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20
katka_yg 2025/08/19 (火) 16:31:54 修正 >> 19

この終節、『農耕の発見が、人類に豊富な食物を確保し、それによって人口の大幅な増加が可能になったために、人類の運命は根本的に変った、と通常いわれている。だが、農耕の発見が決定的な結果をもたらしたのは、まったく別の理由による』――以下、その別な理由を述べるのはこれまでのまとめとして。

その得た理論、諸々の類比の啓示、人類の発展に重要になった心的綜合……を、啓示された者が誰かや、啓示体験の内実はここでは述べようがない。『植物世界の観想から』のようにいわれるが、夢の話はまたいつかするのかな。

19

139まで。第九章おわり。

7
katka_yg 2025/08/19 (火) 11:51:53 修正 >> 6

わたしは宇宙説話中の雑想中、「盲目のカテジナについての宇宙伝説」などという他愛ない空想していてその連想から。たまたま、「旅する盲女」だからという理由。

『おりん』は、和田薫作曲の音楽詩劇からの話のつづきで、水上勉作品をたどっているところでも今べつにない。「迫水とカテジナ」を同じ線上で連想する人は現在はそんなにいないはずだから、それなりに「まさか」と思える発想だとは思う。

6
katka_yg 2025/08/19 (火) 11:43:10 修正

旅の盲女のこと

このトピックは直近には前回、水上勉『はなれ瞽女おりん』(1974)についての印象、連想を書き留めるところからだった。旅の途上で雪深い村に逗留している頃、村の老婆がやってきてこのようにいう。原文を引いておく。

六十六部や瞽女さまは、小さくて習いなさった経文を、よくそらんじて、詠みもされ、芸もなされてうらやましい。だすけ、家もない見えぬ眼の、旅のあけくれ。この世の苦労という苦労の、一切をひきうけなされて、み仏さまの代身ごと生きておられまする。その六十六部、瞽女さまの、心美しい旅があればこそ、おららのような者もこのように息災に生きておられまする。人間は千差万別の顔かたち、心かたちをして生きておりまするけれど、み仏は、みなその軀に同じ一つの仏性をあたえられ、うちなる仏に心気づかずして、極道する者は極道をなし、働くものは働きして生きておりまするが、人間世界はみな平等。他人に陽があたる時は、わが身に陰がき、他人に陰くれば、わが身に陽があたるは家の表と裏をみてもわかる道理。けれども、六十六部、瞽女さまだけは、陽があたれば、その陽を他人にあずけられ、年じゅう陰の地を暗い苦を背負うてひたすら旅なさる。これみな、おららの罪業、諸悪にみちた暗い軀の、悪の血をひき吸うて下さるみ仏でなくて何でござりましょう。瞽女さま、ありがとうござります。どうぞ力おとしなく、息災に旅さつづけてくんなまんし。五十子平の婆さまが、これこのようにおまんを仏と思うて手をあわせますぞ、……

おりんは、こんな考え方をそれまでに聞いたことがなく、淋しく物悲しい思いながら、後々までこのときの印象を記憶に留めていた。小説中のエピソードで老女がそう言って拝んだというが、これがとくにこの小説の主題ではない

107
katka_yg 2025/08/18 (月) 23:56:39 修正

王女様の救出を甘ったるく書こうと思えばこんな超難しいシチュエーションを設けなくとも、颯爽と飛んで無傷で回収するノベルは無限にある。リンレイの性格を「都合のいい女」にもしたければ容易いものを、ハードモードを立てておいて彼女の心理をリアリティを持って推理していくのは、わたしは読んでいて言いようがなく腹立つ。

  • 余談 1 / 2
106
katka_yg 2025/08/18 (月) 23:40:32 修正 >> 105

リンレイから迫水に、決して激昂することなく「女性の痛み」を切り札のように言い放つのは、並の少女には言えることではないし、小説家も相応の覚悟がなくて書けることではないと思う。それに重ねて畳み掛ける言葉は、

迫水にとって短刀(ドス)であった。(旧)

言葉の応酬の迫力は凄いものだ。わたしはこの二週間ほど「男子の恥」を別記事でひっくり返していながら、「女性の恥」についてはシドロモドロになりがちなことはよく分かるが……。この章の最後の台詞がまた、新旧では「言葉か、テレパシーか」の意味付けが大きく分かれている。これほど違うものなら両版は別物になる。

105
katka_yg 2025/08/18 (月) 23:29:45 修正 >> 104

細かい比較点を補う。

完全版では「………」とか「……!?」といった旧版にある符牒のところは行を詰められがちだが、ゲリィについての感応を呟いた迫水とアマルガンの間にある理解の「……!?」は完全版のほうに一文、それが補われている。こまかい。旧版ではこの後、海岸であらためてアマルガンを呼びにコムがやられている。

リンレイは新旧で髪の色が異なる。旧版では赤茶色、完全版では金色。
追記(新13)

レッツオ戦後の数日、多事に忙殺されながら迫水は夜には酒浸りになりながらとりとめない思案は旧版にまた続く。完全版では浦島太郎について考えたまでで省略。実戦を反芻し、特攻についてもたびたび考えあぐねた結果、旧版ではついに「心理戦」についての洞察に踏み込む。ここでは〝気〟をベースにする思想で、もちろんサイコミュではないが、富野文脈では後年くり返しにもなるので慣れて読めるといいと思う。

104
katka_yg 2025/08/18 (月) 23:24:35 修正

旧15/新10章おわり。おそろしく難しい場面を書いている。読み終えたときに背筋がぞくっとした。小説を読んでその戦慄は、また久し振りだ。

103
katka_yg 2025/08/18 (月) 22:23:58 修正 >> 102

リンレイ・メラディとの出会いはおよそ考えられるかぎりで最悪の場面での初対面。「対面」というのかな? そこでそういうことを言うのもなんともだ。わたしは、そんなことで人に嫌われてもいいが。

さばけて言うと、人に趣味の有無はあろうけど、小説の読者にとっては、嫌悪感だけで読んでいるとはかぎらない。女性の読者には普通にはしんどいと思うが、女性のFT作家でももっと酷い場を書く人はいるし……。

細かい差異を書くと、短剣の処理が異なる。ひどい意味で彼女との「絆」の始まりなので、旧版にはその生々しさがよりある。マラが完全版ではやや饒舌で、「コモン女」とくり返すのを聞いてもはっきりとこれはガロウ・ラン扱い。旧版も別の意味でガロウ・ランを想起はしているので、その違いをいうと曖昧なところだが、これがくたばるまでにより見苦しいのでそれで幾分気が紛れるのでもある。

102
katka_yg 2025/08/18 (月) 21:36:52 修正

「15 リンレイ・メラディの城」(旧)
「10 リンレイ・メラディの城」(新)

城将というか砦の主マラ・ブランの、負傷した瞬間に哀れったらしく豹変する様子は同じように書かれているが、完全版では「人間でない異様な気性を感じた」と書き込まれる。ガロウ・ランということだろう……。

もうひとつ、二度目の騙し討ちで殴りかかったマラの右腕を斬り離したときに、迫水の直心影流の瞬発的な発動についてはすでに書かれていたが、完全版では、

迫水の瞬発力と筋力は、間合いがない距離でそれができるまでになっていた。

あえて言ってしまえば居合みたいな技のようか。この上達ぶりはリーンの靴のせいだろうかとは書かれていたが。

――本文に書かれてもいないのに想像で「居合」とか書きたくない。実戦剣術の話をしているし。間合いなしで、と加筆されている、のこと。

5
katka_yg 2025/08/18 (月) 19:20:27 修正

友情に身を捧げる

ワイルドの童話集「The Happy Prince and other tales」を読んでいた。それはやはり富野話題の中で「ナイチンゲールと薔薇」からの連想だったけれど、この中の「The Devoted Friend」(忠実な友人)という話がある。この話に登場する、友情に篤い正直者ハンスは、今ここで始めた「生き神様」のようなお人でもある。ハンスは友情というものを深く信じていて、それは普通の人よりは深く深く信じているのかもしれない。そのために、親友を称している粉屋にいつも利用されている。事あるごとに搾り尽くされているようだが、ハンスは友人を疑うことも妬むこともなく尽くし続け、そのせいでとうとう自分は命を失っても文句言わずに死んでいってしまう。悪意でもあるかのような殺伐とした童話だ。そもそもワイルドは子供のために童話を書いているとは思えない。

その結末に、聞き手のネズミは腹を立てて帰ってしまうのだが、語り手のヒワと、その場にいる善良なアヒルはもうちょっと会話を続ける。モラルについての話は、人になかなか真面目に聞かれないものだ。力説するほど、笑いごとか、言い方によっては人に怒りをかき立てるかもしれない。それは危ないことでしょ?と話しているが、その意味はここで考える。

4
katka_yg 2025/08/18 (月) 18:43:44 修正 >> 3

『本当に罪深いのは世間の一般大衆』とか『語られざる真の英雄はべつにいる』のように、読者は特権的な地位からその社会の不正を弾劾するような読みを導くなら、それは犠牲者の心の傷や罪、悪を大衆に転嫁することで、スケープゴートの語りとしては弱々しくなる。

シニカルな調子にはなる。それはそれで気分のいいことだが、その価値があるとしてそれはまたべつのこと(頽廃的な興味)。

3

言葉の通俗的な意味のスケープゴートはもっとラフな使われ方をする。お話の都合上、いずれかの人物がことさらに「悪役」を引っ被るように仕立てられるとその言われ方もされるが、印象としては甘い使われ方。

ヒーローがスケープゴートを兼ねるダークな語りも行われるが、誰かの犠牲の上に平和に暮らす人々に対してシニカルな目線を向けること、シニシズムは、本来とまたやや別種の語りだろうと思う。それも古代からある話の型で、毎回に一々きれいに峻別できるものでもなく、その意味もそんなにない。まず取っかかり。

2

スケープゴート

スケープゴートの概念の説明はここでしない。罪、不幸、悪疫、汚濁を一身に請け負うこと。文章中での使われ方は、

女神トチに扮する女性が殺されて、その皮で仮面をつくる……(略)……トチは最後には贖罪山羊となり、追い払われるときに、トチは一身に社会の罪を負うかのようである。

犠牲は人類同胞のためにささげられるのであるから、……

のように言うとき。上は、エリアーデ『宗教学概論』(131 アズテック人とコンド族における人身供犠)から。ちょうど今日開いていたページ。ここの本文は農耕儀礼における人身供犠についてで、農作物の実りのために犠牲者は捧げられ、贖罪観念はそれに伴う文意。スケープゴートはいつもそれが主題で語られるわけでもない。

101

かとかの記憶
生き神様考
モラルの語りと実践
zawazawa

1
katka_yg 2025/08/18 (月) 17:48:54 修正

かとかの記憶
katka_yg 2025/08/18 (月) 04:31:39 修正

生き神様考

「生き神様」ってこれだったか。別の筋道で最近読んでいた「おりん」からだが、元々日本の風土にあるものだからその連想はある。同じものだ。

直接には前回『リーンの翼』通読中の記事からだが、話題をより一般なテーマに広げて、個別トピックで扱う。テーマとしては、ヒロイズム、スケープゴート、怨霊(御霊)思想、無償行為か無動機行為か……等など、あらかじめ様々タイトルを挙げられるが、民俗や宗教の題にかぎらず創作文芸中のキャラクターのことなど、漠然とあやふやなりにでも連想を辿り蒐めていく。主眼はストーリー語り上の、モラルの語り方。このトピックは折々のリンク先に使う。

74

katka_yg (@ygasea.bsky.social)
歩きだせば、空気は凝固したみたいな抵抗を覚え、熱気に漂う朦朧とした気分は、歩調・歩幅も、道を踏む感覚もあやふやに定まらず歩く。そこにあるスーパーマーケットに滑り込み、店内の冷気にひとまず息つくと、食品棚の間を行くうち、イヤホンのインストの刻むリズムに体がようやく従い始める。『川の中のサギみたいな歩き方をしている』と思っていた。
Bluesky Social

73

川上に高足立ちて居(お)る鷺の差し足歩くそのたたずまい/香月董花 - 短歌投稿サイトUtakata
香月董花の短歌:川上に高足立ちて居(お)る鷺の差し足歩くそのたたずまい
Utakatanka

38
katka_yg 2025/08/18 (月) 05:00:30 修正 >> 7

かとかの記憶
生き神様考
モラルの語りと実践
zawazawa

100
katka_yg 2025/08/18 (月) 04:52:42 修正 >> 98

これは富野話題と別箇に、独自のテーマに考えるべきだな。例の「僧兵と覆面」のような宗教と戦争の関心にかぎらず、また中世仏教よりも根深くあるということだろう。ここでは、精神土壌といったか。

中世仏教については、そのためのストーリーを当時に語るための努力だといってもいい。それは時代の特色だ。

99

また、夜中に目ざめて思いがけない連想が繋ぐ。覚めている間は繋がりきらない考えが夢を挟んで繋ぐことが最近多い。昼間朦朧とぐったりしていることが多いが普通のキャパ超えているんだろう。

98
katka_yg 2025/08/18 (月) 04:44:42 修正 >> 97

「見返りがほしいんだ」と訴える時の迫水がそれだともいえる(旧13)。また、昨夜のうちに一度気がかりながらそのまま過ぎたが、前章「城掛り」の冒頭あたり、迫水の「開き直り」についても新旧の内容に差異があり、ここは旧版のほうに強く見えることだと思う。

〝靖国神社で会おう〟という特攻青年の、バイストン・ウェルという異郷で死に場所を求められるかの覚悟について、

 これは、一見、当り前の考え方でありながら、重要である。人は、己のためになら死ぬことはできる。人は、身内を守るためには死ぬことはできる。人は、信じることのためには死ぬことができる。が、他者のために死ぬことはできない。

97
katka_yg 2025/08/18 (月) 04:31:39 修正

生き神様考

「生き神様」ってこれだったか。別の筋道で最近読んでいた「おりん」からだが、元々日本の風土にあるものだからその連想はある。同じものだ。

96

章おわり。今夜ここまで。

95
katka_yg 2025/08/17 (日) 23:47:13 修正 >> 94

完全版のリーンの翼には、左右の主翼とべつに、内側に「ひよこの羽のようなもの」が生えている。これはアニメ準拠だったかどうか今おぼえていない。

(追記)旧版では後の18章になって描写される。

94

「俺は、あれを黙らせる」

前巻にもあったが、二回言う迫水のここも、完全版では一回に収める。

92

開戦。の瞬間に、砲撃をかばって迫水はゲリィを抱き伏せる。立ち上がる数秒間に、少女の肌と肉体にはっきり欲情するが、やはり旧版のほうが渦巻く思いが事細かい。できることなら、口付けしたい、さらに許されるのならばハロウ・ロイのようなそれまでゲリィに求めたいと思うが、一瞬でその己を叱咤する。

完全版では、そんな欲望を自覚でき、それを否定していけるから生き延びると思える。でないと生きている意味がない。両版ともに捨てがたい。

ついでながら、この際はそんな場合ではないが、そんな迫水の情念が目の前のゲリィにテレパシーでもろにぶつかっていないのか想像してしまうところ。わたしは最近そんなサイキックラブの話ばかりしていた。このときのゲリィは半ば茫然自失になっている。

91
katka_yg 2025/08/17 (日) 21:45:38 修正 >> 90

まず旧版から延べてみると、日本人について

  1. 外来文化を入れるにあたっての伝統的な度量の広さ
  2. 咀嚼しきれないものは切り捨てて一転硬直、愚直さに狂奔してしまう悪癖
    をいう。これは日本人の民族性である。そこに戦時、
  3. 見て見ぬふりで是認する中堅インテリの処世
    を暴き、当時の「インテリ達」が見せた日本人の民族性に加担した狡猾性を、戦後の今から遡ってあらためて指弾されるべきだ、という。これらの全文は断定的で、旧非を断罪するものとして書いてある。

完全版では、2の「理想と現実が乖離したときに精神性に置き換える悪癖」のところを、歴史上、儒教を取り入れた頃から涵養されていた日本の精神土壌に遡って説き起こす。ということは、素朴に想像して五世紀頃の古代からになる。
徳川時代の朱子学にはその理念思考の素養があったとし、西洋思想の吸収の際にもそれが素地になった。

3のインテリ達は既存の思想・近代戦術を学んだことで、その狭い思考に捕らわっている一方で、そこから次の考えかたを思いつくことができない、新しい思潮を生むことができない知識者特有のジレンマに陥る。その精神のバランスを保とうとするための運動として彼らは精神論を語る、という解説になる。完全版ではこれを、地上人の中に入り込むガロウ・ランの憑依、と言っていく。

(旧軍の特定の個人名を挙げてはいないものの断定的・断罪的な言い方を言い替えて想像上のガロウ・ランに紛らすことに換えた、と言ってしまってもいいと思う。わたしはこの作中でその糾弾にもそれほど意味があるとは思ってない。それよりも、文章の言い方をもっと巧んできたと思うほうが面白い)

90

すでに再三再四にわたる特攻とは何かの背景がまた説かれるが、その前に、迫水の遺書について新旧の感想。新旧どちらも、迫水は自分の書いた遺書の文面に今ひとつと思える悔いがあったのだが、旧版では、『最後に靖国神社にて再び会えるだろう』のようなことを書きたくなかった自分を自覚していて、その気持ちを奇妙なものだと書きながら思っている。迫水に反戦思想などがあって軍への反感などからそう思ったわけではない。

完全版では、遺書を『快なるかな我任務。快なるかな我飛翔』と大仰に締めくくったのは余分だったと後に(バイストン・ウェルで今)回想している。

89
katka_yg 2025/08/17 (日) 20:43:57 修正

「14 城掛り」(旧)
「9 城掛かり」(新)

前章で、完全版には船の左舷に「左舷(ひだりげん)」とルビが振ってあったのだが、今度は旧版の右舷に「右舷(うげん)」と振ってある。両版とも、右舷も左舷も文中にルビなし大半使われていて気にしなければどうでもいい齟齬だ。

旧版では特攻の「神風」には〝神風(しんぷう)〟とあえてルビが施してある。

37
katka_yg 2025/08/17 (日) 10:54:24 修正

スペース・コロニーに虫

スペース・コロニーに住んでいる学生が、ある夏の休日、することがなくて部屋で自然動画を巡回して暇を潰していた。ふと目をやったとき、デスクの上に乗っている小さな黒いものに気づいた。それが鳴き出す前に、それに目をやっていたが、それが何かに気づく前にそれが鳴き始めた。

知らない間に机にコオロギがいたら、それが突然鳴き出したらびっくりして椅子から転げそうになる。でも落ち着いて見てみれば、そのリアクションをするほど危険なものかは怪しかった。あらためて見返すなら、怪しいことは怪しい。

スペース・コロニーでは生物の持ち込みは厳格に規制されている。勝手に増える動植物や病気を持ち込むものは宇宙港の水際で差し止めるのが当たり前である。建設年代の古いサイドでは蜘蛛の巣ひとつ見られないのが宇宙生活者の身の回りであった。現在の新興サイドの規律では、人の生活圏内にそれほど何もいないわけでもないが、やはり動物といえば動物園か牧場、魚や海棲生物は水族館、昆虫は昆虫館でしか見たことがない。

コオロギはコオロギであることは、調べればわかる。マンションの同じ棟の、どこかの家から逃げ出したペットだろうか。顔を近づけて見れば見るほど、精巧なロボット(バグ)ともホログラフとも見えず、本物の昆虫(バグ)ならきっと不法なものだとは思ったが、ともかくも見ている間は目が離せず、夢中になっていた。虫は翅を震わせて一心に音を立てている。そっと手を寄せてやれば飛んで逃げることもなさそうなので、ひとまずは手近にあるアクセサリ用の工具箱を開けて、閉じ込めてやる。

箱に入っても虫は怯える様子もなく、その夜はそこを虫の居場所にしてやった。ベッドに入る頃になっても、時折に鳴き出す音にはかなりのボリュームがあって、うるさくて寝れないくらい。さいわい部屋は防音がしっかりしていて周囲には漏れないで済みそうだ。虫のことはまた明日考えることにする。

隠して飼い始めてみると、わりと容易い隠蔽環境ではあった。虫に与える餌と水は家にあるもので適当にまかなった。食べているところを見ていればフンもするが、ピンセットで摘み出すのにさほど嫌悪も覚えないことに気づく。生きものには原理原則のことである。たまに、ノックなしに母親が部屋のドアを開けることがあるが、自分が学校に行っている間は、昼間は母親も仕事に出ているので、そんなに心配するほどでもなさそうな家族である。

日に日は過ぎて、スペース・コロニーの秋の季節が進み、やがては冬が迫る頃になる。小泉八雲のエッセイによると虫も大切に飼えば真冬まで生きていることがあるという。生きてはいても、やがていつかは、虫も死なないということはない。その頃にはきっと、自分はその虫のことを好きになっているだろうと思えたが、愛しているかまではわからないことだ。

鳴き声を立てているコオロギはオス。その鳴くのはメスを求めて鳴いているのだろうが、求めるメスはこのスペース・コロニーの周りの宇宙空間にはいないので、そんな虫の境遇はひどく孤独なものである。そんな虫を生かしてやりもせず、死なせもせずに、箱に閉じ込めて飼っているのはよくよく身勝手なことであろうと思う。降って湧いたように転がり込んだこのものをどうしたらいいのだろうと思いながら続く夜々を楽しんだ。

72
katka_yg 2025/08/16 (土) 18:12:17 修正 >> 71

katka_yg (@ygasea.bsky.social)
線路沿いの道路上に風が吹き流れているところ、目線より少し上のあたりに風に向かいトンボが浮遊している。川の中の小魚みたいだな、と思いながら、歩いて眺めていく漠然ととりとめない気持ち
Bluesky Social

経過 1 / 2

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ひとすじの線路に沿って風走るうわべの宙にとんぼとどまる/香月董花 - 短歌投稿サイトUtakata
香月董花の短歌:ひとすじの線路に沿って風走るうわべの宙にとんぼとどまる
Utakatanka

36
katka_yg 2025/08/15 (金) 00:00:58 修正

空調機に隠れ住む巨大モビルスーツ

サイド六の学校に通う中学生の一行がスペース・コロニーの気象制御機器の見学に出かけた。円筒コロニーの大気循環を補っている送風機の偉容を点検通路から見上げる見学者のうち、一人の少女が奇妙なものに気づいた。

手すりの向こうに見ているものは、数百メートル離れた空隙の彼方にあって回転を続ける巨大な送気ファンとその補助機器群である。その一つが、少女の目にはどうやら、膝を抱えてうずくまる大きな人型に見えてきたようだった。空想的で、他愛のないことながら、彼女はその印象を手早くスケッチに留め、帰宅して後も、紙片を取り出してとりとめない想像を重ねていた。

その夜の夢に、空調機から少女へのメッセージが届いた。それによると、機械はかつて宇宙戦争の頃にスペース・コロニーに運び込まれた秘密兵器の一種であり、現在は空調機に偽装しているものの、本来の姿を表せば全長一〇〇メートルに及ぶ巨大なモビルスーツになる。作戦は決行されぬままに現在も空調機として過ごしている彼は、年月を経て初めて彼の存在に気づいた彼女に、サイコミュ的な感応を通じてこうして呼びかけているのである。

夢を通じて、空調機と少女との不思議な感応対話は数年間続いた。高校を卒業するまえに、少女は空調機の気持ちを励まし、空調機として今まで出来なかったこと、してみたいことをしてみるよう勧めてみた。

夢の便りはそれからやや間があって、最後に届いたメッセージは、コロニーを離脱した空調機は尚、健在にして、現在は太陽系を後に別の恒星を目指す旅路への加速中とのことである。夢の交流で得た精神波の記憶と生体パターンを次の星へと携えていくのだという。

70

次の夜にはもうアオマツムシが切れ目なしに鳴き続けているから、カネタタキだけをじっと聴いていた夜は実質、年に二晩。

34
katka_yg 2025/08/14 (木) 20:19:58 修正

ガンダムに身を変えるリガ・ミリティア

衛星軌道から降りてきたばかりの若いベスパ隊員が仲間とともにハンティングに励んでいた。その日は一六〇〇キロを飛んでヨーロッパの街々を焼き、機銃攻撃で地球人をハントした数を仲間と競っていた。狩りのさなか、大きな白いモビルスーツを追った若者はいつしか仲間のベスパ達とはぐれ、北ヨーロッパの原野深くに入り込んでいった。

白いモビルスーツは金色の角を振り立て、追う若者の視界の先を、遠く近く、切れぎれの雲間に見え隠れしながら飛んだ。何度かの銃撃を浴びせたものの、モビルスーツは深傷を負った脚を引きずりながら、山脈を越えてどこまでも逃げていくのだった。やがて日が暮れていき、不毛な追撃にも疲れた若者がふと辺りを見回せば、見も知らぬ惑星の沼地で一人、孤立している自分に気づいた。

宇宙の民にとって荒廃した地球上の地理の知識は皆無に等しい。若者のモビルスーツの燃料は残り少なく、迫ってくる夜を過ごす場所も知らなかった。地球人の一挙撲滅を掲げているベスパは、ハンティングの際も老人にも子供にも容赦がないので他のマンハンター達から嫌われていた。近在のマハに連絡もつかず困窮しているところ、前方の岸辺に、灯火の光が見える。中世の砦跡らしき石積の城のようで、近づくにつれ、人々の宴支度の物音が聞こえてきた。

巨木そのものに見える門柱にモビルスーツを繋ぎ、若者は砦の入口に立って案内と一夜の宿を乞うた。迎え入れた砦の人々は前世紀の地球民族に似た古めかしい衣裳をまとい、長い髪を束ねて髭を伸ばした、見たかんじケルト人に似ていた。宴の席では豊富な肉の量と酒の量に驚かされた。歓待づくしの後、しばらくあって姿を見せた砦の主は白皙の壮漢で、金色の眉と頬髭には風格があった。

主の語りだす昔語りによれば、リガ・ミリティアは代々地球上に住み、この北ヨーロッパの地で抵抗運動をしてきた。近頃になってベスパがやって来ると、仲間達は次々に狩られて数を減らし、今ではこの古城の一族だけが生き残り、抵抗運動を続けているという。主が席を立つとき、若者は、彼が片脚を引きずって歩き、白いモビルスーツと同じ処に傷を負っていることに気づいた。

翌朝には若者は砦を発って、モビルスーツのヘリコプタ能力でなんとか飛行を保って帰路を辿った。別れ際に短い挨拶だけを交わした、砦に住む美しいリガ・ミリティアの娘の面影が目裏に残っていた。基地に帰ると、仲間のベスパ達は彼の報告を信じず、地球上のリガ・ミリティアはずっと昔に滅んでしまったと笑うばかりだった。ハンターによる上空からの探索が何度か行われたが、砦の場所はその後も結局見つからなかった。ベスパ隊員の若者はやがてハンティングにも飽き、仲間と別れて一人宇宙へ帰っていった。(宇宙世紀二〇〇年頃、地球)

17

katkaさんの感想・レビュー
katkaさんの『エリアーデ著作集〈第2巻〉豊饒と再生 (1974年)』についてのレビュー:通し再読の途中。この二巻では...
Booklog

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「第2巻 豊饒と再生」終わり。続けて3へ。ちょっと飛び飛びになりがちだが落としてはない。

この章の終わりでもくり返し力説されていることだが『木や植物は、木や植物そのままでは、けっして聖とはならない』――のような言い方のことは、一度は飲み込めても、しばらくその態度というか理解の仕方から離れていると、長く保持していることができないのか、忘れるのだ。忘れるなら読み返せばいいようなことだが、この忘れるということをよく知っていないし、それで争うということもあるみたいだな。