かとかの記憶

リーンの翼

378 コメント
views
katka_yg
作成: 2025/07/09 (水) 11:51:54
最終更新: 2026/02/03 (火) 09:10:58
通報 ...
145
katka_yg 2025/09/07 (日) 22:48:22 修正

卑屈にしている暇はない

「20 再会」(旧)
「13 ゲルドワの噂」(新)つづき

「聖戦士殿かっ!」
 迫水は、もうこの呼称に抵抗を示すことはなかった。既に、幾度か空をも飛翔した身であってみれば、拒否することの方がおかしかった。謙遜が過ぎて、卑屈な戦士だと悪しざまに言われることは決して良いことではなかった。

『指揮官ともなれば、兵たちの信望を受け、それに応えてゆかなければならない』以下の説明が続く。ここだけを読むと当たり前のような話だが、このことは後の作品までくり返す、富野小説中の重要ポイントだったりする。『ガーゼィ』のクリスは最初は一見して卑屈なキャラクターかのようで、最近読み返したところでは結構がんばって自我を保っていてわたしは考え直した。

146
katka_yg 2025/09/07 (日) 23:20:10 修正 >> 145

これに続いて完全版では、ビナー・ヘッゲモンの講義によるガダバの侵略地での圧制の異常さを語る。人殺しと収奪だけをしているといって、ガロウ・ランとはビナーはいっていないにもかかわらず、迫水の思いには、

〝ビナーの言葉どおりなら、日本軍の高官たちはガロウ・ランの寄せ集めということになる……〟

完全版でのガロウ・ラン観については上記まとめ。戦前の横浜の開かれた雰囲気を知って育った迫水には、日本が神国化していく過程は今思えば『どう考えてもガロウ・ランの仕業に思えないではない』となる。

ここに、もっと確かなものを戦争目的に据えたい、という迫水の思いが加わって今の『卑屈にしている暇はない』になるから、ここの文章は旧版・完全版併せて読み返すだけの、あらためて考えてみる重層的な意味がある。

147

どう考えても……思えないではない
という言い方は読んでなんだか変な気持ちがするが、そこはいま気にしないでいよう。

148

メラッサ

メラッサという若者はアマルガン一統のグズロ以下の傭兵の一人で、旧版では一巻に「メラッサ・ムスターマ」と紹介されていた。完全版では「メラッサ・バサ」。そのあと、旧版二巻ではおおむね「ムスターマ」と呼ばれていてわたしは較べ読んでいたがそれほど気にしなかった。

二巻のドラバロの狂気の部屋に突入するまえに、

ビラッワルともうひとり、迫水は彼の名前を忘れていた。その二人は、長槍で立ち向う兵をめった斬りにしていた。(旧)

という、迫水が忘れているもう一人のほうが、完全版ではメラッサ。この20章でも若者達の列挙中にメラッサ省かれているのが、完全版で補ってある。読者にわからないところで地味に浮上しようとしている彼。

149
katka_yg 2025/09/07 (日) 23:48:02 修正

完全版のリンレイの髪は赤茶色、旧版では金髪、と前回(旧15/新10)書いていたが、完全版13のここでは金髪と書いてある。

150
katka_yg 2025/09/08 (月) 00:07:47 修正 >> 149

リンレイの美しさに下馬することも忘れて見とれ、狼狽し、次に馬から飛び降りる迫水だが、新旧では印象が異なる。旧版では、しどろもどろな迫水を観察する彼女の目に「ムッとした」感情が差したと同時に、こんなまずい受け答えは危険だと気付いた瞬間、迫水の体が馬の背から跳び、リンレイの直前に落ちて片膝を付く。その挙動はまるでリンレイを襲うかのように見えるほど、迫水の激情の迸る行動だ。

完全版では、その一瞬の複雑な感情の行き交いが省略されて迫水は狼狽して下馬し、リンレイを襲うように見えたその挙動も「乱暴、粗雑」とだけある。

「お会いしたかった。会えて嬉しいのです」

の台詞は、旧版では唇は震えているものの、逡巡を払って『なぜそう出来たのかは分からなかった』というほど、迫水の意思を押し出すもの。咄嗟のこの挙動のおかげで迫水はリンレイに負けなかったような文の印象。完全版では、

ふるえる唇に抗うようにしゃべったつもりだが、意識は感受されているのは明白だった。

迫水はやはり、形なしだった、という書き替え。ここも完全版のテレパシー描写の補足の上で、リンレイの独擅場のようになっている。

151
katka_yg 2025/09/08 (月) 00:13:18 修正 >> 150

この新旧は全く「読者の好みのちがい」のようになってしまうが、旧版の迫水は、この場でも格好いいんだよ。野獣みたい。「そう出来た」はポジティブだ。なんで、あえて格好悪く書き直すのか?のように睨んで読んでしまう。章の途中だが、今夜ここまで。

152
katka_yg 2025/09/10 (水) 21:48:37 修正

いま、エリアーデの『世界宗教史』からの横道で、シュメール学者サミュエル・クレーマーの自伝『シュメールの世界に生きて』を読み返している。このうちの六章「英雄たち」のところは、ここの『リーンの翼』の前回のはなし……ガダバの結縁のような話の、「英雄時代」を考えるときに面白い。

内容を紹介すると長くなるが、章は、ギルガメシュ叙事詩(ギルガメシュ物語)のアッシリア語版とシュメール語版の発見・研究史のあらましから、エンメルカル、ルガルバンダも加えてシュメールにおける「英雄時代」が浮かび上がってくる――というところ以降。古代インド・ヨーロッパ語族の……という語り出しではあるけど、ここにはたぶん必ずしも歴史学のセオリーではなく、クレーマー自身の"インスピレーションの得方"がスリリングなところがあって、また思い出せば再読しておく。

153
katka_yg 2025/09/10 (水) 22:06:56 修正 >> 152

ギリシア、インド、ゲルマンの英雄時代とシュメールのそれとが、社会構造・宗教・叙事詩文学と挙げていくほど「驚くほど似ているように思われた」から発して、シュメール人は、もとメソポタミアに先住、先行する集団の高度な文明地に侵入してこれを征服した人々だっただろう――との推測をさせるものはその英雄詩にある、という大まかな筋書き。

先シュメール文明には2020年代の今もなお、学問の場でははっきりしていないだろうと思うけれど、この思考の飛躍が今読んでも面白いと思う。飛躍といって、空想を語っているわけではないが。紀元前三〇〇〇年頃から古代ギリシア・インド頃の時代間や、地上界と異世界の間について「英雄サーガの成り立ち、語られ方のパターンが似ている」と思う発想のところ。その発想自体はゴゾ・ドウにも似ている。

187

クレイマーの本については、

彼の研究上の特色、すなわちシュメール語を読む際にそれの文法の詳細な分析よりはむしろ自身の主観によって理解することが多いという点(これは文学作品を「なめらかに」読むために有効ではあるが)

という批判をされることが、当然ながらある。彼の研究の動機に文学志向的なものがあるからだ、とは自伝に述べているし、研究スタイルにしても、たとえばロシアの研究者は古代人の経済観念や技術史的な興味に強かったようなエピソードも加えていた。

もう少し突っ込むと、フレイザー批判や、もしかすると柳田批判のようなときにも同じような語調をたびたび聴いているかもしれない。井筒批判などもそうかな。

154

「21 徒党」(旧)
「13 ゲルドワの噂」(新)更に続き

  • ゲルドワの縹渺(ひょうびょう)たる山岳地帯の片隅にある稜線の上から、(旧)
  • ゲルドワの渺渺(びょうびょう)たる山岳地帯の片隅にある稜線の上から、(新)

書き出しから、やはりなんで書き改めているのかわからない。どっちにしても、山並みの峨々や巍峨という「鋭く尖った印象」ではなく、「広々として果てしなく荒涼としていること」、渺茫とか茫漠とかいう。草木の一つもない、というわけではなく、山裾には原生林が続いている。

155
katka_yg 2025/09/10 (水) 23:01:08 修正

ドラゴロール

強獣。小物はここまでもちらほらと登場していたが、この章(旧21新13)で主役になる巨大な強獣「ドラゴロール」について。龍に似た強力で狂暴な生き物。ガロウ・ランの間にはドラゴロールの急所についての言い伝え等もあるが、あやふやで真偽は全く確かでない。

  • 体長五十メートル以上
    直径二、三メートルもあろうという胴(旧)
  • 体長が人の十三倍ほど
    ふた抱えはあろう胴体(新)

同族らしき龍種には『オーラバトラー戦記』に登場するドラゴ・ブラーがいる。ドラゴ・ブラーは龍に似た蛇体に翼をもつ翼竜。ギィ・グッガの手勢に飼われているが、ガロウ・ランにしてもドラゴを飼い慣らした例はなくて、たしか作中が初めてとされていた。

ドラゴロールは後のシリーズ『ガーゼィの翼』にも再登場する。ガーゼィではドラゴロールは無限平野ガブジュジュの地に棲む「最近生まれた種」らしいといわれていて、生態が全く分かっていない。巨大な狂暴なだけに留まらず、自然の生物とは思えないようなある種の能力も備えている。ドラゴロールの上位種という「ゲッグ」も存在する。ゲッグには知恵さえ備える。

156

完全版1巻の402ページ「聞きなれた声のおかげて、」このたび再読で初めて完全版の誤植らしいものを見つける。意外。旧版のカドカワノベルズも校正はかなりまめで信頼できる。

157
katka_yg 2025/09/10 (水) 23:39:24 修正

恣意(つづき)

リンレイと会って女性観の激変・革新だった迫水の内的体験のおさらい……レッツオ以後の章を詳しく読み込んでいればくり返しになるが、女性観の話をちょっと外れて、この中に、前回挙げた「恣意」の語の使い方の、別の例がある。その復習をしてみる。

 地上界の日本にあった迫水は、ただ護国の為に心血を注いで身を挺する、という行動様式の中に自分を封じ込めていけばよかった。
 恣意するものが、直線的で許された社会にいたと表現できる。(旧)

 だから、日本にいてただ護国のために心血をそそいで身を挺するという行動様式のなか、自分を封じ込めていくだけですんだ生き方は楽であった、とも理解できるようになった。軍国主義的な生き方は、直線的だったということなのだ。(新)

いかにもわかりにくい。完全版では表現から除かれているくらいなので、説明のためにとはいえ、挙げるには悪い例といえる。

生きているかぎり、個人のなかの欲求とか欲望というものはある。この文中では、「自分」と書いてあるところは新旧に共通してそれかもしれない。「自由」という語は、完全版では近い段落に「自由恋愛などは…」とも、かすかにあるが、自由から隔離されていることが許されていた、といえば、現代の読者にはなおわかりやすいだろうか。

158
katka_yg 2025/09/10 (水) 23:48:18 修正 >> 157

後のブレンパワードくらい経ているので「エモーショナルなもの」というと富野文脈では分かりやすいが……エモーションを(ほしいまま)にするは、単語としてはあたりまえなので、とくに作劇以外の話には通じない。

「健やかさ」というのとは違う。その発露を塞がれると鬱積するのはたしかだが、「恣意」と言う中に健康とか健全という価値評価は含んでいない。

159

ガロウ・ラン的な恣意の放出はとくに、邪悪であると言っていきたい。放出……発動かな。もうちょっとトミノ界隈的なボキャブラリーの良いところを捜したいね。

161

もう一回、ロマンチシズムを今挙げてみよう。世の中でいう普通の言い方をやめてわたしなりにいえば、ロマンとは「自分は何のために生きるかについて思うとき」と前回いった。それはわたしの言い方だ。

上の迫水についても、完全版では「恣意」を省いた代わりに、文章には「生き方」を書き込んでいるだろう。生き方を求めようとすることに食いついていく読者には、アレ…のような他人事のようには、簡単には放さないと思う。

162
katka_yg 2025/09/11 (木) 09:48:51 修正 >> 157

章おわり。旧21/新13の章の切れ目は同じ。

 それは、この地の特異な匂いの感じさせることなのかも知れなかったし、迫水の感じすぎなのかも知れなかった。
 しかし、こうしてキャロメットと接していると、なにかもっと異なった恣意的な悪意といったものが、周囲に漂っているように感じられて仕方がないのだ。

また「恣意」だが、「恣意的」という使い方をされるときには富野文もあまり気にしなくていい……ようなことを上で一度は書いたが、ここの「恣意的」の用法も直前と同じように、やはり怪しい。

自然物でない、人為あるものの意図、少なくともその志向を感じるというようだ。志向性と言ってくれたほうがわたしは分かるかもしれない。

163

「22 ゲルドワの風」(旧)
「14 追って来る者」(新)

〝今度はガダの火箭がある。奴が空を飛ぼうが必ず……〟

旧版には「火箭(ひや)」、完全版には「火箭(かせん)」のルビが振ってある。どっちでも読むし、時代物やファンタジーの小説では同じ程の頻度で使われると思うが、なぜ変えてあるのかは不明。こういうところのルビは著者の意図ではないのかもしれない。

164

『オーラバトラー戦記』『ガーゼィの翼』中ではいずれも「ひや」とルビしてある。完全版でも、この前の章では「ひや」と振ってあった。これ自体に深い意味があるとは思えないが、上の意味でメモっておく。

165

旧版23章まで。ミン・シャオとムラブの挿入エピソードだけの短い章、新旧に内容の変更はほぼない。城壁のメルレンについての注意書きが省略されたくらい。今夜これだけにする。

166

「23 ミン・シャオの怪」(旧)
「14 追って来る者」(新)

 リンレイは、言った。
 ちょっとひややかで、それでいて真面目だった。リンレイは、意識してやったのではない。そうしてしまったのだ。
 リンレイの迫水に対して初めて示した女らしさだった。(旧)

 リンレイは生真面目にいった。それは幼女の仕草であって、リンレイも意識してやったことではない。(新)

少女時代を海賊として男性のロールで振る舞うことに慣れていたリンレイ、という文章が続くのは同じだが、「女らしさ」と「幼女の仕草」とでは意味が違う。

同じ場面で、やった動作は同じで、迫水をチャームしてしまったことも同じ。ニュアンスが違う。劇でいうなら解釈というか、「演出のちがい」に出るのかな。当の著者が映像の演出家だしなあ……。

167

こういうところがやはり、面白いね。「劇場版」では∀にしてもGレコにしても、微妙に足し引きしてニュアンスが違ってる。「分かりやすくしてくれてありがとう」、でもなくて、実際べつの話をしているが、同じ劇の別版、ないし新版ではある感じとよく似ている。

近年、令和リメイクというのか、平成アニメのTV→映画新版というシチュがわりと続いた時期がありながら、それもカルチャーだというのが親しまれているから、読みたければこれらは楽しめると思う。

168
katka_yg 2025/09/15 (月) 12:02:43 修正

前回はまだ別宮貞雄を聴いていたが、昨夜は、三枝成彰の音楽を少し聴きかえしていた。
アモン・サーガ (1986) 1 / 2
これはやはり『リーンの翼』というイメージはしないが、こういうものもあった、との思い出し。

169

ここで引いている「英雄凱伝モザイカ」のサウンドトラックは、わたしは和田薫音楽の初期の好盤なのと、そのうちダークファンタジーの系列、というイメージでフェイバリットに入っている。OVAの趣向が、アモン・サーガとモザイカがどっちがどっちだったか思い出せなくなるが、今は、こういうロマンチックな趣味で現代音楽も聴くのが好き。
1 / 2

廃盤は廃盤だが、必ずしも高額でもないので中古市場に出ていたらお勧め……のように人にも言いたいところだが、趣味の物件ではあるしね。デジタルで配信されるようになればその紹介もしないのだが、今は、その折々に興味として書き込んでおく。

170
  • 迫水を追う五十余騎の兵たちが向ける眼光は、直截であった。(旧)
  • 迫水をおう五十余騎の兵たちがむける眼光は直裁であり、(新)

「直截」が「直裁」に改め。……なんでだ? それと別に、漢字がひらがな表記になるのは全文の全面に処理されている。

171
katka_yg 2025/09/15 (月) 12:52:43 修正 >> 170
  • 迫水の中に累積された経験律が、迫水自身に教えるものであったからだ。(旧)
  • 迫水に累積された経験値が、迫水自身に教えるものであったからだ。(新)

こういうところは直感的にわかる。

172

旧版3巻23章、聖戦士として自分が頼られている快さを感じた瞬間に、また再び、迫水の地上体験から日本軍の質、特攻までの反芻が始まる。あたかも、何かのきっかけがあると迫水のフラッシュバックが始まるようだ。

戦争指導者のインテリジェンス(インテリゲンチア)と、ガロウ・ラン的なもの(完全版)の解読を試みる。文章の内容はまた、前回のほぼくり返しで、旧版では2巻と3巻の境目が間にあるのでくり返しているかもしれないが、完全版では、ここもやはり「ガロウ・ランの憑依」と書くのみで手短に省略される。

較べて読んでいると「またか」と思われるところでもあるけれど、旧版を読む際には、前回には「日本の精神土壌」、ここでは「日本人の土着のメンタリティ」を、「風土」と書き込んでいるのは新たな進展のよう。風土の語も作中に既に五回ほど使われているが、明確にこの文意で使われるのはここ。

わたしは富野文で「風土」という言葉はどう使われるのかなと思って読んでいたのでこの順序もチェック。

173
katka_yg 2025/09/15 (月) 13:27:35 修正 >> 172

わたしは、「富野文で風土って言うっけ??」と、この7月の余談の最中に思い当たって、小説作品を通読しているわりに全く思い出さなかったことに気づいた。あるのはある。

ここのツイートで『合体怪獣には風土がない』というのは、たとえばジャンボキングのようなパーツの組み合わせになって過去の怪獣が再登場したとき、各パーツはたしかに元怪獣のそれぞれの最強部分を抽出して足し合わせたものだが、この際にはそれぞれの生い立ちのエピソード(各回の物語)が揮発するので、ここでそんなに時間をかけて語られることがもうない。強いけど、しょせん再生怪獣だということになっちゃう。ゾンビ以上の思い入れもない。この場合は、「週替りの放送回」が怪獣それぞれの持つ生まれの土地で、風土だのような言い。

(ドゥー・ムラサメちゃんに、ガンダムシリーズ他で強化人間その他がやる「負け台詞」を全部装備してやると、すごく強そうに見える、という雑談だった。)
経過 1 / 2 / 3

174
katka_yg 2025/09/15 (月) 15:10:06 修正

経験値

経験律と経験則は違う意味になると思うが、完全版のように「経験値」と書くと、その律か則のような抽象的な思案はさっぱり省く。「経験値」という言葉じたいは比較的近年に使われ始めた……コンピュータゲーム由来のような語なのかと思うけど、べつにゲーム感覚はなく、常用語にはなっているだろう。

175

「経験値」という概念が普及しているのはファミコンのドラゴンクエスト由来だと思う。たとえば、TRPGだったら値より点といいたいところだろう。1984年の原作当時にはなさそうな語彙だが、2010年頃に読むにはいささか古臭い言い方のような不思議さを感じる。「律」でわかりますみたいな。

176

「24 追撃」(旧)
「15 追撃戦」(新)

それはもはやガロウ・ランのものではない。(新)

ここまでの、「ガロウ・ラン観」の変化の経緯をつぶさに読んできていると、ここで「おお」という気に読者もなる。

177

開戦。ここは完全版に、合戦描写の加筆がかなり多い。較べてみると旧版にも「硫黄谷」というシチュエーションは書いてあるが、完全版には戦場の具体的な展開――足場としての亀裂、礫石、陣地として辛うじて整地した馬道、視界(硫黄煙)をざっと書き上げてあって、同じ場面が鮮明になっている。戦術では迫水隊の拳銃の連射と、「長槍」の存在は旧版には全くない。速力でまさる騎馬攻撃で敵の中核にまで達したところでそれ以上の吶喊は踏みとどまり、ここで防御の槍衾を敷く。作戦の第二段階を待つ。

178

バイストン・ウェルの地形は、地上界の自然の地質学的常識が通じるかは怪しいという話だが。しばらく前に『王の心』のときにも火山性の土地でのエピソードがあり、そのときにこの章の連想をしていた。キャロメット老人についても思い出していたな。

179

章おわり、この章も新旧の切れ目は同じ。今夜ここまで。

完全版は、今これは電子だがページ数がかなり分厚いので、読み続けているといつまでも終わらないような気になるかもしれない。一日一章くらいのつもりで良いんだと思う。

180

〝巴御前も、かくや!〟

というときの「かくや」は、「このようであったろう」だから「かくやありけむ」だが、やはりそんな余計な補足はいわない。高校生と一緒に読むなら優しいかもしれないけど、わたしは今そういう友達はいないね。

181

「25 穴の中」(旧)
「16 穴の中」(新)

リーンの翼を目撃したガダバの将オットバは、これまでのガダバ軍人とは若干異なり、「あれが欲しい」「あれは、強力な武器になる!」と口走る。完全版によると、「流浪の騎士であった経歴」をもつがゆえにというオットバは軍事的な視点で何事も考えるため、奇跡のようなリーンの翼に対しても、

  • リーンの翼の軍事的な機能の意味性というもの(旧)
  • リーンの翼の戦術的な意味(新)

を本能的に見抜く。戦術的、で十分だろう。
このオットバの人格評価は、今はザギゾアを連想する。ズムドゥ・フングンはガーゼィの翼の心理的な効果をよく理解していたが、ザギゾアは単にそれを物理的に強力としか考えなかったの文。

182
katka_yg 2025/09/19 (金) 19:47:28 修正

バイストン・ウェルの月

鍾乳洞に飛び込んだ迫水とリンレイは一息つきながら、この一帯の異様な火山地形についてとバイストン・ウェルの「人のオーラ力」(意思)によって成っているという観念を話し合う。その折にまた、革鎧と鎖帷子をくつろげているリンレイの胸のあたりが気になるが、迫水のそうした想像は完全版では毎回のように、彼女にテレパシーで筒抜け。

その話の中で、『リーンの翼』における月についての談話がある。ここでは、リンレイは「月」なるものを知らない、バイストン・ウェルには月というものはない前提で、迫水のあやふやな宇宙観と古典SFの月世界のような話をしようとして、リンレイとロマンチックな空想を共有する。

前回、旧1巻の頃に書いたが、「バイストン・ウェルに月はない」というわけでも必ずしもなく、シリーズ作品によっては、月もある。『オーラバトラー戦記』『ガーゼィの翼』では作中、夜に月が昇っていて、「月と呼ばれている巨大なもの」あるいは、「地上でいえば、月にあたる燐光の塊」のようにいう。

ここでいう月は、燐光(ほし)とおなじ組成で、それが巨大にまとまったものには、満ち欠けもあった。光のぐあいは、多少ぼやけた月という風情である。
(『ガーゼィ』より)

183

この素朴なほどのタッチの挿画が今見るといいな……。

184

章おわり。ここの章末の文は、意図的に作中で三回目のくり返しになるのだが、完全版ではここで三回目にくり返す連想の理由がはっきり書き足してある。旧版の表現では、多分、読者には誰も文意がわからないと思うけど、意味のわかるわからないと別に少しくどいかもしれない気がする。

そんなに効果があるくり返しかどうかもだ……。けど、それは、原文に対しての作品批判はわたしは挿まない。作者の言いたいところについて「ここは」というピックアップはするけど、作者が上手いか下手かだのという講評はわたしは興味ない。こんだけ長々と続けていて、今更言うまでもないだろう。

185

それで、ここも比較点があるので少し続き。わたしはまえにハロウ・ロイの場面でも言ったが、ラブシーンの読み解きについてそんなに遠慮するものではない。

リンレイの緊張する「…………」のところを、完全版では若干のテレパシー的な、言葉にならないリンンレイの意識の揺らめきのように書かれる。

リンレイの体毛……恥毛について、

  • 生え始めたかすかな(旧)
  • 金色の豊かな(新)

とあり、新旧で事実が違う。もっとも、旧版でも体毛が薄いことについて迫水にはそのことは知らないが、と書いてある。新旧ともに迫水にとっては柔らかく、感性に富んでいるように思える。あえて完全版で省略されていることについて言うと、以前に剃り落とされた跡だろう……。

186

「あ、っ……」(旧)
「あ、つ……」(新)

促音の「っ」か、有声の「つ」かは、その区別大事だと思う。思うはず。旧版では「わずかに呻いた」、完全版では「呻きは遠慮のないものだったが、」とある。喉が痙攣するように、ヒッとかヒクッとなるのは上のようだと思う。下にしても、痛みを感じたわけではないところ。

全文は完全版に共通して、やや性急に詰め込んでいく節のある新しい方の富野文体が、わたしには、ここはどうにかロマンチックよりは若干コミカルに効いているような気がする。荒っぽいが。荒っぽくも、最後に荒々しい接吻が追加してあるのでやはり完全版のほうもね、という言い方になるね。

188

「26 カタビタンの胎動」(旧)
「17 カタビタンの胎動」(新)

周囲の「気」を察知すること……これは前から書いてある。それに、前章のリンレイと同時に経験した超常的ともいえる洞察についてセックスの神秘と、バイストン・ウェルが不思議の世界であることと、リーンの翼も加担していることも加えれば「不思議ではない」と断定する理屈は富野作品に特徴ともいえる、すごい強弁の仕方だとわたしは思うが、そこまで言われれば仕方ない。不思議だと言ってるんだからわざわざ説明しなければいいのに。

このうちにある「悟性の高まり」のようなときの「悟性」について、富野文の悟性もまた特殊な意味を含まないといけないかもしれないが、今そこは掘るまい。ニュータイプのような超感覚知覚も悟性のうちとして語られる。

189
katka_yg 2025/09/24 (水) 17:01:29 修正

死せるガブロラウ

ここ、旧版26章で迫水隊のメンバーのガブロラウがわざわざ性格を紹介されて部隊を先導するが、ガブロラウは前々章で壮絶な爆死を遂げたはずで、死んだはずの彼がまた活躍するのはここは本文が誤り。

完全版では、前章でガブロラウの死について迫水があらためてリンレイに確認していたのと、ここでのガブロラウ云々は削除、あとのガブロラウの台詞はミグニに引き継がれているようだ。そのためか、いまの冒頭の推察の半ばにミグニとの短い会話が新たに挿入してミグニの存在を前に出しているみたい。

195

そのうえで、完全版17章の文中にもまだ

ガブロラウたちの予測した位置に敵将の幕舎を

というところは修正されずにガブロラウの残滓が残っている。

190
katka_yg 2025/09/24 (水) 17:13:16 修正

化生

〝あれは、化生(けしょう)だ。人じゃあない。人の生理などは持っていない……〟

ここでの「化生」はお化けの意味。作品年次が前後するが、『ガーゼィの翼』の本文中に「化粧」と書いてある文が多分誤りだと書いたけど、「化生」についてここにも用例があるので多分そうだろう。ガーゼィのそこは、超自然の存在で、人の生きている現実に即していないもの、のような意味。

191

アンマ・ガルレアが迫水を気にしているのは前からわかっているが、彼女の発する「匂い」を嗅覚で察してそれは動物の牝の匂いだという。ただし、

 それでは、アンマは、死にゆくために、この作戦に参加したに等しい。
 死力を尽す敵というものは、遠慮会釈もなく敵の隙を突いてくる。その原始的な道理の世界に別の気分を持って参加する結果は、明らかであった。

で、迫水は彼女に一言釘を刺しに行く。これに近い言い方って富野アニメでも時々見てはいるようで、たとえばレコアのような人はそれが目に見えるのだろうけど、ほかに、Gレコのバララに対してマスクが『戦場に嫉妬を持ち込むと死ぬぞ』と呟くときの気持ちも、これと並べると台詞の聴こえ方が違うんじゃないだろうか。

192
katka_yg 2025/09/24 (水) 21:31:43 修正

バイストン・ウェルの黴菌

 ガス灯の青い光の中に埃が舞いあがる。
「ウッ!」
「ボロボロだ……」
「静かにやれ! 悪い菌があるかも知れんぞ!」

完全版では「黴菌」。バイストン・ウェルのコモン人に病原菌、細菌の概念があったのか。

193
katka_yg 2025/09/24 (水) 21:40:56 修正 >> 192

『ガーゼィ』では、ハッサーンは細菌の存在を知らなかったが、「目には見えないものが病気の原因になる」という説明にはオーラのような「見えない力」については巫女として想像できる素地があったので理解してくれていた。

『リーン』のここも、ホコリのように舞い上がるカビやキノコの胞子がその生物の種子のようなものだろうということはきっと古くから知られているし、中には毒もある。細菌の概念がなくてもコモン人には「菌」はそういうものを言うと思えばそれは不可解でもない、か。

194
katka_yg 2025/09/24 (水) 22:37:33 修正 >> 192

幻想世界の生物(人間以外の)の起源のようなことを考え始めるとすぐに困難に突き当たるのは目に見えているが、人の意思によって成っているような世界なら人類以前にどうだったか等……。それも、何百万年とは遡れるような気はしないにもかかわらず、あたかもこの世界で永年進化してきたような、歴史ありげな動植物、魚がいて、菌もいる。

いっそ強獣くらい超自然・不自然に見えるものなら、「地上界の人々の太古から抱く恐怖のイメージ」のように説明つくかもしれない。バイストン・ウェルの獣や樹木や花々も、生きているように見えてはいても、いずれも人の思い描く幻のような産物かとも思う。

幻想世界の史的転回

コモン人には歴史学がない。コモン界で人々が古くからどのように暮らしていたか、昔にどんな事件があったかについて「伝承」はあるが、それらの人の営みが時に沿ってどのように進展(あるいは停滞)しているか、その意味を訊ねることをしていない。ただ、コモンの営みは何千年もさほど大きくは変わらずだったと伝えられている。ごく最近になり、ゴゾ・ドウのようなある種の歴史理解をもつ人物、故事の記録上にみられる事象にはある法則性があって強大な勢力を誇った文明が崩壊するときはこうだとか、英雄と呼ばれる人々が登場する時代にはこうだ、といったある一定の観点から時間を見つめ直す、解釈する思想を備えた人が現れ、その史観にもとづく支配権の再編、覇権を求め始めた。

バイストン・ウェルの地層を掘って古生物の化石が見つかるようには思いにくい。また一方、地上界にとっても、……地上には地上人のもともと住む地球があり、太陽系があり、銀河があり……といった宇宙観が、バイストン・ウェルと無縁にどれくらい実在しているのか――のような疑問には、バイストン・ウェル物語のうちでは、シリーズを通して地上の実在性が問われることは少ない。けれど、前のような「地上の歴史へのガロウ・ランの介入」が言われ始めるなら、この先は地上も含めて一つながりの「語り」の内にする、と言わんとはしていると思う。それを読者や、作品理解の上にも、今も全然そういう取り上げ方はされない、とは思う。

196
katka_yg 2025/09/26 (金) 23:24:20 修正

凝縮する恣意

 しかし、その爆発の力は、人の目に見えない時間の中で、内爆を起こし、バイストン・ウェルの、いや、ゲルドワの地の醜悪な恣意を吸い込んでいた。
 それが、ミン・シャオの恣意を核にして凝縮し始めていたのだ。

この上もはやくどい繰り返しのようだが、前回から続き、こうなるともう「恣意」の普通の意味ではほとんど意味がわからなくなる。恣意だから、放恣に、放散するものじゃないのか。それを核に一点に凝縮させる恣意、とは何だ?

意思、ではなさそうだが思惟、に近い。情念と言ってしまえばよさそうなものを、「意」の字は採りたいらしい。
リンレイのところでは情欲、欲動のように近くおもったが、ミンは身体が四散したところで(よく)する身体がない。

197

探してみたが、この意味では富野小説作品中でも「情念」の用例の方が多い。むしろリーン以外では「恣意」のこんな突飛な使われ方は見当たらないくらいだ。

文芸一般に情念というと、たとえば江戸時代の幽霊話で、自然の現象では説明つかないし、倫理や筋道も通っていないのに、ただ憎いや、悲しい、愛しいだけの想いで、そこに忽然と幽霊が立ち上がったり、クラクラと炎が燃え立ったりするとき、物質や肉体を超えても「情念だけの世界」が語られる、のような言い方に使われることがある。

なので、情念と言ってくれればわかりやすいが、なおそうは簡単に言わない。エモーショナル、エモーションという英語にはまた英語独特のニュアンスが被るので今避けよう。

198
  • 巨大な鎌いたちといわれるような現象が恣意的に起こっているという考え方もできた。(旧)
  • 巨大な鎌いたちといわれるような現象がおこっていることは考えられるのだ。(新)

旧版のここの「恣意的」はもう誤用とするべきだろう。完全版で削除されているからそう言うのでもないが。

替りに、「意図的に」「作為的に」でも意味は間違っていないが言い方が弱い。凶暴な、それも悪意にコントロールされてと言いたい。「攻撃的」「殺意的」とも言えばその志向性も含むが、富野文の語法という感じはもうしないな。