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human man 1 ヶ月前
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Electric Forest 1 ヶ月前
このあと、「The Silver Metal Lover」(銀色の恋人)には完璧な美青年のシルヴァーに対して「人間の男」を較べる言い方がある。human man の対極にあるのは、ルシファー。
ポルノを読む億劫さ 1 / 2
野阿梓通読から、連想。魔少年を人間扱いするジョージクと、女神として人間の男ごときを蹴倒すタニスヒロインのこと
「クィア」を名乗るのはそんなに格好いいことか。鼻持ちならないことには何にだって反感をもつ。「You are not alone」と歌っているコミュニティになどわたしは絶対にその輪に入れそうにない。……
それはこのまえの現代の音楽、向井航「クィーン」のときに考えていた。群れるのが悪いとは言ってない。
野阿梓作品のゲイはマイノリティの意味では全然ない、あらかじめ。耽美小説のゲイは、純粋に男の子と男の子が美しいし気持ちいいからだ。でもサイキック戦には弱みがあるように思う。
人間性については、『バベル』の譲次は、雅日子を人間と認めることで魔少年の魔性を破ったが、上に言ってるようにわたしは譲次の態度はいけ好かない。それは、今度は「語り」の問題。その点ではタニスはリフレーミングの名手だった。
この言葉を、深夜に目が覚めて思い出していた。
催眠術の支配力に柔道の物理で勝ったというのでは、それほど面白くはない。それは、雅君への愛で精神支配を破ったわけでもなかったはず。
精神支配力(カリスマ)の話は、野阿作品でも共通してあるはず。わたしは、ストリンドベリのヴァンピールなどに遡って辿っていたが、父権的や男性的支配という言い方にすれば、男の言いなりになって抵抗もできない女性…というフェミニズム小説のシチュエーションが思い浮かぶ。それをぶっ壊すことをモチベにしている点では、ゲイのサイキックは弱いのか。「LGBTだから」というのでも、それほど強みなのかはどうなのか。
旧支配者の末裔を名乗るヴァズカーは、ただし純血ではなく、正体は野蛮時代の人類の魔術師の一人にすぎない。「おまえはただの人間よ」――と暴いてみせると同時に、フェミニズムのヒロインとして「あんたなんかただの男よ」には強烈なアピールがある。
human manという表現はリー作品で年数を空けて再登場することがあるのでメモ。
やっぱり、まず全作品をコレクションしておいて、つぎには、どこから読み返してもいいように野阿梓Wikiがほしい、と思うがわたしがつくるようなものではなさそうだしなあ。初読で。
十周とはいわないけど、五周くらいしたら自分の手のひらを指すように該当箇所を指示できるかもしれない。そこまでファンにはならないのではないかと思う。
『黄昏郷』
「眼狩都市」だけでも先日、読み返していなければユマジュニートから名前を思い出さなかったと思う。
神林周回を中断してすっかり忘れているけど、『天国にそっくりな星』(1993)がこれと年が近いな。似てる作品なら、もっと別の作家を挙げるべきだろうが、わたしの手もとの。
次、『黄昏郷』。あまり読み進めが早くないのでのんびりしていたら手許に準備した本が尽きてしまった。野阿作品の入手は現在、容易いので、追っていく。
後藤健『メソポタミアとインダスのあいだ』(2015)を読む。読み始めてすぐさまわたしの今のキャパシティを超えるが、わからないのは地名であり、どこどこ遺跡の第何期というジャンルの用語であって、文章は理路整然として読みやすい(意味はわからないが、読みやすい、という)ので、今は一回通し読んでおいて、これから地図や図版を自前で足していって概観を補っていくようにしよう。
こんなのは初学のための教科書とは違うが、今はコンピュータも使っているしそういう順序でもわたしの勉強にさせてもらう。これに専念している余裕はないけど、この間からわたしの知りたかったのはこの話だったとは思う。
短い「イシュタル讃歌」のあと、長い「エラの神話」。全然文意が読み取れず何もわからない。
「智慧文学」は今回省く。わたしはその類を読んでいるとうんざりする。この本のアッカドの部は今ここまで。やっと宗教学の方に戻るが、そのまえに、ディルムンのことなどで別の本を読むかもしれない。先は長いので、横道は先にしたほうがいいな。
ポルノを読む億劫さ 1 / 2
Book One: Iscah
じつに45ページが読み進まないほど、気持ちが上がらないぶん本文の外のことをあれこれと長く考えるのだが、1988年までのリーの作品の中でもこの章のような話の型は、もう何十回かくり返したのではないだろうか……。属性に分解したら目新しい要素はない気がする。それで、この話は以前にあったろうか。
ラルドナーなり、ヴァズカーなりのエピソードは、息子目線だった。今ばくぜんとそれくらい。
引喩については、現在読んでいるわたしの感想としては『Wiki立てたい』と思うものだが、1980年代、90年頃にその欲求についてはこの本の解説に書いてある。それ自体をまた紙の冊子で頒布しても埒が明かないだろうと思うが……わたし等が今頃することではなさそう、またその任務でもない。
そもそもわたしは今その関心ではないはずだ。コンピュータゲームなんかから得るものがなくて久しいので作業として手頃なテーマがほしいだけだった。
『五月ゲーム』読了。次は『月光のイドラ』かな。
生まれ変わりと言い切る
「アマンディーヌとオクタビアンを混同(習合)する」テーマのことは今、忘れていた。その気分ならわかる。
ファウストが見慣れないエーリを見ながら、「エリスの魂はおまえに転生してたんだっけな…」と無理に自分を納得させるような気持ち。魂の定義がなんであれ、そんなのは別人と思ってよくないか。
――これは「同一人物ではないか」「関係がある」と誰でも当り前に(順接的)想像される。
それか、同時に同じ場所に居合わせて会話している。互いに敵対してさえいる
――にもかかわらず、「両者は同じ人」と断言するのが習合という現象の面白いところで、その筋道も語られていい。
なんで野阿作品では「りんかく」はいつもひらがなで書かれるんだろう。りん、や、かく、がそのものの縁取りのような響きのイメージがあるんだろうか。
間蘇伝説と天馬ひとみ伝説
昔、塔低層のとある街にヤムヤムが棲んでいた。街の子供は皆、大人達に隠れてヤムヤムにゴミを運んでいた。低層の都市では地域紛争がたびたび流行り、彼らの住む街の通りにもしばしばロケット弾の降る騒然とした時代だったが、建物の瓦礫を片付ける人手はいつも足らず、廃墟となり放置される区画があちこちに増えていた。
リュックを負った子供達の群れは無人の廃ビルや倒壊した高架道路の間を縫って歩き、かつての街の痕跡に残る廃物を資源として拾い集めた。建物に用いられた建材であれ、住居に遺された家電や日用雑貨であれ、価値のありそうなもの、なさそうなものも何でも拾い、引き剥がし持ち去っていく。リュックいっぱいの廃品をその日の収穫とし、そんな探検行を何日、何度と行き来しても、ストリートのゴミは一向に尽きなかった。新たに街にロケット弾が降るたびに破壊されるストリートは常に増え続け、減ることはなかった。
処理場に棲み着いているクリーナー・ヤムヤムに食わせてはならないものは規則で決まっているが、廃墟を行き交う子供達は規則に頓着しなかった。安全な地上に近い層では子供達は互いの結束を守り、そのつど大人の目を盗んでヤムヤムに禁止さられた餌を食わせ続けた。正規のゴミとして与えてはならない、不正なゴミをヤムヤムに与えるとどうなるかは、だから子供達は皆よく知っていた。たとえば、ヤムヤムにまだ中身が残っているコーヒーのペットボトルを与えてはならない。大変なことになる。
そんなアウトローの子供達に悪事を教え込んでいたのがタンホイザーとアレクだといわれている。ヤムヤムの体内の分子変成炉は与えられた廃物を消化し、再構成して吐き出すリサイクル機関として利用されていたが、これには、アルミの空き缶をスチールの鋳塊に変成するようなアバウトなところがあり、その錬金術の法理を知り尽くしている者は誰もいない。この日も子供達が街から運んできたありふれた銅鉱やジルコニウム、日本刀、古下着、文芸書のファイルを、ヤムヤムは与えられるままにもくもくと食った。お父さんの形見や、さよならの宣告、天下無き視点、闇からの声も、ヤムヤムには食えないゴミではないようだった。ヤムヤムは、どんなに不純や不正なゴミのことも「まずい」と言いながら食うことは食ったので、実験に熱心な子供達もヤムヤムに対して「むごい」とは思わなかった。
とある女性の眼帯とおぼしきそれは、発見した子供がどのようないきさつで手にしたかはわからない。与えられたゴミを咀嚼したヤムヤムはひとしきり――通常より心持ち長く――ぷるぷるした後、ムムムッと唸ってそれを吐出した。見慣れない生成パターンを見守る子供らの目の前で、それはうごめき、しだいに生きものの姿態として見分けがつくまでに形を成していった。きらめく繊維に埋もれてみえるのは裸の人形のよう。丸びた、幼い顔はやがて金髪の女の子とわかる。息づいて、薄っすらと目を開いて辺りをみとめ、ニコッと笑顔を見せるともう無類に可愛かった。――間蘇だ! 誰かのささやき、そして、讃嘆のためいき。
間蘇の出生には諸説ある。スターダンスの母であったアマンディーヌが死した後、次なる転生の姿が間蘇とされるが、間蘇と呼ばれる少女がどのように発見され、南極老人星に保護されるに至ったかについて定説となる伝承はない。ヤムヤムから生まれたとするのは異説中の異説である。あいまいな人格にかかわらず、間蘇は宇宙の民衆に古来ふしぎな人気があり、商業や宇宙航路の守り神とされた。猫の喫茶店の常連のアストロノーツには今でも間蘇のファンが多い。神話上の役割の重要さと大衆の人気は必ずしも比例しておらず、神話ではスターダンスを見送って幼女から老婆に変わったといわれる間蘇だが、廟に祀られているのは老婆になるまえの姿のままのこともある。
新ゴート機構による教義が広まり、間蘇の前世のアマンディーヌが復活された後も間蘇独自の人気は衰えておらず、民間信仰ではヘカテと同一視される魔術や冥界の神としての間蘇の権威は絶大だった。冥界王朝の都にあっても冥界の民は死神王家の信仰と無関係に間蘇廟を祀った。商売繁盛のご利益をたのんで商店に間蘇のカードが飾られているのはありふれたことだが、スペシャリスト・カードの間蘇の宇宙的価値はことに高く、マニアの間の交換レートはステファニアの五倍、ロマンシアの十五倍以上の相場を常に保った。こうした取引の界隈の過熱ぶりは常識では計りがたいものがあって、レアカードのためには彼氏を売ってもいいというのがこの道の星士だと思われていたし、天馬ひとみは実際に売ったと信じられていた。
経緯 1 / 2 / 3
『五月ゲーム』の前半、「五月ゲーム」まで。オランジュの出てくる前回の話をもうすっかり忘れていた。誰。後でいったん『花狩人』にもどり、「眼狩都市」だけ読み返しておく。
ここまで読んだ本を手許で探したところ、きょうちゃとう、とは読み仮名してある本はなかったようだ。なるほど。
『五月ゲーム』を開く。開いてすぐ、文中にルビが振ってある「狂茶党 」――だが、きょうさとうって読むんだったか。もしかして今まで一度も読み方を示されていなかったかな。
『ルート350』(2006)読了。
『ロックンロール七部作』(2005)読了。
夜道を歩きながらで、途中から気分が散漫になってしまった。このところ気持ちがなかなか音楽に集中しない。後者はCDから。
『ガラテア』より、土地屋で購入する特殊効果のひとつ。遭遇するたびに【科学】が上昇するが、ダメージを受ける。

街明かりをあとに
旅する僕らは
暗やみの道を
たどり続ける
過ぎてきた世界の
ざわめきは果て
行く先にサインは
現れて 消えて
上の空 うつろな
途切れて続く会話
遠い夜明けをまだ
知らずに彷徨う
引かれ合う光の
たえまない瞬き
そうだ、この歌のことをたぶんナイツ1の「挿入歌」と呼んでいて元は歌詞があったんじゃないかと。
近年のジスカルドさんを見ると、昔のこういうものに興味があると送っても本人は絶対そんなロマンチックな気にならないだろうし、そもそも憶えておられないと思う。だから、ユーザーにそんな興味があるくらいなら詩は自分で書いてみるとかね。これは当時、二十代前半くらいの人達だしな…。
「夜にしか見えないもの」お題か。王女の齢の女の子が考えそうな、だよね。
月のノードの双子の姉の話は、このあと読み進めていくとどうも辻褄が合っていない。ここで喋っているノード(ノース)は姉妹ともどもいじめられた、と言っているが、後ではその母が姉のサウスは生まれてすぐ死んだと語る。姉妹二人で過ごしたような時間はなかったはず。
シナリオの些細な粗なのか、少女ノースの思い出には架空の姉と暮らしたような不思議なところがあるのか……どっちにしても憶測でしかないので『ノースはそう言ってる』という意味でしか、記事には書かない。『ノースに姉はいなかった』と書くのは誰の気持ちにとっても嘘だ。
夜にしか見えないもの
その昔、ガラテア王女が買収した国々の一つに夜半 の国があった。この国では空から燃える隕石の雨が降り、普段から表を歩くだけで大変危険だった一方、隕石から得られる鉱物資源は科学と産業のめざましい発展をもたらした。その引き替えに国では大気汚染が進み、空はいつも厚い煤煙に覆われ、昼間でも夜中のように暗かった。
中学生のサウス・ノードは昔の王家の末裔であったが、今の時代にはすっかり零落した家庭で育った。下町のアパートに暮らすサウスは、病気がちな母を助けて生計を支えるためにアルバイトを掛け持ちし、毎日、学校が終わると道路工事現場やゴミ処理場に通っていた。その頃のヤハンの街では、フィルターの不十分な自動車の排ガスや廃棄物に混じる有毒物質のために子供達の健康な発育が損なわれ、毎年大勢の子供が喘息で死んでいたが、サウス・ノードは頑健な身体と心肺の持ちぬしで、汚染をものともせずに働いた。
夜には街中の仕事場を行き来し、いつも煤と埃で汚れ、防塵マスクとゴーグルを着けているサウスは、学校でも周囲から汚い、臭いと指さされて嫌われていた。でもそんなことは気にせず、サウスは中学とアルバイトを両立して健気にがんばっていた。そのころ、サウスの身近では不穏な噂が多く、身を寄せる拠り所のとぼしい子供を狙った事件が相次いでいた。夜、裏通りに子供の悲鳴が響くと、駆けつけた人々の目の前には恐ろしい血溜まりが広がっている。そして通りの上空を正体不明の円盤が飛び去っていくというのだった。
道路工事の仕事中、サウスはUFOによる誘拐を目撃した。夜遅く、やはりアルバイト帰りの少女達が路地の角から現れたコートの人物に襲われた。少女のうち二人は道に突き飛ばされ、一人の少女は腕を掴まれながら必死にもがき抵抗していた。少女とMr.UFOは頭上から降ってくる光の中を上昇していき、やがて上空の円盤に吸い込まれて飛び立った。道路作業員達とサウスはしばらく円盤の後を追いかけたが、円盤は宣星会幹部の屋敷の敷地に消え、そこまでで追跡は阻まれた。
宣星会はこの国で最近勢力を振るう団体で、貧民や旧王党派に排斥的な活動をしていた。議会の有力派閥である民衆派の議員や、民衆派と関係のある資本家とも結託していて、街の屈強の男達といえども宣星会が相手では手も足も出ない。同僚の作業員達も諦めて帰ってしまった後、サウス・ノードは一人でとぼとぼと家路を辿った。胸中には怒りが渦巻いていた。
病気の母が眠りに就いたのを確かめて、サウスはこっそりと身支度をした。暖炉のそばにお湯を張った盥を置き、サウスは体を洗った。何度もお湯を替えて煤を擦り落とすと、サウスの肌はしだいに見違えるように艶つやになった。処理場のクリーナー・ヤムヤムから得ておいた石鹸は良い香りがし、湯の温かさで体はうっすら火照っていた。汚れを洗い流した髪を丹念に梳いていくと、サファイア・ブルーの髪には星の輝きがきらめき、宿った。
宣星会の幹部達は深夜の会合の最中に襲撃を受けた。怒号と喧騒がひとしきり続き、武装した構成員の足音が通路を走り回った。緊迫した一座の肝を破るように、扉が打ち開かれ、幹部達の前に美しい娘が入ってきた。純白のドレスをまとい、輝く髪の娘はまるで王女のような威厳をそなえ、手には剣を下げ、瞳は怒りに燃えていた。幹部達の背後からMr.UFOが現れ、行く手を阻むと、二人は切り合い、瞬時に激しく戦った。三度剣を交えて、三合目に少女の剣はMr.UFOを討ち留め、彼を倒した。
サウス・ノードは道路工事現場で誘導灯を振る間も剣術の心得を忘れたことはなかった。誘拐された娘が救け出されていくのを見送った後、ようやくになって宣星会の組員達が闖入者を追って身元を捜し始めたが、国中を捜し求めても美しい少女は見つかりそうになかった。煤塵にまみれて働いているときの彼女は、「まるで王女のような」「星のように輝く」娘を探す彼らの目には決して留まることがないのだった。
「バビロニアの神義論」まで。この修辞的な特徴は解説にあるし、それが読みたいところではあるけどこのテキストからは音韻的なものを読み取るのは難しい。今は目を通すまでと、やはりこの時代にもこういう技巧はあるんだということ。ないのかと思っていた。
内容は現代の観点から素朴にみえ、ここから一転して倫理なり、形而上なりにどう展開するのか無意識に期待しているようなところで終わる。「あ、終わりなんだ?」という気持ちになりかけるけど、それならばそれで意味はあり、これより前には文字化されなかったものがあえて書かれるようになった頃がこの時代なのだという、年表と思想の関係のヒントに、わたしにはなる。