131まで。
サイド六の学校に通う中学生の一行がスペース・コロニーの気象制御機器の見学に出かけた。円筒コロニーの大気循環を補っている送風機の偉容を点検通路から見上げる見学者のうち、一人の少女が奇妙なものに気づいた。
手すりの向こうに見ているものは、数百メートル離れた空隙の彼方にあって回転を続ける巨大な送気ファンとその補助機器群である。その一つが、少女の目にはどうやら、膝を抱えてうずくまる大きな人型に見えてきたようだった。空想的で、他愛のないことながら、彼女はその印象を手早くスケッチに留め、帰宅して後も、紙片を取り出してとりとめない想像を重ねていた。
その夜の夢に、空調機から少女へのメッセージが届いた。それによると、機械はかつて宇宙戦争の頃にスペース・コロニーに運び込まれた秘密兵器の一種であり、現在は空調機に偽装しているものの、本来の姿を表せば全長一〇〇メートルに及ぶ巨大なモビルスーツになる。作戦は決行されぬままに現在も空調機として過ごしている彼は、年月を経て初めて彼の存在に気づいた彼女に、サイコミュ的な感応を通じてこうして呼びかけているのである。
夢を通じて、空調機と少女との不思議な感応対話は数年間続いた。高校を卒業するまえに、少女は空調機の気持ちを励まし、空調機として今まで出来なかったこと、してみたいことをしてみるよう勧めてみた。
夢の便りはそれからやや間があって、最後に届いたメッセージは、コロニーを離脱した空調機は尚、健在にして、現在は太陽系を後に別の恒星を目指す旅路への加速中とのことである。夢の交流で得た精神波の記憶と生体パターンを次の星へと携えていくのだという。
次の夜にはもうアオマツムシが切れ目なしに鳴き続けているから、カネタタキだけをじっと聴いていた夜は実質、年に二晩。
衛星軌道から降りてきたばかりの若いベスパ隊員が仲間とともにハンティングに励んでいた。その日は一六〇〇キロを飛んでヨーロッパの街々を焼き、機銃攻撃で地球人をハントした数を仲間と競っていた。狩りのさなか、大きな白いモビルスーツを追った若者はいつしか仲間のベスパ達とはぐれ、北ヨーロッパの原野深くに入り込んでいった。
白いモビルスーツは金色の角を振り立て、追う若者の視界の先を、遠く近く、切れぎれの雲間に見え隠れしながら飛んだ。何度かの銃撃を浴びせたものの、モビルスーツは深傷を負った脚を引きずりながら、山脈を越えてどこまでも逃げていくのだった。やがて日が暮れていき、不毛な追撃にも疲れた若者がふと辺りを見回せば、見も知らぬ惑星の沼地で一人、孤立している自分に気づいた。
宇宙の民にとって荒廃した地球上の地理の知識は皆無に等しい。若者のモビルスーツの燃料は残り少なく、迫ってくる夜を過ごす場所も知らなかった。地球人の一挙撲滅を掲げているベスパは、ハンティングの際も老人にも子供にも容赦がないので他のマンハンター達から嫌われていた。近在のマハに連絡もつかず困窮しているところ、前方の岸辺に、灯火の光が見える。中世の砦跡らしき石積の城のようで、近づくにつれ、人々の宴支度の物音が聞こえてきた。
巨木そのものに見える門柱にモビルスーツを繋ぎ、若者は砦の入口に立って案内と一夜の宿を乞うた。迎え入れた砦の人々は前世紀の地球民族に似た古めかしい衣裳をまとい、長い髪を束ねて髭を伸ばした、見たかんじケルト人に似ていた。宴の席では豊富な肉の量と酒の量に驚かされた。歓待づくしの後、しばらくあって姿を見せた砦の主は白皙の壮漢で、金色の眉と頬髭には風格があった。
主の語りだす昔語りによれば、リガ・ミリティアは代々地球上に住み、この北ヨーロッパの地で抵抗運動をしてきた。近頃になってベスパがやって来ると、仲間達は次々に狩られて数を減らし、今ではこの古城の一族だけが生き残り、抵抗運動を続けているという。主が席を立つとき、若者は、彼が片脚を引きずって歩き、白いモビルスーツと同じ処に傷を負っていることに気づいた。
翌朝には若者は砦を発って、モビルスーツのヘリコプタ能力でなんとか飛行を保って帰路を辿った。別れ際に短い挨拶だけを交わした、砦に住む美しいリガ・ミリティアの娘の面影が目裏に残っていた。基地に帰ると、仲間のベスパ達は彼の報告を信じず、地球上のリガ・ミリティアはずっと昔に滅んでしまったと笑うばかりだった。ハンターによる上空からの探索が何度か行われたが、砦の場所はその後も結局見つからなかった。ベスパ隊員の若者はやがてハンティングにも飽き、仲間と別れて一人宇宙へ帰っていった。(宇宙世紀二〇〇年頃、地球)
「第2巻 豊饒と再生」終わり。続けて3へ。ちょっと飛び飛びになりがちだが落としてはない。
この章の終わりでもくり返し力説されていることだが『木や植物は、木や植物そのままでは、けっして聖とはならない』――のような言い方のことは、一度は飲み込めても、しばらくその態度というか理解の仕方から離れていると、長く保持していることができないのか、忘れるのだ。忘れるなら読み返せばいいようなことだが、この忘れるということをよく知っていないし、それで争うということもあるみたいだな。
経過 1 / 2 / 3 / 4 / 5
『単発で、とくに理由のない行動(現象)には、次にくり返しを待つまでもなくその意味を読むすべがある』、という連想
「待つ」が被っていたか。自然に気づかなかったけど、「待ち遠しい」という含みのくり返しかもしれない。べつにアオマツムシのシーズンを待ちわびているわけではない。今夜これだけにしよう。
ひらがなで「こたえ」でもいいけど……。待つは二回くり返す。わたしが、耳を傾けて待っているのと、虫どうしが応答を待ち合っているのニ回。
13/8章おわり。今夜ここまで。
バイストン・ウェルの星の光に似た燐光、リンについて、前巻で軽く触れられた。その後、完全版7章の冒頭に「深海魚の鱗」の言い伝えについてはあったが、迫水には理解できない。
この章のうち、鱗の字を書いて旧版では「星のように見える鱗(りん)」、完全版では「鱗(うろこ)」とルビが振ってある。
〝……真に、惨《ざん》……〟
完全版では、ひらがなで「まさに、」と、均されている。旧版だけを読んでいれば、この訓みにはまた異訓があったんじゃないかと思う。
喰い込んだ弾丸の摘出と手当ては完全版では省略。そのいきさつはしばらく後の文に補充、ゲリィが手当てしたことになっている。
オーラバトラー戦記のときと、ガーゼィの翼のときにもその話をしていて、この大人数の仲間達の出入りを追跡していてもわたしはそれなりに面白いんだけど……。
Wikipediaの記事などでは主要人物以外は微細にわたって扱わないほうがいいのが、今わたしの考えでもある。それは無用にゴミゴミしすぎる記事編纂の問題。小説作品の子記事の一覧ではやるのはよした方がよく、やるんだったら専門で立てる。だけど、それでなくても混雑している界隈(サンライズとかガンダム等の)、屋上屋を架しておいて一人で管理するのいやだ。Zawazawaで地下にいるのは何らかのつもりはあるけどね。
合流する五人の船長たち。ケラックス(ケラック)のシリスに続き、
実際のところ、わたしも迫水の仲間達の名前についてはこのあと登場のクロス・レットくらいしか覚えていないが、必要そうなら手元には控えていくかもしれない。
続けて、アマルガンとの対話ふたたび。これもかなり長いが完全版では省略。前章の対談と気分的に似ているからかもしれないが、前巻9/6章のときに触れた「死に損ない」意識にかかわるからとも思える。完全版では、早くから虚無感描写を強めていくのを抑えようとしているのかもしれない。
ガダバの国崩しをする決意をアマルガンに吐き出させる。アマルガンの手勢なるものはガダバに対して微々たるものでしかないが、訊ねる迫水にも何を失うものがあるわけではない。「何年かけてやるつもりだ?」と訊くのは自分自身に皮肉混じりだが、
「命のある間に……」 「凄いな」
ここの応答の凄みは、カットされるのが惜しい……。男として見込む、ともに戦ってくれということだ。それでもアマルガンと迫水の間の隔ては埋まらず、何かでもいい、多少でもいいから、生き死にを賭けるに見返りを求めたい、とぶつけるまで。
このあとシャーン・ヤンがもっと物分りの悪い殺伐な悪態をくれて、ゲリィがやはり見透かしたような微笑をくれる、女達の諸相があって続く。
「13 集結」(旧) 「8 集結」(新)つづき
章の始めから、浸水した船底から荒くれ男達がバケツリレーで延々と排水作業を続ける。無為にも思える不毛なこの作業のエピソードは結構面白く、完全版で短く省略されるのは仕方ないとしても惜しい文章。
アマルガンとの腹を割ってサシの対談に入ると、世界や文化についてアマルガンもインテリジェンスを隠さなくなってくる。迫水の提供するのは中世の「魔女狩り」諸々のエピソードについて、
「ガロウ・ランだ。サコミズ……。ガロウ・ランそのものだ」 「弁解させて貰うならば、耳学問なんだ。すべてが本当のことではないかも知れん」 「そういう言い方をするサコミズも、俺はガロウ・ランの手の者と感じてしまうぞ」
そういう言い方……といえば、蓋然的な言い方に終始する原作者などのことをわたしは今思い出す。『これは矢立肇が言っていることなので信憑性にはひとつ疑問符を付けて聴くべきなのだがな』と言い含めて、重い話を始める等。
ここには昨日わたしは別の方向から連想があった。
旧版では工具の説明から迫水がし、ドライバー、ねじ回しの説明にも若干苦心するが、完全版では、鍛冶のカサハランが最初から部屋におり、ガダバから押収した工具箱も手元にあるので、製品の外見を観察しながらまず工具の製造を説くところから始めなければならない難儀は省かれる。
先の戦闘で敵船を奪ったんだから、銃器だけでなく工具くらい敵船にあったのは、それはそうだ。もっと思えば、敵船の士官を尋問していれば今している無用な憶測は省けるので、あえて峰打ちをしたものを無造作に皆殺しを命じたアマルガンも、武者としての風習はともかく、この結果だけをいえば迫水の態度はそんなに間違ってもいなかったのではないかとも。
「12 荒れる海」(旧) 「8 集結」(新)前半
何もかも見慣れぬ異世界で古流の撃剣の研鑽に没頭しかけていたところ、突如として見慣れた近代兵器が飛び込んできて、それも生死の境目を乗り越えると、翌日には即物的な必要から拳銃も機関砲もアマルガンらの関心の的になっている。
その国や、その世界の技術力を語るにあたって、製品を製造するにはまず工具から必要なのだ、という目線を導入するのは富野作品の「ハードさ」として後まで続いている。「リアルさ」……というと、現代も多々ある異世界ものでも、軍事行動は必要の連続で、工作設備も資材も要るし、運搬も考える。それに当たる人員については配置と管理、教育、通信や命令伝達の必要があって……と続いて、「それは産業である」と看破するまでは、創作中の「リアル要素」として、深く考えないでも踏襲されているだろう。ハードとはかぎらない。
ガッザとアマルガンの会話中には、『そのような施設を建造して、戦争が終わった後はどうする?』とまで視点が延びている。そんな会話をしているのは単なる流れ者や海賊ではないらしいのは見えている。
日本史に戻って、たとえば種子島に火縄銃が伝来して全国に普及する速さには、日本刀の鍛造技術の基盤があり、その技術者集団や工作施設のもとが備わっていたような事情を、旧版ではその集団の「民度」ともいう。民度という言葉には、現在にネット住民の習慣にはきっと別のニュアンスがかかることもあると思うが、こういう場合には、あまりアレルギー的に拒まないで素直に読む。完全版にはない。
章おわり。旧版一巻読了。あとがきがある。
戦いが殺戮になり狂騒に入っていく中に、迫水の意識にゆらぎが交じる。そのさい、
〝このままだと、勢いだけで人を斬ってゆく。その時は、背後の敵に気づくことはあるまい……〟
これは、ここだけで済むことかもしれないが、最近、「機動と戦士」のような話の中でずっと追っていた文面に似ているから覚えておきたい。後ろの敵も見えているかな。
この章での戦後始末は、すでに何度も言及してきたバイストン・ウェル事情だけど今読み返すと、新旧に微妙な違いがあり、旧版では迫水やアマルガンがすでに声で喋っているように無頓着に書かれているが、完全版では、ここへきて互いの意思疎通は「テレパシーで意識に伝わってくる」という事情が、切実に戻ってくるようだ。
衝角攻撃。ラム。海賊ロマンの必須、必殺技みたいなものだが、ゼラーナの衝角について、
較べて読むと旧版の方はちょっと意味がわかりにくかったのか、材質自体が変更されてしまった。 衝角に続き移乗攻撃のセオリー。前後の文章は新旧間で複雑にミックスされるうち、
イナゴのように飛び跳ねた船員達が四半世紀後にはイナゴになってしまう!
「10 機銃」「11 ガダバの軍艦」(旧) 「7 ガダバの機関砲」(新)
海賊行の戦利品の山分けをしている仲間のうち、ここで主にしゃべるムスターマ(旧)は前章で「メラッサ・ムスターマ」とフルネームが一応紹介されていた。すでに忘れていたが、完全版ではメラッサと書かれている。同一人物。
海賊が略奪をすれば起こるべきことが起こる。二日に分けてゲリィと男女論のディスカッションをする間に、ゲリィと打ち解け、迫水の理想的でどっちかというと奥手な女性観をやり込める間にゲリィが溌溂としてくる。
続けて海賊行、海戦の描写はむしろ完全版のほうが用語が細かいほどだが、経過は同様。旧版では章が替わるところ。今夜はこのまま読み終える。
1 / 2 / 3
説経節のような話を読むときに、障害のある人が「聖なるもの」のように民衆に担がれて運ばれていく話はあるとして、盲なることが「世の中の罪障や闇を代わりに引き受けてくれるから」というストーリーが語られる――とはかぎらず、たとえば「聖者の生まれ変わりの特徴がそれだから」とか、尊い理由にはまた何か別のストーリーかもしれないがその型がある、というとき。
「おりん」をカテジナと結びつけて考えたようなことは、今までもべつにない。これは偶然、同じような話題に読み合わせたので連想したこと。
説話語りの語り手(瞽女=ストーリーテラー)を主人公とする物語を、小説という体の説話語りを多く踏襲した語りをして、最後には説話そのものにしてしまう。『人々はその哀しい物語を聴いて涙ぐむのである』の、『涙ぐむ』までがフィクションであるという。大方の読者はその態度に不審感などは抱かないで「哀しい話」と現代にも読んでいるはず。涙を疑え、ではなく、そこには作者にも「文芸のスタイルへの関心」があることは見せている、とまでは意識して読まれたい、という話をした。
章おわり。この通読はあえて「1日1章」と決めなくていいはずだけど、時間的にはこうなるのでもあるね。これだとまだ何か月もかかってしまうが、時間がかかっていけないことは別にないしな……。富野話題にかかりきりだと、Xの雑想とposfieのまとめのような記事を別にどんどん増やしていくようでもある。
これは面白い……。マニア的な興味にすぎるかもしれないけど、これは興味のある読者に読んでみてほしいな。それか、数十年後に「富野由悠季全集」のようになったときに、註釈をつけてこまごまと解説を付す。その頃には古典として翻訳の関心にもなるだろうか。もっとも、わたしの生存中ではもうなさそうだ。
「海賊をやるのか?」 「あの船はやる。手ごろな敵だ」 「商船ではないのか?」 「そうだ。軍艦をやるだけの力は、ゼラーナにはないな」
このやり取りに旧版ではとくに解説はない。見えているのは商船らしいが、商船を襲うことに迫水に躊躇いがあるかのようか。「商船みたいだがやっていいのか?」
完全版では、「ガダバの船らしい」という迫水には意味不明の言葉が先に聴こえてきて、上のやり取りには……アマルガンの発言はちょっと矛盾するようだが意味を考えている暇はない、という書かれ方になる。迫水の台詞は、「あれはもしかして軍艦か?」という意味に近くなる。まるで作者自身が自分の文章を読み返して戸惑い、台詞の解釈を変えたみたいだ。
海洋小説にはこの、マストの見張り台に登るくだりが必ずあるのだが、毎回毎回みているくせにわたしは一向に帆船の仕組みも、各部の名前も憶えようとせん。帆船の本はそのへんにあるはず、海賊史とか。
仲裁に入る船長のグロンが迫水の喧嘩のしように「狂暴なもの」を注意する。これの新旧は一見してほぼ同文に見えるが、上の、章冒頭の「死に損ない」のくだりがあるとないとでは読者の受け取るニュアンスが違うようだ。
旧版を読むかぎりでは迫水の狂暴さは、ギルト感情の反映だと読むだろう。完全版ではそれがない代わり、迫水の元の性癖と説明して、一生自制しろと言われる。その癇癖を性格にしてはいけない、とも。
この違いはごく微妙でわかりにくいが、「性癖」とか「性格にする」とかいう表現は富野作品の後期作に現れる、規範などの関心に近いもので、多分大事なところだと思うな。
というより、富野作品以前にわたしのもと興味分野だ。
「グへへへ……、大丈夫ですかな? 地上人さんよ」
新旧とも珍しく全文一致のマブ。
「9 海賊」(旧) 「6 海賊」(新) 同じ場面で始まるが、新旧で内容はがらっと変わる。荒くれ船員のマブに絡まれるまでの船上。
旧版には迫水の心裡に徐々に浮上する空疎さが書き込まれる。「死に損ない」と初めて意識するが、今生きて、生き延びようとする自分を「浅ましい」と感じながら、それがなぜか自分の心を掴みきれない。
完全版には、出帆までの段取りと、船上生活ですること、この世界の火薬(ガダ)と火器事情がたっぷり補充。
帆船ゼラーナの材質について、
書き分けの意図は不明。強獣という概念はまだ登場しない。
経過 1 / 2
131まで。
空調機に隠れ住む巨大モビルスーツ
サイド六の学校に通う中学生の一行がスペース・コロニーの気象制御機器の見学に出かけた。円筒コロニーの大気循環を補っている送風機の偉容を点検通路から見上げる見学者のうち、一人の少女が奇妙なものに気づいた。
手すりの向こうに見ているものは、数百メートル離れた空隙の彼方にあって回転を続ける巨大な送気ファンとその補助機器群である。その一つが、少女の目にはどうやら、膝を抱えてうずくまる大きな人型に見えてきたようだった。空想的で、他愛のないことながら、彼女はその印象を手早くスケッチに留め、帰宅して後も、紙片を取り出してとりとめない想像を重ねていた。
その夜の夢に、空調機から少女へのメッセージが届いた。それによると、機械はかつて宇宙戦争の頃にスペース・コロニーに運び込まれた秘密兵器の一種であり、現在は空調機に偽装しているものの、本来の姿を表せば全長一〇〇メートルに及ぶ巨大なモビルスーツになる。作戦は決行されぬままに現在も空調機として過ごしている彼は、年月を経て初めて彼の存在に気づいた彼女に、サイコミュ的な感応を通じてこうして呼びかけているのである。
夢を通じて、空調機と少女との不思議な感応対話は数年間続いた。高校を卒業するまえに、少女は空調機の気持ちを励まし、空調機として今まで出来なかったこと、してみたいことをしてみるよう勧めてみた。
夢の便りはそれからやや間があって、最後に届いたメッセージは、コロニーを離脱した空調機は尚、健在にして、現在は太陽系を後に別の恒星を目指す旅路への加速中とのことである。夢の交流で得た精神波の記憶と生体パターンを次の星へと携えていくのだという。
次の夜にはもうアオマツムシが切れ目なしに鳴き続けているから、カネタタキだけをじっと聴いていた夜は実質、年に二晩。
ガンダムに身を変えるリガ・ミリティア
衛星軌道から降りてきたばかりの若いベスパ隊員が仲間とともにハンティングに励んでいた。その日は一六〇〇キロを飛んでヨーロッパの街々を焼き、機銃攻撃で地球人をハントした数を仲間と競っていた。狩りのさなか、大きな白いモビルスーツを追った若者はいつしか仲間のベスパ達とはぐれ、北ヨーロッパの原野深くに入り込んでいった。
白いモビルスーツは金色の角を振り立て、追う若者の視界の先を、遠く近く、切れぎれの雲間に見え隠れしながら飛んだ。何度かの銃撃を浴びせたものの、モビルスーツは深傷を負った脚を引きずりながら、山脈を越えてどこまでも逃げていくのだった。やがて日が暮れていき、不毛な追撃にも疲れた若者がふと辺りを見回せば、見も知らぬ惑星の沼地で一人、孤立している自分に気づいた。
宇宙の民にとって荒廃した地球上の地理の知識は皆無に等しい。若者のモビルスーツの燃料は残り少なく、迫ってくる夜を過ごす場所も知らなかった。地球人の一挙撲滅を掲げているベスパは、ハンティングの際も老人にも子供にも容赦がないので他のマンハンター達から嫌われていた。近在のマハに連絡もつかず困窮しているところ、前方の岸辺に、灯火の光が見える。中世の砦跡らしき石積の城のようで、近づくにつれ、人々の宴支度の物音が聞こえてきた。
巨木そのものに見える門柱にモビルスーツを繋ぎ、若者は砦の入口に立って案内と一夜の宿を乞うた。迎え入れた砦の人々は前世紀の地球民族に似た古めかしい衣裳をまとい、長い髪を束ねて髭を伸ばした、見たかんじケルト人に似ていた。宴の席では豊富な肉の量と酒の量に驚かされた。歓待づくしの後、しばらくあって姿を見せた砦の主は白皙の壮漢で、金色の眉と頬髭には風格があった。
主の語りだす昔語りによれば、リガ・ミリティアは代々地球上に住み、この北ヨーロッパの地で抵抗運動をしてきた。近頃になってベスパがやって来ると、仲間達は次々に狩られて数を減らし、今ではこの古城の一族だけが生き残り、抵抗運動を続けているという。主が席を立つとき、若者は、彼が片脚を引きずって歩き、白いモビルスーツと同じ処に傷を負っていることに気づいた。
翌朝には若者は砦を発って、モビルスーツのヘリコプタ能力でなんとか飛行を保って帰路を辿った。別れ際に短い挨拶だけを交わした、砦に住む美しいリガ・ミリティアの娘の面影が目裏に残っていた。基地に帰ると、仲間のベスパ達は彼の報告を信じず、地球上のリガ・ミリティアはずっと昔に滅んでしまったと笑うばかりだった。ハンターによる上空からの探索が何度か行われたが、砦の場所はその後も結局見つからなかった。ベスパ隊員の若者はやがてハンティングにも飽き、仲間と別れて一人宇宙へ帰っていった。(宇宙世紀二〇〇年頃、地球)
「第2巻 豊饒と再生」終わり。続けて3へ。ちょっと飛び飛びになりがちだが落としてはない。
この章の終わりでもくり返し力説されていることだが『木や植物は、木や植物そのままでは、けっして聖とはならない』――のような言い方のことは、一度は飲み込めても、しばらくその態度というか理解の仕方から離れていると、長く保持していることができないのか、忘れるのだ。忘れるなら読み返せばいいようなことだが、この忘れるということをよく知っていないし、それで争うということもあるみたいだな。
経過 1 / 2 / 3 / 4 / 5
『単発で、とくに理由のない行動(現象)には、次にくり返しを待つまでもなくその意味を読むすべがある』、という連想
鳴き音の止む間は推敲している/たがいの様子を窺っている。ちなみに両方、オスである。
これは、去年のアオマツムシ歌、再掲。9月にもなるとこんなダレた感慨になる。
経過 1 / 2 / 3 / 4
「待つ」が被っていたか。自然に気づかなかったけど、「待ち遠しい」という含みのくり返しかもしれない。べつにアオマツムシのシーズンを待ちわびているわけではない。今夜これだけにしよう。
ひらがなで「こたえ」でもいいけど……。待つは二回くり返す。わたしが、耳を傾けて待っているのと、虫どうしが応答を待ち合っているのニ回。
13/8章おわり。今夜ここまで。
バイストン・ウェルの星の光に似た燐光、リンについて、前巻で軽く触れられた。その後、完全版7章の冒頭に「深海魚の鱗」の言い伝えについてはあったが、迫水には理解できない。
この章のうち、鱗の字を書いて旧版では「星のように見える鱗 」、完全版では「鱗 」とルビが振ってある。
完全版では、ひらがなで「まさに、」と、均されている。旧版だけを読んでいれば、この訓みにはまた異訓があったんじゃないかと思う。
喰い込んだ弾丸の摘出と手当ては完全版では省略。そのいきさつはしばらく後の文に補充、ゲリィが手当てしたことになっている。
オーラバトラー戦記のときと、ガーゼィの翼のときにもその話をしていて、この大人数の仲間達の出入りを追跡していてもわたしはそれなりに面白いんだけど……。
Wikipediaの記事などでは主要人物以外は微細にわたって扱わないほうがいいのが、今わたしの考えでもある。それは無用にゴミゴミしすぎる記事編纂の問題。小説作品の子記事の一覧ではやるのはよした方がよく、やるんだったら専門で立てる。だけど、それでなくても混雑している界隈(サンライズとかガンダム等の)、屋上屋を架しておいて一人で管理するのいやだ。Zawazawaで地下にいるのは何らかのつもりはあるけどね。
合流する五人の船長たち。ケラックス(ケラック)のシリスに続き、
実際のところ、わたしも迫水の仲間達の名前についてはこのあと登場のクロス・レットくらいしか覚えていないが、必要そうなら手元には控えていくかもしれない。
続けて、アマルガンとの対話ふたたび。これもかなり長いが完全版では省略。前章の対談と気分的に似ているからかもしれないが、前巻9/6章のときに触れた「死に損ない」意識にかかわるからとも思える。完全版では、早くから虚無感描写を強めていくのを抑えようとしているのかもしれない。
ガダバの国崩しをする決意をアマルガンに吐き出させる。アマルガンの手勢なるものはガダバに対して微々たるものでしかないが、訊ねる迫水にも何を失うものがあるわけではない。「何年かけてやるつもりだ?」と訊くのは自分自身に皮肉混じりだが、
ここの応答の凄みは、カットされるのが惜しい……。男として見込む、ともに戦ってくれということだ。それでもアマルガンと迫水の間の隔ては埋まらず、何かでもいい、多少でもいいから、生き死にを賭けるに見返りを求めたい、とぶつけるまで。
このあとシャーン・ヤンがもっと物分りの悪い殺伐な悪態をくれて、ゲリィがやはり見透かしたような微笑をくれる、女達の諸相があって続く。
「13 集結」(旧)
「8 集結」(新)つづき
章の始めから、浸水した船底から荒くれ男達がバケツリレーで延々と排水作業を続ける。無為にも思える不毛なこの作業のエピソードは結構面白く、完全版で短く省略されるのは仕方ないとしても惜しい文章。
アマルガンとの腹を割ってサシの対談に入ると、世界や文化についてアマルガンもインテリジェンスを隠さなくなってくる。迫水の提供するのは中世の「魔女狩り」諸々のエピソードについて、
そういう言い方……といえば、蓋然的な言い方に終始する原作者などのことをわたしは今思い出す。『これは矢立肇が言っていることなので信憑性にはひとつ疑問符を付けて聴くべきなのだがな』と言い含めて、重い話を始める等。
ここには昨日わたしは別の方向から連想があった。
旧版では工具の説明から迫水がし、ドライバー、ねじ回しの説明にも若干苦心するが、完全版では、鍛冶のカサハランが最初から部屋におり、ガダバから押収した工具箱も手元にあるので、製品の外見を観察しながらまず工具の製造を説くところから始めなければならない難儀は省かれる。
先の戦闘で敵船を奪ったんだから、銃器だけでなく工具くらい敵船にあったのは、それはそうだ。もっと思えば、敵船の士官を尋問していれば今している無用な憶測は省けるので、あえて峰打ちをしたものを無造作に皆殺しを命じたアマルガンも、武者としての風習はともかく、この結果だけをいえば迫水の態度はそんなに間違ってもいなかったのではないかとも。
「12 荒れる海」(旧)
「8 集結」(新)前半
何もかも見慣れぬ異世界で古流の撃剣の研鑽に没頭しかけていたところ、突如として見慣れた近代兵器が飛び込んできて、それも生死の境目を乗り越えると、翌日には即物的な必要から拳銃も機関砲もアマルガンらの関心の的になっている。
その国や、その世界の技術力を語るにあたって、製品を製造するにはまず工具から必要なのだ、という目線を導入するのは富野作品の「ハードさ」として後まで続いている。「リアルさ」……というと、現代も多々ある異世界ものでも、軍事行動は必要の連続で、工作設備も資材も要るし、運搬も考える。それに当たる人員については配置と管理、教育、通信や命令伝達の必要があって……と続いて、「それは産業である」と看破するまでは、創作中の「リアル要素」として、深く考えないでも踏襲されているだろう。ハードとはかぎらない。
ガッザとアマルガンの会話中には、『そのような施設を建造して、戦争が終わった後はどうする?』とまで視点が延びている。そんな会話をしているのは単なる流れ者や海賊ではないらしいのは見えている。
日本史に戻って、たとえば種子島に火縄銃が伝来して全国に普及する速さには、日本刀の鍛造技術の基盤があり、その技術者集団や工作施設のもとが備わっていたような事情を、旧版ではその集団の「民度」ともいう。民度という言葉には、現在にネット住民の習慣にはきっと別のニュアンスがかかることもあると思うが、こういう場合には、あまりアレルギー的に拒まないで素直に読む。完全版にはない。
章おわり。旧版一巻読了。あとがきがある。
戦いが殺戮になり狂騒に入っていく中に、迫水の意識にゆらぎが交じる。そのさい、
これは、ここだけで済むことかもしれないが、最近、「機動と戦士」のような話の中でずっと追っていた文面に似ているから覚えておきたい。後ろの敵も見えているかな。
この章での戦後始末は、すでに何度も言及してきたバイストン・ウェル事情だけど今読み返すと、新旧に微妙な違いがあり、旧版では迫水やアマルガンがすでに声で喋っているように無頓着に書かれているが、完全版では、ここへきて互いの意思疎通は「テレパシーで意識に伝わってくる」という事情が、切実に戻ってくるようだ。
衝角攻撃。ラム。海賊ロマンの必須、必殺技みたいなものだが、ゼラーナの衝角について、
較べて読むと旧版の方はちょっと意味がわかりにくかったのか、材質自体が変更されてしまった。
衝角に続き移乗攻撃のセオリー。前後の文章は新旧間で複雑にミックスされるうち、
イナゴのように飛び跳ねた船員達が四半世紀後にはイナゴになってしまう!
「10 機銃」「11 ガダバの軍艦」(旧)
「7 ガダバの機関砲」(新)
海賊行の戦利品の山分けをしている仲間のうち、ここで主にしゃべるムスターマ(旧)は前章で「メラッサ・ムスターマ」とフルネームが一応紹介されていた。すでに忘れていたが、完全版ではメラッサと書かれている。同一人物。
海賊が略奪をすれば起こるべきことが起こる。二日に分けてゲリィと男女論のディスカッションをする間に、ゲリィと打ち解け、迫水の理想的でどっちかというと奥手な女性観をやり込める間にゲリィが溌溂としてくる。
続けて海賊行、海戦の描写はむしろ完全版のほうが用語が細かいほどだが、経過は同様。旧版では章が替わるところ。今夜はこのまま読み終える。
世の中の罪業を一身に引き受けて闇を歩くこと
1 / 2 / 3
説経節のような話を読むときに、障害のある人が「聖なるもの」のように民衆に担がれて運ばれていく話はあるとして、盲なることが「世の中の罪障や闇を代わりに引き受けてくれるから」というストーリーが語られる――とはかぎらず、たとえば「聖者の生まれ変わりの特徴がそれだから」とか、尊い理由にはまた何か別のストーリーかもしれないがその型がある、というとき。
「おりん」をカテジナと結びつけて考えたようなことは、今までもべつにない。これは偶然、同じような話題に読み合わせたので連想したこと。
説話語りの語り手(瞽女=ストーリーテラー)を主人公とする物語を、小説という体の説話語りを多く踏襲した語りをして、最後には説話そのものにしてしまう。『人々はその哀しい物語を聴いて涙ぐむのである』の、『涙ぐむ』までがフィクションであるという。大方の読者はその態度に不審感などは抱かないで「哀しい話」と現代にも読んでいるはず。涙を疑え、ではなく、そこには作者にも「文芸のスタイルへの関心」があることは見せている、とまでは意識して読まれたい、という話をした。
章おわり。この通読はあえて「1日1章」と決めなくていいはずだけど、時間的にはこうなるのでもあるね。これだとまだ何か月もかかってしまうが、時間がかかっていけないことは別にないしな……。富野話題にかかりきりだと、Xの雑想とposfieのまとめのような記事を別にどんどん増やしていくようでもある。
これは面白い……。マニア的な興味にすぎるかもしれないけど、これは興味のある読者に読んでみてほしいな。それか、数十年後に「富野由悠季全集」のようになったときに、註釈をつけてこまごまと解説を付す。その頃には古典として翻訳の関心にもなるだろうか。もっとも、わたしの生存中ではもうなさそうだ。
このやり取りに旧版ではとくに解説はない。見えているのは商船らしいが、商船を襲うことに迫水に躊躇いがあるかのようか。「商船みたいだがやっていいのか?」
完全版では、「ガダバの船らしい」という迫水には意味不明の言葉が先に聴こえてきて、上のやり取りには……アマルガンの発言はちょっと矛盾するようだが意味を考えている暇はない、という書かれ方になる。迫水の台詞は、「あれはもしかして軍艦か?」という意味に近くなる。まるで作者自身が自分の文章を読み返して戸惑い、台詞の解釈を変えたみたいだ。
海洋小説にはこの、マストの見張り台に登るくだりが必ずあるのだが、毎回毎回みているくせにわたしは一向に帆船の仕組みも、各部の名前も憶えようとせん。帆船の本はそのへんにあるはず、海賊史とか。
仲裁に入る船長のグロンが迫水の喧嘩のしように「狂暴なもの」を注意する。これの新旧は一見してほぼ同文に見えるが、上の、章冒頭の「死に損ない」のくだりがあるとないとでは読者の受け取るニュアンスが違うようだ。
旧版を読むかぎりでは迫水の狂暴さは、ギルト感情の反映だと読むだろう。完全版ではそれがない代わり、迫水の元の性癖と説明して、一生自制しろと言われる。その癇癖を性格にしてはいけない、とも。
この違いはごく微妙でわかりにくいが、「性癖」とか「性格にする」とかいう表現は富野作品の後期作に現れる、規範などの関心に近いもので、多分大事なところだと思うな。
というより、富野作品以前にわたしのもと興味分野だ。
新旧とも珍しく全文一致のマブ。
死に損ない
「9 海賊」(旧)
「6 海賊」(新)
同じ場面で始まるが、新旧で内容はがらっと変わる。荒くれ船員のマブに絡まれるまでの船上。
旧版には迫水の心裡に徐々に浮上する空疎さが書き込まれる。「死に損ない」と初めて意識するが、今生きて、生き延びようとする自分を「浅ましい」と感じながら、それがなぜか自分の心を掴みきれない。
完全版には、出帆までの段取りと、船上生活ですること、この世界の火薬(ガダ)と火器事情がたっぷり補充。
帆船ゼラーナの材質について、
書き分けの意図は不明。強獣という概念はまだ登場しない。
「ゆけば」かな。保管庫は「ゆけば」にしておこう。
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