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その威力あるものを

「ですが、しかし、その威力のあるものを、王はまちがった使い方をしていると感じます」

アニメの台詞と少し違うが『リュクス姫様の父であり、王であるならば、その威力あるものを正しくお使いください!』だったと思う。その威力あるものを、のところは視聴者は多分そうとは聴き取れないと思う。小説のほうで確かめられる。

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 羽は最大限に展張をして、風を正面からうけさせるようにして、凧のように滞空をする気持ちで、おおきく旋回をする。

富野文に慣れていてもなお時折この「を」の使い方に目が止まったりするのだが、一文に三連の使用はあまりないだろうか。富野文中でもこの用法は、主にメカの戦闘機動の叙述にするもので、加速をかける、とか、後退をする、という。「(羽の)展張」「滞空」「旋回」という一つひとつが機動の一単位として語っているニュアンスがある。

「滞空する」「旋回する」という気分とは違うんだ。と思うけど、その説明は決してされたことがなく、そんなことは言う必要も絶対にないような態度でもあるから富野ファンに対してでもあまりいわない。あえて真似をする必要はない。

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いや違う、たしかその「濡れる」ことを「しげる」とか「おしげり」と言うんだったか。上を書いたあとに思い出した。それでなければ忘れたまま通過してただろう。ちょっとこわいな。

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途中の一箇所、言葉の意味があやふやで通ったのは、

「ああ! この薫りじゃ。未熟(うみつわ)った果実(くだもの)のごと(こく)のある、繁れる霊猫(シベット)のごとなまめかしい、この薫りじゃ。

この「繁る」は「発情する」の意味か。繁殖の繁。植物のことかと思い、シベットが何だったかふと忘れた。

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『バベルの薫り』読了。幕引きを預かる譲次君はその役だとはいっても、全部彼が持っていくみたいでずるいよ。やはり鍼のところが断然クライマックスで、主役は孤悲、と思えるんだから間違いではないと思う。

次は『五月ゲーム』を準備しているけど、少し間を空けようかな。そう言っていてもあまり縛るものはなく読んでいるかもしれない。

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そして戦艦フガクは、コモンの人々のロマン主義も含めて、夢の実現!

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katka_yg 2026/03/31 (火) 12:14:53 修正 >> 439

無垢のフェラリオやエミコちゃんに語らせれば夢や希望に聞こえるものを、悪意的に歪めてるんじゃないか?というのは、そういう風に読むべきではない。『どうせ伝わらないのでしょうが』というペシミスティックな言いは、ファウファウでも同じだ。

迫水真次郎はその使命を糧に、個人的には地上への望郷や憎悪ももろともに燃やして浮上する先を求めているんだ。その情念は子供には足りない。フェラリオの節を横に除けておいてようやく生き神様のところに戻るみたいだな。

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その使命なる求めにより、圧倒的なオーラバトラーと巨大戦艦を率いて地上の日本国を制圧しに行こう、という言い方をすれば、フェラリオのファウ・ファウと英雄たる聖戦士の違いはわかりやすいはず。

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地上界(地球)の人々にバイストン・ウェルのことを伝える使者として――というのは、もっと早く『ファウ・ファウ物語』のようなストーリーを読んだほうが素朴に読者にわかる。ファウ・ファウは、ファウ・ファウのことを地球のみんなが知ればきっと幸せになるのに、というくらいのごく素朴なはなしだった。

『リーンの翼』の中では今回、前の巻の頃に「ガロウ・ランの神話」のようなトピックで、地上の歴史をバイストン・ウェル物語に編入するもくろみとして考えていた。それは作家・富野由悠季の野心として。

「バイストン・ウェルがある」と地上の人々が皆知れば、地上界の現代史もバイストン・ウェルの存在を踏まえて語り直されなければならないだろう。個人の生き方も国家政治もバイストン・ウェルありきで考え直されることになるはずだ。

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katka_yg 2026/03/31 (火) 11:38:03 修正

地上/バイストン・ウェル融合の思想

「第十章 ホウジョウの王」
オウカオーという特殊な一機のオーラバトラーについての話から、その開発にいたる技術的背景が語られ、ことはオーラエンジンだけではなく地上由来のコンピュータ開発も行われているんだ等。

オーラバトラーの話は技術問題だけに済まず、マシンを建造できるための基礎工業力が求められること、この地のこの時代の社会つまり政治を考えることになり、迫水がなぜ政治を考えるようになったかを振り返れば、迫水自身がこれまで出会ってきた人々、体験がある。何より、聖戦士として世界から求められていることを問わなければならなかった。この長い年月、理由はわからないが、自分は若いままで歳を取らない事実はあったからだ。

芋づる式に話は引き続き、迫水の聖戦士の使命とは。バイストン・ウェルと地上界を交流させる、ひとつに繋ぐことが迫水=現代の聖戦士の使命ではないか。

旧伝説のリーンの翼の聖戦士は、ひとつの戦乱が収まれば去ってゆき、また後の時代に現れては同じ伝説をくり返す。「歴史のくり返し」を語り続けている人々の心、バイストン・ウェルの世界観には「世界存在は無限である」という前提が、ある。

 時代は輪廻し、人も輪廻するというのは、世界が無限であるからと思われているからではないのか?
 その世界とは、つきつめるところ、人が生かされている地球のことである。

バイストン・ウェルは地上の人々の心の反映ではないかといわれている。そして、その地球については、地球上で人を生かし続けるには限界に来ていると近年言われているのだった。このことを解決するため(地球を永遠にするため)に聖戦士は地上界にバイストン・ウェルの存在を教え伝えるのが使命なのだと思い知った。まで。

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日本語の詩文を作ってその韻律がお笑いを誘うとか、官能的な文章を書いてもそのエスカレーションからあっという間に陳腐さに落ちるとか、わたしは元からそのことにはずっと自分の興味として追っているんだよ。もっと前は、怪談と書いてあっても何一つ怖くないというホラー小説ジャンルのこととか…。

ここには和歌の作業所を置いているだけだが。こういうのを今やっているのはとても勉強になる。

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75まで。
「本当に昨日のことだったのか」など、作中でも言い出すあたりで失笑を禁じえず、上に書いた集中力を結局保っておけない。シャペリエらの一行のほうの話はもうどうだってよかったような、ぐったりした自堕落感に読者の方がなっていた。まだ30ページも残っているのか。

野阿梓作品はあと三冊すでに次を準備しているけど、また少し間を空けたほうがいいかな。作者一連の慣れごとや、ジャンルのお約束めいたものを念頭に思いながら読むのは、時間が勿体ない。

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このあとに、「全体としての感想は、おしなべて退屈だった」となったらひどいだろう。何としても、その退屈が気分に混じってくるのだけを阻止せねば。それだけが思念になるみたい。

でも本作は、孤悲や譲次君の人物は最初からポルノのためにでっち上げたような作り物っぽさで、その舞台に上がるのを予期して待っているものを「退屈するな」は悩ましい。

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すさまじく、燃えたぎり、氾濫し、爆発する……のたぐいの語彙はすぐに印象が飽和するし、羞恥がないか、いやまだあるかは馬鹿げた質問に成り下がるだろうし、そればかりこの何週間も考える。

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65まで。

本当に面白い。このためだけにここまで読んでいるのだろうなと思うのだけど、それだけに、ここまでの作中世界構築に食いついていなければ熱心にのめり込めなさそうだし、この章の真っ最中にさえ、ふと読者の気がそれると陳腐さ・可笑しさの気分に儚く壊れそうで気が気でない。鍼の術のむずかしい字が呪縛しているのか。

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katka_yg 2026/03/27 (金) 16:16:40 修正 >> 30

欄外情報のトレンド

文学伝統(古典)や、軍事や宗教等々についてあらかじめコンテキストの諒解や、それなりに知識のあることを求めなくても、現代の読者は、もしも文意が噛みこなせなければその場でネット検索して言葉の最低限の意味だけは拾ってこれるのだし、なにも文中にびっしりと注釈めいたものを書き込んでいなくてもいい。

ルビや割注、文中の余談に情報を埋め込んでも、その注釈の質が高いわけでは必ずしもない。漫画の欄外に注記やコメントを埋め尽くすような一時期のトレンドも連想させる。そのコメントが簡潔で適切かどうかも頭悩ませた上で「当時の気分」を喚び起こさなければならないだろう。

文章が簡潔でないこと――紙上にたくさんの文字を列べることに視覚的な「映像効果」を求めたようなもの――も、読者のほうが普段コンピュータも使っていてその処理に長けてくる二十年後くらいにはほとんど効果がなくなると思う。一過的な流行りで、表現としては当時的なもの。1990年代頃のラノベにはよくあるが、今頃ではもうその時代ではないだろうという理解。

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そういう編集、読者がページにメモ書き込みや、付箋を貼ったりもしないでくださいというなら、元からそんなややこしい文章の書き方をしなきゃいいんだ。このルビ多用については、それほど印象的や美的な効果があるともわたしは思ってない。「作家の特徴」ではあるから出版社や編集が勝手に廃してはだめだ。

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katka_yg 2026/03/27 (金) 15:36:02 修正 >> 31

電子書籍に内蔵の機能として低水準のルビはオン・オフできるようにして売るか、あらかじめルビの表示は必要最低限にしてあっても、電子リーダーではもしも読者が漢字の訓み・意味がわからなければその単語選択すれば辞書が起動するからまず要らないよ。ということが、現代の出版物にはまだまだ認知されていないと思う。その現状で、読者がどういう態度をするかは他人に言ってもな。

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katka_yg 2026/03/27 (金) 15:27:33 修正 >> 30

ユーザーがすること

読者の文芸慣れ、著者慣れのレベルについては、電子書籍版では最低の水準であらかじめ全読者対象、ビギナー向けとして、その筋のファンには無用なルビもたくさん盛りつけてあるだろう。鬱陶しいのはそれになる。

こうなると、電子化としても市販の電子版を求めるより、紙書籍から自炊して個々の読者に応じたレベルまで剪定することが必要になるのだろうがその作業はとてもたいへんだ。しかもそんな利用はあまり大きな声で言われない。

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野阿梓作品のルビ編集

もうひとつ特殊な感想があって、本作は文中に猛烈にルビが多い。1ページ中に3箇所は必ずルビが振ってあるので、目で読まずに声に出して音読してはまず意味・意図が伝わらないだろうなと思えるほどだ。

その趣味の良し悪しは置いとく。いやなら作家を読まなければいい。昨年まで、古川日出男でもそうだったが、これらは90年代から一過性の文芸の流行りで、それが現代の読者に「かっこいい」と思えるかどうかは、どうだっていいこと。

それとはまたべつの煩いがある。意味上、特殊な読みを求めるルビ、銃の名前を軽機(ムラサメ)と書くような、ルビがなければ絶対に読めないものは、意味上必要だろう。黄昏(たそがれ)黄昏(おうこん)のような場合、どちらも文中で使われ、その箇所の文脈からもどちらとも読めるが著者の意図するところ(音の響きの感じ等)はこう読んでほしいとしてルビが振ってあるところも、要る。「黄昏れる」と書いてあればルビがなくても読者はまず確定して読める。

一般書のコードとして、訓みが常用水準ではないから同社の出版物には一律で振られているレベルのルビというのは、この種の著者にはいらない。「(くず)れる」のような読み仮名はもはや目に煩わしい。野阿梓作品の場合には「凝視める」「凝っと」などは常に使われるので、ハヤカワ文庫ではそのルビも振られてない。

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「アンドロギュノス」と「ヘルマフロディトス」にはニュアンスの違いがあるが、わたしの興味があるのはたぶん後者。でも収集は大雑把にするべきで、タグ名をそちらにする。

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上のは、
ファファード&グレイ・マウザー3/霧の中の二剣士より「魔道士の仕掛け」(1947)

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katka_yg 2026/03/26 (木) 17:23:30 修正 >> 23

ヘルマフロディトスタグ

インセストとヘルマフロディトスは一緒にせんでもいいだろう、一度にはどっちかにしろみたいな。

ファンタジーを読んでいるとヘルマフロディトス(的なもの)の題材はたびたび現れ、しばらく前にファファード&グレイ・マウザーのどれかで浮上したときに、そのつど情報収集はしておこうのように言ってそれっきりだった。ブクログのタグに「ヘルマフロディトス」を付しておく……やや長いタグ名だが、これくらいの字数は可。

あと他に最近は、やはりタニス・リーではないかと思うが、どの作品がそうだったかすぐ思い出さず。性転換と両性具有は違うしな。「あのへん……と思うが、すぐにそれと思い出さない」からそのタグを振っておくんだろう?

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恐怖が期待に、嘔吐的嫌悪感が快感に塗り替えられていくまでは、猟奇するだろう。マインドレイプされてウェルカムになってしまうと、はっきりとつまらない。わたしはこういうテーマにあまり踏み込んだことがなく、どこにその創作の塩梅があるのか不明だ。

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孤悲や譲次の主役の心情に添うより、天皇制や神道や数秘学や言語の話が、今わたしにはたびたび興味ある刺激なのだが。

それよりももっと俗に、

「うーむ。そこまではな、何とか判った。鼓腹撃壌という故事が中国にはあるが、為政が民衆にとって空気や水のようであれ、という思想(ユートピズム)は、たしかに権力者には危険な魅力だ。支配されていることを知らない奴隷が最上の奴隷というわけだからな」

のような台詞ひとつだって、わたしには「鼓腹撃壌」のような語についてきっと同様の感触はもっていても、はっきりと表現にならないと思うので読んでいると気持ちがいい。

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山田風太郎などを読んでいるとよくある。とにかく数多い作品群の通読中では「前にもみた」という凌辱シチュエーションを何度もくり返すので、そこの思考停止しないとならない。

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katka_yg 2026/03/26 (木) 17:01:35 修正

猟奇慣れ

譲次君の災難がどこまでエスカレートしても読者的には『だよね』と、あらかじめ承知のうえ頷くような、身も蓋もない猟奇慣れの感じは追い払いたい。羞恥もないのかというと羞恥はあるが羞恥は精神侵蝕され……結局羞恥はないのか、とどこかで短絡してしまい、ポルノ感覚は飽和するみたいだ。

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第九章まで。

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あとで気づいたが上のところの文章でふと読みが止まり、気持ちが途切れたのは、わたしの場合「HAET弾」。それもミリタリ的な蘊蓄でではなく、この小説当時よりずっと後に、ネットのオタク会話の中でHEATは今どき使わないとか有効かどうかの論議をみて辟易とした覚えがあってそれで水を差したらしい。

でもこれ1991年の作品で、そのたぐいをもしも一々気にしていたら野阿作品読めないはずで、後追いで読んでる読者がアンフェアだ、と。

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同時併読していると一方が他方の気分を食う作家作品の関係というのはある、と最近は他でもわかっていた。タニス・リー通読が同ジャンルの併読に向かなすぎるのが悩みで……。このところ野阿作品を開いていると、ハサウェイ等の富野作品をしきりに連想することがあるのと、その間になぜかAMゲームの再開していたのには「捌け口」になる気分上にきっと関係がある。

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katka_yg 2026/03/20 (金) 20:48:34 修正 >> 19

しばらくの間、真面目に読んでいたが攻撃開始とタスクフォースの装備を数ページにわたって列ねるところでまた、格好良さより「陳腐さ」が勝って読み進まなくなる感覚に襲われた。

これは不思議なようで――脇で併読しているのが『リーンの翼』で、それはオーラで動く人型巨大ロボの話だ。ナンセンスさはバイストン・ウェルの方がこの比ではないと思う。作中のリアリティ云々より、富野文がなぜ読者の気持ちを牽き続けていられるかには作者自身が「こんなものはナンセンスなのだが――」という自嘲的な語りを、ことあるごとに割り込ませ、読者はその混ぜ返しをバネに「これがリアルだ」という思い込みを勝手に強めている、と思う。

べつに今、野阿作品を下げて踏み台に富野を持ち上げようとしているのではなく、どういう心理が効いてるのかと思うんだった。レモン・トロツキーみたいな最初から稚戯なネーミングで萩尾望都の表紙だとこの「陳腐さ」の感覚をあらかじめ防いでくれると思う。三十年後に作品をフォローするのは、前のめりに共感していくにはたびたび気持ちが難しいことがあるな……。

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来て一日目の譲次君に求めるものが過大じゃないか…。

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katkaさんの感想・レビュー
katkaさんの富野由悠季『リーンの翼 3』についてのレビュー:富野由悠季氏の小説作品の中でもとくに異例のスタイル...
Booklog

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3巻読了。続けて4巻。

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katka_yg 2026/03/20 (金) 11:49:53 修正

なぜ錦帯橋を砲撃するのか

 金本とロウリィは、爆煙のあがった方向から錦帯橋あたりと推測したのだが、岩国城かもしれない。
〝よりによって、なんでそんなところに弾着したのか!?〟
 その砲弾の推力がオーラ・エナジーにかかわるものだったので、歴史的な意味のあるものにシンパシーをかんじる性格があるともいわれていた。

そんな馬鹿な砲弾があるか。あってたまるか。

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夕凪の章~箏のための (1990)

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地響風韻 (1990)

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生き神様考」のような予備的なトピックはその後、そんなに進展したわけではないが、この間半年ほど、それをきっかけに巡った範囲はわたしにはなかなか収穫が多かった。

エイサップが膝で殴られたことでオーラロードを開く一端の端点だったとわかる、思える、みたいな読み方は人にわかるものかな? それがわからない人とはわたしは一緒に作品を喋りたくないとも思うので、それなら「誰でもわかる」と言ってもよかろうものだ。

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遅読すぎるほど遅く読んでいるとはいったけど、やはりここに来ると一挙にラスト入ってきた気がする、熱くなるね。だって前半のガダバ編の新旧対読にもあれだけ丹念に読み込んだのは初めてだ。「やってみたかった」とは最初から思っていた。それは、富野小説の通読を今回再開したときに、だな。迫水にもエイサップにも普通の並の読者とは思い入れが違うよ。