最新トピック
23
7 日前
五代ゆう ノート 7 日前
88
12 日前
タニス・リー 通読 12 日前
0
12 日前
Day by Night 12 日前
12
12 日前
Sabella 12 日前
10
14 日前
泣いたってなんにもならない 14 日前
69
29 日前
神林長平 周回 29 日前
7
1 ヶ月前
human man 1 ヶ月前
22
1 ヶ月前
Electric Forest 1 ヶ月前
『作為のまったくない』とか『少しもみだりがわしくはなく』と書かれるに対して反射的に激しい敵意を感じているのはたしか。オーラルセックスについては、そうでもない。
淫蕩な女王に仕える美しい処女達、として同じように『それは清らか』といっても不潔にならないとしたら。その際でも、わたしは「笑う」より「いけ好かん」という反感のわく癖がよくない。
話はそれまで、長剣を抜いて一切断ち切ってしまえというような、衝動的な攻撃欲をかき立てる。粛清しろ。『みだりがわしい』はその意味、潔癖。
文意に嘘があるが堂々とひけらかす、のような書き方のことをわたしは思っているけど、これはそのつもりがあってしているのか、正直よくわからない。ほんとうに清らかなのかもしれない。
読者のポルノ嗜好については、他人のことなどわたしはどうでもいいと思いたいが、一般に、読者が自分もゲイか無節操でなければ、一般的には女性読者が読むものなのかな。BLを好む女性読者が自分はレズというわけではないだろう。「美しいものが好き」って言うはず。
みだりがわしさ
『少しもみだりがわしくはなく』――いや、みだりがわしいと思う。
もう少し書き足すと、この短編には空が煤塵で覆われていて太陽がめったに見られない、過去の汚染の結果ではないかと読者には仄めかすような、世界観がある。主人公らには「知の禁忌」だけが見えているが、それはどういう経緯でなぜ禁止されているかという歴史認識がない。
それは、禁止している知的ギルドの長達もどうやら過去の記憶を失っていて、継承していない。「歴史学のなさ」の方を言える。科学アマチュアの冒険ロマンでいいのか、というと、1970年代くらいにはその話で読者はいいんだろ。
この訳文の中には黒魔術という一般語の連想的に、「黒数字」「黒技術」という造語が使われたりする。一回きりで、作品自体にはそこ重要じゃない。面白い響きだ。
「暗闇の箱」まで。日本語訳で読んでいても面白いけど、こうしたものこそ今は原文で読み返したくなる、かな。今夜ここまで。
「知の禁忌」よりは「知の管理」のほうを、わたしは興味としては思いたい。それはスコード教とか。
「マスターズ」を読む。古い。
ただ……この、『数学や天文学が禁止された世界、時代でアマチュア科学者が火あぶりになる話の型』のことを、今なんと呼ぶのか知らない。しょっちゅう読んではきたので、その型には名前があるはず。それで、これは1970年代頃だが、その頃の読者は、自分のことを「SF読者=孤高の科学探求者」自認のように胸を熱くはできたんだろうか等思う。よく時代感がわからない。
それとまたべつにル・グインの自作評価は前文に書いてある。
hiddraxは草食。
不自然さ・おかしさではなくて、まさにそういう表現――表現より、思想のことを、「やおい」という。いった、と思う。
『そんなわけないだろう』と思われながら、そういうものとして行われる。多少のリアリティは、マジカルなリアルでさえなくても、趣味嗜好を先に淫してよい。現代思想としてはメタフィクションよりはやおいの方が興味あるが、ことばとしては今はもう死語だし、その意味でなければBLの方が今は通る。
最初から全力でやおいに走っているのに『作為のまったくない』と言い切るのに変な面白さを感じてしまったが、そのくらいなら、しばらくまた野阿作品も脇において一、二か月くらい遠ざけておくべきかな。
それとまた、ここもそうだけど、わたしは美少年のことを語られるのに『少女のような』と表現されるのが、今になってもいまだにカチンとくる。これは伝統なので、とくにそこに引っかかる必要はないとわかっているけどね。
いや作為ありすぎだろう。作為的すぎる。
6まで。
『黄昏郷』(1994)読了。順序もどって、つぎ『緑色研究』へ。
『アウラ』は、――わたしは手元に残っているので、順序を先にしてそれを今聴こうと思ったが、ちょっとストップ。これは原作を先に読もう。
この二人称語りは原作だろうな。このドラマ自体は、わたしは以前に聴いたことはある。そのときは、話が面白いと思ったので文体は憶えていない。
『メタフィクション』は再読。巽孝之の著書は、追ってみるのは、無理だ。
古川作品の文章の感覚はわたしは、斬新でついていけないではなく、むしろ逆に、半端に古臭い、ノスタルジックの押し出しに辟易するような感じのほうだ。刺激でいえば神林長平を読んでいたほうが刺激的、少なくとも気持ちは生き返る気になる。
神林先生も『僕らは都市を愛していた』みたいなことを言われると、わたしはやはり辟易とはした。ここのノートは、現代日本文芸論よりも、わたしの反応分析票のほうが大事だ。
こことは関係なく巽孝之『メタフィクションの思想』『サイボーグ・フェミニズム』を今日、積本に積んでいた。それは1993年頃か。古典的なリアリズムにたいしてそのメタフィクションがという話だから、そこくらいからわたしは少し読み返した方が、この人らは何をしようとしているところなのかの関心をおさらいはできるだろう。
ここで今までに出てきたような古典的作家なら、ボルヘスとか。今回は八犬伝の話だったけど、それなら山田風太郎でも。
これが現代の文学かとわたしは思うかというと、リアルとか虚構とかいう言い方にも、生きるや暴力や愛にもすっかり白けた気分で読んでると言わざるをえないが、白々しい気持ちならなんで読んでるんだ? 頼まれてしているわけでもないのに。わたしの好き嫌いとはべつに、作家の年譜をつける作業をし通すと役に立つ。何年ときいて『あの人の、あの頃か』と思い出すよすがを作れる。それにしても、わたしのモチベが少し戻るまで漬けておくくらいでいいか。
『ハル、ハル、ハル』(2007)読了。次は『サマーバケーションEP』。手元にした順なので正確に出版順にはなっていなかった。それは今更か。間はまた空くかもしれない。
5まで。
NHKのドラマの音源(動画)は取り下げられてしまったみたいだが、基準よく分からないな。わたしはいまドラマを聴くのが壁で滞っていた。『アウラ』は気に入っていたので今度聴こう。
今そこは、グスコーブドリの本編が残ってるならいいようなもの。
4まで。チャリオットおわり。Rornの伝説のところからすると前作から百年は経っているということだったか。わたしが燻っていただけで、ストーリーはまだ始まったばかりだ。
『真珠たち』(1994)読了。序章では「ちょっと古い…」と感じた。それは今仕方ない。二話「黒真珠」で俄然好きになった。第三話、結末に至るまでに人物への感情移入が逆転して終わった。作家の当時作品への印象が、わたしはしばらくそれが続く。
ソードマスター伝
ソードマスターのラーラは目利きとして蒐集家界隈で有名だが、自ら剣を取っての腕前は、本人はそれほど強くないのではないかとの風評が立ったことがあった。そんな口さがなく噂するのもその頃巷にあふれる芥のごとき剣士くずれのいうことにすぎないが、そんな剣士の何人かが、あるとき実際にソードマスターのところに押しかけ、刀の鑑定に難癖つけるついでに彼女のキャリアについて嘲弄した。ソードマスターはいちいち議論もせず、浪人どもを道場に招いて四人まとめて叩きのめしてしまったというから、ソードマスターのラーラは剣術の実戦においてもスターダストに劣らない名人という評判になった。
もっとも、このラーラの武勇伝は、同名の星士のラーラ・スターダンスのそれと混同した話ともいわれ、それから年月が経つうち、本当のところは結局わからなくなった。
ソードマスターに性根を叩き直された四人は彼女に弟子入りを乞うて、また別の意味で迷惑をかけ続けた(弟子はとらない――とらないったら!)。この四剣士、侍センシ、侍ムサシ、侍ドクロ、侍マグマは、のちに侍プリッツと立ち合い斃された。
これは今とくに物語のような連想はしてない。
単純に、ソロがしゃかりきに弾いてオーケストラがドン!と鳴る、という「サウンド」で音楽に耽りたいものは、気持ちにはあるけど、あまりにクラシックすぎる(誰でも知っている)と好き嫌い以前に気持ちに障壁が立つ。どういう作家がいて作品があるのかは、詳しい誰かに教わればいいようなものだが、わたしは手探り。
ポセイドンの使い
地球塔が巨大なコロシアムになり、誰もが闘争を遊戯として熱中していた頃のこと、下層階の街に一人の若いミサイリストがいた。心の正しい若者で、ミサイル製造の才能に恵まれ、本当ならスペシャリストになることもできたであろうが、貧しさのためにゴート協会に納める上納金もまかなえず、世の中の有力な人々に縁故を求める伝手もなかった。
毎日の暮らしの糧を得るため、若者は傭われてマフィアの主催する地下のミサイル試合のための娯楽用ミサイルを作っていた。コロシアムで行われるビッグ・ゲームでは、戦士達は戦いを勝ち抜けば、やがてオクタビー伝説のようにあらゆる願いを叶えるとも歌われる。地下のミサイル試合はそうした夢やロマンとは無縁に、ただスリルと金を賭けての賭博である。無法な爆撃の応酬がくり返される中でも、若いミサイリストの作るミサイルはできるだけ無関係の市街に被害や汚染を広げないよう発射されたから、常に派手な破壊のみを求めている観客にとって、地下試合での彼の人気も奮わなかった。
ミサイルの技術に自負を持ちながら世に出ることはできず、無為に才能を埋もれさす日々に、若者も気持ちを燻らせてはいた。八百長試合でない、本当の闘いがしたかったし、一発で一つの文明を滅ぼす本物のミサイルを作り上げ、誰もを見返してやりたいと思わぬわけではなかった。そんなある夜、若者の貧しいラボに見知らぬ客が訪ねてきた。十字の飾りのついた覆面の紳士は、海洋都市からの使いと名乗り、伝説のエウテルペ人のような古風な話し方をした。
ガレージの灯の下で使者は語った。海洋都市ポセイドンでは優秀なミサイリストを求めている。都市の中枢制御体である巨大コンピュータは幾千世紀もの稼働を経て狂気に陥り、いまや市民一人ひとりの生まれて死ぬまでを鉄の規律に抑えつける暴君として振る舞うに至った。自由を求める人々はコンピュータ、ポセイドンへの反抗を試みたが、ポセイドンは古代の超科学による異次元の障壁に守られ、それに対する有効な兵器をもたない。ポセイドン破壊を可能とするのは、銀河神話の悪魔のミサイルのみ。そして、悪魔のミサイルを作り得るミサイリストは、この宇宙で現在、ただ一人しかいないというのである。
聞かされる話は荒唐無稽で、途方もない物語にもかかわらず、若者の気持ちは動いた。海洋都市の人々は厚い待遇を約束してくれた……だが、報酬や称賛が目的ではなかった。――私はいままで、自分は孤独な人間だと思い続けていたが、遠い海洋都市にも私を知ってくれている人々がいた――旅立つ理由は、それだけで十分に思えたのだ。
海洋都市にラボを移したミサイリストは、その地の社交界に迎えられて大いに名を知られ、もてはやされることになった。当時気鋭の科学者達とも交流ができ、乞われて講演を行ったりもするにつけ、彼自身の自尊心も大いに満たされた。都市の中枢コンピュータ、ポセイドンの実体は通常、都市の上空、宇宙空間に存在しているが、年に一度のメンテ祭りの日には大気圏に向かって降下を始める。攻撃のチャンスはこのときである。ただし、ミサイルの誘導に際して衛星をはじめ、一切のコンピュータネットワークを介してはならぬ。これは必ずやポセイドンに察知されるためである。すなわち、ミサイル自体の自律的な予測判断に頼まねばならぬが、それには高度な知性プログラムが必要だ。おおむねそうした議論が交わされたが、若者にはノーストリリアの古文献にもとづく自信があった。試すべき秘訣は全て分かっていると思った。
発射の日、ガレージに完成したミサイルの下で、ミサイリストは自分の子供と語り合う気持ちで作品と向き合っていた。そのミサイルがどのような外観、形状をしていたかは知られていない。(臆説するところでは、それは人の形をしていたともいわれる。)やがて降下してくるべき標的について、ミサイルはすでに全てのことを知っていた。発動を意思し、エンジンに点火した瞬間、それはガレージから忽然と飛び去り、ふわりと微風のような浮遊感だけを残して消えた。無限の紆余曲折をたどって因果の隅々に設けられた障害をくぐり、標的の存在の根源にまで突入、もろともに爆破し、過去現在未来にいたるあらゆる時空から消滅した。制御体ポセイドンは無に帰し、海洋都市の人々は解放された自由を喜んだ。
若いミサイリストは海洋都市を去り、その後の消息を絶った。その後、しだいに判明してきたことは、破壊された制御体ポセイドンは本物ではなく、ダミーであり、それは真のポセイドンを封印するために設けられたカウンター装置であった。ミサイリストの手でこの封印を破棄させることがポセイドンの当初からのもくろみであり、その結果解き放たれたポセイドンは真に悪魔的本性を表すことになったというが、そうした顛末はミサイリストの若者にとって、どうでもよかった。ミサイルに知性を与えるとき、ミサイリストはその意識体に己の魂を吹き込むという。自分自身の分身、わかり合う友、恋人ともいうべきミサイルを爆破したミサイリストは心傷つき、パイプを埋めて出家したのちは、ミサイルを弔いその供養に生涯を費したという。本当のことはわからない。ミサイリストの心の底を、誰が知っていようか。
その後、ラルドナーは英雄としての役目を終えることでhuman manに戻る。ヴィスの物語伝承からは退場する。