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この間の読書しているのが他の合間合間になっている経緯で、上の個別トピックにほとんど何も書いてない。それは、こんど先に再読することになったらまたそのトピックを続きで使う、こともある
Sabella、読了。やはり最後にはまた「The Birthgrave」の別のバージョンの再話のような印象も、少なからずする。
レビューを書くのは今夜もう疲れたかな。通読上のキーワードが多すぎる。「SFヴァンパイアもの」という当時のキャッチがここは基本。
冒険アビリティの漂流スキルは、系統にこの後なんの特典も追加なしか、『バランス調整のためこのまま』のようなあからさまな措置になるならほんとに真両。これはまあBP10程度のロスで、今のところ取り返しのつかないものではなさそうかもしれない。更新されない間は、漂流9がわたしのプロフィールで異彩を放つことになる。
魔剣士は北条院真夜/森夜の「光速で走れる」というネタから。アールエスには真夜の移動速度に淡く追加特性がある。
というのは、この通読の間、リー作品のメインキャラクターの年齢設定を手元にメモしていて、はっきり何歳設定とあることとないこととどっちでもある。Sabellaはもしかしたら「19歳」かもしれない……それだとまた意味深な符合を空想してしまう。
「11歳のとき」「14歳のとき」…とたびたび回想するが、Sabellaが結局いま何歳なのか文中からはどうもわからない気がする。だいたい二十代前半というイメージなくらい。はっきり年齢がわかるという箇所がどこかにあったかな? 今後再読のときのメモかもしれない。
この間の出版年次は、Hunting the White Witch (1978)から二年以内で、The Birhgraveの「私」やヴァズカーの感情とSabellaの感情には共通部分があるのははっきりわかる。だけど作品は同年頃でもアズュラーンにはそれは言われないので、仮にタニス・リーの邦訳の全読者でもリー作品のイメージに、リー作品のコアにある感情のひとつがごっそり抜けて今に伝わっている、ぽいのだった。よほど敏感か、イズムや文化的に察しのある読者なら漠然と感じてはいるだろう。
The Birhgraveの「私」については、Sabellaが殺しを狩りと捉えて自分は無慈悲だと自認しているのに、「私は冷酷だ」とくり返すごとに「もう殺したくない」という裏腹な思いを強めていく、心の傷のようなものが、くり返している。
Companions on the roadは、そのタイトルでそれがある。わたしの今、未読作品でまだ挙がるかなと。
このたび、ここのトピックで逐一書き留めていないけど『Sabella』はすごく面白い、というかタニス・リーの作家の続きテーマとしても面白い、あれもこれも連想が繋がるようで、ファンとして当時熱心に追いかけていたらこれは面白かっただろうな。短いレビューではちょっと語りきれなさそうなものがある。
Part Three, Chapter 2 より。
この感情と表現にはThe Birthgrave三部の最後に近く、with no companionという表現を思い出させる。リー作品の中では作品をまたいで連続しているテーマがいくつもあるが、これはなかなか注意して拾いづらい。
わたしはマキリップのアンチみたいになったが、そういえば最近ジェイン・ヨーレンのファンタジーについて(『三つの魔法』)その読者ストレスを上手く避けてみえるという感想をもっていた。ヨーレンの、もっとこれに近い作品は『光と闇の姉妹』『白い女神』をすでに積んでいるから、五代作品や久美沙織作品とその印象比べをしてみるのはあとで興味にはなる。
作者が『可愛い、可愛い』と宣伝する主人公に、読者はそのたびじわじわヘイト積もらせるというのは、まさに現代日本の文芸や文化風土にその筆法が抜けてでもいるのかと思わせ、でもオスカー・ワイルドとかストリンドベリとかダンセイニを読んでもそこの処はファンタジーにとってとても大事だと思うんだ。
ジャンルの主流作家を現在最新作まで追ってみて、その経過できっと『日本のFTがどういう需要・同化過程を経て、その間FTの何に注目され、何が抜け落ちてきたか』が読み取れる。ジャンル外では、『なぜ現代フェミニズムは自滅をたどったか』のようなことに視点を得られるだろう。
日本人にはそれは合わないか、もとにキリスト教的な背景がなければファンタジーにはならないのではないのか、というと『日本人に真正のファンタジーは書けない』という説のようになって、それもあながち嘘でもないと思うので悩みだ。わたしなんかはどこへ行けばいいのか。
それもあって、最近では遠藤周作などが昔思っていた以上によくわかる、のだった。その経緯は富野由悠季と言ったほうが早いけどな。
『美少女とは絶対いわないこと』や『超絶の美貌は身に付きまとう呪いとして、愚かな人類を侮蔑していること』などが1970年代頃の経緯としてこれまで読んでいるので、前回がElectric Forestで今はSabellaの間でこれは辛い気持ちになる。
だからこれは、リー作品の方向性ではなく、いわばちょうどマキリップのような乙女ゲー感覚に近い。わたしは、居たたまれない気になる。
主役のアトリとロナーのことは放っといて、読者としては混沌の側に与してこの世界の敵に回るのが好ましい読み方です、と言っているのかというと作者にその意図は絶対ないしね。デスタムーアだけに共感するみたいな。そんなのは冷笑的な態度だ、といわれるに決まってる。でもモラルはすでに転倒している。むずかしい……
会う人ごとに「可愛い、可愛い」と言われながら美少女自認はなく、周りから万全に護られながら「危険に晒されている」「不安」といい、ハンサムでお似合いな青年と王家の血筋との道筋が敷かれていて、倒すべきおぞましい混沌の勢力が前に置いてある。読者としては、とても居たたまれない。
わかるのは、リーを読んでいるときは近いジャンルの作家は併読には喰いあいが非常にわるい。『本邦の作家だから』といえば、日本人だからこうなる、こう書くという話に終始し、これはファンタジーでも日本の作品だからねという言われ方に、実際今でもなるんだ。どういう読み方ならよかったのかな……
ライトノベルの場合、結末は最初からわかってる。どういう過程だろうと、どうせそれなりに主人公が勝って終わるのに、途中の冒険をいくら語られても「どうせ勝つけどな」という読者の予見が壁になって、心の葛藤を語り切らない。
それで「死闘」には絶対にならないのにこれは真剣勝負ですという一応の約束で読者も暇つぶしにするんだ。それではもう飽き足らないとなったら作家も読者もそのジュニア向けジャンルから抜けていくんだろう。
カードでなくて、言葉・物語を武器にする戦い、語りで語り倒す魔術合戦では、わたしは『カレワラ』のワイナミョイネンをお手本にすべきものだと思ってて、それも何度かいってる。カレワラのそれは、根本には民族主義というのがあって、民族と切り離した純娯楽のための現代ファンタジーノベルに「物語を武器に戦う魔術」がその真似事以外になるのかというと、ならないとも思ってる。
今から小説を読むというのにそこまで先に言うことか。女の子の服装と化粧の話が興味でも面白いと思うけど。
『この世の始まりに、まずカードがあった』みたいな神話が問答無用にあり、物語の中でもここぞという見せ場にはカードバトルで白黒を決める、デュエルしろよというノリがしたくて書き始めているにちがいない。
これは……どうも魔法・魔術よりも、カードバトルが主題の、ゲームの世界観設定として書き始められているような印象の小説だな。カードバトルものは全くわたしの趣味じゃないが、ゲームのコンセプト小説みたいなものが嫌いかというと、鈴木銀一郎の『ドラゴンライダー』などとくに気に入ってここでも紹介していることもある。
被害者意識に発して語る自立、団結、愛、フェミニズム、というのは子供にしか通用しないが、子供向けの本なら良いともいう。子供向けだからこそいけないとも思える。
ル・グインは作家が読者を洗脳しているようにしばしば感じるが、リーは読者が作家を女王か女神かのように崇拝している。
『骨牌使いの鏡』を開く。わたしはまだタニス・リー通読がメインなので、読み始めそれと比較するような気分が続いていて、それでいうと、この作品はわたしの最近の印象ではリーよりもマキリップのような感触に近い。世界全体が、魔法について理解がある。主人公はアウトサイダーではない。『Sabella』のまえがきに書いてあるけどリーの主人公はアウトサイダーしかいない。
ダークファンタジーのジャンルでは、世界がダークな一方で主人公の周りにそれなりに理解者が集まっていると、『この世界は間違っている、私が正しい』という言外の押しが強まり、読者がその目線で読んでいれば往々にして作中のメッセージにしている善悪の印象、語るべきモラルは転倒し、小説の主人公への好感は薄れて敵役の悪者のほうばかりに関心が集まることになる。そうなるとファンタジー作家の失敗だ、と理解するようになった。
読者はいつも裏読みをするものだ。でも、ライトノベル・ジュブナイルだからと割り切ってしまえるレーベルではそんなこと言うのは大人げないということもある。でもファンタジーの格は落ちる。それくらいまで、読み始めて一瞬で考えてしまった。五代作品ってどうかな。
『Uの世界』読了。内容を読んでいては気づかなかったが、これは手元にしている本が1989年第1刷とあるが、収録各篇の初出は1982~84年。あとがきにも書いてある。そのつもりならここまでずいぶん順序が違っただろう。
上のリストに少し書き込みしておいて、つづき『帝王の殻』かな。
生命場理論の次の展開は『Uの世界』にある。地球を離れて地球生命場から遠ざかると他のどんな理由もなく人は死ぬ、というエピソードも。
『Uの世界』の世界の収録作品は初出は82年から84年だ。ここの順序を今後入れ替えたほうがいいのかな。
時の帆