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もちろんゲイではなく
『ミッドナイト・コール』から。
『男同士で付き合う話になったこと』については、その点には動揺していない。今読むとそういうところがポイントだと思う。他に奇怪なことは立て続けに起こるが同性愛についてはもとより不問、自明のことのように語りだす。それがやおい、だろうと前回も。
あの頃のジルと魔獣ドンゴ
地球の、とある村の近くにそのころ魔獣ドンゴが住み着いていた。魔獣に恐れをなす村人が集まり相談しているところに、あの頃のジルが通りかかった。ジルは、その魔獣ドンゴは私の捜している魔獣かもしれないと言い、彼一人で魔獣に挑むことになった。話していると丘の上に魔獣ドンゴが姿を現し、村に向かって迫ってきた。
巨体でもって押しかかるドンゴにジルは腰の剣を抜いて迎え撃ち、魔獣の牙と剣刃とががっきと噛み合った。刀身を咥え込んだドンゴは万力のような力を加えながら、首を一捻りすると剣をへし折ってしまった。「宇宙最強」といわれるジルの剣があっさりと破壊されたことに見守る村人たちは皆おののいた。勢いづいたドンゴが、無手になったジルにとどめの噛みつきを見舞おうと襲いかかった。ジルは、退かず、真っ向から拳で叩き返した。
一トンを超す巨体がもんどり打って転がり、丘の斜面を転がり上がって突き出た岩に激突した。ジルの拳は不思議な光を放ちながら、高周波の唸りをともない振動していた。ゆっくりと転げ落ちてくる魔獣に二度目の拳は穿孔機のように貫通し、魔獣を粉砕した。魔獣の体内からは、魔獣が捕食したスカイフェアリーの死体にまじって魔ヶ玉が出てきた。これは、私の求める剣ではなかったとジルは言い、魔ヶ玉を村人に譲って立ち去った。
『緑色研究』読了。わたしは結局、ストーリーの指示するところと裏腹に、前作からの執行雅君に嫌悪感が増していって憎悪に近くなったところで終わった。たくましさがどうかよりも、『作者が手の内に保護している、読者に好感を押し付けてくる』と察するのがそれみたいだ。
野阿作品ではこれまでいつもそのようだと思うが。漫画だったらまた印象が違うのかもしれない。
16。
「性奴隷にする」「黒魔術」という語りならライトノベルでもその基準をクリアしたのかもしれない。「これは悪いことです」と表示すれば。愛に耽るのは良いことよ、といったら少年少女向けにダメ、かな。
でも、雅や千仞の人格は疑うような気分にはなり、千仞は若くして中国にわたり革命思想に情熱を燃やしたが、性愛術にも没頭して学んだ……というのも、(結局革命とは無関係にエロ魔人じゃないか?)のような脳裏に気分がはさむ。雅が清純は信じようがない。
それは、やおいだから不合理ではないんだよ。革命家の英雄は性の道にも貪欲にちがいない、どんなに淫れても美少年の本質は清廉なまま、という論理が通用するはず。
スニーカーやログアウト冒険文庫ではレイプはしてもいいけど、じっくりと章を費して弄び官能のとりこにするような書き方をしては「エロ本」になったのかな、当時。嘆声するような気づき。なんでだ。
こんなに微に入り細にわたって手順を書き連ねるのは、ポルノだからか……ポルノでもそうはないだろう。長々とやっても下品にならないで済むのか。下品になると、まず必ず「笑ってしまう」で、バカバカしさで笑い草にしながら作者に付き合う義理なんかない。
上のエルセイラムのルシファー(ルイ)は女を犯すにも暴力で、悪魔なのに悪魔的誘惑はしない。今読み返してないが、スレイマン王子は性技の手練れのような人物だったはずだけど、性技らしい攻めはなく、やっぱり暴力。『ダビデの刻印』は性愛がテーマだったと思ったけど実はこういうことはしてないな、と思い出していた。そのおり取材して熟知していたらその作者は書かないわけない。レーベルの違いなんかは当時、あってなきものだろう。
それと、文中にあった房中術のような考え(「接して漏らさず」)というのは官能小説そのものについても考え合わされ、面白い。その言葉自体はもとより知ってる。わたしは中国古典のそれは一時読んだが、関心の方向が定まらずにその後忘れてしまった。
『緑色研究』やっと21まで読み終えた。これがどういうものなのか、ふと分からなくなって読めなくなっていた。考えてみれば、西谷作品にはヤクザ女かおぼこ娘しかいないようで、一度そのようなものを引き合いに較べてみるとよくわかる。
本題にもどり、野阿梓作品にそんな興味はない、という話。こちらは耽美でいく。
魔王星のフクロウ
魔王星に一羽のフクロウが住んでいた。フクロウは年寄りで、なんでも知っていて、森の動物達から博士のように思われていた。古い昔から、アアグウアの森に住む動物達の誰も知らない頃から生きていた。フクロウはおよそ十四歳だった。人間でいえば、当時の魔王星の人間の年齢で四十九歳ほど。そのころのアアグウアの人々の暮らす町は森に近くて、森には時たま、子どもが迷いこんできた。十一歳くらいの男の子だった。優しい聖天使の子で、それまでは小鳥やねずみばかりを追い回していたが、森の奥で初めてフクロウを見たとき、子どもはフクロウに欲情した。「欲しい」と思ったのだ。
知的好奇心。好奇心にあふれる子どもはフクロウの止まり木の周りを周りはじめ、手が届かないと小石を投げ始めた。フクロウは子どもをなだめたり、叱ったり、道理を諭したりしたものの、やがて子どもの好奇心を満たすために自分から傍に降りてきてやった。近くに寄っては鳥の羽をむしったり千切ったりせぬよう、フクロウは直に教えてやらねばならなかった。老いたフクロウの記憶にある、教訓にあふれた古物語を思い出し、面白おかしい動物の喩えをまじえて寓話にしてやると、聴いている間は子どものいじめる手が止まった。
フクロウは語り、語り続けた。森に暮らす年月に聴き憶えたこと、月の降る梢で夜じゅう思案したこと。おぼろな記憶をたどっては、神話の英雄やミサイリストの伝説も教えてやった。フクロウの語る声が眠くなると、子どもも眠たくなった。夜は平和に過ぎていった。
それから、森に子どもが訪ねてくるたび、フクロウは子どものところに飛んでいって、子どものために物語をきかせるようになった。子どもは定位置の梢の下に待っていて、フクロウの語る間はいつも大人しく聴いていたが、時おりまた欲情に駆られると、フクロウのことたびたび痛めつけた。
ある日、森に来た男の子は、もう一人の女の子を連れていた。その子も、優しい聖天使の子で、フクロウは聖天使を二人も目にするのは初めてだった。女の子は十三歳くらい、男の子は十一歳くらい、フクロウは十四歳。聖天使どうしの仲よい様子を見て、フクロウの心にはそのとき何か、初めて、いい知れぬ感情が湧いた。
でも、女の子のほうもフクロウを見るやたちまち欲情し、すぐに二人してフクロウを痛め始めたので、そんなことを気にかける暇もなくなった。優しい聖天使の親達は、子どもの好奇心を抑制するようには躾けていなかった。森のフクロウは聖天使の子供らのため、懸命に物語をして続けたが、たびたびの過酷な扱いがすぎて、それからしばらくののち、儚くも十四歳にしてフクロウは死んだ。アアグウアの森のフクロウにしては長く生きたほうであった。
子ども達はフクロウを埋めた。さすがに食べたりはしなかった。時がすぎて、女の子と男の子は成長して聖天使の座に加わり、やがて死に、いつかフクロウを埋めたのと同じ森に埋められた。アアグウアの王朝は終わった。魔王星は衰退し、城と町々は滅びた。跡に森だけが残った。年月がすぎていった。再び、新たな王朝が芽生え、フクロウの眠る森のそばに城を築いた。第二魔王星となった。王朝と文明が交替し、再び滅んだ。昼と夜と星が絶えず巡った。
眠る彼らの上で、第三魔王星が事もなく終焉していき、第四魔王星の初め頃、フクロウは眠りからさめてよみがえった。若く、新しくなった星の新しい森の上、ホォー、ホォー、と鳴きながら、フクロウは飛んだ。今も誰かを探して森を飛び回るフクロウの心の中には、眠りの間に、魔王星の三千世紀の物語をため込んでいたのだ。
そして男の子を見つけると、フクロウは傍の止まり木に止まり、夜もすがら物語り、語り始めた。
上のと、次のSSは一昨年にツイッターで書いていたもの。一部修整。
クグワと盆踊り
この世の終わりが近くなると、世界から神秘が失われ、恐るべき事件や不思議なできごとは起こらなくなるものだが、そんな現代にも、お盆のころ冥界の掟の鎖が緩むと、普段は紫原っぱに暮らしているクグワ達が世界のほうに漂ってくる。……
冥界の掟を抜けてきた三人のクグワは、一人ずつ、孤独のクグワ、絶望のクグワ、憎悪のクグワだった。アケローンの河を渡ったところで、孤独のクグワはそれ以上三人でいることに耐えられず、同行の仲間から脱走しようとした。
が、そこまでだった。孤独のクグワは力尽き、一人きりの孤独に戻りたい、戻ろうと足掻きながら、それでも心配そうに見つめるクグワ達を追い払いもできず、彼らに看取られ、そのまま消滅してしまった。残るクグワは二人になってしまい、世界は、孤独というものを知ることがなかった。
孤独のことを想いながら、川べりを上がった二人のクグワは、暗い街の通りを進んでいった。チュルホロの月が差し込む路地で、少年のグループが一人の弱者をいたぶっていた。少年達は、普段は馴れ合いの集団にすぎないが、相手が弱者のエルフと見れば大勢で囲み、蹴りを入れているところだった。離れたところで、王家のくらやみ王子が手すりに腰かけ、暴行の様子を傍観していた。エルフがやがて息絶えると、少年達は去っていった。去り際に彼らは王子に胡乱な目線をくれたが、くらやみ王子は連中を無視して弱者のもとに屈み込んだ。囁き声に訊ねる。死ぬのが、こわいか……?
エルフは顔を上げ、王子の靴に血まじりの唾を吐き、また顔を落とし、そして死んだ。大勢に殴る蹴るされて声も上げられないかわいそうなエルフにも、王子に唾を吐く勇気だけはあった。
この間、クグワ達は慄然として凄惨なチュルホロの闇 を見つめていたが、二人のうち絶望のクグワが、やおら首を振り振り、もと来た道を冥界へと帰っていった。クグワは残り一人になり、いまだ世界は絶望を知らずにいる。
憎悪のクグワはやりきれない憎しみを燻らせながら、暗い通りの先を広場へと向かっていった。お盆に帰ってくるクグワだったから、そこにはやはりチュルホロ盆踊りの会場が設けられていた。並ぶ屋台の間を浴衣のチュルホロ人が行き交っていた。チュルホロにもお盆の習慣があったのか……あったのだが、とにかくそれに似た祭典だと思えばいい。楽しげに笑い合う人々の、あまりに偽善的で平和な光景にクグワは冷笑し、舌なめずりをしながらそちらへと近づいて行った。そのとき、後ろから体当たりされた。
チュルホロ人の大人にはクグワは見えず、子供にしか見えないが、そのことにはどうもハートポイズンが関係している。クグワの見える子供にとっても、クグワは「ピンク色の風船」にしか見えない。遠慮ない両手で抱きつかれたクグワはあえなく破裂して散った。三人のクグワは、こうして全滅した。
ピンクの淡い霞が消えていく間、女の子はびっくりしてそこに立っていた。次第に、吸い込んだ冥界の霧と、憎悪の気持ちが彼女の幼い心に忍び入った。その先で両親が待っている。母親が彼女の名を呼んでいる。きっと睨んだ少女の眼はお母さんと、お父さん――を憎んではなかったから――両親を通り越してその向こう、広場の中央の、電気のついた大やぐら、踊りの輪の内にあるそれに刺さり、それを直撃した。やぐらは吹き飛び、一瞬をおいて、大音響、人々が泣き叫んだ。女の子は憎悪の風に吹きさらされながら立っていた。その風は吹き過ぎ、駆け抜けて去った。もとよりクグワにそんな力はあるはずなく、その憎悪はきっと彼女の才能だ。夏の夜にあった恐るべき、悲惨なできごとは、彼女の成長する心にしっかりと焼きついた。
文中の「八ノ地教」というのは、シーメルの『故郷と八つの地を我らに!……』という、地上再征服思想のこと。
地球再生の物語
汚染された地球にピアー一家が住んでいた。地球塔の遺跡で弟たちは互いに身を寄せ合い、支えあって暮らしていたが、日に日に汚染は強まり、この星に残る最後の人類が死滅を迎えるのも間近と思われた。
歴史の伝えるところによると、地球上にかつて栄えた人類の文明はその繁栄の極点にいたって瓦解し、七日七晩にわたって全ての都市を焼き尽くして世界を終末に至らしめた。終末を生きのびたピアー一家は大気中の毒素を遮蔽した地下壕に住み、地上に出るときは防毒マスクとぼろきれをまとい、殺人的な太陽光線を避けて夜間のわずかな時間に活動する、みじめな生活をしている。一家の歴史では、このような現在の惨状は過去の人類の驕りが招いた罰であり、いつの日か遠い未来に世界は再生し、ピアーの弟たちは許されて再び地上に栄えるだろうと予言されていた。
弟の一人が八ノ地教を信じ、再構成システムのある地下への挑戦を思い立った。ほかの弟たちは、再生システムなんか存在しない、それはただの噂か、あったとしてもとうに風化しているだろうと弟に説いたが、いくら言い聞かされても弟は信じず、弟たちに別れを告げて旅立った。若い弟には希望と、自信があった。塔地下への闇はそんな弟に禁忌の扉を開いた。亡霊の徘徊する地下801階を踏破し、灼熱のヒルトン炭坑の奥底に再構成システムの中枢はあった。
システムのコアに少女が眠っている。まばゆいほどの裸身を、ガラスポッドの中に浮かべて。――待っていたわ、長い間ずっと。弟の脳裏に声が届いた。地球再構成システムの制御を少女の姿をした生体が担っていることは伝説にも語られていない。地球中心核に近いその空間で、弟は、テレパシーで語られる人類の歴史と、地球再生への道のりを聴き取った。その中には『愛 が地球を救う』という教えも含まれていた。立ち去るとき、弟はポッドの中の彼女に、
――ひとりぼっちで、君は寂しくないのか?
と尋ねた。ガラスの向こうで、少女は寂しげに微笑した。それから弟は少女と別れて地上に帰った。システムの発動する地鳴りが遠い哮りのように響き始めていた。
地球再構成システムは千年をかけて惑星の土壌と大気を改良する。その長い年月、ピアー一家は弟どうしで子を作り、数を増やして、子孫たちは再生する大地の上に広がっていった。それから千年の時が経つと、その頃には地球は再び汚染され、荒廃していた。千年前と同じようにピアーの弟たちは互いに争い、殺し合って数を減らし、絶滅寸前に追い詰められていた。
はじめの頃、地上によみがえる植物群の拡大とともに、ピアー一家は住み家の集落を広げ、町をつくった。資材として、燃料として、畑地としてピアー一家は再生していく森を伐採していき、森林の再生と伐採との競争のすえにやはり森林を滅ぼしてしまった。同じように動物や鳥や虫を滅ぼし、産業の発展とともに海を、大気をよごし、その間絶えず一家の弟同士でいがみ合った。弟たちは各陣営に分かれて戦争した。再構成システムの約束する楽園回帰を上回るほどに、ピアー一家の自殺への欲求 はすさまじく、一度復活した自然を再び破壊し、核ミサイルの応酬によって今度こそ再生不能なまでに地上を汚染し尽くすことに熱中するかのようだった。弟たちはまるで楽しむように、〈人類の種としての自殺行為〉に徹底して耽った。
そして残ったのは、吹きわたる乾いた風……みるかぎりの荒野と、わずかに地球塔の廃墟にしがみつき生きる人々のわびしい暮らしがあるだけ。今も、地球再生の予言は伝わっていたが、千年の不毛な歴史を知る弟たちは、ふたたび再構成システムを求めることを躊躇った。ピアー一家は、人類はついに歴史から何も学ばないことを学んだが、人が学ばないことは、もとより既知の通説であった。その自認は、あらためて世界を滅ぼした後に人の心も蹂躙しつくした。
くり返す愚行、人間が救いようがないこと――は、止みがたいこととして、もはや語らない。必至である。現在をどうにか生き延び、人類の延命のためにはシステムをよみがえらすしかない。
根本的にはなんの解決でもないにせよ。幼い弟の一人が地球塔地下への挑戦を決心し、システム中枢への道を下った。かつて彼の弟がたどった道をたどり、彼はあのガラスの中の少女に会った。テレパシーで語り、教えを享け、愛することと再生の約束を交わした。立ち去るとき、彼はやはり彼女にむかい、
愛 の少女は目を開けて彼を見た。微笑む彼女は、本当に寂しそうに見えた。その微笑と向き合う彼は、互いを隔てるガラスの壁を叩き割って彼女を抱きしめたいような気になったが、再びくり返す地球の、将来のためには、今ここで彼女を解放してはいけないと思った。そして彼は、胸を痛めながら彼女と別れ、弟たちのもとに帰っていった。
「君は、寂しくないの?」
アスタリスは人種や遺伝的にではなく、全く突然変異的に、個人の特性として自閉的な性格と、テレパスくらいはとくに説明なく感受できた。作品世界の設定を若干無視して傍若無人な個性体。
前作のRemは、母親に虐待されていた女性トラウマがあるせいで女性に優しい。基本的に女性に厳しい世界でも、女性を虐待しないのは、ゲイだから。初代のRaldnorは女性に優しくない。暴力的に少女を犯して結果的に殺してしまったせいで、その面影を引きずるようになった。
そういえば、Astarisが何者だったかは結局、不明だったのか。Amanackireではないのにテレパス的なものを持っていた……だっけ。
凄惨な場面はすでに経ているけど、Visシリーズではこの第三部は心理的にギスギスしていないというか、平穏さがある。この章だけだったかな。
あと、ChacorにはTarlaというもう一人、女の縁があったと思うけど、それは……まあ後にしておこう。
15まで。Chacorがコメディの人物になりつつある一方、Rehgerのイケメンぶりがシリーズで随一かのよう。男同士の会話だけど、なんかタニス・リーの造形する美青年の理想像じゃないの……タオンのハヴォルのような。女性に優しい。
「more lovely than life」は「命(or人生)そのものより愛らしい」では、日本語ではぎこちない。訳すなら「命をかぎりに」…輝いていた、とか比較級にはこだわらないべきだろう。命短し、今を恋せよのような含み。
14。
急にコミカルになってきて読みながら途中から笑いだしてしまった。そこからまた一転して章の終わりまで、本当に凄くて参る。タニス・リーの真骨頂という気持ちだな。でも、まだ65%
『機械たちの時間』は、わたしはこれを「神林ヘリコプター三部作」の一作、のようにジョークで呼ぼうと思っているのだが、これ、と『膚の下』ともう一作なんかあったかなと思い出せずに三作挙げられていない。
『機械たちの時間』おわり、つぎ『時間蝕』。
本作中にはこういう意味の文がくり返し散りばめられている。とくにこの箇所を引用しなくても他箇所でもいいし、なんなら神林作品の近い年の別の作品からでもいい。これは1987年。わたしは最近、中南米のようなものを読んでいても連想するようなことを上で書いた。
雅歌の引用などは小説に珍しくないが、まさかオーラルセックスの描写にそれとは恐れ入った。上のように「デジタル・デビル・ストーリー」を併読しているところで、1993年当時に読み合わせていれば面白かったろうな。そちらはイザナギ・イザナミだが、これは「竜陽 の技巧」だから雅歌だという。そんなのありか。
13まで。Book Threeおわり。一言では言い表しがたいストーリーだ……「幸福」とか「自由」とかでは。読者感情もきっと様々だろうけど、言いたいのは、これはぜひ読まれるべき。きっと現代に流行らないとしても。
その観念的なテーマでないところで、この章の超自然的な火の魔法のシーンは、リーの作品中で何度もくり返し登場する。印象的なのは「冬物語」の冒頭のオアイーヴの点火の儀式の様子を思い出すだろう。シチュエーションとしては、わたしは『炎の聖少女』(ヴェヌス3)を想起していた。お気に入りらしいからまだ先にあるに違いない。
Palmv.
12まで。Panduvのストーリーがめきめき面白くなっていく。何これ。
このシリーズは人物等の呼び名が作中、行く先々の地方ごとの訛りで変わっていく趣向があるが、Panduvについてはもともと誰も正確に発音いないような奇妙さがある。Panoov、と呼ばれたときが良い線だったのだったか。元はなんだっけ。
11と12の半ばまで。とても楽しい。
夜、遊歩道を歩きながら片手にリーダーもって読み歩く。このフォームがいちばん合っているらしい。部屋にいてリーを読んでいると周りのものが非常に気が散る。他の何の作業とも気持ちが干渉する、との感じはずっとあって参っていたが歩くリズムにはぴったりだ。でもこの習慣になるとは思わない。
『蒼いくちづけ』おわり。つぎ、『機械たちの時間』。
10まで。Book Two おわり。
災害より核戦争のようなイメージで途中読んでいた。なにか連想していたのは、近い年では最近久美沙織を読んでいたので、『精霊ルビス伝説』(1990)かな。でもこれはタニス・リーなので、陰惨な光景の中に妙なブラックユーモアがまじるのと、勢いづいてくると韻文めく。