦でもない。
まるで、目の前にいる青年の言葉の奥底に沈んだものを、慎重に拾い上げるような笑みだった。
「望まぬ結果」
「ねじれた誰かを救う事が出来なかったというところか」
「そうなると見越して派遣でもしたか?」
「言っただろう。私は数分で帰ってくると思っていた」
「それはつまり、君がねじれを倒す事を前提として組み込んでいた事」
「君の心理状況に変化が起き、其処にまさか『思い出』という単語が派生するとは思わなかった」
「……」
霧が、二人の間を横切る。
白い靄が一瞬だけ透明の軌跡の姿を覆い、また晴れていく。
その僅かな間隙にさえ、彼の表情には拭いきれない沈痛があった。
記憶を喪った者の顔。
その記憶を拒む者の顔。
それでいて、その記憶に潜む『思い出』というものに、向き直ろうとする顔。
ヴォールカが去ってから暫く。
彼は描いた線から伸びた横をひたすらに眺めていた。
「……」
「……」
立ち上がり、空を仰ぐ。
ガンブレードを背に、彼は公園をあとにした。
「……」
「その意志は、俺やサミーが残したものと同じ」
「お前さんを、そして思い出を想って託した『軌跡』なんだ」
「横に無くとも、その軌跡はお前さんの過去を彩る」
ヴォールカは付近にあったボロ枝を拾い
彼の線に一つ、線を加えた。
「ユンフがしてきた事は、これだ」
「自分が進む未来の為に、過去を描く」
「自分が進んできた道の中で、その人達の道に繋がり」
「自分を形成していく」
「自分の道もその人の横道となり」
「思い出となる」
「……」
「そうして記憶を思い出しながら、多くの人と関わって」
「この横の線をたくさん引いてったんだ。お前さんは」
「……この線は……」
「……生きた走馬灯……」
「お前さんがこれから目指す未来」
「それを語る為の過去」
「お前さんをお前さんとして確立させる、思い出だ」
「お前さんが得た、お前さんだけの思い出」
「……」
「わざわざこれを提示しにきたのは」
「見てられないぐらいに悩んでる青年に、たまらず声を掛けたくなったからなだけであって」
「説教しにきたわけでも、なんでもねェ」
「本当はお前さんの前に姿を現す事はないと思ってたんだけどな」
「……」
「まぁ、これも思い出の一つになっただろ」
「……あまり飲み込まれるなよ、ユンフ」
「人によってはお前さんをユンフと呼ぶことはないかもしれねェ」
「お前さんがどっちを望んでいるかも、俺にはわからねェが」
「お前さんは間違いなくユンフだ」
「……」
「……」
「自分が大切にしたであろう思い出」
「お前さんが取り戻す事」
「それは、俺だけじゃねェ」
「お前さんが築いてきた軌跡から伸びた横道」
「皆が望んでいる事だ」
「だから、負けんなよ」
「お前さんは、お前さんだ」
「……」
「ユンフ」
「……俺は――」
「ユンフだ、お前さんは」
「……」
「……はぁ……いいか、ユンフ」
「お前さんが生きている今、これは都市の物語」
「元来、お前さんが生きていた世界とは土台が違う」
「お前さんの生き方の土台は、まるで違うんだ」
「海で育つか、陸で育つか」
「そういうレベルの、異なった環境だ」
「あくまでわかりやすく伝えようとしているだけだぞ。真に受けんなよ」
「自分で話の腰折るなよ」
「感情の揺れ幅も、その分異なる」
「都市の感情表現しか俺は知らねェけど、お前さんが元々生きていた世界とは絶対的に違う」
「他者からの言葉をどれだけ親身に受け止めるか、自我をどれほど出せるか」
「お前さんはその両方が、あまりにも不安定になっている」
「そしてその不安定さは、『自分がユンフじゃないから』『自分自身を確立させたいから』ってところに繋がってんだろ」
「……だから俺は、ねじれたアイツを救えなかった……」
「その感情自体は、無意識に存在している」
「ユンフ、一つの物語に対する感傷の言葉は、個人それぞれが持つ過去から算出された思い出の結晶だ」
「都市の人間として振舞うはずのお前さんが、何故そのねじれ一つに其処まで感情を零す」
「……わからねぇ」
「なるほど」
「ならお前さんは都市の問題に直面する、嘗てのユンフそのものだ」
「……」
「諭しに来たわけじゃねェ」
「お前さんは都市の流れに逆らおうとしながら、向き合おうとしている」
「その向き合う最中で、お前さんに立ちはだかる感情の受け取り方があまりにも愚直すぎて」
「感情の整理に追いついていないだけ」
「その整理は、向き合わないための整理なのか」
「お前さんが今書いた線」
「それはなんだ?」
「直感的に書いたんだろ」
「自分自身の旅路、軌跡だ」
「お前さんはこの線を見て、どう感じる」
「過去が無い」
「そうだ。軌跡と言うには、あまりにも寂しいもんだな」
「お前さんは『生きた走馬灯』と一緒に、この軌跡の並列を望んだんだろう」
「だが、そうするには都市という世界はあまりにも残酷で、身が持たない」
「あの人は、お前さんが瓦解する事を知った上で」
「『過去』になる事を選んだ」
「お前さんが記憶を無くしてなけりゃ、今までどこで何してたとか」
「これからどうするつもりなのか、色々語りたいところだったんだ」
「まだ他にも、話せることはある」
「つーか、本当は聞きたい事があった」
「そんでもってそれも全部見てきた」
「都市の技術、折れた特異点を買いあげて、お前さんの記録を見た」
「あそこでN社に居たらタブーハンターに捕まってただろうな」
「『里帰り』」
「あれほどお前さんが成し遂げたかった事と、同じ名前のねじれと対峙してから」
「俺達の意志が紡がれなくなっちまったところまで」
「……意志……」
「……」
「ガンパウダー工房ってところの人か」
「そこんところのフィクサーって言いふらしてくれていただけの甲斐はあったみたいだな」
「まぁ、覚えているって訳じゃねェんだろ」
「ガンパウダー工房所長のヴォールカだ」
「つっても、もう廃業した工房だけどな」
「今は親指の特殊弾丸生成工房になっちまってる」
「中央本部で造ってりゃいいものを、わざわざウチのところ奪うなんざ、まさしく指って感じだよな」
「あのダンクとかいう野郎ぶん殴っといてくれよ。まだ居んだろアイツ」
「俺に何の用だ」
「もう何も覚えていない」
「軌跡を描く事さえ、俺は出来ない」
「初めて会った時は焦燥感に駆られた感じだったってのに」
「随分と怠惰な雰囲気纏うようになったじゃねェの」
「俺はもう、アンタの知るユンフじゃねぇんだよ」
「今のお前さんのように、暗すぎる顔も、陰鬱な雰囲気も」
「確かにしなかったな」
「……」
「んで、それがどうしたってんだい」
「お前さんに声を掛けちゃいけない理由にでもなんのか」
「アンタの知る理想のユンフを、俺は都市で担う事は出来ねぇ」
「アンタが作った意志を、俺は踏み躙ったんだ」
「都市の復讐に加担するなって話か」
「サミーの意志。それを形にしたのが、お前さんが握ってるガンブレードだ」
「クソッタレみたいな武器だよな。都市を生きるにはあまりにも釣り合っちゃいねぇ低ランク装備」
「……まぁ、それが崩れちまった事を気にしてねェってのは嘘にはなるか」
「だが、其処に染みついた血には、誰かを護る為の意志があったはずだ」
「俺はそれを、都市の流れとしてではなく、お前さん個人の意志として尊重する」
「隣座るぞ」
男は「よっこらせ」とわざとらしい掛け声をしつつ、背凭れに重心を預けて空を仰ぐ。
透明の軌跡はその言動に微かに反応を示し、横の男に視線を傾けた。
「誰だよ、アンタ」
「そういうお前さんこそ誰だってんだ」
「名乗んのは相手からさせるってか?いや結構結構」
「そうやって近づく奴は、皆俺の事を知っているように語る奴なんだよ」
「……俺は……」
「……」
「……」
「どうした、名乗るの躊躇しやがって」
「特色たる透明の軌跡様はいつも特色であることをわざわざ言わねェからな」
「回りくどい感情表現と自己紹介はいつものことだ」
「あと喜怒哀楽が全部一緒の顔な」
「まぁ怒は分かりやすい方か。たまにゃ笑ってくれたがアレはファミレスの間違い探しレベルの難易度」
「その癖『笑っている』とか抜かす矛盾兵器だ」
「なんなんだよ、急に」
「何って、ユンフとの思い出話に華咲かせようとしてるだけだろ」
「こうして顔合わせんのは久々。19区の『労働感謝劇場』鎮圧依頼の事前準備が最後だったか?」
「あと俺の声聞かせたのは『レッドウォール』の時だろうな」
「あんときは親指の連中が押しかけてきてそりゃ大変だったぜ」
「お前さんが居てくれりゃ、今頃俺はまだ工房構えて煤塗れだったかもしれねェってのに」
「ハムハムパンパンの親父さんも元気してっかな~、最近顔出したか?」
「……」
「手紙寄越すとか言ってわざわざヂェーヴィチに頼んだろ?」
「モグに手紙を渡す感覚と同じ~みたいな。いやわかんねェよって話」
「都市で物を届けるって結構高いんだぞ。電子媒体でやりとりすりゃいいものをお前さんはいつも執筆だ」
「まぁ確かに届いた。んで、なに?1級フィクサーになれたからこれからも工房を繁盛させますってか?」
「いや結構結構」
「お前さんの支えは確かに俺にとっちゃありがたいもんだが、俺は特異点を買えるぐらいにゃ資金持ち合わせてんだよ」
「翼の理事だとか、協会長だとか、コネクションはいくらでもあるけど」
「まぁそんな中でお前さんが黒霧事務所の意志を継いでくれてたんなら、それでいいって話よ」
「だから自由に旅してくれや。お前さんは俺の事なんざ心配しねェってのは分かってるから」
「まぁ、ただ見守らせて欲しいってだけ。サミーが残した意志を、最後まで見届けて」
「お前さんが方向標に辿り着くところを、見守らせて欲しい」
「だから、ガンパウダー工房って肩書きに縛られず、軌跡を描いてくれ」
「……そう、話したかったのさ」
「だが、もう俺の事なんざ思い出の一片として背負って生きて欲しい」
「そう願っていた」
「……」
「よぉ」
彼に語り掛ける一人が、緩い足取で立っていた。

公園のベンチ。
来るはずもない誰かを、感情の重石を乗せて待っていたかのような形跡が其処にはあった。
握ったままのガンブレード。其処に付着した血液は決戦を終えた古刀のように凝固しており、
彼はそれを拭う事なく、痕跡の隣に疲れ果てたように腰かけた。
丸みを帯びた背、視線は地獄を覗き込むように、地面へ。
呼吸を一つ、二つ。
ただただ循環的に行う動作。
決して何の特別性も無く、ただの生命活動。
それさえ、過去の自身は意味のあるものとして紡いできたのだろうか。
思考を支配するのは、生きた走馬灯に自身の過去を提示するユンフの姿。
だが、その羨望にさえ思える光景は、自身では起こせない。
だからこそ、彼が起こしたことは、都市の流れに過ぎない出来事。
自身の思い描く軌跡とはかけ離れた、受動的な生命。
ザリ、ザリ……
力無く握ったガンブレードの先端で、地面に線を描く。
一直線の縦。
ただ、感覚的に、彼はその引いた線を眺めていた。
「……」
ただの線。
直線。
だが、この線の先も、横も、何も描くことはなく、
その一本を、彼は見つめるだけだった。
過去にかけて現在。
その道中を示した線の中、横に逸れた曲線は存在していない。
彼の過去を表す答えは、喪われている。
未来に向かって歩む為に必要な線。
そのどれもが欠如している。
だから、彼は生きた走馬灯に自身の未来への想いを示す事が出来なかった。
その出来事を痛感する。
「……」
沈痛に、見えない歯を食いしばる。
自身の成したい事を、最期として成し遂げた生きた走馬灯。
その想いはこの公園で死す事により報われる思い出。
だが、彼はそれを良しとすることが出来ていなかった。
都市として考えれば、それは寧ろ幸せでさえあるというのに。
長い時間、線と向き合う。
点きもしない街灯が健気に揺らめき、風が寂しさを連れてくる。
ただ、沈むだけ。
沈むだけの時間の中。
理解し合う事は出来なかったんだろうか。
俺はただ、アンタが過去に縛られてこの場所を離れられずにねじれてしまったって言うから、
無責任にはならないように、言葉を考えて未来を提示したつもりだった。
それでも、アンタには刺さらなかったんだろ。
あとは都市らしい解決の仕方をすればいいって。
あぁ、それでいいはず。
それでいいはずなんだ。
だが、何故俺はその流れに沿わなければならない。
俺が示した未来への軌跡は、生きる事そのものだ。
あとはアンタが俺の手を取ってくれればよかったはずなのに。
俺には何が足りなかった。
アンタの何を知り得なかった。
ユンフなら、どう諭した。
俺は、何故、言葉を紡げない。
『やはり、特色だな』
『それは君の力だ』
『紛れもなく、君自身の力』
「……」
『私に手を掛けてくれたのが、君でよかった』
『……退路は、前にもある事を教えてくれた』
『なら、君は思うがまま、進路に向かえばいい』
「……」
『どうか、御無事で』
都市に生を授かってから、敵対するものや、
今後の支障に来す者、あとは被害に直結する気に入らない奴は、殺してきた。
だからだろうな。
俺が今手に掛けたこの物語は
「……」
「……」
「……」
俺の感情に、『過去』というものを、強く突き刺してきた。
『……』
『決裂にも及ぶ時間が過ぎた』
『これ以上、時間の浪費を重ねてどうする』
「アンタは見てくれたんだろ、『俺』を」
「俺はユンフじゃねぇ」
「分かってる。そのやりきれない感情をどうにかしようと、アンタに言葉を投げかけた」
「透明の軌跡である事を、ユンフを知っていて尚」
「俺に言葉を投げてくれた」
『憧れにも近しい感情を、嘗ての貴方に寄せていただけだ』
「それは過去の透明の軌跡に彩られた感情だろ」
「だが俺は違う。俺は今を生きる透明の軌跡だ」
「生きた走馬灯が位置するこの場所、それが小さな翼なんだろ」
「俺は其処でアンタに存在を認められ、歩み出そうとしている」
「ユンフは、過去を以てして軌跡を描いたんだろう」
「なら俺は、未来を以てして軌跡を描きたい」
「その為には生きた走馬灯」
「俺はアンタを――」
ヴォンッ!!
振り下ろされた刃が、透明の軌跡の足元を砕く。
無限にも散らばる石畳の素材が、頬を切り裂いた。
「……」
『私を救うことは、この場から離れる事を意味する』
『私は、決して此処から離れたくないが故』
「……」
『軌跡の描き方は千差万別だ』
『それは慈悲にもなり、苛烈にもなる』
『満たされもしない現実は、時に恐ろしい程に波を押し寄せる』
『君はその軌跡を描くには、きっと何もかもが足りていない』
『私を真の意味で背負う事は、君の退路が無くなってしまう』
「……やろうとしている事は、同じってことか……」
『君は、私の翼の一部になってくれるんだろう』
『なら、護りたいじゃないか』
『ユンフではなく、君というそのものを』
「……ここで俺が剣を握る事は、それは都市に染まったままになっちまう」
「それじゃあ俺の軌跡は――」
『君なら描けるさ』
『私が灯す街灯を、君は見る事が出来た』
『かつてユンフが描いた軌跡にも無い、私の街灯を』
「……」
『始めようか』
『この戦いは、決して哀しいものではない』
『及落が決まらない内に、この場所から逃げるんだ』
『今日、誰も泣かなければ、それでいい』
「……」
「……あぁ」
振るわれる両刃に応えるように、
透明の軌跡は剣を抜いた。
「……」
「俺が未来を語る事は、空虚だっていうのか」
「過去を持たないが故、意味がない」
「アンタに納得の行く答えを示すことは出来ない」
「俺が思っていた『対話』ってのは、こうも複雑なもんじゃなかったってのに」
『フッ、透明の軌跡』
『生まれつきの英雄などいない』
『それは過去を遡れば、誰であれそうだ』
『星は常に光り輝いてはいるが』
『それは遥か昔に光ったからこそそう見える』
『君は輝こうとしている』
『今の君を彩る全ては、ユンフが彩った輝きだが』
『こうして私に対話を持ちかけてくれたことは』
『君が私に進路(たいろ)を示してくれたからこそ』
『君だけの星となる』
「……それでも、納得には至らなかったんだろ」
『そうだ』
『そして、こうして対話して行きついた最後は』
『決まって刃を交える事で終幕する』
生きた走馬灯の包帯が崩れ、刃の煌めきが霧に反射する。
両刃に宿るこの場所への守護の想いが、質量となって上げられた。
『透明の軌跡』
『君は進むことが出来る』
『ならば、私は君が進めるように』
『君の過去を作る』
『それが、退路となるだろうから』
『そうしていつか走馬灯のように思い出してくれ』
『都市の色に染まらないように抗った人間が』
『こうしてねじれた今も、都市に抗っていることを』
『自分の中の、"方向標"を定めていることを』
「……」
「……」
その質量を前にして、人は防衛本能を示す。
それに倣って彼も剣を――
「生きた走馬灯」
「それでも、俺は」
抜くことはなかった。
「アンタに未来を示したい」
『進路……か』
「都市と向き合うことに疲れて、アンタは逃げる事を選んだんだろ」
「逃げる事を選び、その逃げ先を喪っちまったから、こうして感情の解れが発生した」
「その感情が司る彩りを、俺は認識することは出来ねぇ」
「認識するには、俺には過去が無いから」
「アンタが示した退路を、俺は持ち合わせていないから」
「アンタに投げかける言葉の全ては、その過去に想いを馳せてやるにはあまりにも薄っぺらだろうな」
「でも、だからといって、今を生きる俺が、今を生きるアンタに言葉を投げかけちゃいけないなんてことないだろ」
「少なからず、今、此処を護ろうっていう意思があって、ねじれてでも生きてんじゃねぇか」
「死ぬ道しかない退路に縋るのは、その時がアンタにとっての最大の幸福だったからだろうけど」
「もう訪れもしないその時に身を委ねるのは、死んだも同然だ」
「それなら、生きてみようって、思わねぇのか」
『……都市において、生きる事とは苦痛を共にする事』
『真の意味で生きる事は、今『君』が説いた進路にあるのだろうな』
『絶望に染まったとしても、それでも前を向いて生きる事』
『だが、そんな器用に生きる事の出来る人間は、『信念』があるはずなんだ』
『私が掲げた信念は、とても小さく、とても脆い』
『紙屑のように細かく裂かれた淡い幻想』
『向かう先も、結局は都市に向き合わない逃げ道』
『それなら、私は此処を護る街灯となる』
『退路が、私の場所』
「……」
『紡ぐ言葉は借り入れたものではなく、自身から発せられた感情によって生まれた物語』
『言っただろう。私は退路だと』
『透明の軌跡。進む為には、過去が必要だ』
『それは、『貴方』が示した都市への反骨』
『ならば私は『君』に示すのだ』
『私が此処に残るのは、私がこの姿になったのは』
『その過去に縛られるが故であることを』
「……」
「……教えてくれ」
「何故、俺を導く言葉を投げかけるか」
「アンタはねじれているのに、何故……」
『この公園に足を踏み入れたのだろう』
『街灯に照らされているのだろう』
『此処が、私にとっての『翼』だから』
『其処に足を踏み入れている君も』
『私にとっての退路であるが故』
『……対話とは、未来に残る過去の残滓』
『その残滓が人の感情となり、また別の人へと伝播する命の雫』
『護られるべき尊い行程』
『貴方に課せられていた使命は、既に曲線を喪っており』
『私に提示する為の道は閉ざされている』
『故にこそ、貴方は私と対話するべきではなかった』
『私を、最初から鎮圧すべきだったんだろう』
「……確かに、アンタを倒せばそれで話は終わりだ」
「俺は都市の人間として依頼され、都市の人間としてアンタを始末する」
「普通の話」
「だが、これは俺の感覚だ」
「俺と同じように空虚になったはずのアンタに理解を示せなきゃ」
「俺はこの先、本当に自分を見付ける事なんて出来ない」
「だから、俺は対話を選んだんだ」
「選んだはずなのに」
「……答えが、出ない」
『それを成してきたのが』
『過去を彩る貴方、透明の軌跡だった』
「……」
『准えるべき過去は、持つものが提示する記録』
『それが退路であり、自分自身を形成するものである』
『思い出を持ちえない貴方が、私に言葉を投げかけること自体』
『それは時間の浪費に過ぎず、ただ立ち止まるだけの出来事』
『利口ではない』
『貴方は、都市の人間であるが故、過去で私を示す事は出来ない』
「……」
『見逃すという選択は、そもそもとして存在しないのだろうな』
『いずれにせよ、私は此処でいつか死ぬ』
『貴方の手によってではなく、他人の手によって』
『此処で死に往く事こそが私の望みであり』
『それが退路を示す事となるのだから』
『それなら、透明の軌跡』
『今此処で、貴方が剣を振ろうが振らまいが』
『結末は変わらない』
『貴方は、『ユンフ』ではないから』
「……」
生きた走馬灯が此処を離れない理由。
それは自身の退路を護れなかったことに対する罪悪。
そしてその罪悪から解放される為に、
自身の成したい事。この場を護る街灯となりながらも、この場で散る事。
透明の軌跡は、生きた走馬灯が望む顛末に対して、
示せるものが何もなかった。
過去も思い出も、何もなかった。
だからこそ
「なら……それなら……退路なんかじゃなく」
「進路を見付けたらどうなんだよ……」
未来への想いを、吐露する事にした。
『……』
『……』
『……』
『私は、私の中で答えを得た』
『その上で他者から投げかけられた言葉に、意味を見出そうと堕落しない』
『私の世界は、人の足りない世界だ』
『既に色を失った世界』
『あるのは、街灯の光だけ』
『透明の軌跡』
『貴方には、もう既にないのだろう』
『過去に刻んできた、軌跡に彩った道が』
『……』
『……』
『……』
『フッ……黒昼の最中でさえ、貴方は顔を歪めることさえしなかったというのに』
『是としない感情に阻まれただけで、悲痛を表現するか』
「……」
「今、アンタの声を聞いて考えた答えは、全て俺から生まれでたものだ」
「俺はその思考を決して可笑しいとは思わない」
「だが、違うんだろうな」
「その考えに辿り着いた末、この武器を手に取ってアンタを倒す事は」
「元来の俺ならし得ない物語の結末」
『では、貴方は何故、その護る意志で紡がれた剣を手に取らないのか』
「……」
『質問を変えてみよう』
『何故、私に言葉を投げかけようと感じた』
「……」
「答えに、辿り着かない」
「俺は、俺には過去が」
「何もないから」
自分自身と重ねたねじれに対して、彼が言い出せる答えは全て「これが都市だから」と諦観するものだけであり、
その全てを否定するには、彼にはなかった。
思い出が。
走る走馬灯の佇む公園。
其処に潜んだ世界は、喪われた退路。
彼の背中を刺す街灯は、退路を背負った証であり、
其処から溢れ出る罪悪は、ねじれた彼を彩っていた。
『咲いていた花はもう既に無く』
『記憶違いの色彩と共に零に帰納した』
『私が望んだ小さな世界』
『その僅かな世界でさえも、都市では瞬く間に消えていく』
『ならばせめて、私が街灯となり、退路を示さねばならない』
『此処に帰ってくるかもしれない誰かの為に』
『私は退路とならねばならない』
『……』
『透明の軌跡』
『これが、私が此処を離れない理由』
『私の、成したい事だ』
語りを終えた彼の背中で、街灯が揺れる。
揺れる度にチカチカと点滅を繰り返す様は、『此処が退路だよ』と、
そう主張しているかのようにも見えた。
「……」
透明の軌跡は目を凝らす。
その街灯、そして生きた走馬灯の揺れ動きを。
彼もまた、その感情を理解しようと耳を傾け、そして物語を想像した。
「……」
答えを割り切る。
彼の心根に触れる言葉を選び、自身の想いの中であらゆる言葉を切除していく。
きっとこれが、過去の自分が成してきたことだと感じて。
しかし
「……」
生きた走馬灯に投げかけるべき言葉が、透明の軌跡の口からは出なかった。
彼が、都市の人間であるが故に。
都市の流れに抗おうとした生きた走馬灯の過去。
其処に示された結末は、美しい声の誘いであり、自身の利己を見出した上で、他者に流された感情の発現。
その太く、拒絶に塗れた利己の塊に対して投げかける言葉は、
都市の流れに沿って歩む彼には存在しなかった。
もうそこには護るものがないんじゃないか。
公園を見捨てて楽になってしまえばいいんじゃないか。
別に自分のせいではないんだから、落ち込まなくたっていいんじゃないか。
忘れてしまっていいんじゃないか。
透明の軌跡の中で切り捨てられた言葉の羅列は、全て都市から生まれ出たもの。
その中でも前へ進む、自身を表現する為に、誰かの背中を優しく押す世界を、透明の軌跡はもう忘れていた。
私は待ち続けた。
花が枯れ、錆びた街灯が崩れ落ちる。
幾日も待った。
街灯の光が無くなっても、
誰も来ない。
流れてくるのは、
此処で死に往く顔をした、退路の人々。
私に囁く、死ぬ間際の詰問。
あぁ、すまない。
私は、私は――。
君達を、護ってやれなかったのか――。
<都市で誰かを護るのはとても難しいこと>
<その上で貴方は、ツヴァイという盾となることを選んで>
<立派に役目を果たしたのね>
<でも結局、貴方が護りたかったものはなんだったのかしら>
<考えてもみて>
<あなたが護る必要があったのは、公園の幸せだけじゃない>
<他にも色んなものを護れることだって出来たのよ>
<それでもあなたは、この公園の平和を護ることにした>
<えぇ、素敵な物語>
<あなたが彩る小さな世界は、とても前向きで、素敵な空間だったはず>
<でも、其処を喪ったからといって、あなた自身を蔑ろにする必要はないんじゃない?>
<そう。護りたいものがあるはず>
<例え居なくたって、其処はあなたにとって大切な退路だったのだから>
<いいの。そこに縋る事は、決して悪などではない>
<いなくなった人達の為にも、貴方が其処を護るの>
<そう>
<光になって、溶けていって、貴方だけの色を咲かせるの>
<自分の望んだ姿形になれるように>
誰一人として存在は無く、
何一つとして存在は無く。
公園には無機質のみがあり、
不自然な血痕が存在するだけであった。
裏路地の夜を過ごした後なのだろうか。
僅かに見えるのは、嘗て子どもたちが付けていたアクセサリーや、
老人が大切にしていたジョウロが見えるだけ。
「……」
街灯が示す孤独。
光などではなかった。
照らしてなどはいなかった。
私にとっての希望を、幸せを。
私は護る事が出来なかったのだ。
ツヴァイの所属する協会フィクサーとして、
その役目に従事した結果、
私は、退路を喪った。
「……」
それでも、誰かが帰ってくると思ってしまった。
この公園は、この地域の中心だ。
誰かが帰ってくるなら、きっとここへ来る。
そうだ。誰かいる。誰かいるはずだ。
まだ確認できていないだけで、まだ誰かいるはずなんだ。
きっといる。
居てくれ。
助けを待っている人間が。
雨の強い日だった。
「……」
寒さで手先が麻痺していた。
「……」
喉から声が出なくなった。
「……」
涙が、枯れていた。
「……」
濃霧で輪郭のはっきりしない行路。
L社の巣付近は特に酷く、その世界での戦いは疲弊する一方だった。
親指の炸裂弾は、ツヴァイのコートさえ振動貫通させる。
私と共に戦った同僚は、何人かがカポの弾丸の餌食となった。
だが、私はこの程度の弾丸など目の仇にもしない。
私は長らく前線で戦いを命じられ、
ねじれの情報収集や、其処に至る人命救助まで、3課としての仕事を全うした。
そんな日々が続いたある日。
「6課が図書館に全戦力を投入して、全滅した」
南部ツヴァイ協会6課の崩壊の報せ。
濃霧の立ち込めたこの空間は、無線機さえも碌に通せない周波数の乱れがあった。
それ故に、届く情報はいつも遅れてやってくるもの。
「……公園の様子を見たいのだが、前線を離れることは――」
「不可能だ。俺達は『あなたの盾』」
「親指が狙う地域そのものを護る必要がある」
「協会フィクサーは、やれと言われたらやるしかない」
「……そうだな……」
心配が、常に沈殿する。
退路は、なかった。
霧の射手により、ツヴァイ3課フィクサーは殺された。
親指との交戦直後、奴らの弾丸を基に射抜かれた。
私が取った行動は、同僚の仇討ちや、ねじれの観察などではなく、
ただ前線から退くことだった。
他者の視線も無く、己が成したい事に邁進する。
協会フィクサーとしてはあるまじき行為だったであろう。
だが、私は人生の中でも最も五里霧中の最中、
退路である公園へと向かった。