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ポセイドンの使い
地球塔が巨大なコロシアムになり、誰もが闘争を遊戯として熱中していた頃のこと、下層階の街に一人の若いミサイリストがいた。心の正しい若者で、ミサイル製造の才能に恵まれ、本当ならスペシャリストになることもできたであろうが、貧しさのためにゴート協会に納める上納金もまかなえず、世の中の有力な人々に縁故を求める伝手もなかった。
毎日の暮らしの糧を得るため、若者は傭われてマフィアの主催する地下のミサイル試合のための娯楽用ミサイルを作っていた。コロシアムで行われるビッグ・ゲームでは、戦士達は戦いを勝ち抜けば、やがてオクタビー伝説のようにあらゆる願いを叶えるとも歌われる。地下のミサイル試合はそうした夢やロマンとは無縁に、ただスリルと金を賭けての賭博である。無法な爆撃の応酬がくり返される中でも、若いミサイリストの作るミサイルはできるだけ無関係の市街に被害や汚染を広げないよう発射されたから、常に派手な破壊のみを求めている観客にとって、地下試合での彼の人気も奮わなかった。
ミサイルの技術に自負を持ちながら世に出ることはできず、無為に才能を埋もれさす日々に、若者も気持ちを燻らせてはいた。八百長試合でない、本当の闘いがしたかったし、一発で一つの文明を滅ぼす本物のミサイルを作り上げ、誰もを見返してやりたいと思わぬわけではなかった。そんなある夜、若者の貧しいラボに見知らぬ客が訪ねてきた。十字の飾りのついた覆面の紳士は、海洋都市からの使いと名乗り、伝説のエウテルペ人のような古風な話し方をした。
ガレージの灯の下で使者は語った。海洋都市ポセイドンでは優秀なミサイリストを求めている。都市の中枢制御体である巨大コンピュータは幾千世紀もの稼働を経て狂気に陥り、いまや市民一人ひとりの生まれて死ぬまでを鉄の規律に抑えつける暴君として振る舞うに至った。自由を求める人々はコンピュータ、ポセイドンへの反抗を試みたが、ポセイドンは古代の超科学による異次元の障壁に守られ、それに対する有効な兵器をもたない。ポセイドン破壊を可能とするのは、銀河神話の悪魔のミサイルのみ。そして、悪魔のミサイルを作り得るミサイリストは、この宇宙で現在、ただ一人しかいないというのである。
聞かされる話は荒唐無稽で、途方もない物語にもかかわらず、若者の気持ちは動いた。海洋都市の人々は厚い待遇を約束してくれた……だが、報酬や称賛が目的ではなかった。――私はいままで、自分は孤独な人間だと思い続けていたが、遠い海洋都市にも私を知ってくれている人々がいた――旅立つ理由は、それだけで十分に思えたのだ。
海洋都市にラボを移したミサイリストは、その地の社交界に迎えられて大いに名を知られ、もてはやされることになった。当時気鋭の科学者達とも交流ができ、乞われて講演を行ったりもするにつけ、彼自身の自尊心も大いに満たされた。都市の中枢コンピュータ、ポセイドンの実体は通常、都市の上空、宇宙空間に存在しているが、年に一度のメンテ祭りの日には大気圏に向かって降下を始める。攻撃のチャンスはこのときである。ただし、ミサイルの誘導に際して衛星をはじめ、一切のコンピュータネットワークを介してはならぬ。これは必ずやポセイドンに察知されるためである。すなわち、ミサイル自体の自律的な予測判断に頼まねばならぬが、それには高度な知性プログラムが必要だ。おおむねそうした議論が交わされたが、若者にはノーストリリアの古文献にもとづく自信があった。試すべき秘訣は全て分かっていると思った。
発射の日、ガレージに完成したミサイルの下で、ミサイリストは自分の子供と語り合う気持ちで作品と向き合っていた。そのミサイルがどのような外観、形状をしていたかは知られていない。(臆説するところでは、それは人の形をしていたともいわれる。)やがて降下してくるべき標的について、ミサイルはすでに全てのことを知っていた。発動を意思し、エンジンに点火した瞬間、それはガレージから忽然と飛び去り、ふわりと微風のような浮遊感だけを残して消えた。無限の紆余曲折をたどって因果の隅々に設けられた障害をくぐり、標的の存在の根源にまで突入、もろともに爆破し、過去現在未来にいたるあらゆる時空から消滅した。制御体ポセイドンは無に帰し、海洋都市の人々は解放された自由を喜んだ。
若いミサイリストは海洋都市を去り、その後の消息を絶った。その後、しだいに判明してきたことは、破壊された制御体ポセイドンは本物ではなく、ダミーであり、それは真のポセイドンを封印するために設けられたカウンター装置であった。封印を解かれたポセイドンは真に悪魔的本性を表すことになったというが、そうした顛末はミサイリストの若者にとって、どうでもよかった。ミサイルに知性を与えるとき、ミサイリストはその意識体に己の魂を吹き込むという。自分自身の分身、わかり合う友、恋人ともいうべきミサイルを爆破したミサイリストは深く心傷つき、パイプを埋めて出家したのちは、ミサイルを弔いその供養に生涯を費したという。本当のことはわからない。ミサイリストの心の底を、誰が知っていようか。
その後、ラルドナーは英雄としての役目を終えることでhuman manに戻る。ヴィスの物語伝承からは退場する。
このあと、「The Silver Metal Lover」(銀色の恋人)には完璧な美青年のシルヴァーに対して「人間の男」を較べる言い方がある。human man の対極にあるのは、ルシファー。
ポルノを読む億劫さ 1 / 2
野阿梓通読から、魔少年を人間扱いするジョージクと、女神として人間の男ごときを蹴倒すタニスヒロインのこと
「クィア」を名乗るのはそんなに格好いいことか。鼻持ちならないことには何にだって反感をもつ。「You are not alone」と歌っているコミュニティになどわたしは絶対にその輪に入れそうにない。……
それはこのまえの現代の音楽、向井航「クィーン」のときに考えていた。群れるのが悪いとは言ってない。
野阿梓作品のゲイはマイノリティの意味では全然ない、あらかじめ。耽美小説のゲイは、純粋に男の子と男の子が美しいし気持ちいいからだ。でもサイキック戦には弱みがあるように思う。
人間性については、『バベル』の譲次は、雅日子を人間と認めることで魔少年の魔性を破ったが、上に言ってるようにわたしは譲次の態度はいけ好かない。それは、今度は「語り」の問題。その点ではタニスはリフレーミングの名手だった。
この言葉を、深夜に目が覚めて思い出していた。
催眠術の支配力に柔道の物理で勝ったというのでは、それほど面白くはない。それは、雅君への愛で精神支配を破ったわけでもなかったはず。
精神支配力(カリスマ)の話は、野阿作品でも共通してあるはず。わたしは、ストリンドベリのヴァンピールなどに遡って辿っていたが、父権的や男性的支配という言い方にすれば、男の言いなりになって抵抗もできない女性…というフェミニズム小説のシチュエーションが思い浮かぶ。それをぶっ壊すことをモチベにしている点では、ゲイのサイキックは弱いのか。「LGBTだから」というのでも、それほど強みなのかはどうなのか。
旧支配者の末裔を名乗るヴァズカーは、ただし純血ではなく、正体は野蛮時代の人類の魔術師の一人にすぎない。「おまえはただの人間よ」――と暴いてみせると同時に、フェミニズムのヒロインとして「あんたなんかただの男よ」には強烈なアピールがある。
human manという表現はリー作品で年数を空けて再登場することがあるのでメモ。
やっぱり、まず全作品をコレクションしておいて、つぎには、どこから読み返してもいいように野阿梓Wikiがほしい、と思うがわたしがつくるようなものではなさそうだしなあ。初読で。
十周とはいわないけど、五周くらいしたら自分の手のひらを指すように該当箇所を指示できるかもしれない。そこまでファンにはならないのではないかと思う。
『黄昏郷』
「眼狩都市」だけでも先日、読み返していなければユマジュニートから名前を思い出さなかったと思う。
神林周回を中断してすっかり忘れているけど、『天国にそっくりな星』(1993)がこれと年が近いな。似てる作品なら、もっと別の作家を挙げるべきだろうが、わたしの手もとの。
次、『黄昏郷』。あまり読み進めが早くないのでのんびりしていたら手許に準備した本が尽きてしまった。野阿作品の入手は現在、容易いので、追っていく。
後藤健『メソポタミアとインダスのあいだ』(2015)を読む。読み始めてすぐさまわたしの今のキャパシティを超えるが、わからないのは地名であり、どこどこ遺跡の第何期というジャンルの用語であって、文章は理路整然として読みやすい(意味はわからないが、読みやすい、という)ので、今は一回通し読んでおいて、これから地図や図版を自前で足していって概観を補っていくようにしよう。
こんなのは初学のための教科書とは違うが、今はコンピュータも使っているしそういう順序でもわたしの勉強にさせてもらう。これに専念している余裕はないけど、この間からわたしの知りたかったのはこの話だったとは思う。
短い「イシュタル讃歌」のあと、長い「エラの神話」。全然文意が読み取れず何もわからない。
「智慧文学」は今回省く。わたしはその類を読んでいるとうんざりする。この本のアッカドの部は今ここまで。やっと宗教学の方に戻るが、そのまえに、ディルムンのことなどで別の本を読むかもしれない。先は長いので、横道は先にしたほうがいいな。
ポルノを読む億劫さ 1 / 2
Book One: Iscah
じつに45ページが読み進まないほど、気持ちが上がらないぶん本文の外のことをあれこれと長く考えるのだが、1988年までのリーの作品の中でもこの章のような話の型は、もう何十回かくり返したのではないだろうか……。属性に分解したら目新しい要素はない気がする。それで、この話は以前にあったろうか。
ラルドナーなり、ヴァズカーなりのエピソードは、息子目線だった。今ばくぜんとそれくらい。
引喩については、現在読んでいるわたしの感想としては『Wiki立てたい』と思うものだが、1980年代、90年頃にその欲求についてはこの本の解説に書いてある。それ自体をまた紙の冊子で頒布しても埒が明かないだろうと思うが……わたし等が今頃することではなさそう、またその任務でもない。
そもそもわたしは今その関心ではないはずだ。コンピュータゲームなんかから得るものがなくて久しいので作業として手頃なテーマがほしいだけだった。
『五月ゲーム』読了。次は『月光のイドラ』かな。
生まれ変わりと言い切る
「アマンディーヌとオクタビアンを混同(習合)する」テーマのことは今、忘れていた。その気分ならわかる。
ファウストが見慣れないエーリを見ながら、「エリスの魂はおまえに転生してたんだっけな…」と無理に自分を納得させるような気持ち。魂の定義がなんであれ、そんなのは別人と思ってよくないか。
――これは「同一人物ではないか」「関係がある」と誰でも当り前に(順接的)想像される。
それか、同時に同じ場所に居合わせて会話している。互いに敵対してさえいる
――にもかかわらず、「両者は同じ人」と断言するのが習合という現象の面白いところで、その筋道も語られていい。
なんで野阿作品では「りんかく」はいつもひらがなで書かれるんだろう。りん、や、かく、がそのものの縁取りのような響きのイメージがあるんだろうか。
間蘇伝説と天馬ひとみ伝説
昔、塔低層のとある街にヤムヤムが棲んでいた。街の子供は皆、大人達に隠れてヤムヤムにゴミを運んでいた。低層の都市では地域紛争がたびたび流行り、彼らの住む街の通りにもしばしばロケット弾の降る騒然とした時代だったが、建物の瓦礫を片付ける人手はいつも足らず、廃墟となり放置される区画があちこちに増えていた。
リュックを負った子供達の群れは無人の廃ビルや倒壊した高架道路の間を縫って歩き、かつての街の痕跡に残る廃物を資源として拾い集めた。建物に用いられた建材であれ、住居に遺された家電や日用雑貨であれ、価値のありそうなもの、なさそうなものも何でも拾い、引き剥がし持ち去っていく。リュックいっぱいの廃品をその日の収穫とし、そんな探検行を何日、何度と行き来しても、ストリートのゴミは一向に尽きなかった。新たに街にロケット弾が降るたびに破壊されるストリートは常に増え続け、減ることはなかった。
処理場に棲み着いているクリーナー・ヤムヤムに食わせてはならないものは規則で決まっているが、廃墟を行き交う子供達は規則に頓着しなかった。安全な地上に近い層では子供達は互いの結束を守り、そのつど大人の目を盗んでヤムヤムに禁止さられた餌を食わせ続けた。正規のゴミとして与えてはならない、不正なゴミをヤムヤムに与えるとどうなるかは、だから子供達は皆よく知っていた。たとえば、ヤムヤムにまだ中身が残っているコーヒーのペットボトルを与えてはならない。大変なことになる。
そんなアウトローの子供達に悪事を教え込んでいたのがタンホイザーとアレクだといわれている。ヤムヤムの体内の分子変成炉は与えられた廃物を消化し、再構成して吐き出すリサイクル機関として利用されていたが、これには、アルミの空き缶をスチールの鋳塊に変成するようなアバウトなところがあり、その錬金術の法理を知り尽くしている者は誰もいない。この日も子供達が街から運んできたありふれた銅鉱やジルコニウム、日本刀、古下着、文芸書のファイルを、ヤムヤムは与えられるままにもくもくと食った。お父さんの形見や、さよならの宣告、天下無き視点、闇からの声も、ヤムヤムには食えないゴミではないようだった。ヤムヤムは、どんなに不純や不正なゴミのことも「まずい」と言いながら食うことは食ったので、実験に熱心な子供達もヤムヤムに対してむごいとは思わなかった。
とある女性の眼帯とおぼしきそれは、発見した子供がどのようないきさつで手にしたかはわからない。与えられたゴミを咀嚼したヤムヤムはひとしきり――通常より心持ち長く――ぷるぷるした後、ムムムッと唸ってそれを吐出した。見慣れない生成パターンを見守る子供らの目の前で、それはうごめき、しだいに生きものの姿態として見分けがつくまでに形を成していった。きらめく繊維に埋もれてみえるのは裸の人形のよう。丸びた、幼い顔はやがて金髪の女の子とわかる。息づいて、薄っすらと目を開いて辺りをみとめ、ニコッと笑顔を見せるともう無類に可愛かった。――間蘇だ! 誰かのささやき、そして、讃嘆のためいき。
間蘇の出生には諸説ある。スターダンスの母であったアマンディーヌが死した後、次なる転生の姿が間蘇とされるが、間蘇と呼ばれる少女がどのように発見され、南極老人星に保護されるに至ったかについて定説となる伝承はない。ヤムヤムから生まれたとするのは異説中の異説である。あいまいな人格にかかわらず、間蘇は宇宙の民衆に古来ふしぎな人気があり、商業や宇宙航路の守り神とされた。猫の喫茶店の常連のアストロノーツには今でも間蘇のファンが多い。神話上の役割の重要さと大衆の人気は必ずしも比例しておらず、神話ではスターダンスを見送って幼女から老婆に変わったといわれる間蘇だが、廟に祀られているのは老婆になるまえの姿のままのこともある。
新ゴート機構による教義が広まり、間蘇の前世のアマンディーヌが復活された後も間蘇独自の人気は衰えておらず、民間信仰ではヘカテと同一視される魔術や冥界の神としての間蘇の権威は絶大だった。冥界王朝の都にあっても冥界の民は死神王家の信仰と無関係に間蘇廟を祀った。商売繁盛のご利益をたのんで商店に間蘇のカードが飾られているのはありふれたことだが、スペシャリスト・カードの間蘇の宇宙的価値はことに高く、マニアの間の交換レートはステファニアの五倍、ロマンシアの十五倍以上の相場を常に保った。こうした取引の界隈の過熱ぶりは常識では計りがたいものがあって、レアカードのためには彼氏を売ってもいいというのがこの道の星士だと思われていたし、天馬ひとみは実際に売ったと信じられていた。
経緯 1 / 2 / 3
『五月ゲーム』の前半、「五月ゲーム」まで。オランジュの出てくる前回の話をもうすっかり忘れていた。誰。後でいったん『花狩人』にもどり、「眼狩都市」だけ読み返しておく。
ここまで読んだ本を手許で探したところ、きょうちゃとう、とは読み仮名してある本はなかったようだ。なるほど。
『五月ゲーム』を開く。開いてすぐ、文中にルビが振ってある「狂茶党 」――だが、きょうさとうって読むんだったか。もしかして今まで一度も読み方を示されていなかったかな。
『ルート350』(2006)読了。
『ロックンロール七部作』(2005)読了。